寝台車付きの鈍行列車を語る

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573あさかぜ金星さんべ ◆YczdOMliL.
>>572
1950年ごろは、敗戦の混乱がおさまりつつあり、ようやく列車のダイヤがまともになりはじめていた。
しかし、寝台車を中心に優等車両は占領軍に接収されて、国鉄はまだまだ占領軍輸送に忙殺されていた。
当然、庶民が横になって旅行するなど夢のまた夢、という状況が、相変わらずつづいていた。
寝台車も、イネの製造を再開し、ようやくロネの製造再開にこぎ着けたばかり、ハネは論外(皆無)。それも占領軍による外国人観光客を意識した製造命令であった。
1950年秋の時点で、寝台車を連結した列車は、すべて急行であり、

東京 鹿児島 イネ
東京 博多  イネ
東京 大阪  イネ ロネ
東京 大阪  イネ ロネ
上野 札幌  イネ
上野 青森  イネ

の6列車のみである。