べーべん総合スレ

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1べーべん
俺は神様だぞ
頭がいいんだぞ
世界一かっこいいんだ
いいか
君達は俺の奴隷だ
世の中の女は全て俺のものだ

関連すれ
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/train/1158841503/
2:2006/10/03(火) 22:37:14 ID:zvAaF7ek0
ウソです
3名無しでGO!:2006/10/03(火) 22:43:49 ID:SVW5OuPa0
用途廃止
4名無しでGO!:2006/10/03(火) 22:51:46 ID:WMDZuLuSO
俺の好みは「田園」「皇帝」「月光」の三作品だな。
5名無しでGO!:2006/10/04(水) 08:25:09 ID:bRAfOCdE0
ボンクラスレの池沼じゃん
6べーべん:2006/10/04(水) 13:51:04 ID:6cYJWs1UO
みんなありがとう

神様のためのスレだ
7:2006/10/04(水) 14:30:13 ID:5cHIHBK3O
このスレッドは6を超えました。
もう書けないので、二度とスレッドを立てないでくださいです。。。
8べーべん:2006/10/04(水) 16:58:31 ID:bRAfOCdE0
おあまら俺を馬鹿にすると罰があたるぞ
9べーべん:2006/10/04(水) 17:22:06 ID:FHWDNV/Z0
基本は,謎の敵に対し,謎の機械に乗って理由も分からず闘う不条理な物語.
舞台は近未来,2015年の富士山麓・第3東京市.
その第3東京市に対し,それぞれ旧約聖書の天使名を冠する「使徒エンジエル」と呼ばれる存在が,断続的に攻撃を仕掛けてくる.
使徒は,いわゆる巨大生物のこともあれば,浮遊する巨大ピラミッドのことも,またコンピュータ・ウイルスやただの光る輪のこともあるといった存在であり,その正体も意図も全く不明.
その攻撃に対抗できるのは,巨人型生体兵器「エヴァンゲリオン」(通称エヴァ)のみが知られているが,これもまた人類のテクノロジーを超えた存在であり,しばしば暴走する.
エヴァは3体あり,それぞれに14歳の子供(シンジ,レイ,アスカ)が専属操縦者として選ばれている.
物語は,この3人に,29歳の女性ミサトを加えた4人の人物を中心に進む.
それぞれトラウマを抱え他人とのコミュニケーションが苦手な彼らにとって,「なぜ使徒と闘うのか/エヴァに乗るのか」という問いは,人類が云々というより,むしろ内面の問題として意識される.
演出も登場人物の心理に重点を置いている.
10べーべん:2006/10/04(水) 17:29:22 ID:FHWDNV/Z0
テレビシリーズ前半,作品はほぼよくできたSFアニメとして進行する.
その過程でいくつかの謎が解明され,その世界設定が,ユダヤ = キリスト教神秘主義を参照したカルト色の強いものであることが明らかになる.
登場人物たちに関しては,各々の心の病の克服に向かうよう肯定的に描かれている.
しかしほぼ第16話を境にし,後半,その作品世界は内破し始める.
各エピソードは急速に凄惨さを増し,登場人物たちはコミュニケーションを失い,死に傷ついていく.
作品世界上の謎も加速度的に増殖し,視聴者も登場人物たちもともに(いわば)『ツイン・ピークス』的迷宮性に突き落とされる.
この時期の筋を要約することは不可能だ.第24話は,孤独になったシンジが,ある少年と疑似同性愛関係をもったのち,彼が第17使徒であることを知り殺さざるを得ないところで終わる.
物語はここで中断,最終2話は抽象的映像によるシンジの内面描写,およびメタフィクション的試みに終始した.
第24話まで構築された作品世界上の謎と物語的結末のこの突然の放棄は,アニメファンのあいだに極めて大きな動揺を引き起こした.
11べーべん:2006/10/04(水) 17:30:10 ID:FHWDNV/Z0
現在,最終2話はVT/LD版での再制作が発表されている.
また来年春には劇場版総集編公開が,さらに夏には,完全オリジナルストーリーでの新作公開が予定されている.

80年代後半以降,アニメ作家たちのほとんどは,一方で低品質のテレビアニメを,他方で,急速に整備されたOVA(オリジナル・ヴィデオ・アニメーション)の流通システムをフルに生かした一部マニア向けの,
ただ画質がいいだけの作品を無批判に生産する閉塞した状況に陥っていた.上記3人がかろうじて良質の作家たり得ていたのは,彼らがともかくは,そのような日本アニメ特有の,
作り手と受け手とが一体となった閉鎖的空間(同人誌,パソコン通信,アニメ専門誌,専門店……)に荷担することを拒否し得ていたからに他ならない.
つまり日本アニメは,ジャンル全体として,ここ十数年圧倒的に――その市場の巨大さと比較すれば信じがたいほど――不毛だったのである.
12べーべん:2006/10/04(水) 17:31:28 ID:FHWDNV/Z0
庵野秀明による『新世紀エヴァンゲリオン: Neon Genesis Evangelion』は,そんな状況の中,突然現われた.

それは完全な不意打ちだった.いかにもアニメ的な作画といい,テレビという公開媒体といい,ほとんどアニメ専門誌のみに限られた。
しかも単なる巨大ロボットSFアニメとしての――前宣伝といい,『エヴァンゲリオン』が通常のテレビアニメを大きく剰余する作品であることは,事前には全く予想できなかった.
恐らくその事情は,アニメファンにとっても同じだっただろう.にもかかわらずそれは,放映が終了してみれば,二重の意味で大きな「事件」になっていた.
以下,僕はその事件性について簡潔に語っておきたいと思う.
13べーべん:2006/10/04(水) 17:32:11 ID:FHWDNV/Z0
別欄に記したように,『エヴァンゲリオン』は大きく前半と後半に分けることができる.
前半は,極めてウェル・メイドなSFアニメだ.この段階――つまり96年1月時点――ですでに,本作品は『機動戦士ガンダム』(79−80)以来の傑作として絶賛されていた.
恐らくその評価は正しい.作画枚数が多かったり,演出がアニメにしては異例に細やかだったりしただけではない(アニメをある程度見ている人間にとりそれもまた驚くべき水準なのだが,ここで詳しくは語らない).
その物語と世界設定は,私たちの社会が現在漠然と抱えている複数の問題を,かなり正確に写し取っていた.
したがってこの作品は,狭い「アニメ界」を超え力を持ちうるものだ.
14べーべん:2006/10/04(水) 17:45:29 ID:FHWDNV/Z0
その魅力について,二つだけ具体例を挙げておく.
第一に使徒=天使エンジエル.別欄に記したように,それは極めて抽象的で変幻自在な,ほとんど観念的な「敵」だ.
この設定は,登場人物たちの危機感から具体的イメージ(ゴジラのような)を奪い,そのリアクションを不可避的に空転させる.
例えば,主人公シンジは「逃げちゃダメだ」と幾度も自分に言い聞かせる.
しかし何が彼にその緊張を強いているのか,実は彼自身が一番分からない(幾度も反復される「何故エヴァに乗るのか」の問い).
いわば『エヴァンゲリオン』は,「対象なき不安」と,そこから帰結する空回りの,しかしリアルな緊張感を描く物語と言ってよい.
現在その類の感覚が蔓延しているのは,オウム真理教事件(彼らの処理は単に愚かだが)とその反響を見ても明らかであり,この点で時代性が高い.
ところでここでさらに注意すべきなのは,そういった不安感はつねに,一方で唯物論的に決定されつつ,
にもかかわらずその中にいるものにとっては抽象的にしか感じられないという逆説を抱えているということだ(精神分析の問題).
庵野が描くべき不安は優れて90年代的なものでありながら,同時に普遍的なものとして提出されねばならない.
結局作家の実力は,その逆説をどこまで物語上で仮構できるかに尽きる(例えば,カフカの官僚機械とはそういうものだった).
抽象性と物質性を兼ね備えた使徒=天使の設定/デザインは,この点でかなりいい線まで行っている.
少なくともそれは,『ヒュウガ・ウイルス』における村上龍の試み(彼がウイルスに求めたものもまた,その逆説を表現する装置に他ならない)を超えている.
実際,使徒はウイルスの形態も取るだろう.
15べーべん:2006/10/04(水) 17:49:16 ID:6cYJWs1UO
意味ないカキコミはやめたまえ

神様のいうことをきけ
ニセモノは死刑だ
16べーべん:2006/10/04(水) 17:51:47 ID:FHWDNV/Z0
第二の例.副主人公,綾波レイ.感情の起伏がほとんどなく,他者への関心と死への恐怖が完全に欠如したこの少女は,
声優(林原めぐみ)の抑制された演技のせいもあり,非常に印象的なキャラクターに仕上がっている.
一人住まいの彼女の部屋は廃墟化した巨大団地の一室なのだが,そこには全く装飾がなく,壁はむきだしのコンクリートで床には下着やゴミが散乱,カーテンはいつも閉められたままの状態だ.
机の上には包帯と大量の薬,ビーカー,付箋紙が挟まれた厚い洋書が置いてある.
彼女は外からそこに,ただ寝るためだけに帰る.ポーランド出身のある友人は,レイがpost-war children,つまりボスニアその他の問題を連想させると全く正しい感想を述べていたが,
と同時に僕は,彼女の部屋の光景に古い大学の理系研究室棟,特に医学部のそれを重ねていた.
庵野はそこで,難民/外傷のイメージと理系的――としか言いようがない――反装飾性のモチーフを交差させている(つまりこれもまたオウムの問題,より正確には「サティアン」の問題に連なる).
徹底した即物性に支えられたこのレイの孤独は,現在の子供たちチルドレンが直面するディスコミュニケーションに対し,宮台真司らが強調するコギャル的自閉にも,
またそれと対照的に仮構されたオタク的自閉にも属さない(その二つはポストモダン的装飾性の両極に過ぎない),遥かにリアルなイメージを与えてくれる.
17べーべん:2006/10/04(水) 17:53:04 ID:FHWDNV/Z0
この時期の『エヴァンゲリオン』は救済の物語を志向している(evangelだから当然だ).
話の焦点は,いずれも自閉的に設定された4人の登場人物が,それぞれコミュニケーションの回路を開いていくプロセスに置かれている.
その肯定的方向性のみならず,上の2例からも分かるように,所々に織り込まれた物語装置とイメージの巧みさは,それがいかにも95年的作品だという印象を与える.
実は,これ自体事件だ.思えば80年代後半以降,蓮實重彦と高橋源一郎がかつて対談で述べたように,日本文学には「○○年的作品」がすっかり存在しなくなっている.
それ以来,物語構造の年代的展開がない.言い換えれば私たちの物語的想像力は,いまだ,80年代前半に作られ,蓮實が『小説から遠く離れて』で示したフォーマットから抜け出していない.
僕の考えでは,その不毛性は社会の変化とは無関係だ.それは単に,文学者たちの想像力の貧しさに起因している.『エヴァンゲリオン』の出現は,そのことを改めてはっきりさせたと僕には思われる.
庵野が提出したいくつかのイメージ,使徒にしろ綾波レイにしろ,これと匹敵する同時代的イメージ=物語装置を僕は久しく見ていない.
18べーべん:2006/10/04(水) 17:56:00 ID:FHWDNV/Z0
これはまたジャンルの問題でもある.前述の3人と異なり,庵野には「アニメ的なもの」への躊躇が一切ない.
恐らくそれは世代的差異でもあろう.41年生まれの宮崎や51年生まれの押井が持っていたアニメ的=オタク的想像力への警戒感,あるいは文学的想像力への憧憬を,60年生まれの庵野はいささかも持ち合わせていない.
庵野の履歴を見ると,彼が80年代,オタク文化の最も「濃い」現場を歩んできたことが分かる.彼はアニメジャンルの不毛さにずっと付き合ってきた.
『エヴァンゲリオン』ではその鈍感さが有利に働いている.押井の『攻殻』がサイバーパンク(文学的想像力)を参照することでかえって時代遅れになったのと対照的に,『エヴァンゲリオン』での魅力的=同時代的なイメージはむしろアニメ的想像力から生まれている.
今までアニメの不毛さを強化してきた美少女やメカといったモチーフは,そこでは逆に,そのステレオタイプ性と抽象性によって90年代的問題を表現するため不可欠な要素に変えられているからだ.
そもそも『エヴァンゲリオン』は,エヴァ操縦席のデザイン・コンセプトからビールの銘柄に至るまで,あらゆる細部が過去のアニメやSF,映画からの引用で成立している極めてオタク的な作品でもある(ここではその側面には特に触れないが,それはそれで重要だ).
つまり庵野はそこで,ここ十数年一貫して不毛だったアニメ的想像物を強力にリミックスし,そのことにより80年代文学的想像力を突き抜けたとも言えるだろう.
19べーべん:2006/10/04(水) 17:58:26 ID:FHWDNV/Z0
『エヴァンゲリオン』のO Pオープニング画面には,(例えば)第24話で初めて登場する人物のカットがすでに挿入されている.
無数にあるこの類の仕掛けは,庵野がある程度明確な全体構想を抱き,その放映を開始したことを意味する.実際,冒頭数話における物語の展開スピードや無数の伏線は,それが緻密な全体構想からの逆算で作られたことを示すものだ.
前半諸エピソードのテイストはほぼ一貫している(第8話以降のコミカルな数話も,僕の考えではその一貫性内に収まる).その物語はアニメジャンルを再生し,同時に文学的想像力の限界を明確にするものだった.
上に述べたように,この段階ですでにそれは事件の名に値する.したがってもし仮にこの作品がそのまま継続され大団円を迎えていたとしても,僕は今ここで『エヴァンゲリオン』を紹介していただろう.その価値はある.

だがにもかかわらず,僕は今,この作品は,むしろ主にそれとは別の水準で評価されるべきだと感じている.その評価は,物語内容とはとりあえず切り離される.
僕がこの作品の存在に衝撃を受けたのは,その水準があったからだ.前半エピソードと『エヴァンゲリオン』の初期設定は,庵野がいかに物語作家として優秀(この語が適切だと思うが)かを十分に示している.
繰り返すが,その優秀さにすら現在の多くの小説家は拮抗し得ていない.しかし恐らくより重要なのは,庵野がこの作品を途中で崩壊させたことのほうである.
庵野はアニメを再生させた.しかし同時に彼はアニメへ終止符も打った.わずか半年間にそのプロセスが凝縮されたということは,驚くべきことだ.
そしてその凝縮された崩壊プロセスのなかで,庵野は作品前半での水準をより押し上げる――別の方向にではあるが――ことに成功した.
ここに本当の事件性がある.

20べーべん:2006/10/04(水) 18:06:49 ID:FHWDNV/Z0
後半.別欄に記したように,庵野はそこで救済の物語,ハッピーエンドを突然放棄し始める.
それはつまり,アニメ的物語の放棄ということだ(実際この時点で,『エヴァンゲリオン』はアニメファンの不興を急速に買い始める.
彼らは登場人物が不幸になる話に耐えられない).したがってその選択は必然的に,構図や演出においても「アニメ的なもの」からの逸脱を引き起こすだろう.
ほぼ第16話を境にしそれ以降の展開は,その逸脱が徐々に過激化する過程として捉えることができる.
その延長線上に最終2話,つまり物語そのものの完全な放棄とメタフィクション化があったのは,したがって必然だった.


21べーべん:2006/10/04(水) 18:12:44 ID:FHWDNV/Z0
庵野自身の言葉によると,この態度変更は制作中に行なわれた.『エヴァンゲリオン』はアニメファンの間で熱狂的に受容された.その熱狂の自閉性に気づいた彼は,作品全体の構想を変更せざるを得なくなったと言う.
放映終了後,庵野はアニメ専門誌やラジオ・インタヴューでほとんど自虐的にアニメファン批判を繰り返すことになるのだが,そこでの彼は,実は宮崎や押井の履歴を見事に反復している.
その二人もまた,アニメファンの間で圧倒的成功を収めた後,その自閉性への嫌悪から「アニメ的なもの」から離れた作家だったからだ.
ただ,彼らと庵野は二つの点で決定的に違う.まず第一に,『エヴァンゲリオン』においては,アニメ的なものへの沈潜とそこからの離脱がほぼ同時に起きている.
宮崎であれば『ルパン三世・カリオストロの城』(79)の成功から『トトロ』まで,押井であればテレビ版『うる星やつら』から『パト2』までほぼ10年かかったその推移が,庵野においては恐ろしく圧縮されている.
第二に,多分その圧縮の必然的帰結としてだが,宮崎と押井において(いわば)排除の論理で遂行されたそのアニメ批判は,庵野においては増殖と加速化の論理で行なわれている.
『エヴァンゲリオン』後半は,アニメ的表現−物語可能性をぎりぎりまで展開すること――つまり徹底してアニメ的であることにより,既成のアニメ作品への批判であるような形式を取っている.
簡単に言えば,庵野はそこで単に超高速で超複雑なアニメを作り,そのことで質的変化を到来させているわけだ.90年代の救済物語のため作られた諸設定は,急速に反転し,登場人物相互のコミュニケーションをずたずたに引き裂くため用いられる.
そしてそれは,庵野にとって,(登場人物に感情移入することでしか作品を鑑賞できない)アニメファンとのコミュニケーションを切断することでもあった.
22べーべん:2006/10/04(水) 18:22:10 ID:FHWDNV/Z0
後半の庵野は妥協がない.通常数話を要するエピソードを,彼は,早いシーン転換とわずか数コマのカットの多用(アニメーションではこれは非常に贅沢なことだ.コンマ数秒のために新たな作画が必要なのだから),演出上の省略と難解な台詞により一話に凝縮してしまう.
例えばレイはほぼ2分で死ぬ(第23話).その速度には圧倒される.と同時に彼は,また他方で,前半で一度明かされたはずの作品世界上の謎をつぎつぎ反転させていく.
それゆえこの時期の諸エピソードは,一回見ただけでは,もはや物語を追うこともおぼつかない(これはつまり,庵野がテレビ放映という媒体,またその時間帯から予想される視聴者の年齢を完全に無視したことを意味する).
にもかかわらず『エヴァンゲリオン』後半は,物語説明とは別の次元で,その圧倒的緊張感と,登場人物たちが次々死に傷ついていく悲惨さを伝えることにかなりの程度成功している.
それは何故か. 『エヴァンゲリオン』後半は,前半が備える複雑な伏線の整合性や,世界設定のSF的疑似合理性を徐々に失っていく(路線変更があったのだから当然だ).
しかし構成が杜撰になったわけではない.代わりに,奇妙な必然性と緻密さが浮上する.例えば第22話で,衛星軌道上の使徒をエヴァが特殊な槍を投げて倒すという,それだけ聞けば訳がわからないストーリー展開がある.
作品内でもその合理的説明はされない.しかし確かにその展開は,シーンの流れの中では,ある必然性を持ち得ている.物語装置とは独立して存在するその「必然性」こそが,『エヴァンゲリオン』後半の真価だ.
それが,緊張と悲しみを伝えることを可能にする.その必然性はどこから来たのか.それを問うのは難しい.ただここで注意したいことは,それが,物語=ジャンルの(再生と)崩壊の過程と結びつき出現していることだ.
この時期の庵野は,何か普遍的な問題に触れている.
23べーべん:2006/10/04(水) 18:24:42 ID:FHWDNV/Z0
あえて言ってしまうが,第17話から第24話まで(より特定すれば第18,19,22,23話)で頂点に達するその凝縮された展開には,幾度かゴダールを思わせる瞬間がある.
映画の質それ自体についての話ではない.またそれは,庵野がゴダール作品のパロディや引用を試みたことも意味しない.ステレオタイプ化した「ゴダール的イメージ」を借りることは誰にでもできる(庵野自身も無論そういうことは行なっている.例えば字幕の頻繁な使用).
問題はより抽象的なことだ.阿部和重に尋ねてみたところ,彼は,問題は,その時期の庵野の演出・編集が持つある種の「密度」なのだと述べていた.
その凝縮度,そこから必然的に引き起こされる緊張感こそが確かにゴダールの方へと向かう.
アニメというジャンル規則=物語が転倒するぎりぎりのところでそれを高速回転させること,意識的かどうかはともかく,庵野はそのことに奇跡的に一時期成功していた.
僕が「ゴダール的」と名指したいのは,そのぎりぎりのバランスである.そしてその緊張が,『エヴァンゲリオン』後半の物語としての感動を支える.
物語の崩壊こそが別の物語的感動を生み出すというその反復的ねじれもまた,すぐれてゴダール的ではなかったか.
24名無しでGO!:2006/10/04(水) 18:31:48 ID:KQ5jyCoW0
とりあえず鉄板の話題ではなさそうだな
できればよそでやってくれ
25べーべん:2006/10/04(水) 21:25:20 ID:FHWDNV/Z0
内容:
アッコに萌え〜!? アニメ&コスプレおたくにはたまらない衝撃写真を2日、本紙が入手した。
TBS系(TBSは4日深夜1時20分、CBCは11日深夜0時25分にスタート)で放送する「個人授業」で、
和田アキ子(56)が超人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイに扮した。
アッコがお屋敷に住むお嬢様という設定で、アッコをすてきなレディーにするため、
執事の石井正則(33)が出張講師を招き、プライベートレッスンをしてもらう。
初回は「しょこたん」こと中川翔子(21)から「ヲタク学」を学ぶ。

中日スポーツ
http://chuspo.chunichi.co.jp/00/hou/20061003/spon____hou_____003.shtml
26べーべん:2006/10/05(木) 21:46:53 ID:b+A4apaWO
うえのニセ神様はヲタだ
俺が言うくらいだ

相当なヲタだ

ニセ神様のくせに

置き石の分際で

エロホモの分際で
27べーべん:2006/10/06(金) 22:25:29 ID:lUsTYG2V0
社会現象にもなった90年代を代表するアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の
新作映画が10年ぶりに製作されることが8日、分かった。
「エヴァンゲリオン 新劇場版 前編」(07年7月公開)「−中編」(08年1月公開)「−後編+完結編」(08年6月公開)の全4部作。
 前、中、後編はテレビシリーズ26話を描き直すもので原画を一部再使用するが、音や背景を撮り直し、ほぼ新作に近い形になる。
当時、ラスト2話は「終わり方が納得できない」と物議を醸した。劇場版も2作製作されたが、ファンの間で議論になっていた。
そんな声に応えるため「−後編+完結編」は完全な新作で、ラスト2話を中心にきちんと最後まで描くという。
「−前編」は既に映画監督の樋口真嗣氏(40)が新作絵コンテを完成。3DCGなど最新技術を駆使して製作される予定だ。
 「エヴァ」は侵略を試みるエイリアンに、巨大ロボット兵器を操って立ち向かう若者の苦悩と成長を描く作品。その経済効果は1000億円以上といわれる。関係者は、このタイミングでの新作製作の理由について
「庵野(秀明)監督がエヴァブームのほとぼりが冷めるのを待っていたため」と説明している

エ エエイリアン?
28べーべん:2006/10/06(金) 22:26:28 ID:lUsTYG2V0
エヴァンゲリオンのストーリーは、キリスト教やユダヤ教の伝説がいろいろと利用されています。誰でもアダムやエヴァ(イヴ)、知恵の実などの事は聞いたことがあると思います。

エヴァンゲリオンでは、他にもロンギヌスの槍、生命の木、など、重要な設定が用いられています。ある程度物語を理解しようと思ったら、これらの用語・設定についても知っておいた方が楽しめます。まずは、そのへんを簡単にまとめてみます。

神は、人間が、知恵の実を食べた上に、生命の樹まで手に入れるのではないかと恐れ、彼らを楽園から追放します。
 *17話ゲンドウ「かつて楽園を追い出され、死と隣合わせの地上という世界に逃げるしかなかった人類。」

なぜなら、知恵の実と生命の実を両方手に入れると、人間は神と同等の存在となるためです。

 *26話冬月「使徒の持つ生命の実とヒトの持つ知恵の実。その両方を手に入れたエヴァ初号機は神に等しき存在となった。」

そして、知恵の実を手に入れた人間が、生命の樹に近づけないように、化け物を配置し、人間が生命の樹に到達しそうになったら攻撃するように命じました。
 
 *11話レイ「人は闇を恐れ、火を使い、闇を削って生きてきたわ」
     アスカ「てっつがくぅ」
     シンジ「だから人間って特別な生き物なのかな?だから使徒は攻めてくるのかな」
29べーべん:2006/10/06(金) 22:27:18 ID:lUsTYG2V0
<エヴァンゲリオンの世界観>
エヴァンゲリオンにおいては、基本的に上記のような世界観がベースとなっております。つまり、人間とは原罪を背負った問題のある生き物なのです。では、人間はどうすれば、このような状態から抜け出せるのでしょうか。

案1.知恵の実を食べた原罪から開放され(贖罪)、全てが一つであった幸福な状態な状態に還る。

 * DEATHゼーレ「自ら贖罪を行わねば、ヒトは変わらぬ」
 *26話ゼーレ「われら人類に福音をもたらす、真の姿に」

案2.逆に、知恵の実の力(科学)を最大限に発揮し、人間自身の力で人工的に欠陥を補って新たな生物となってでも生きていく。最終的には生命の実も手に入れ、神へと進む。

 *25話ゲンドウ「人は新たな世界へと進むべきなのです。そのためのエヴァシリーズです。」
 *24話キール「だが、神に等しき力を手に入れようとしている男がいる」

1がゼーレの考えです

2がゲンドウの考えです

それぞれの場合の実現方法は以下のとおりです。
30べーべん:2006/10/06(金) 22:28:08 ID:lUsTYG2V0
<ゼーレ案の場合>
人間を原罪から解放し、始源の楽園へと回帰しようとします。それにはどうしたらよいでしょうか。
キリスト教の伝説によれば、神の子を生命の木で作られた十字架にはりつけ、
処刑し、その血を大地に垂らす事によって人間の罪は償われます(これが贖罪の儀式です)。

 *26話キール「今こそ中心の木の復活を」
 *26話きール「ロンギヌスの槍もオリジナルがその手に帰った」
 *26話ゼーレ「では、儀式を始めよう」

この計画を達成するには、まず、生命の木が必要です。それから、処刑のための槍(ロンギヌスの槍)も必要です。また、神の子に従う者が12必要です(いわゆる12使徒)。
これに処刑される者自身を加えると、神の子に死をもたらす13という数が揃います(「13体のエヴァ」参照)。

予定通り原罪から解放されると、人類が原罪を背負う以前の状態(生命の始源=リリスの卵)に回帰することが想定されます

 *26話キール「はじまりと終わりは同じところにある。よい、全てはこれでよい。」
31べーべん:2006/10/06(金) 22:29:33 ID:lUsTYG2V0
<ゲンドウ案の場合>
まずは生命の木を出現させて、生命の実の力を手に入れ、知恵の実と合わせて、神に等しい力を手に入れようとします。
つまり、原初の状態に戻るのではなく、人類が、新しい段階に進化することを目指しています。

 *21話ゲンドウ「かつて誰もがなしえなかった神への道だ」
 *26話冬月「知恵の実と生命の実、その両者を手にいれたエヴァ初号機は、神にも匹敵する力を得た」

これは神に逆らい対決するという、悪魔的状況に身を置くことも意味します。人類も使徒であるので、最終的には人間自身が邪魔するはずです。

予定通り行けば、使徒を倒し、生命の樹を出現させたあと、レイを媒介にしてEVA(ユイ)と融合し、神の力をもつ単体として生き残ることが想定されます。
32べーべん:2006/10/06(金) 22:41:12 ID:lUsTYG2V0
<両者の協力過程>
どちらも人類補完計画(人類が原罪から解放されるための計画)ですが、目指す方向は正反対です。
ただ、どちらにせよ、生命の木の発見がキーワードとなります。そのプロセスが記載されていたのが、裏死海文書です。
また、先ほどあげましたように、旧約聖書に記されている、生命の木を守る化け物(シト)を倒す必要もあります。
これらのためには、

@ 裏死海文書の解読
使徒および生命の木出現のメカニズム理解が可能となりました。
また、ガフの部屋やロンギヌスの槍の発見もこれによります。

 *23話ゼーレ「ついに第16の使徒までを倒した」
     ゼーレ「これでゼーレの死海文書に記述されている使徒は、あとひとつ。」
     ゼーレ「約束の時は近い」
33べーべん:2006/10/06(金) 22:42:58 ID:lUsTYG2V0
A セカンドインパクト
シト殲滅に先駆けて、シトの生命の源たるアダムを卵(白き月)に還元するため、ロンギヌスの槍を使用します。
ロンギヌスの槍とはデストルドーの機能を持つためです(始源に回帰させる力がある)。
しかし、そのための条件であるヒト遺伝子との融合により、予想値を超えたアンチATフィールドを放出してしまいました
(知恵の実と生命の実の融合=神の力であるため)。ここで、いざという時のためにリンクさせていた爆薬により、アダムは爆発します。
そして、白き月も破壊されます。これにより、セカンドインパクトの同日生まれである渚カヲルを最後に、シトは誕生できなくなります。
 
B アダム計画およびE計画

これらの計画は、シト殲滅および人類補完計画(贖罪の儀式)のどちらにとっても欠かせないものです。
当初は、アダム計画=E計画でしたが、後に分離しました。

[アダム計画]オリジナルアダムの復元計画です。エヴァンゲリオンの製造(E計画)に利用することもありますが、
もともとは、ゼーレは贖罪の儀式にオリジナルアダムを使用する計画も持っていました。
しかし、ゲンドウは自分の補完計画のために、かってに利用することになります。

[E計画]シトを殲滅するとともに、儀式を行うのに必要な12体のエヴァンゲリオンを作成するプロジェクトです。
アダムの再生計画が進むまではリリスが利用されていました。アダム再生計画が軌道にのった弐号機以降はアダムを利用して製造されました。
34べーべん:2006/10/06(金) 22:44:15 ID:lUsTYG2V0
C 使徒の殲滅

これが、生命の木を出現させる条件です。エヴァ初号機などの活躍により達成されました(1話〜24話)。
ゼーレにとっては贖罪の儀式を行うために不可欠であり、ゲンドウにとっては生命の実を入手するために不可欠です(もっとも、実際にはそれ以前からエヴァ初号機はS2機関を入手しますが)。

*24話キール「約束の日はその日となる。」

これらの点をもとに、牽制しあいながらも(ロンギヌスの槍、S2機関、NERVの対人防衛システムなど)生命の木に到達するためゼーレとゲンドウは協力して使徒を倒しつづけます。

<両者の決裂と終局>
 最後のシ者(渚カヲル)を倒した瞬間、完全な敵対関係に入り、生命の樹を巡って争います。
ゼーレとしてはパイロットはあらかじめ排除したかったのですが、ミサトの努力によりシンジの搭乗を阻止できませんでした。
シンジ(神児)が搭乗したままエヴァは生命の樹の十字架上でロンギヌスの槍により処刑されます。
しかし同時に、エヴァに搭乗していたシンジ(神児)は生命の樹に到達したので、神となることに成功し、未来を決める力すら手にします。
そして、レイ(霊)がシンジ(神児)の恐怖と孤独の叫びにより母なる神(リリス)に目覚め、父ゲンドウ(言動)との融合を拒絶し、
全ての生命を母胎に帰そうとすることにより、ゲンドウのもくろみは崩れます。
35べーべん:2006/10/06(金) 22:45:25 ID:lUsTYG2V0
これにより、ゼーレの目的は達せられ(人類は原罪から解放され)、
知恵の実を食べて以来存在していた他者との心の壁(ATフィールド)がなくなり、
人々は融合をはじめ、生命の始源(リリスの卵=黒き月)へと回帰します(Fly Me To The Moon、魂のルフラン「私に還りなさい。生まれるまえに」。。
 
ATフィールドがなくなることは、他者との壁がなくなることですから、その瞬間、融合できる他者がイメージされます。
特にそのような他者がいない場合は、人類の母としてのレイのイメージです。ゲンドウには、その瞬間、ユイが存在するのがわかりました。
しかし彼は、ユイに自分の気持ちを打ち明けた後、シンジのEVAに喰われるイメージを選びます。
これは、シンジに対しての、申し訳なさ、怖れ、そして何よりもユイですらなく、本当はシンジと一体化したいという父親としての気持ちを表しています。

カヲルを殺して以来自閉していたシンジですが、悩んだあげく最終的に融合ではなく、傷つけ合う他者との共存を望みます。
彼は、アスカとともに、リリスの母胎から現実世界に出て、互いに他者である人間として生きることを決めます。
そのため、彼はエヴァに融合していたユイと、人類の母であるリリスに対し、「母にさようなら」という決断をくだします。
その決断を認め、子供を一人立ちさせるため、母であるリリスとエヴァは崩壊します。
他者との関係とは、不安であり、怒りであり、憎しみであり、悲しみであり、本質的に「気持ち悪い」ものです。
シンジは、それらの衝動の苦痛に涙をながしつつ、それでも、他者とともに生きることを決意したのでした。
36べーべん:2006/10/06(金) 22:46:49 ID:lUsTYG2V0
なお、最後にアスカのことを付け加えます。彼女は父が、精神障害に陥った母を捨て他の女を選び、
自殺に走らせた経緯から、「子供なんか絶対にいらない」という発言をするようになっていました。
母への愛情はあるものの、母親の悲劇がもたらすコンプレックスのため、自分が母親にはなりたくないと考えています。
つまり、母性を否定しているわけです。
しかし、弐号機の中で、母への信頼だけは取り戻します。
そして、最後にレイ(人類の最初の母リリス)と同じ姿(眼帯・包帯)を見せていることが象徴しているように、
いずれ、アスカの心は補完され、自分の中の母性に目覚めるのでしょう。
そのとき、彼女は新しい時代の、新しい人類の母(エヴァ)となるはずです。
37べーべん:2006/10/08(日) 09:35:45 ID:gbkI/m++O
ヲタは消えなさい
38べーべん:2006/10/09(月) 12:51:59 ID:E7X7pi0K0
エヴァおたキモイ
39名無しでGO!:2006/10/09(月) 21:37:09 ID:06kpMIwE0
>>37-38
お前らが一番キモイw
40べーべん
顔も知らずにキモイというヤツほど実はキモかったりするネ

ってかエヴァヲタは別スレに飛べ