加熱面積の増大について一部識者の発言があるようだが、機影見えざるなし機
において達成されているのである。すなわち、原仕様に比して加熱面積を増大
させることで同機の好成績を見ることができるのである。これで、諸外国の方
法論を無批判に追従するのではなく批判的に考察しわが国の実情にあったもの
にして実用化するというわが国の方法論の優秀性がわかっていただけると思う。
また加熱器の採用については第一次世界大戦の勃発により特許権が消滅した
ことにより無駄な出費を避けることができたのである。後年の3気筒の独特
の弁装置もわが国での特許が成立していなかったためコストを低減できたので
ある。コスト云々される一部識者はその認識を改めていただきたい。
戦後公社化してから経営マインドが唱導されたのであるが、このように遠く
加熱器の採用の時点から機構のみならず費用のことまでも視野に入れた対応が
なされていたのであり、これもわが国の鉄道の誇るべき点であることが見て取
れるのである。
さらに付言するならば、D51の優秀性を理解されていない一部識者が見られるが
同機の生産量数を思い起こしていただきたい。優秀であればこそあの両数を誇れる
のである。明治期のB6、大正期の機影見えざる無し機、武士道機、それにD51
である。スタンダードから遠く離れたものは定着しないのであり、スタンダードで
あればこそ、すなわち、優秀で現場での需要にマッチしているからこそあの
両数を誇れるのである。
D51の空転についても誤解を解く必要があるようであるが、あれはD50
と同じようなつもりで加減弁を開く運転側の不慣れによるものであり、同様
なことはC55→C57でも見られたのである。D51が普及するにしたがい
空転に関する苦情は減っていったが、これは設計側の問題ではなく運転側の
問題であることを如実に物語っているのである。さらに、後年、D51は
死重搭載、昇圧により本来優秀な性能をさらに向上させ世界に冠たる機関
車と成長したのである。いたずらにわが国と実情が違う諸外国の例をもち
だしためにする発言を繰り返す自虐史観に囚われている一部識者はその認
識を改めていただきたいものである。