いで、ききたまへや、一こそ。必ずここにきこゆべきことにもあらざめれど。
きのふ、なにがしが家近き吉野家にまかりしに、あやしう、人びと世に知らず多くて、さらにゐるべきやうなし。
いかなることにかとて見るに、大きなる布に「百五十円下げはべらむ」など書けるを垂れたりけり。
「しれものどもかな。あないふかひな。たださばかりに例来ぬ所にやは来べき。ほけたること」となむおぼゆる。
をとこをんなの、子ども具したるなどもあり。ここにしも、ひといへ集へるよ、めでたのことや、とうちつぶやかる。
いでや、ててはいみじう大きなる盛を食ひてむずるぞなど、子にいふさま、いとほこりかなり。まばゆきことかぎりなし。
「立ちね、さらば百五十円とらせむ」とこそ言はまほしけれ。かやうの所は荒々しかるべきものぞかし。
細長に、なかのほど曲がれる台盤、Uのやうなるがかなたこなたにゐたる者ども、
ややもすればいさかひがちに、ようせずは人を刺しあやまちなどすばかりのけはひこそ、をかしけれ。
女、子どもの、あるべきかは。さて、からうじてゐ付きぬと思ふすなはち、隣なる者、あさましう、「大盛汁あまた」
としもいふものか。またいとにくくなりて、「さても今めかしからぬことをいふよ。ものぐるほし。何せむに、いとところえ顔にも、さ言ふならむ。
『それ、まことに食はまほしきか。ただいかでそのこと言はむ、人にも聞かせむ、とてすることにはあらずや』と問はむ。さいひてとがめむ。
ときなかばかりとがめむ」と思ふ。なにがし、はかばかしからねど、つねにまかり通ひて見はべるに、なほこの道の人びとは、この頃は「『き』あまた」
をぞ好むめる。「大盛、きあまた、かひ」とこそ、さやうの人びとはいふめれ。きあまたは、「き」の多く入りたるもの。
そのかはりに、ししはいささか少なし、きあまたは。さて高く盛りてかひをそへたるは、いみじく、まことに鬼神もめでつべし。
されど、さ言はむ人、あるじ方の人びとに見とがめられぬべきわざなれば、あやにくに、あふさきるさなりや。されば
なほ、なべての人びとのさらにいふまじきこと。さやうならむ人びとは、
牛と鮭とのなにがしなど食ひてうれしがりたらむこそ、めやすく、つきづきしけれ、とぞ本に。