36 :
名無しでGO!:
俺は、「つばめ」というか787系です。
消防の頃、初めて九州に旅行に行きはしゃいでいると財布をどこかで落としてしまい(切符は別にしてた)デッキでワンワン泣いてたら車掌さんが「どぎゃんしたとか?」と。
事情を話すと不憫に思ってくれたのか、ビュッフェに連れてってもらい地鶏照り焼きチャォを買ってくれ座席も埋まってたので車掌室で食わせてくれた、そのとき見た東シナ海の夕日の光景とごはんの味は今でも覚えてる。
無一文だった漏れをその後、車掌区に連れて行ってくれ退勤後は自宅に泊めてもらい、色々な話を聞かせてもらった。
当時、鉄道員になりたかった漏れは興味深い話に釘付けになった。
翌日、お駄賃までもらい「がんばってJRば入れ」と帽子をくれた。
その後、何度も世話になりついにその車掌さんも定年、最後の乗務は787系。
ご家族は仕事なので来ていなかったがすっかり通いつめて顔見知りになった車掌区の人達花束を持ってホームへ行き到着を待つ。
到着の放送、運転士も気を使ってるのかゆっくりゆっくり入線してくる。最後尾には今まで白手袋なんかしてなかったのに綺麗に洗濯した手袋をはめキッと到着監視してるおじさん。
いよいよ最後の瞬間、列車は止まりドアを開け、名残惜しいように乗務員室を見回し降り立つ。
交代の車掌と少し涙声で引継ぎ。おじさんが国鉄入社から40年近く使い続けたカギも手渡し「よろしく」と一言。
その交代の車掌がレチになって初乗務の漏れです........わざわざ区が仕組んでくれたとはいえ.......あの時のお礼がわずかながらでも出来た気がしますた。
見ず知らずのガキを親身に世話してくれたおじさん、漏れの心の中の乗務時の接客の心になってます。
見づらい文スマソ