鉄道模型界の悪の枢軸ってどこよ?

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220名無しでGO!
>>216
それの全文見つけたよ。原典あぼーん済だったがな。

以下コピペ↓
【コラム・鉄道趣味の影と隈】
 ところで、前述のS.P氏は先の発言をこう続けている。興味深いのでここに記そう。
「…それから日本では鉄道趣味全体が暗い、というイメージで見られることが多いことにも
疑問を感じるな。ヨーロッパでは本当に明るくて上品なホビーなんですから。」
 前述の通り、このインタビュー記事は1993年度版T社総合カタログに掲載されている。
そしてこの記事が世に送り出されてから、早10年。残念ながら、氏の疑問は全くといって
いいほど、解決していないといっても過言ではなかろう。それどころか、個人的見解だが
状況は時代を下るにつれ、悪化の一途を辿っているように思える。世論調査なぞしようが
ないので正確な実体は把握していないが、「鉄道趣味=暗い」という図式が世間一般の
鉄道趣味に対するイメージとして定着していることは疑いようのない事実なのだ。就職活動で
履歴書のサークル活動の欄に「鉄研」と書くと、余程の人的長所がない限り間違いなく
落とされるというのが、諸先輩方の経験の大半を占めるのはその典型例。
221名無しでGO!:02/11/09 02:13 ID:1hh5q3zd
続き
 これだけではただの被害妄想のようにも思えるが、れっきとした根拠はある。世間一般の
人々が鉄道趣味人を敬遠する根本的な理由は「社会適応性に欠けている」の一言に集約される。
 いわく、自分勝手、わがまま、人の気持ちを考えない、無責任、優柔不断、公私混同、
社交性がない、短気、自意識過剰、有言不実行、果てはセンスがない、容姿が醜い、話題に
乏しい、視野が狭い、時代遅れ、不潔、不健康など様々。何だか直接には関係ないものまで
含んでいるような気もするが、それはともかく、そう非難されても反論できないのが情けない。
 勘のいい人ならもうお分かりであろう。そう、一部の心無い輩による非常識な行為の横行が、
鉄道趣味全体の品位を下げているのだ。それは蒸気機関車の引退間近頃に端を発するマナーの悪さ。
ゴミを散らかす、運転中の列車に向かってフラッシュをたく、個体差を考慮しない過剰な検品、
白線の外側や立入禁止区域に侵入する、果ては列車内で他人の迷惑を顧みず騒ぐ、撮影
ポジションを巡るファン同士や近隣住民・利用者とのトラブル、部品や切符等の窃盗など。
こういった「事件」は時としてマスメディアを騒がせ、「マニアの犯行」として話題に上り、
それが繰り返されるとなれば、「これだから鉄オタは…」などと非難・嘲笑の的となり敬遠
されるのも当然だと言わざるを得ない。また、直接被害を出さずとも単身で悦に入っていたり
すると「社交性がない」などと非難の対象になる。
222名無しでGO!:02/11/09 02:15 ID:1hh5q3zd
続き
 米国の人類学者R.Tは、第二次大戦後の日本占領政策のため、米国政府の依頼で日本人の
思想と行動を分析、著書「菊と刀」において、日本人の行動を規定するものが「恥」である
としたが、非常識な行為を働く輩のこと、自分達さえよければどうなっても構わないという、
極めて自己中心的かつ傲慢な思想と行動理念が、日本人の行動を規定する「恥」というものを
押し潰してしまっていることは想像に難くない。
 そもそも「オタク」という言葉自体が、同好の士に呼びかける際、「あなた」や「君」の
代わりに「おたく」を使用していたことから、趣味人の中でも内向的な集団を総称して
「おたく族」と呼んだのが始まりで、件の宮崎事件からその存在が注目され始めたもの。
「マニア」も英語の「Mania(〔〜に対する〕熱狂)」が語源であり、あまりイメージの
よろしい言葉ではない。
 誤解のないように一応フォローしておくと、趣味人の大半は善良な市民であり、
「Fan(熱心な愛好者)」だ。しかし同質のものを紋切り型に評価する現世のこと、極一部の
不貞な輩と同類視されることを恐れ、鉄道趣味人であること、それを公表することに強い
抵抗感と嫌悪感を覚える人々がいることもまた、事実である。
223名無しでGO!:02/11/09 02:15 ID:1hh5q3zd
続き
 さて、ある学説によれば、鉄道趣味人の活動理念や行動理念として、「社会的視点で
鉄道を多角的かつ学術的に研究し、鉄道の社会的意義・価値を探求するとともに、その
成果は積極的に社会に還元していく」「鉄道に関する見識を深めるとともに、社会人と
して必要とされる能力を修得し、同時に鉄道愛好者の地位向上を目指し、社会規範・
公衆道徳を遵守することは勿論、より社会的理解を得られる活動を積極的に推進し、鉄道
愛好者の模範となるべく努める」ことが望ましいとされる。これは的を得た主張であり、
現状からこれ以上悪化させないためにも、また、鉄道趣味全体の地位向上をはかるためにも、
趣味人一人一人がこれらの学説を肝に銘じ、行動に反映させる必要があろう。
 確かに、"There is no accounting for tastes."と開き直るのも結構。しかし、それが
良いか悪いかは別次元の問題だ。趣味界の地位低下は、いつしか趣味界全体の閉塞を招く。
そのような危機意識を持ちながら趣味活動をすることそれ自体が既に「恥」だと認識し、
このような論争が二度と起きないことを切に願いたい。

「社会不適応」の烙印が鉄道趣味界に捺される前に。