≫一生忘れられないあの駅&列車≪

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334宮脇俊三
昭和20年米坂線109列車
けれども、正午直前になると「しばらく軍管区情報を中断します」との放送があり、
続いて時報がなった。私たちは姿勢を正し頭を垂れた。かたずを飲んでいると、雑音の中から君が代が
流れてきた。こののんびりした曲が一段と間延びして聞こえ、まだるこしかった。天皇の放送が始まった。
 「万世の為に太平を開かんと欲す」という言葉もよく分からないながら、浸透してくるものがあった。
放送が終わっても人々は黙ったまま棒のように立っていた。ラジオの前を離れてよいかどうか迷っている
ようでもあった。
時は止まっていたが汽車は走っていた。 まもなく女子の改札係が坂町行が来ると告げた。こ
んなときでも汽車が走るのか、私は信じられない思いがしていた。
けれども坂町行109列車は入って来た。
335宮脇俊三:02/02/03 20:16 ID:V8eNlwhH
いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホ−ムに蒸
気を吹き付けながら、何事もなかったかのように進入してきた。機関士も助手も
確かに乗っていて、いつものように助役からタブレットの輪を受け取っていた。機関士たちは天皇の放送を
聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが、
と私は思った。昭和20年8月15日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通り
に走っていたのである。
汽車が平然と走っていることで、私の中で止まっていた時間が再び動き始めた。
私は初めて乗る米坂線の車窓風景に見入っていた。 列車は荒川の深い谷を幾度も
渡った。荒川は日本海に注ぐ川である。ゴオッと渡る鉄橋の音に変わりはなく、
下を見下ろせば岩の間を川の水は間断なく流れていた。
山と木々の美しさはどうだろう。 重なり合い茂りあって、懸命に走る汽車を包んでいる。
日本の国土があり、山があり、樹が茂り、川は流れ、そして父と私が乗った列車は間違いなく走っていた。