日本坂トンネルの事故

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1国道774号線
ってどんな感じだったんですか?
2国道774号線:2001/03/08(木) 19:57
それは悲惨でした。
子供心にTVの報道特集を見てトイレに逝けなくなりました。
3国道774号線:2001/03/08(木) 23:41
トンネルで萌えたバスってどこのバスよ?
遠鉄説と偶然通りかかった東武説があるけど真相はいかに?
4国道774号線:2001/03/09(金) 09:17
北海道中央バスです
5国道774号線:2001/03/09(金) 09:21
まず、追い越し車線を走っていた大型トラックAが、トンネル内で前方の渋滞を見つけ、急ブレーキで停車。追突はしなかった。そこへ鋼材10トンを満載した大型トラックBが追突。押し出されたAは左へハンドルを切って直前のライトバンの後ろに接触。少し走行車線にはみ出して停車。そのあと、乗用車CがBに激突して荷台の下へもぐり込んだ。その後続の乗用車Dが追突を避ける形で左へ急ハンドルを切り、Bに軽く接触した後、並行するようにして停車。合成樹脂10トンを満載したトラックEが乗用車CをBの下にさらに深く押し込み、Dの後部に乗り上げながら追突。さらに、マツヤニ200リットル缶50本を満載したトラックFがEに追突した。
6国道774号線:2001/03/09(金) 09:22
結局、事故の第一原因となった車はBであり、前方不注意と処理されている。

火が出たのは、目撃者の証言から、乗用車Dであるとわかっている。このあと、火が次々と後続の車に燃え移り、結局170台もの車が火災に巻き込まれてしまったわけである。

前述の通り、日本坂トンネルは最新の科学消火設備をそなえたものであった。ところが‥‥。スプリンクラーは初期に作動したのであるが、あまりの猛火のため火は消えず、そのうち水が切れて作動しなくなった。結局、そのあとポンプ車や付近の川に頼らざるを得ず、消火に難航した。トンネルが長いため、ポンプ車のホースが届かず、何台かを中継せざるを得ないからである。そうすると、水圧が低くなり、消火が手間取ってしまう。

排煙装置は作動したが、あまりの煙の多さに、ほとんど効果がなかった。これこそ焼け石に水という言葉が当てはまる。

7国道774号線:2001/03/09(金) 09:23
他の消火設備は火災によって電気コードが焼けてしまい、機能しなかった。こうして、最新であるはずの防災設備は脆くも崩れてしまい、事故に巻き込まれた人々は逃げるしか方法がなかったのである。

トンネル内は一時300度にも達したといわれ、トンネル内部のコンクリートの熱は高熱でぼろぼろに崩れ落ち、鉄の支柱も折れ曲がり、トンネル入口からは熱風と煙が勢い良く吹きだしていた。一時は遠目にもトンネル入口が光っていたのがわかり、消火作業もあまりに危険なため途中でストップするなど、手が付けられない状態であった。結局、火災発生から丸一昼夜たった12日夜、車がすべて燃え尽きるという形でようやく火災が大方おさまった。

8国道774号線:2001/03/09(金) 09:25
test
9国道774号線
検索エンジンで調べたら山ほどでてきたぞ。