三多摩のタクシーY

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374国道774号線
「明日からおれは失業者だよ。下手したら、ホームレスになる。どうするんだ」
 17日午後、川崎市内のアパートの一室。いすゞ自動車系の部品仕分け工場で働く派遣社員の
男性(44)が、派遣元の会社社長(45)に詰め寄った。
 男性が入った労働組合と派遣元との第1回団体交渉。男性は11月中旬、派遣元から突然、
契約期間途中での打ち切りの通告を受け、この日が解雇日だった。
 8年間勤めたソフトウエアの販売会社が3年ほど前に廃業。その後、派遣社員となり、いくつかの
工場で働いた。
 10月、派遣元から仕分け工場を紹介され、来年3月末までの契約を結んだ。時給1200円、
午前8時15分〜午後5時。仕事は多く、毎日のように残業し、給料は約33万円になった。
 麻生政権が誕生した後も、総選挙では自民党に投票しようと思っていた。「なんだかんだといっても
頼りになる」と考えていたからだ。
 11月、急に仕事が減り始め、定時前に仕事が切り上げられた。11月の給料は10月の半分以下に。
そして、解雇通告。生活の不安に突き落とされ、それまで感じなかった「非正規雇用」「格差社会」を痛感した。
 団体交渉で男性は、派遣元の社長に訴えた。「もし、突然『くびだ』と言われたら、どんな気持ちになりますか」
 しかし、「この1カ月、必死で派遣先を探してきた。でも、本当に仕事がない」と社長。2時間近くの交渉は決裂した。
 情報誌で仕事を探しても、年齢を理由に断られたり、応募が多すぎたりして面接さえ受けられない。
ハローワークでも希望の仕事は見つからない。

 中国人の妻(32)と2人で暮らす月5万円のアパート。家賃の負担感は日に日に増え、国の雇用促進住宅に
転居しようにも、入居の保証もない。
 「今回のことで、国が困っている労働者を助けられないことがよくわかった。もう自民党には期待しない」
 第2回の団体交渉が開かれる予定は立っていない。

派遣社員=期間工=雲助!   いつでもクビにできる最低な仕事!