最近の日野のデザインはキモイ

このエントリーをはてなブックマークに追加
952国道774号線:04/01/09 02:32 ID:txmFJg6S
>>949
大型トラックとヘッドライトを共用化してコストダウンを図るためのマイナー
チェンジらしい。
で、もうセレガもデビュー後10年経つのでついでに少し変えようとしたのかも
知れないがその結果がこの有様ではな。
ライト回りをグレーにして成功した前例としてはガーラがあって、西工も02MC
にマイナーチェンジする際それを意識したようだが。
ついでに、BRCセレガ顔は旧型のまま存続してたりするからますます謎。

でもその写真、GDにメトロ窓というのも珍しい仕様だな。
953国道774号線:04/01/09 02:57 ID:S4FmTRy7
メトロ窓というのはどうも中国地方の伝統らしい。
954国道774号線:04/01/09 20:35 ID:u1FpYXF2
>>948
別に故障でないよ。
燃料電池は知っての通り水素使うんだけど、航続距離が稼げないから、
長距離移動にはレッカーを使うのさ!
955国道774号線:04/01/09 21:13 ID:i9kD9mvd
>>950 >>952と重複しますが、
ヘッドライトはトラックの部品共通化とバルブの交換作業性を容易にする為の
ユニット化であの様な形に。
またディスチャージランプはハイ・ローを同一バルブで行う事が出来ないので
以前フォグランプが有った位置にハイビームを新設
(普通のハロゲンランプの場合はハイ・ロービームを同一バルブで
使用できるので内側は空きスペースになってます)
その結果フォグランプを移動しなければならなくなった為
フロントラインライト(正式名称は知らないんでそれとなく)に移動。
しかし以前のセレガの太さではフォグが入れられないのでRでは太くなったと思われ。
また行灯部分も以前はネジを緩めてカバーを外してメンテナンスをしていたのを
ユニットごと前へ倒せる様にして作業を容易にする為大型化されたと思います。
メンテナンスの効率化を目的とした事では正常な進化をしたとは感じるんですが、
まさかデザインがあ〜なるとは・・・カコ(・∀・)ワルイ!!
956国道774号線:04/01/09 23:35 ID:u1FpYXF2
>>955
まさにその通りなんだけど、あんた詳しいね。

あのライトのオープナーって左前にあるヒューズボックスカバー(パネル)を外さないと触れないんだよねぇ・・・。
マイナスドライバー使って、外しにくいロックピン回すのってイヤ!
手軽にライトのメンテしよーと付けたオープナーの意味ないぢゃん。
957955:04/01/10 07:28 ID:CO06rLg1
>>956
禿同!
以前居た所で高速でR−FSに乗ってたんですけど、
ロックピンなんて何本廃品にした事か・・・
ディスチャージランプだったら手ぇ出せなかったんだけど、
そこのはハロゲンだったからねぇ。
個人的にはやっぱり以前のGJが一番カコ(・∀・)イイ!!と思います。
958948:04/01/10 19:15 ID:Pkh6LHgw
>>954
解ってますよ!故障なんて全く思ってないよ。
何処行ったのかな?
959国道774号線:04/01/12 01:07 ID:idDJKC0s
>>958
恐らく水素ステーションに行くものと思われ
960釣ってみる:04/01/12 01:12 ID:qUMCu/lo
実は故障だろ(w
火乃セケーイはドキュソだからな
961国道774号線:04/01/12 09:16 ID:idDJKC0s
>>960
ワリィ、あれの燃料電池の設計・制作全部、トヨタなんだわ。
ドキュソの設計は車体側のみ。(元になったバスの部分)

関係ないけど、アレの屋根上部分ってドライカーボン使ってるんだよ。
トヨタは金持ち。
962国道774号線:04/01/12 10:09 ID:xMhBmbsQ
>>961
だから豊田仕様のシフトレバーなんだな。
禿しく違和感あるよな、あれ。
963国道774号線:04/01/12 10:35 ID:idDJKC0s
>>962
スマソ。
まぁでもD−N−Rしかないから許してやってくれ。
964国道774号線:04/01/13 15:26 ID:UlT32mj0
>>960

きみ恥ずかしいね。
965国道774号線:04/01/15 00:48 ID:qLXSjXGQ
             | |                                | |   _ _
     ____| |______        | | ______| |__\_\_\
     ____  ____  __       .| | ______  ___
         _____.! !___| |          | |             | |
       /___  ____  .\        | |             | |
     //    | |     | |\\.      .| |             | |
     | |      .| |   //  | |.      .| |             | |
     | |      .| |  //   | |.      .| |             | |
     | |___.| |//     | |.      .| |             | |
     \______/     //       .| |          //


             ::: :: ::::: :::: :::: :::::ゝ、、ゝ.....|  |..., , ノソ :::: :: :::. .... :::
                    _....,,. .-ー;''.!  i;;;〜−ヽ_
                   γ ,〜ー'''l ! |'''ーヾ  ヾ
                   ( (    |l  |    )  )
             ∫     ヾ、 ⌒〜"""''''''⌒〜'"´ ノ
          / ̄ ̄ ̄ ̄\. ""'''ー-┬ーr--〜''""
         /\   \  / |     |   |
         | |   (゚)  (゚) |     ノ 从 ゝ
         (6-------◯⌒つ| /⌒v⌒\
 ̄ ̄ ̄ ̄\  |    _||||||||| |ノ   ノ     )
ageじゃっ!! > \ / \_/ /^\      |
____/    \____/ |  |    ノ  |
             |  |__三___|  |_/|   |
             |  |      ヽ|  ト'   |   |/^ヽ
              |  |         |  |_/ ヽ__人_ノ
            ⊆, っ      とーっ
966国道774号線:04/01/16 22:34 ID:hjrzwpnx
(ノ・∀・)ノ = ●ウンコー!!
967国道774号線:04/01/16 22:52 ID:qyl5yLAD
(ノ゜∀゜)ノ = (ノ・∀・)ノ ウンコー!!
968国道774号線:04/01/16 23:43 ID:pLBepaDu
                       =●ヽ(・∀・ヽ)キャッチ! 
969国道774号線:04/01/18 04:24 ID:cTHucXkc
ウンコクエ!(#・∀・)つ●)`Д´)ノ
970国道774号線:04/01/18 15:27 ID:dugllbet
もうそろそろ1,000取り合戦しませんか?
                              ,_________
      ____                   〔     〔       〕
  γ ̄ ̄       ̄ ̄ ̄ヽ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  |  | 奈 良 交 通 |  | ____________________ |
  | ̄ ̄ ̄ ̄┬ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄|| ̄|| |   |. 奈良 .| || ̄|| ̄|| |    |    |.  |. |
  |   」二 |  |       ||  ||  || |   |. 交通 .| ||  ||  || | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|.  |. |
  |  (・∀・) |       ||  ||  || |   | ̄ ̄ ̄| ||  ||  || |       .|.  |. |
  |  ⊆ ⊇  |       ||  ||  || |.______|___| ||  ||  || |_____|_____|  |
  | ̄ ̄ ̄ ̄ヽ――――.||  ||  |||出口|奈良交通||  ||  |||入口|       三 |
  |     (N)      ||  ||  ||,/ ⌒ヽ ロ 鹿 ||  ||  ||  / ⌒ ヽ...    三 |
 [|ロロゝ ̄ ̄ ̄ ノロロ[|||  ||  ||| .∴.. | ̄ ̄ ̄||  ||  || ̄|  _  |.  ̄ ̄ 三 |
  |―=― ┌―┐―=― ||___||___|||  ∵  |     ||―||―||_|/∵\|     __|〕
   ̄ ̄ ̄└―┘ゞゝ__ノ ̄ ̄ ゞゝ___ノ ̄ ̄ ̄ゞゝ_ノ ̄ゞ ゝ___ノ ̄ ̄ ̄ ̄
971国道774号線:04/01/18 15:42 ID:Jn41iAr3
をにょ?
972国道774号線:04/01/18 18:22 ID:8bvqi81M
アルファ・セントーリ
973国道774号線:04/01/18 18:59 ID:qcrLc0ub
┏━┓   ┏┓     ┏┓
┗┓┃   ┃┃  ┏━┛┗━┓   
  ┃┃   ┃┃  ┗━┓┏━┛ 
  ┃┃   ┃┃  ┏━┛┗━┓
  ┃┃   ┃┃  ┃┏┓┏┓┃
┏┛┗┓ ┃┗┓┃┗┛┃┃┗┓
┗━━┛ ┗━┛┗━━┛┗━┛

                 __
         ____  /   /
         /     / ./   / . ,--,,.
         / _   / ./   /  !..,,__,,!            __
         ̄ ./  ./__/   ./ __  ,──,,-''''' ヽ  〃~ __  ~'、
          /       / /  /  /   /'''~~/  / /   'ヽ/  /
          /  _    / /  /  /  /  /  / /   /\  /
        /  /  /  /.,,-''  /..,,-''  /   /  /..,,-  / /  /
       /  /   .!  _.,,-''!  _.,,-''/  /   .!  _.,,-'ヽ, '--'_.,,-ヽ\
  __ ./  /    ''-'''~   ''-'''~   ̄ ̄    ''-'''~    ~'''''~    ) ヽ
  /   '-''  /   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
  'ヽ,,.   /   /                             /
     ̄       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
974国道774号線:04/01/18 19:20 ID:zAMSVlGb
age
975国道774号線:04/01/18 19:21 ID:zAMSVlGb
age
976国道774号線:04/01/18 19:23 ID:zAMSVlGb
age
977国道774号線:04/01/18 19:24 ID:zAMSVlGb
age
978国道774号線:04/01/18 19:54 ID:6mDgl/wy
“ニッポン株式会社”の象徴、自動車産業成長の原点を問う・第4回(経営評論家・梶原一明)

戦後の日本の自動車産業は簡単にいうならトヨタ、日産、いすゞの“3社体制”だった。
いうなれば3社は“どんぐりの背くらべ”状態で明確な優劣はなかったといっていい。
どうして、そんな?三社体制”が出来上がったのか。
それを解明するため、日本の自動車産業の夜明けの時代に触れてみる。
前号までにトヨタの企業成立前後の?事情”はいささか述べてきたが、日産、いすゞはどうだったのか。

日本自動車産業の源流、“御三家”の複雑な前史

日産自動車といすゞ自動車は企業発生史的にみるなら、同根、血を分けた“兄弟会社”という関係にあった。
また、いすゞ自動車は三菱重工(三菱自動車)、日立製作所を最大株主として深い関係にあった。
まず、いすゞ自動車の”社史”をひもといてみる。

いすゞ自動車の設立は昭和12年(1937年)4月の東京自動車工業の設立による。
これはトヨタ自動車と同年の設立であって、日本の自動車三社は公式にはほぼ65年の“社歴”を持つということになる。
だが、3社とも正式に設立される前に複雑な“前史”を持っているのである。
この“前史”が昭和40年代に繰り広げられた“九つの自動車再編成”にも微妙な影を落とした。
いすゞ自動車設立前の入り組んだ“前史”をざっと紹介する。

いすゞの源流は石川島造船所(現IHI、石川島播磨重工業)になる。
この石川島造船所はそもそも徳川幕府の造船所だった。
ペリー来航の幕末の寛永6年(1853年)、幕府は黒船に対抗するために造船所を創設した。
明治維新後は政府直営事業として、造船所を海軍省の管理下に置いた。
が、殖産興業の政策のもとに民営化につとめた。
979国道774号線:04/01/18 19:56 ID:6mDgl/wy
石川島造船、海運から陸運へ

払い下げを受けたのは、日本に株式会社制度を導入し、近代的銀行を創った渋沢栄一だった。
明治26年、日本最初の株式会社である第一国立銀行(第一銀行から第一勧銀、現みずほ銀行)
の頭取だった渋沢栄一は、株式会社石川島造船所の初代会長になった。
後に創立された石川島自動車製作所の初代社長は渋沢栄一の三男・正雄である。
明治の財界大物の渋沢親子は、日本の資本主義の生成発展に大きな足跡を残す。
渋沢栄一が創設したり関与した企業は500社を越していた。
今日も日本鋼管(NKK)、石川島播磨重工業、みずほ銀行など数多くがある。
大正3年(1914年)に始まった第一次世界大戦で日本は漁夫の利を得て、
世界列強のひとつにのし上っていった。
海軍力の充実、商船隊の拡大などで造船業は、たちまち世界第3位の建造量を誇るようになった。
ところが設備を急増強した石川島造船所の経営トップは大戦終了後の“不況”を心配していた。
“海運”に依存する造船業に対して、将来性に富んだ”陸運”に着目したのである。
それが第一次大戦で軍馬に代る“鉄の馬”“機械の馬”の自動車が大きく注目された。
そこで石川島は好況時の造船の収益を投じて、自動車生産に乗り出す決断をした。
980国道774号線:04/01/18 20:10 ID:RkN/S9K8
age
981国道774号線:04/01/18 20:13 ID:RkN/S9K8
age
982国道774号線:04/01/18 20:14 ID:RkN/S9K8
age
983国道774号線:04/01/18 20:15 ID:RkN/S9K8
age
984国道774号線:04/01/18 20:20 ID:RkN/S9K8
age
985国道774号線:04/01/18 20:20 ID:RkN/S9K8
age
986国道774号線:04/01/18 20:40 ID:RkN/S9K8
あげげ
987国道774号線:04/01/18 20:42 ID:RkN/S9K8
1000までと13スレ
988国道774号線:04/01/18 20:43 ID:RkN/S9K8
1000まであと12スレ
989国道774号線:04/01/18 20:52 ID:6mDgl/wy
だからといって当時の日本には自動車生産の技術は皆無といえる状態だった。
もちろん、部品すら生産不可能だったのである。
大正5年(1916年)、石川島造船所は自動車生産のためのプロジェクトチームを発足させた。
翌年、伊フィアットの乗用車を輸入する。それを徹底的に分解して、スケッチ、試作に着手した。

こうした石川島のように自動車に意欲を示した大企業は、三菱重工などを除いてほとんどなかった。
もうひとつの流れとして、わずかに街の発明家などが零細な企業を創設して、
欧米の自動車のコピーめいたユニークな製品を細々とつくっていた程度だ。
その代表が快進社(日産自動車の源流とされる)だろう。

町の発明家が作った高速車。快進社「DAT号」

快進社は明治44年に従業員6人で創設された。
快進社の創始者は橋本増次郎という天才的な“街の技術者”だった。
橋本は明治35年、苦労して単身渡米してフォードの工場にもぐり込んだ。
そこで一通りの自動車生産の技術を会得してしまうのである。
5年後に帰国したものの、橋本の自動車技術を評価する資本家は現れず、橋本は九州の炭鉱で労働者になる。
990国道774号線:04/01/18 20:53 ID:RkN/S9K8
>>989
結論はご早めにお願いします。ぼちぼちスレ終了です。
991国道774号線:04/01/18 20:53 ID:6mDgl/wy
明治44年、自動車製造の夢を捨て切れず再上京した。
そこで東京・麻布に「快進社自動車工場」というカンバンを掲げた。
快進社は輸入自動車の修理、輸入組立てなどのかたわら、独自の設計の小型乗用車を開発した。
その試作第2号車はDAT(脱兎)号と名付けられた。脱兎号は2気筒直立エンジン、最高時速32キロの“高速車”だった。
なにせ当時のトラックは時速12、3キロだったのである。
脱兎号は大正博覧会に出品され、みごと銅牌を獲得した。脱兎号は後にダットサンへと名称を変える。
そして紆余曲折を経て日産自動車の第1号乗用車という形になる。

さらにもうひとつの“小さな流れ”が存在した。
それはウィリアム・R・ゴーハムというアメリカ人の存在である。
日本の自動車産業の“成立史”に欠くことの出来ない人物だ。

米国人技術者ゴーハムの足跡と功績

ゴーハムはサンフランシスコの裕福な貿易商の息子に生れた。
幼少からガソリンエンジンに興味を持ち、20歳そこそこで小型航空機のエンジンを開発してしまう。
この空冷式エンジンの小型機は不運なことにアメリカでは高い評価を得られなかった。
そんな彼の目に「日本で曲芸飛行が爆発的な人気を博した」という操縦士のナイルス・スミスの話が伝わってきた。
このスミスの曲芸飛行を浜松の練兵場で見て、少年時代の本田宗一郎は魅了された。
小学校二年生の本田宗一郎少年が“エンジンへの道”を歩む堅い決意を固めた有名なエピソードである。
992国道774号線:04/01/18 20:54 ID:6mDgl/wy
ゴーハムは「そんな日本なら自分のエンジンの大量生産の夢は叶うかも知れない」と思ったのは歴史の面白さだ。
そこで大正7年、30歳のゴーハムは妻と2人の幼い子供を連れて来日した。
が、航空機エンジンの本格的な生産は叶わなかったが、苦肉の策として、発表した三輪自動車は日本人実業家の目を引きつけた。

とくに第一次世界大戦のブームで大儲けした大阪の新興実業家たちは熱心だった。
その中心になったのが久保田鉄工(現クボタ)の創設者だった久保田権四郎である。
久保田は後年の本田宗一郎に匹敵する才能の天才技術者だった。
小学校卒業の久保田は単身ドイツに渡って、鋼管をはじめ驚くべき多方面の技術を習得してしまった。

ベンチャー経営者でもあった久保田は、すでに大阪財界の実力者に成り上がっていた。
ゴーハムの三輪自動車と「日本の国情に合致した国民車になりうる」と久保田権四郎は判断したのである。
そこで有志を集め、ゴーハム式三輪自動車を製造する「実用自動車」という会社を資本金100万円で設立した。
大正七年の資本金100万円といえば堂々たる大企業である。
またゴーハムから10万円で特許権を買いとり、さらに月給1000円という破格の待遇で招へいした。

大正9年、ゴーハム三輪車の第1号が登場し、大きな話題になった。
翌年にはゴーハム四輪者が登場する。警視庁の“先駆御警衛車”にも採用されて、すべり出しは上々だったものの、次第に欧米の輸入車との競争で劣勢に陥っていった。
やがて大阪で産声をあげた「実用自動車」はゴーハム四輪車の製造中止に追い込まれて、細々と修理業を営むようになった。

高給取りのゴーハムはいの一番に解雇された。ところがゴーハムにスカウトの声がかかった。
新興財閥の“日産コンツェルン”の創始者の鮎川義介は自動車の将来性に着目していた事業家だった。
鮎川は傘下に納めた九州の戸畑鋳物に自動車部を設置した。ゴーハムは戸畑鋳物自動車部の最高責任者になる。
993国道774号線:04/01/18 20:56 ID:6mDgl/wy
日産創立。鮎川の描いた国家的事業構想

さて、大正末期の国産勢のもう一方の雄である快進社はどうなったのか。
大阪の実用自動車と同様にフォード、シボレー(GM)の日本での現地生産が始まるとたちまち苦況に追い込まれた。
快進社も実用自動車と同じく開店休業の状態に追い込まれた時に、実用自動車から“合併”を申込まれた。
大正15年、両社の合併は実現し、同時に戸畑鋳物の子会社になった。これが日産自動車の前身ということになる。
ダットサンの商号は戸畑鋳物に引き継がれた。

戸畑鋳物に移ったゴーハムはどうなったか。
そもそも鮎川義介の日本産業(略称・日産)は久原房之助の久原鉱業を改組して、昭和3年に創立した特殊会社だった。
傘下には日本鉱業、日立製作所、戸畑鋳物、日本油脂、日本水産、日本ヴィクター(現日本ビクター)などを抱えていた。

昭和8年12月、特殊会社の日本産業が6割、子会社の戸畑鋳物が4割の出資比率で資本金1000万円の自動車製造株式会社が設立された。
半年後に日産自動車に社名変更される。日本産業も戸畑鋳物の社長も鮎川義介が兼ねていた。
新しく創立された日産自動車の社長も鮎川だった。

情熱的な鮎川はダットサンの製造権、営業権を引き継いだ新会社の発足にあたって次のように述べている。
「日本産業の機構を通じて経営する方が合理的と認める――」鮎川は、自動車産業は国家資本を導入して行うべき将来の戦略産業だという認識を持っていた。
それだけに日産自動車の本社を置いた横浜工場の建設には金に糸目をつけなかった。
この工場建設の総指揮をとったのがゴーハムだったのである。主要設備を米国から輸入し、大量生産方式を採用した。
994国道774号線:04/01/18 20:56 ID:6mDgl/wy
昭和8、9年ごろ、アメリカのマスプロ方式の自動車工場の建設は大きなリスクを伴った。
ゴーハムはプレス、鍛造、鋳造、ボディ組立の年産5000台の一貫生産の規模を目指した。
当時の日産自動車の社内報には次のようにゴーハム指揮の工場建設が記されている。
『満日荒涼、地に一本一草の影もとどめなかった。
折からの夕陽をあびた富嶽は、その雄大秀麗な全景をあらわし、この不毛の原野に、何人も企画しえなかった難事業が開始された』

昭和10年(1935年)4月、日産自動車の横浜工場のコンベアラインから量産第1号のダットサンがオフラインされた。
ゴーハムは日産自動車にとってかけがえのない人物になっていった。
昭和16年、ゴーハムは日本に帰化して、合波武克人(ごうはむ・かつと)と改名した。
そして終戦直後に取締役工場長、そして専務取締役技師長として“技術のニッサン”の最高峰に立ったのである。
昭和24年、ゴーハムは急病で61歳の若さで世を去った。快進社の創設者・橋本増次郎とともに、ゴーハムの名は日本の自動車産業史で忘れてはならないだろう。

戦後、新規参入メーカーが相次いで登場

トヨタの流れ、日産自動車の設立過程、そして石川島造船所に源流を持ついすゞ自動車が戦後の3大自動車メーカーになっている。
石川島造船所自動車部からいすゞ自動車が形成されるのも、いくつか合併分離劇が演じられた末の結果だった。
とくに松方五郎の東京瓦斯電気という企業は内燃機関、エンジン開発には熱心だった。
やがて陸軍用のトラックを完成させた。積載量2トン、最大時速24キロは、大正6年当時は驚くべき高性能車だった。
当時の検査規格は時速12キロ、連続走行3時間は、合格だったからだ。
995国道774号線:04/01/18 20:57 ID:6mDgl/wy
この東京瓦斯電気自動車部と石川島自動車製作所の後身の東京自動車工業が合併する。
そしてヂーゼル自動車工業になり、いすゞ自動車に社名が変更された。さらに日野製作所が分離され、日野重工業(現日野自動車)が設立された。

こうした戦前に形成されたトヨタ、日産、いすゞの三大潮流に加えて、戦後に新しい流れが加わり、また消滅していったメーカーもある。
新しい流れは戦後たちまち戦前派を追撃する大きな流れに変化していく。天下の三菱グループが本格的に自動車産業に参入してくる。
トヨタ、日産、いすゞに見られなかった軽自動車から大型トラック、バスまでを擁する総合自動車メーカーとして成長してくる。

戦時中に日本一のマンモス企業になった中島飛行機製作所は集中排除法で数多くの企業に分割されたが、その中のひとつの富士重工業が独自の技術で成長した。
また立川飛行機の流れを汲む富士精密工業(後にプリンス自動車・日産自動車と合併)や愛知時計に端を発する愛知機械工業(日産と合併)も成長する。

関西では久保田権四郎の実用自動車の後に関西財界の総力結集会社ともいうべき大阪発動機(旧発動機製造)が、ダイハツ工業と社名変更し、三輪トラックメーカーとして肥大してくる。
三輪トラックメーカーのトップの東洋工業(マツダ)は、ロータリーエンジン開発で飛躍的な技術の向上を見せて、トヨタ、日産追撃体制をつくり上げたのである。
鈴木自動車(スズキ)、ヤマハ発動機もニューカマーとして登場してくる。だが、なんといっても世界的にも例を見ない発展を遂げたのは本田技研工業だろう。

トヨタ、日産、いすゞの三社体制のこうしたメーカーも、終戦というスタートラインについた。
苛酷な60年に及ぶ戦後の自動車企業のレースは、その間に合併、提携の嵐に遭遇しながら今日まで続いている。
その激甚な競争の中で日本の自動車産業は国際競争力をつけていった。

だが、その競争は単純な企業競争ではなかった。
金融、総合商社、鉄鋼メーカーなども自動車産業の成長力を見込んで、それぞれが思惑を持ち、応援団として自動車各社をサポートした。
この姿は外国では見られない日本独特の現象だった。そこに通産省(経産省)が描いた“国策”が加わった。(続く)
996 ◆TAiRASKtbQ :04/01/18 21:00 ID:fmfueuLR
@@p
997 ◆TAiRASKtbQ :04/01/18 21:01 ID:fmfueuLR
222甲 烏丸車庫前 千本北大路→金閣寺道→北野白梅町→西大路四条→西大路七条→西大路九条→九条車庫前→東福寺→東山七条→祇園→百万遍→高野 烏丸車庫前
(循環
998 ◆TAiRASKtbQ :04/01/18 21:02 ID:fmfueuLR
221 烏丸車庫前 北大路堀川〜千本北大路〜千本今出川〜千本丸太町〜四条大宮〜大宮五条〜七条大宮〜九条大宮 九条車庫前
999 ◆TAiRASKtbQ :04/01/18 21:02 ID:NQwmSpEc
220 錦林車庫前 銀閣寺道〜百万遍〜河原町今出川〜烏丸今出川〜堀川今出川〜千本今出川〜北野白梅町〜金閣寺道 衣   笠
1000国道774号線:04/01/18 21:03 ID:RkN/S9K8
1000get
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。