まあね、食玩というののどこがいいかという話でね、あれはつまり、あんな
小さくて造作もないような、いわば玩具ですな。あれを、集めるということが楽しいと。
随分、見るひとが見たらみみちいというんですか、貧乏たらしいというんですか。
そういったところが、まあ多分に含まれてると。ええ、私も思うことは思います。
しかしそれがですね、ブームのさなか、主なる客層としてその貧乏くさい趣味を
やるのはですね、初任給をもらった若者であるとか、窓際でお金も自由にならない
閑職であるとか、そういう人たちでなくてね、これがバリバリの管理職。
それも、零細だの中堅だのの企業でなくて、いわゆるエリートというね。
はばかりながら、つまり私もそういったものといえるかもしれませんが、それはそれと。
そうしたエリートというのはね、大人になって、お酒も飲めるし、イヤらしい店にもいけるし、
ゴルフもやれる、ちょっと頑張ったらヨット遊びなんてこともできるわけでね、株で遊んでもいいし。
でも、違うんですね。彼らがそういったものを手に入れ、あるいは親から受け継いで保持するために
必死で勉強した時間というものがあって、しかしそのなかに、一般の子供らしく、子供の欲求として
取るに足らない玩具を集めた遊んだ、という記憶がない。勉強勉強ばかりで、
エリートの胸のうちには、いつでも満たされない子供が住んでいる。恨めしげに、今の我々を見つめている。
そういったものをね、本当に癒してくれるのは、優しくてキレイな女だとか、株をうまくやった金だとかじゃなくね、
結局こういう、単純な玩具。まあ昔に比べたらね、雑誌に載ってたようなのからみれば、格段に
素晴らしいものになってるが、つまりこれですよね。