平成のライダーはやはりどうかと思います。
何よりも主人公の煩悩が描かれていない。「自分は何故この世に生まれ、
何故戦い、何故生きなければならないのか」という苦悩が描かれていないのです。
だから駄作なのです。
昔のほうが主人公の苦悩・煩悩が描かれていました。
製作者が時代というものを真剣に見ていたからです。
70年代という暗い時代を真剣に論じ、描いていきたいという強烈な意思があったから、
苦悩・煩悩を描ききることに成功したのです。
それが80年代・90年代になって、苦悩・煩悩を描くことが出来なくなりました。
製作者が堕落してしまったのです。
何故?バブルで誰もが浮ついていた80年代、外見さえ良ければい良いという
トレンディドラマが主流となった時代で、苦悩や煩悩という暗いドラマが受けるはずがない。
だから時代に媚びた、真剣に時代を論じ、描こうという姿勢が無い軽佻浮薄なドラマになってしまった。
また90年代は更に堕落が進み、「失われた10年」という言葉が似合う通り、
まったく記憶にない作品ばかりになってしまった。
更に、米ソ冷戦の崩壊・東欧の民主化などといった社会の急変動により、
ドラマの世界と現実との世界との遊離・乖離が生じてしまった。
国内においても、阪神大震災・地下鉄サリン事件といった現実が虚構を上回ってしまった。
更に近年の幼児虐待・青少年犯罪・児童殺傷事件という社会問題が、
ドラマを上回ったため、作品を大きく狭めてしまったのである。
このような時代に受ける作品があるのであろうか。「クウガ」「アギト」がそれらに果敢
にアプローチしているが、時代性を描く点では半ば合格とはいえない。
そもそも仮面ライダーは当時の社会問題である、公害問題から始まった作品である。
では現代のライダーは何を描くべきなのか。
それに対する答えはまだ導き出されていない。
凶悪犯罪・心の傷・癒しというキーワードで述べられているに過ぎない。
「BLACK」以降、何故アクションがJACになったのか。
大野剣友会は何故起用されなかったのか。
監督も含めたスタッフ・プロデューサーも、
何故宇宙刑事に始まるメタル系作品ばかりを起用したのか。何故戦闘員を廃したのか。
はっきり言っておかしいと思う。そもそも仮面ライダーは平山亨氏の物であり、
大野剣友会の物である。JACの物ではない。
あのアクションでは仮面ライダーとは言えない。
そもそも仮面ライダーとは重量感溢れるキック・パンチの技を持つキャラクターである。
剣や銃を持ってはならない。そういう掟があるというのが何故彼らには分からないのであろうか。
確かに仮面ライダーが剣を持って戦闘員をばったばったと切り倒したシーンはある。
また、「X」ではライドルという武器があった。それでも、決め技はキックであった。
しかし、「RX」は剣や銃で止めを刺していた。これでは仮面ライダーではない。
異形の者に変えられた怒りと悲しみを描くことは出来ない。
感情のままに任せた肉弾攻撃でなければならない。
昔のほうが感情を良く表現していたと思う。今はただ単に殴り合い、
蹴り合っているだけのお粗末な作品に過ぎない。
今までにない、斬新で新たな作品を生み出そうという気概は認める。
しかし、方法論が間違っている。
戦闘員もそうである。やはり戦闘員は存在すべきである。単なるやられ役でなく、
正真正銘のテロリスト部隊としての戦闘員の復活を望む。
音楽もそうである。菊地俊輔のあの音楽があったからこそ、仮面ライダーは大ヒットしたのである。
それに引き換え、80年代の川村栄二・90年代の佐橋俊彦で果たして大ヒットしたであろうか?
全然印象に残らない作品ばかりである。何故菊地氏を起用しないのか。もはやこれは製作体制の問題である。
スポンサーの言いなりである。スポンサーは商品が売れなければ倒産してしまう。
だから商品を画面で出して、それで視聴者を引き付けて、買わせようという魂胆なのだ。
音楽も然り。菊地氏では古臭いと思ったのであろうか。それは菊地氏に対する冒涜に他ならない。
仮面ライダーは大野剣友会のアクション・菊地俊輔氏の音楽・平山亨プロデューサーの作品でなければならない。
それ以外の要素は入れてはならない。
平成の作品のファンには申し訳無いが、もし新たなライダーが作られるのであれば、
前記三要素を満たす作品であるべきなのである。絶対に。
私は仮面ライダーが好きだから言っているのである。
平成作品もやや好きであるが、昭和作品の方がそれより好きなのである。
3要素が実現するのは夢かもしれぬが、是非とも実現させ、
平成作品のスタッフ・ファンに渇を入れて欲しい。