1 :
素敵な旦那様:
11月11日AM4:51
おばあちゃんが逝った。
俺が産まれる前に父は出ていってしまったので、母と二人で生きてきたけど
小さい頃、母はほとんど仕事で家にいなくて
祖父と祖母に育てられた。
2 :
1:2005/11/11(金) 10:00:22
祖父は明治生まれの頑固者で、大好きだったけど非常に厳しかった。
泣いていると「泣くな!」と言い、泣きやむまで殴られた。
人に雇われた事がなく、自由に、そして豪快に生き抜いた祖父は、小さいながらも尊敬していた。
そんな祖父にずっと添い遂げていたおばあちゃん。
俺は祖母が怒ったところを見た事がない。
偏屈なばーさんはよく見てきたが、あんなにおっとりして優しい性格の人は見た事がないほど。
全てに対して優しく、いつもみんなを見守っていた。
そんな人だから、あんなに頑固な祖父についていったんだと思う。
3 :
1:2005/11/11(金) 10:02:59
おばあちゃんは戦争中、大空襲にあった時も見守っていたと言っていた。
飛行機の大群が見え、全ての建物が爆発していった時、逃げもせず窓の外を見ていたという。
ほとんどの家が壊された中、なぜかおばあちゃんの家だけが残った。
すごい根性と強運の持ち主でもあった。それから人に対してもっと優しくなったそうだ。
母の兄弟はほとんどがエリートで、うちは一家のつまはじき者として扱われていた。
そんな私たちを祖父と祖母はいつも気にかけていた。
母が仕事でいない間、寂しそうに一人で遊んでいる俺を祖母は特に可愛がってくれた。
家に帰ると誰もいない部屋で、一人で人生ゲームをやる俺を気にかけてた。
公園で夕方、みんな母親に「ごはんだよー」と呼ばれ帰っていき、一人ぼっちでブランコに乗っていたら、祖母が心配して迎えにきてくれる。
俺が遊ぶのに飽きるまで、公園の隅に立っていた。
俺が祖母がきているのに気がついて、嬉しそうに駆け寄ると、
祖母は「もういいかい?ごはん出来たよ。」と言って手をつないで帰った。
その手のなんと暖かなことか。今でも忘れない。
4 :
1:2005/11/11(金) 10:03:41
祖父が逝った時、最後の言葉が「○○(母)が心配だ。○○(俺)は何してる?」だった。
祖父が逝った時には、祖母はすでにアルツハイマーで自分がわからない状態。
わからない状態ながら、施設で祖父がお見舞いにくるのを待っていた顔が切なかった。
祖父と祖母、二人に散々心配をかけた。
病気で仕事を辞めて自暴自棄になった俺に「自分の出来ることを精一杯やって、暮らしていけるだけ稼いで、楽しんで自分が納得できるならそれでいい。他の人と比べる事はない。」と慰めてくれた。
(母の兄弟のエリート軍団の子供達は、20代で家を持つほど稼いでいた。)
今、そこそこ食べていけるようになりお金にも余裕が出来てきた。借金はあと100万くらいあるが。
恩返しがしたい。恩返しがしたい。
でももう祖父は逝ってしまい、祖母も動けなかった。
何もできなかった。何もしてあげられなかった。
5 :
1:2005/11/11(金) 10:05:01
祖母が亡くなる前日、明日で1歳になる息子と4歳になった息子を連れお見舞いに行った。
今まで元気だった祖母が忘れられない俺は、ほとんどお見舞いに行っていなかった。
正直心配でかわいそうで辛くて、見たくなかった。見れなかった。こんなになってしまった祖母を信じたくなかった。
でもこの日、どうしても行かなくてはならない気がして、お見舞いに行った。
祖母は苦しそうな唸り声を上げ、息も絶え絶え。見ていられない。
ずっと目をつむったままだったそうだ。
母が声をかけても苦しそうに唸るだけ。
次に俺が話し掛けると唸り声はやみ、少し落ち着いた。
上の息子は「あーあーうるさい!」と酷いことを言いつつも手を触ると握り返してきた。
そして下の子が手を触ると目が開いた。奇跡。
しばらく目をあけて下の子を見ると、また目をつぶった。
6 :
1:2005/11/11(金) 10:05:39
翌朝早朝、母から連絡があり危篤の知らせ。
病院につくと医者が心臓マッサージをしていた。
「がんばれ!」と声をかけつつも、皆もう楽になって欲しいと願っていた。
あまりに苦しそうな様子を見てきたために。
11月11日AM4:51。おばあちゃんは逝った。
くしくも去年の11月11日AM4:51、下の息子が産まれた瞬間の時間だった。
最期になったが、こんなだらしない俺だったけど、子供の顔見せる事ができて、
少しだけ恩返しできたかな?
子供達に、おじいちゃんの厳しさ生き方と、おばあちゃんの優しさ、伝えていきたいと思う。
おばあちゃん、子供達はすくすくと育ってる事をおじいちゃんに伝えて・・。
ありがとう。そしてさようなら。
7 :
1:2005/11/11(金) 10:16:05
駄文スマソ。ただ今動揺&へこみ中。
お前ら、子供作っとけ。
なんかよくわからんが、それが大切な事だと思う。
1が必死でカキコしてんのに誰一人相手にしてない件
>>1こういうのをチラシの裏っていうんだ
削除依頼しとけ
>>8 言っていることは間違っているとは思わないが言い方があるんじゃないか?
家族の死と向き合ったことのない奴じゃないと言えないような台詞だな。
人の死の悲しみと言うのは、その人と積み重ねてきた思いが強くないと
その悲しみを共有することは難しい。
身内でさえも、それぞれの積み重ね方が違うので「気持ちの温度差」が
あったりするから。
誰かに聞いて欲しかったんだろうけど、ここ(掲示板の書き込み)は
その場所には適していないと思う。
>>9 >>誰かに聞いて欲しかったんだろうけど、ここ(掲示板の書き込み)はその場所には適していないと思う。
そう思ったから
>>8のように言ってるんだよ
もひとついっとくと俺は兄弟も死んでるし知り合いも何人も死んでる
そんな表面上だけの優しさだしてるつもりのお前のほうが
何もわかってないんじゃねーのか?
11 :
1:2005/11/11(金) 15:01:23
>>8-10 申し訳ない。
お清めすんで、色々やって大分落ち着いてきた。
チラシの裏の落書きなのはわかっていたけど、ついいつもいるこの板に書いてしまった。
恋人が暴走車に突っ込まれて死んだときでさえ、意外と冷静にいられたんだけど
一人でいると思い出が次から次と走馬灯のように溢れてきて、耐えられなくなってしまった。
小さい頃の記憶をたどると、母の思い出がまったくと言っていいほどないんだよね。
逝ってようやく存在の大きさを知って、我慢できなくなった。
>>8の一言でだいぶ冷静になれた。ありがと。削除依頼しておく。
>>10 身内の亡くなった数を上げて随分、寂しい自慢するんだな。(知り合いまで入れて・・・)
確かに分かってないかも知れないが、少なくとも分かったつもりでいるオマエと同じレベルだよ。
>>1 も荒らされることが本意ではないだろうから、この辺にしておくよ。
>>12お前がアホなのはよくわかったから
俺がいいたいのはそんなにかなしければこんなとこで
そんな話はしないということ
そもそも荒らすもなにも必要ないんだっての
14 :
1:
俺が言うのもなんだが、削除依頼は出したんで
>>12-13はおちけつ
ってことで
===終了===