【コピペでも】夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ【オリでも】

このエントリーをはてなブックマークに追加
922素敵な旦那様:2005/09/28(水) 09:48:25
あげ
923素敵な旦那様:2005/09/28(水) 15:34:43
上がってないし
924素敵な旦那様:2005/09/28(水) 16:13:44
じゃあ俺もage
925素敵な旦那様:2005/09/28(水) 16:37:10
こういう良スレこそ、sage進行でいいと思うぞ。
926素敵な旦那様:2005/09/28(水) 20:57:33
hage
927コピペ:2005/10/04(火) 21:09:39
私は昭和の40年代から50年代に大学病院に勤務していました。
年齢はご推察してください。

昼休みにはナースと中庭でバレーボールなんかを輪になってしていました。
のんびりしていた時代でした。

いつも患者さんが笑いながら声援してくれて
我々のバレーボールを窓から、あるいはベンチで見ていました。
軽い患者さんは入って一緒にしましたね。
勿論、事務長や調理師さんも混ざって、ワアワアキャアキャアでした。

私の担当だった心臓疾患のお嬢さんが亡くなり彼女の
四十九日が終えてから、ご両親が病院にきてくださって
新しいバレーボールを5個、寄付してくださいました。

窓から見れない日は、我々の声だけ聞いては
「○○先生また落としたのね」などとご両親と話していたそうです。

あのプレゼントは嬉しかった。
たまらなく切なかった。

「先生、こんどバレーボールあたしもいれてね」
「おう一緒にしような」
診察のたびに繰り返していた会話でした。
928コピペ:2005/10/04(火) 21:11:14
大火傷した幼稚園児。
一時期はかなりヤバかったが、先週無事退院。
形成手術で火傷跡が消えることを説明したら
ばぁちゃん出て来て
「おおきにぃ〜まぁ遠慮しときますわ。
この傷かくさず、ミィさん祭り(地方のお祭りらしい??)も
ガッコの運動会にも出しますわ。
あーんな痛み超えて退院できたウチの孫でっせ〜
オトコンコの勲章ちゃいまっかぁ?
火傷跡みるたび、嫁もこの子のたくましさ思い出して、がんばれますやろ?
おおきになぁ〜センセ。かんごふさん。ありがと、ありがとさんや。
もう〜焼けた焼いたは、これだけでたくさんや〜。
うちらこんなものしかお礼できひません。
どうか食べたって…」(関西弁変換ソフトが欲しいww)

ばぁちゃんと嫁が早朝から焼いたタコ焼き。
パックに6コづつ詰めて、ダンボール一杯。
普通、手づくりの食べ物は受け取らないけど、
関係者全員ありがたくいただきました。

東京生まれ、東京育ちの漏れは、ひどく感動した!
関西のおばちゃんってすごい。
929素敵な旦那様:2005/10/04(火) 22:28:33
骨のあるいい婆さんだ。
でもっでもっ 火傷のあとを消すかどうかは子供に決めさせてくれー
無理なくらい小さいなら、治せるものは治してもいいじゃないか。
自分の手にある火傷の痕が、動かしたときにひきっつれて痛いんだよ。なんか人事に思えなかった。
930素敵な旦那様:2005/10/04(火) 22:30:16
↑なんか読みにくい文章だった。ごめん。
自分で決めるのが無理なくらい幼い子なら、綺麗に治して欲しい。火傷の痕のひきつれって痛いから。と言いたかった。
931素敵な旦那様:2005/10/04(火) 22:32:28
熱いっすね。
932素敵な旦那様:2005/10/05(水) 00:25:13
>>927
入院体験のある私は泣けた。優しい医師なんですね。
患者って…いろんな不安を抱えて入院してるもんな。
927医師、どうぞこれからも、ご活躍ください。
>>927
きっと小学生の高学年くらいに植皮を受けさせると思うよ。
ある程度の成長まで、待つと思われ…
ばぁちゃんだって、勲章とはいえ心は痛めてなんとかしようと必死だと思う。
933素敵な旦那様:2005/10/05(水) 02:03:34
こういうスレこそageといた方がいいんじゃないの?
age.sageってどんな影響があるのですか?初心者の質問ですみません。

私の母は62歳で交通事故で4日間昏睡状態で死んだ。
父はオドオドして病室にも入れなかった。

父は勝手なことばっかして母に迷惑かけて…どうしようもない男だった。
母は脳挫傷が3箇所もあって、素人の俺でも助からないなと思った。

父に2時間だけ病室にいてくれ。俺はお嫁と飲み物やおにぎり買ってくるから…
もどったら案の定、父が集中治療室に居ない。「ないやってんだよっ!」
おれは怒って病院の中を探した。

中庭の歌壇に隠れて。肩を震わせて蹲って泣いていた。声だして泣いていた。
見てはいけないもの見てしまった。それを見て、嫁が泣き伏してしまった。

あの姿で積年のオヤジに対する憎悪が消えた。
夫婦って…子供の目ではわからい絆があるんだな。
935素敵な旦那様:2005/10/06(木) 14:09:24
>934
初心者は半R…
その名前もどうにかしろw
936素敵な旦那様:2005/10/06(木) 20:07:45
>>935
鬼女板のデフォルト名無しは「名無しに変わりましてモナーを取り返します」になるらしい。
937素敵な旦那様:2005/10/06(木) 20:40:54
チラウラで拾いました。

息子へ。
お前とはじめて会った時、お前はまだ3歳だった。
母さんの後ろにすっぽり隠れて恥ずかしそうにしていたな。
お前と母さん二人暮らしの部屋に遊びに行き、帰らないでと泣かれた時、
俺は決心したんだ。母さんとお前を絶対に幸せにすると…
お前に淋しい思いはさせないと。
あれから俺の親父ぶりはどうだったか?親父がいて良かったと思ってくれただろうか?
それとも、こんな親父ならいらないと思われていたのだろうか?
俺なりにお前を必死で愛してきたが、伝わっていたのだろうか?
お前が大人になった時、酒でも飲みながらそういう話もしてみたかったぞ。
大学生になったお前、社会人になったお前、子を持つ父親になったお前
もっともっと見たかったぞ。
息子よ、一人で淋しくないか?ごめんな、一人にさせてしまったな。
俺はまだそっちには行けない…もう1つの約束、大事な母さんがいるからな。
母さんの事は心配するな、俺が一生大事にしていく。
あと何十年後になるだろう、母さんお前そして俺、また3人で仲良く暮らせる日が
来るだろう。それまで待っててくれな。息子よ、お前に会いたいぞ…  
 
チラウラでひっそりと語られてたレスです。私、これで泣きました。


938素敵な旦那様:2005/10/07(金) 01:59:03
age
939素敵な旦那様:2005/10/07(金) 02:01:20
もう20年前。
大学に合格して上京した。
その年の年末に風邪をこじらせ肺炎を起こし入院。
入院費が気になって治療どころではなかった。
親に金のことで迷惑をかけられないと、
医者になんとかアルバイトして払いますからと掛け合った。
「君ねぇ〜そんなこと気にせず、ちゃんと食べなさい」と笑われた。
しかし、心配で心配でたまらなかった。
微熱がひかず、退院も決まらずで憔悴していった。
婦長さんが茶封筒を渡してくれた。
お金と手紙がはいってた。
婦長さんが大学に連絡してくれて、親にも話してくれていた。
オヤジがくれぐれも息子には内緒でと、
院長先生や婦長さんに、一生懸命にお願いしている手紙があった。
病院に現金書留で入院費を送ってくれていた。
余った分は医者や婦長さんにお菓子でも買って下さいと書かれてあった。
婦長さんは、この金額だと余るんだから参考書でも買って勉強なさいと言われた。
実家に電話した。オヤジがでた。
「かあさんには内緒だ。おまえの入院も内緒にしてある。早く元気になれ」
貧乏だと病気にもなれないな…
みんながみんな、内緒で気を遣いあって、
悲しいのと嬉しいのと、わけがわからず泣きとおした。

今年のお盆にオヤジの初盆で帰省した。
オフクロが切り出した。
「おまえが大学一年のときに入院したやろ?なんで言ってこなかったん?」
「え?入院のことオヤジさんが言ったのか?」
「とうさんの様子ですぐわかったわ。おまえの入院も婦長さんへの手紙もな」
「隠し事下手だったからな、オヤジさん」
「息子の病気を内緒にせなならん、とうさんの気持ちがわかっとんのか!
 病気やったらしょうがないやろ!うちはそんなに頼りにならん母親か!」
20年、20年間も前のこと。
オフクロは怒りに震え、すごい剣幕で怒鳴りつけてきた。
悪かった…
940素敵な旦那様:2005/10/07(金) 03:19:18
私は安定剤や睡眠薬を服用して7年目。
今の主人に出会って、最高潮に不安に達した時に言ってくれました。

『俺にもっと頼れ。俺を安定剤にしろ』

それからは、すごく肩の力が抜けて、本来の自分を出せるようになって、今じゃ薬がものすごく減りました。
ここまで言ってくれる男性って中々居ません。
私は今の主人で2度目の結婚です。
元旦那は、完全放置で、自殺未遂した時のみ帰宅でした。
入院を医者が勧めても拒否。

離婚して今の主人と再婚して本当に良かったって思ってます
941素敵な旦那様:2005/10/07(金) 03:40:00
鬼女のカキコ禁止!
942素敵な旦那様:2005/10/07(金) 03:44:53
>>950踏んだ人は次のスレを立ててください。

【コピペでも】夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ【オリでもPART2】

>>934意外な展開で泣いたYO。怒ってるおふくろさんの気持ちわかるな。
943素敵な旦那様:2005/10/07(金) 05:59:51
>>942
小さい声で
レスバンマチガッテルヨ
944素敵な旦那様:2005/10/07(金) 10:07:55
>>943
>>942ニカワッテ…
>>939オフクロサン、オコルコトデ、オマエサントオヤジサンヘノアイジョウノ、ヒョウゲンダッタノダロウ
945素敵な旦那様:2005/10/07(金) 16:02:07
age
946素敵な旦那様:2005/10/08(土) 14:36:34
>>942
よっ!スレッドストッパー
947素敵な旦那様:2005/10/09(日) 01:28:24
この分だと980を踏んだ人が次のスレ立てだねww
948素敵な旦那様:2005/10/09(日) 02:11:27
んだ。980よろ。
949素敵な旦那様:2005/10/09(日) 03:36:39
某自衛隊駐屯地のスレからのコピペです。個人の思い出語っぽいけどジーンときた。
少年時代っていいよなぁ〜〜〜〜〜(遠い目

228 :民間人です@ :2005/08/27(土) 01:39:20
ここは、私が7年間の少年時代を過ごしました。

国道150号線をガソリンスタンド(油井石油?)下って右に入るとゲートがあったな。
夜間演習の音もハッキリ覚えている。航空祭では父とブラスバンドを聴いた。
転校生で自衛隊の子がたくさんいた。九州の人が多かったような…
官舎によく遊びに行った。

複雑な我が家と違って、そこのお母さんの作ってくれる、
ハンバーグやスパゲティはすごいご馳走だった。羨ましかった。
町内のマラソン大会では自衛隊の人と競り合ったのが中学時代。

もう静岡を離れて20年になるけど、プールの帰りにフェンス越しに
いつまでも飛行機を見続けた夏。まるで昨日のように覚えている。

自衛隊にいろんな議論があるけど、私は原体験として、
あの官舎での家族の穏やかさが記憶にあってイラク派遣の時など、
すごいな!大変だな!頑張ってくれ!が正直な感想だった。

一番小さな社会である家族が、自衛隊の官舎での家族が私には眩しかった。

いまでもきっと、飛行機を見つめている少年がいるんだろうな。
週末の夜中…すこしセンチメンタルになっているようだ。

ここのスレッドみつけて、興奮しました。ちょっと涙がでました。
まとまりのない駄文ですみません。
950素敵な旦那様:2005/10/10(月) 01:28:16
246 名前:素敵な旦那様 メェル:sage 投稿日:2005/10/07(金) 22:51:43
>245
スレ違いにレスする俺もスレ違いだが。
>一人で仕事と子育てするのはキツイだろ。
キツク無いぞ?俺は今、父子家庭で子供(3歳と1歳)を行政サービス目一杯
使って育て中だが、不満はほとんど無い。
残業出来ないんで昇進は諦めた。代わりに「俺って家族に尽くすパパ」像に
浸りつつ、こんな人生の選択もあったと穏やかな今を満喫中。
一生懸命俺を手伝おうとする子供たちの姿に、毎日笑いと涙だ。

配偶者がいた方が良かったかもなんて、「思うだけ」だ。自治体にもよるが
サービスは探せば有用なものが沢山ある。手間を惜しむな。
245こそ、そんな甘っちょろい夢&妄想を抱いて、自分に胡坐かいてると逃げら
れるぞ。

あ、ちなみにウチは逃げられではない。死別だ…。
実家とは絶縁中なので、男34歳、孤軍奮闘中。
(正直ヨメに早く会いたい…。あと何十年待てばいいだろうなぁ。)


247 名前:素敵な旦那様 メェル:sage 投稿日:2005/10/07(金) 23:03:13
>>246
強くイ`

248 名前:素敵な旦那様 メェル:sage 投稿日:2005/10/07(金) 23:30:36
>>246
乙!
いい父ちゃんやってんだな、頑張れよ。
次に嫁さんに会うときには、子達の大人になった様子や孫のことまで報告せにゃならんだろ?
お前の嫁さんなら、きっとわかってくれるさ、もうしばらく待ってもらおうや。
若い嫁さんが待ってるんだから、お前も身体に気を付けて病気やオヤジ臭くなったりするなよ。
951素敵な旦那様:2005/10/11(火) 21:39:55
>>934
2ちゃんねるでわからない言葉があったらここで調べよう。
http://www.media-k.co.jp/jiten/
952素敵な旦那様:2005/10/12(水) 03:03:20
951さん、ありがとう。
953素敵な旦那様:2005/10/13(木) 00:16:30
コムラサキシメジというキノコに人1倍関心が深く、庭の片隅に堆肥を作り、
餅米の藁を撒いては数十年もの間、このキノコを大切に育てている、お婆さんが居る。

昭和21年、終戦を追えて満州から引き上げるお婆さんの胸中は、幼い2人の子供を
飢えは寒さで失った悲しみで、掻きむしられる思いでいっぱいだった。

そして、郷里に落ち着いたが心の痛みは増すばかり。
その心をを癒すのは、もう自殺しかないと決めて何気なく外を見ると、
庭や畑に紫色のキノコが沢山生えていた。キノコ事は何も知らないお婆さんの目に、
それはまぎれもない毒キノコと映った。

そこで、誰にも知られない内にと料理をして食べたがいっこうに死ねない。
翌日もその次の日も沢山食べた。とても美味しく、苦しくもない。

毒キノコではないと知った時、何故か涙が溢れて止まらなかったそうだ。
954素敵な旦那様:2005/10/13(木) 09:23:06
>>953
出だしでメンヘルのババアか、と思ったけど、
ちょっとジーンとくるね。うん。
955素敵な旦那様:2005/10/14(金) 12:05:01
4行目も空行にしてほしかった
956素敵な旦那様:2005/10/14(金) 12:06:28
もしくは以降の空行をなくすか
957素敵な旦那様:2005/10/15(土) 13:33:51
324 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2005/10/09(日) 03:31:36 ID:h+I0oJC80
進学のために実家を離れて一人暮らしを始めた頃のこと。
新しい生活の何もかもが上手くいかなくて、少しまいってた時期があった。
頼れる人どころか友達すらまだほとんどいなくて、気晴らしといったら
実家に用もなく電話することくらい。
といっても、家族に向かって弱音吐くのは 恥ずかしいから当り障りのない
話ばっかりしてたんだけど。
でもある日、母親と電話で話してて、ついポロっとね、きてしまった。
あー、もう実家帰りたいなー、って感じで。
で、うわヤバい!とか思いつつ必死に平静を装ってたんだけど、微妙に
感づかれたらしくて「泣いてんの?」って言われた。
当然私は「泣いてないよ、やだなぁ」って笑って誤魔化して、その時は
それ以上つっこまれることもなく電話を切ったんだけど、その数日後に
母親から手紙が一通届いた。
「あなたがそちらで泣いていても母は行ってあげることができません。
だからあなたが泣いていると辛いです。あまり泣かないで」
文章がクサいよ、母!って思いながら思わず泣いてしまった。
ただ、この人の娘で良かった、って本当に思った。
私はまだまだ頼りなくて弱っちいけど、いつかちゃんと恩返ししたい。
だからお願いします。その日まで元気でいてください、お母さん。

958素敵な旦那様:2005/10/15(土) 14:02:18
18 :名無しの心子知らず :04/04/09 11:16 ID:PdWgJFAH
男だけど、いいですか?

俺には、3つ違いの弟がいた。お袋は俺には「お兄ちゃんだから我慢しなさい」なんて一言も言わなかったと思う。
でも、甘えるの我慢してた記憶はたくさんある。3歳ながらに「弟はまだ赤ちゃんなんだから」っておもってたんだよなぁ。
親父は出張が多くてほとんど家にはいなかったな。
俺が小学生なって初めての運動会の朝、お袋は「○○君(俺)がんばってね!お母さん、△△(弟)とお弁当持って見に行くからね!」って
送り出してくれた。

それが、最後の言葉だった。

お袋は自転車の後ろに弟を乗せ、カゴには俺の大好きなものばかり詰まった弁当を乗せて、俺の始めての運動会を見に行く途中
信号無視したトラックにはねられた・・・。
小1の頃の記憶は、ほとんどない。

「お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。」
もっともっと、甘えればよかった。
弟が乳を飲んでいる時にも、「もう片方のひざはぼくのモノ〜」って甘えればよかった。
もっともっと甘えたかった・・・。

今日の午前2時55分、俺は親父になりました。
ちゃねらー歴はずいぶんだが、初めて来た育児版でふと目に止まったこのスレ。

俺は、嫁と娘を全力で一生守ります。誓います。
お母さん、けんじ、どうか天国で見守っていてください。

スレ違い、長乱文スマソ。

959素敵な旦那様:2005/10/15(土) 19:30:21
>>958
・゚・(つД`)・゚・泣けた
家族を大切にな。
960素敵な旦那様:2005/10/16(日) 23:27:48
父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、もちも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
勝美兄、姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗さして戴き有難うございました。
モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、
ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、祐ちゃん、キーちゃん、
正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許しください。
気の休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
961素敵な旦那様:2005/10/17(月) 07:53:53
つつ。円谷ああああああああああ
962素敵な旦那様:2005/10/17(月) 20:23:16
仕事がうまくいかなくて悩んでたとき。
上司が俺のいない場で「彼にはこの仕事は無理だったのかも知れない」と
発言したと聞いて、今まで自分なりにがんばってやってきたつもりだったのが
すべて否定されたような気がした。
何もかもイヤになって嫁に向かって「会社辞めようかな」とつぶやいた。
そしたら「ほんと?じゃ、旅行に行けるね!どこがいい?」と脳天気な笑顔。
その笑顔を見たら急に力が抜けて、俺も笑ってしまった。
で、もう一度がんばってみるか、と思えるようになったし、人から指摘されても
直視するのを避けていた自分の欠点とも向き合えるようになった。
まだその仕事の問題は多少残っているけど、なんとかがんばってやっていく。
ああ、この女と結婚してよかったなあ、と台所で嫁が歌ってる鼻歌聞きながら
しみじみ思う。
963素敵な旦那様:2005/10/17(月) 23:00:09
>>962
いい嫁だな。大事にしろよ。
わかってやってりゃ凄過ぎるが。

964素敵な旦那様:2005/10/18(火) 00:01:34
中越地震から1年、救出の優太ちゃん毎朝仏壇にお茶

 新潟県中越地震で、母子3人乗りのワゴン車が土砂崩れに巻き込まれ、母と娘が亡くなった事故から23日で1年。事故から4日後、
埋もれた土砂の中から奇跡的に救出された同県魚沼市、皆川優太ちゃん(3)は元気に保育園に通う。

 悲しみはまだ癒えないが、優太ちゃんの成長は、周囲の人々の大きな支えになっている。

 優太ちゃんは今、父親と、母方の祖父母の4人で暮らしている。亡くなった母の貴子さん(当時39歳)と
姉の真優ちゃん(当時3歳)の仏壇に毎朝、お茶を供えるのが日課だという。

 4月には真優ちゃんが通っていた保育園に入り、体も一回り大きくなった。砂遊びとウルトラマンごっこが大好きで、
同じ保育園に娘を通わせている
主婦は「みんなが教室に戻っても最後まで外で遊んでいるような元気な子」と話す。
生き物が好きで、自宅ではカブトムシや金魚を飼う。

 ただ、救出されるまで約92時間も1人で閉じこめられていたためか、「暗い所は怖い」と言い、
今も夜は電灯を消さずに寝ている。母や姉の死をよく理解していない様子で、「2人は天国に行ったんだよ」
と周囲が教えると、優太ちゃんは「ぼくも大人になって天国に行ったら会えるかもしれない」と答えたという。

 親類の1人は、「そんな姿を見ると、いじらしくて……。悲しみは帳消しにならないけれど、優太の成長を見守ることが私たちの救い。
これからも明るく元気に育ってほしい」と言葉を詰まらせた。

 同県長岡市妙見町の事故現場は今も当時のままだ。県や市は「メモリアルパーク」として一部保存することを検討している。
(読売新聞) - 10月17日9時10分更新
965素敵な旦那様:2005/10/18(火) 14:06:32
生存確認から救出までどこの局でも中継してやがってウゼー
なんて思いながらもそわそわして目が離せなかったなあ
966素敵な旦那様:2005/10/20(木) 11:14:49
あげ
967素敵な旦那様:2005/10/20(木) 14:41:38
 「ロケットで天国に行きたい」。新潟県中越地震が23日で発生から1年を迎える。長岡市内を
母姉と車で走行中、土砂崩れで生き埋めになり、約92時間後に奇跡的に救出された皆川優太
ちゃん(3)。今は頭の傷も癒え、保育園へ元気に通う日々を送っている。

 「元気だよ」。魚沼市の自宅を訪ねると、優太ちゃんはすっかり「男の子」になっていた。

 母の貴子さん=当時(39)、姉の真優ちゃん=同(3)=を同時に失い、今は父の学さん(38)
と祖父母の敏雄さん(69)、ミハルさん(67)と暮らす。

 母と姉の死を、どう受け止めているのだろう。「分かってるのか、分かってないのか」。ミハルさん
はこうつぶやいて、優太ちゃんに話しかけた。「お母さんと真優は、天国へ行ったことになってるん
だよね」。

 以前、優太ちゃんにそう話すと、「じゃあ、ロケットに乗って天国へ行きたいな」と答えた。ミハル
さんらは「ロケットに乗っても行かれないんだよ」と諭すほかなかったという。ある夕方、自宅から
見た空に夕日が輝いていたときは、「あー、真優、ずるーい。あんなにきれいなところへ行って」と
叫んだ。ミハルさんは「とにかく優太がふびんな思いをしないように、それだけを気をつけています」
と話す。

 崩落現場は今も当時のままで、優太ちゃんらが乗っていた白いワゴン車も埋まっている。長岡市
は現場を「震災メモリアルパーク」として保存し、慰霊碑の建立を検討している。
968素敵な旦那様:2005/10/21(金) 08:31:55
父さん、同い年だったんだなぁ。。。


ロケットで行けると良いな。って言ってあげなよ。
きっと、将来は優秀なロケット開発者か宇宙飛行士になってくれるさ。
969素敵な旦那様:2005/10/24(月) 07:41:02
agetok
970素敵な旦那様:2005/10/26(水) 11:10:29
133 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2005/08/24(水) 15:50:50 ID:LNepweEf
何年も前の紅白で森山良子が「さとうきび畑」を歌った
戦争で父を亡くした子の歌なんだが、途中
「お父さんて呼んでみたい」と森山良子が歌ったところで
妹が父に「お父さん」と呼びかけると、父は「はあい」と返事をした
「お父さんどこにいるの」と歌は続き、
父は小さく手を振って私たちに「ここにいるよ」と言った
萌えた

父はその2ヶ月後に他界した。「ここにいるよ」と笑った顔は一生忘れない
ちょっとスレ違いっぽくてスマソ




うっかり萌えた父親のエピソード
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1123144290/l50

良スレなり。
971素敵な旦那様
103 :Mr.名無しさん :皇紀2665/04/01(金) 17:22:41
酒と酔っ払いが大嫌いでたまらない俺が昨日、産まれて初めて酒を飲んだ。
初めての酒はまずくてまずくて仕方なかった。
飲みやすいぞと言われてわたされたチューハイは俺にとっては甘すぎた。
あと小学校の頃からの「大人になっても絶対酒は飲まない」って誓いを
破ったことに罪悪感を感じて、余計に気分が悪くなった。

そのとき親父の一言を思い出した。
以前二日酔いで昼頃まで寝ていた親父に散々嫌味を言ってやったことがあって、
普段は自分のことを俺というのに、そのときは妙に畏まってこう言った。
「私だって何も好きでこんなに飲んでいるわけじゃないんですよ」
言い終えて布団にもぐった親父に「酒飲みが何言ってんだか」
って言ったのも覚えている。

酒を飲んでそのまずさに気付いて、ようやくあのときの親父の気持ちがわかった。
糞まずい酒に頼らにゃならんほど親父は苦労してきたんだ。
甘ったるい酒と、誓いを破った罪悪感と、親父の気持ちをわかってやれなかった自分の情けなさに
涙が出てきた。久しぶりに声を出して泣いた。小学生のとき以来だ。

今まで頑張ってくれた親父に「ありがとう」って言いたいけど、
恥ずかしさがあってなかなかできそうにない。
だから親父、もう少しだけ待ってください。
俺が酒に慣れてあんたの晩酌に付き合えるようになったら言います。
仕事勤めしていたときとは違って、今では好きで好きでたまらない酒を飲んでるときに、
酒の力を借りてこっそり言おうと思います。

今までごめんなさい。そしてありがとう。