【コピペでも】夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ【オリでも】
1 :
◆Vh.5lS7ag. :
たまにはこんなスレもあってもいいだろう。
コピペでもオリジナルでも、
自分の周りのことでも他人の話でも、
夫婦や家族の感動する話、泣ける話、ジーンときた話を
集めるスレです。
2 :
◆Vh.5lS7ag. :04/11/11 21:07:52
何もないとあれなんで、某所よりコピペ
54 番組の途中ですが名無しです 04/06/24 16:36 ID:hR5zsO7G
鯖復活記念にマジレスだゴルァ
俺も父親とは仲が悪かった。
色々理由はあったが、ほぼ物心ついた時から折り合いが悪く、ほぼ毎日のように、
>>1みたいな嫌味の言い合いだった。
あまりにも居心地が悪いので、大学入学とともにバイトをはじめ、半ば無理やり一人暮らしをはじめた。
その後実家への帰省は年に1度あるかないか・・・その時もほとんど口をきいたことはない。
ようやく自分も結婚相手が決まった年のある日、嫁と買い物に行った。
酒屋に行って気に入っている日本酒の小瓶を買っていると、もう一本嫁が持って来た。
「別に飲み終わったら、また買いにくればいいじゃん」
「お義父さまにあげるのよ。父の日近いでしょ」
「うちには誕生日とか父の日とかに何かする習慣はなかったよ」
そう言ってみたが、まあいいかと思って一緒に清算した。
56 54 04/06/24 16:43 ID:hR5zsO7G
(´-`).。oO(また落ちたよ、、、続き)
ある晩、実家から電話がかかってきた。
居間にいた嫁がとり、いつものようにそのまま長話(父は嫁を気に入っていて、嫁は電話が好きだ)していたが、
「しばらく話していて」と子機を渡しに来た。話してみるとだいぶ酔っ払っている。
「この酒はなかなかうまい」
「○○(嫁の名前)が買うと言ったんだ」
「うん。お前の好きな酒だってな」
「ああ」
「なかなかうまい」
「わかった。けど、あまり飲みすぎないように。」
そう言って切ろうとしたら、嫁がお銚子とお猪口を持ってきて、
結局父親がその酒の小瓶を飲み終わるまで、嫁と2人で付き合うことになった。
酔っ払った父親は「うまい」「なかなかうまい」と何度言ったかわからない。というよりも、ほとんどそればかり言っていた。
ようやく飲み終わると最後に「ありがとう」と言って電話を切った。
何だか俺は妙な気分になり、しばらく嫁に泣かせてもらった。
3 :
素敵な旦那様:04/11/11 21:14:46
>>2 取り立ててドラマチックなできごとでないところがまたリアルで泣かせるのう
不器用な親父だったんだなきっと
知ってか知らずか、うまく仲を取り持つ術を知っている嫁はエライ
育てたいスレなのでアゲ
4 :
◆Vh.5lS7ag. :04/11/11 21:21:22
これはあちこちでコピペされているものだが、
やっぱりイイのでコピペしておく。
===============
どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
5 :
◆Vh.5lS7ag. :04/11/11 21:21:43
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。
6 :
◆Vh.5lS7ag. :04/11/11 21:23:21
そんな感じで、小ネタでも大ネタでも、
夫婦や家族とかでジーンときそうなもの
カキコして、あれこれいってください。
>>2 どもです。
7 :
◆Vh.5lS7ag. :04/11/11 21:23:50
8 :
素敵な旦那様:04/11/11 21:26:06
>>4 >>5 (゚Д゚)ゴルァ! をはぶけば
さだまさしの歌になりそうだと思いました
9 :
素敵な旦那様:04/11/11 21:29:21
さだまさしワロタ
じゃあさだまさしの歌にゴルァとか藁とかつけてみるか。
パパ今月も給料日は郵便局に直行して被害者の口座に振り込んじゃうぞ。
結婚して家族ができて俺も涙もろくなったらしい
カラオケで同僚が歌ったさだまさしの歌詞を読んでいたら
マジで涙がこみあげてきた
独身時代は
>>4>>5みたいな話聞いても「けっ」とか思ってたのにな
去年のあなたの想い出が テープレコーダーからこぼれています(゚Д゚)ゴルァ!
あなたのためにお友達も集まってくれました(゚Д゚)ゴルァ!
二人でこさえたお揃いの浴衣も今夜は一人で着ます(゚Д゚)ゴルァ!
せんこう花火が見えますか(゚Д゚)ゴルァ! 空の上から
約束どおりに あなたの愛したレコードも一緒に 流しましょう(゚Д゚)ゴルァ!
そしてあなたの 舟のあとをついてゆきましょう(゚Д゚)ゴルァ!
私の小さな弟がなんにも知らずに はしゃぎ回って(゚Д゚)ゴルァ!
精霊流しが華やかに 始まるのです(゚Д゚)ゴルァ!
13 :
素敵な旦那様:04/11/11 21:49:42
いちばん 似合わない精霊流し・・・・
座布団1枚!
14 :
素敵な旦那様:04/11/11 22:12:31
15 :
素敵な旦那様:04/11/11 22:34:29
>>15 んだな
じゃあ
海は死にますか(゚Д゚)ゴルァ!
空は死にますか(゚Д゚)ゴルァ!
ってやればよかった
17 :
素敵な旦那様:04/11/12 00:07:18
w
18 :
素敵な旦那様:04/11/12 17:34:04
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/isyo/wagako_isyo.html# 愛児へ
大尉 神風特攻隊大和隊 昭和一九年一〇月二六日出撃戦死 二五歳
植村 眞久
--------------------------------------------------------------------------------
素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。
私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。
私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合わせになつたのを見届けたいのですが、
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまつても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に会ひたい時は九段へいらつしやい。
そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。
父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、
他の人々も素子ちゃんを見ると眞久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がつて下さるし、
お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福のみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。
父は常に素子の身辺を護つて居ります。優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。
お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。
昭和十九年○月吉日
植村 素子へ
追伸、素子が生れた時におもちゃにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますがら教へて上げます。
19 :
素敵な旦那様:04/11/12 17:45:30
>>18 わーん。
既男泣かせようとおいたんだよね?
通りすがりの既女だけど、泣いてしまったよ。
21 :
素敵な旦那様:04/11/12 17:49:52
25歳ありえん。
22 :
素敵な旦那様:04/11/12 19:04:12
23 :
素敵な旦那様:04/11/12 19:20:34
>18、何回よんでもグッと来るな。
あの戦争で死んでいった人達のおかげで、
今の日本があるのだよ。と親は子に教えるべき。
サヨクだらけの学校教師に洗脳させられないように。
昔の25と今の25じゃ成熟度がちがうからね。
>>23 いいスレなんだから政治的なことは置いておこうぜよ。
んだんだ
27 :
素敵な旦那様:04/11/12 20:22:30
>18
もうやめてくれ。何回でも泣いちまう。
28 :
素敵な旦那様:04/11/12 20:23:56
>18
泣いてしまった。
あと3ヶ月で俺も父親になる。
幼いわが子を遺して逝くことはさぞ後ろ髪引かれただろう。
短い間だったけれど、この遺書を残した者は立派に父親の責務を果たしたと思う。
しかし特攻なんつーのをこういう若き父親にやらせるなんてほんとむごいよ‥
情けないが現代に産まれて感謝している。
30 :
素敵な旦那様:04/11/12 20:42:16
31 :
素敵な旦那様:04/11/12 20:51:57
>29
やらされたんじゃなく志願したんだよ。
愛する人、郷土を守るために。
かわいそうで泣くな、
畏敬の念で泣け!
彼らもそれの方が本望だろう。
違うか?
32 :
素敵な旦那様:04/11/12 21:00:05
なんかこう、ジワーンとあったかくなるような話はないんかね。
俺はないが。
泣ける話だ。
34 :
素敵な旦那様:04/11/12 21:13:27
>>18 こういう手紙を書いた父親が、当時の日本にはいっぱいいたんだろうねえ。
手紙にしなかったとしても、妻子の顔を思い浮かべて死んだ男は
大勢いたんだろうなあ。
>>31 戦争のせいで、やらなくてもいい特攻させられたんだよ。
本人が死を覚悟で志願したっつったって、
本心では妻子を残して死にたくはなかったに決まってるんだから
人生を狂わされたという意味で
>>29の表現は間違っていない。
35 :
素敵な旦那様:04/11/12 21:25:44
>18
>彼は事情を知る戦友達の配慮で長崎県大村基地から南方へ出撃する前夜、
>深更に東京の自宅まで軍用電話をつながれ、
>受話器を通じて赤ちゃんの泣き声を一声だけ聞いて出発したそうである。
この遺書に書かれた素子さんって今もご存命だったと聞いたことがある。
遠い海で死んだ後も魂は日本に還り、約束通り娘さんを護ったんだね。
36 :
素敵な旦那様:04/11/12 21:27:23
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
うぅ
38 :
素敵な旦那様:04/11/13 00:27:10
ちくしょう
>>18を見て泣いている所を
嫁に見られちまったじゃねーか
>>34 志願した、というのもあながち間違っていないよ。
本土を守るため、妻子を敵国の陵辱や殺戮から守るため、
水際で食い止める為に志願という形で行ったんだ。
沖縄が戦場になった時の惨状は知ってるだろ?
防空壕で、妻子を自決させるようなことだけはさせたくなかったんだろう。
戦争のさなかには、妻子を守るためには「志願」という形でしか
守る方法を選択できなかったんだ。
どこへ逃げても島国の日本では逃げ切れなかっただろうから。
>>39結果として意味あったの?ってスレ違いだな。
>>40 あったといえばあった。無かったといえば無かった。
確かに本土は上陸はされなかった。空襲はされたけど。
疎開してた家族には命の危険だけはとりあえず無かった。
42 :
素敵な旦那様:04/11/13 13:31:00
泣けた・・
43 :
素敵な旦那様:04/11/13 13:48:54
うん
44 :
素敵な旦那様:04/11/14 17:31:26
>18
やめれ。
子供が生まれてから俺は涙腺がゆるくなったのだ。
ネタ話でなく、本当の話である事にとても重みを感じる。
25歳だったのか・・・
25歳の頃の俺を振り返ると _| ̄|○
45 :
素敵な旦那様:04/11/17 10:28:03
保守age
46 :
素敵な旦那様:04/11/18 10:30:22
ある意味とても泣けた
191 素敵な旦那様 sage 04/11/16 14:44:54
嫁のため、家族のためと思って辞めた趣味の数々・・・
自分の時間は全て嫁と家族のためにつぎ込んだ。
好きだった物も思い出も、スッキリさせるため全て捨てた。
そして、20年後、
子供達が自立できるメドが着いた時に
嫁は漏れに
「あなたって、本当にツマラナイ男ね・・・」
と吐き捨てて出て行った。
その後、人づてで聞いたんだが、
家族をまったく放って遊びまくってた漏れの友人B(妻とは離婚)と
ずっと前からデキていたらしい。
リサイクルショップで見つけた
漏れが昔使ってたのと同じ型のギターを買って来た。
調律の仕方すら覚えてなかった。
まともに音も出ないギターを手に
秋風が染み始めた公園のベンチで迎える孤独死・・・
(漏れの人生ってさ、何だったんだろうな?)
47 :
素敵な旦那様:04/11/18 10:31:36
(つづき、
>>46の191へのレス)
202 素敵な旦那様 04/11/18 10:06:47
もれ、以前フリーターやってた頃、
夜勤明けの公園で日向ぼっこにハマってた時期があって
その公園に60過ぎの身なりには妙に不釣合いなギターをもったジイサンが良く来てた。
何度か会ううちに少しだけ会話とか交わすようになったんだけど、
そのオサンがまさしく
>>191の状態だったよ。
昔はバンドとか組んでて車とかバイクとかカメラが大好きで
全ての時間と金をつぎ込んでたんだけど、
結婚を期にすべてやめて(やめさせられて?)、
家族第一で体がボロボロになるまで仕事してたのに
(実際、まだ60過ぎなのに80ぐらいに見えた&右足ほとんど動かず)
40年近く働いた会社を退職する日の朝に嫁から離婚届を突きつけられたらしい。
結婚5年目ぐらいに会社の先輩といったスナックのママにもらった名刺か何かをネタに
慰謝料とか生活費とかワケわかんない理由で
住んでた家から追い出され、貯蓄も退職金も殆ど巻き上げられ、
4畳半のボロアパートに一人暮らし。。。
茫然自失の中で僅かにのこった手元の金で買ったのが
バンドやってたころどうしても欲しかったそのギターなんだと。
その後、漏れも就職してその公園にもいかなくなったんだけど、
そのジイサン、去年の秋口にベンチで独りで死んでたらしい。。。ギターを大事そうに抱きしめて。
48 :
素敵な旦那様:04/11/18 10:32:53
うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇん、、
こんな涙は嫌だよう…・゚・(ノД`)・゚・。
>>46 >>47 作り話ってすぐわかる話だが、たしかに悲惨な話だ。
おれの嫁さんはこんな鬼じゃなくてよかった…
ある意味、自分の幸福をかみしめられてジーンとした
51 :
素敵な旦那様:04/11/18 11:27:26
>46
>47
「ジーンとする話」じゃないじゃないか! ・゚・(ノД`)・゚・
一言、言わせて貰えばこの話に出てくる妻は夫が結婚しても独身時代と変わらずに趣味に
金と時間を注ぎ込んでいても別れたはずだ。「自分勝手な人」っていう理由でさ。
どこに書いていいのかわからないので、取りあえずここに書かせて頂きます。
9年程前、私の父が出張先の外国で急死しました。
この時、私29歳でした。
亡くなった原因は、父の遺言により明らかにされませんでした。
(父は生前、母に「俺が死んだら、なにもせずにそのまま焼いてくれ」と
伝えていた)
子供達の猛反発を振り切って、母は「お父さんが言ってたからこれでいいの・・」
と、ポツリと話し、火葬にしました。
父は中小企業を経営しており、苦しい経営でやっていた事は承知していたのですが、
父が亡くなった後に、借金が9億円近くある事が解り、私が長男と言う事もあって
、母が「あなたお父さんの会社継いでくれるわよね?」・・と涙ながらに話しました。
私は一瞬躊躇しましたが、母の心情を考えると断りきれませんでした。
父が亡くなって3ヶ月ぐらい経った頃、母が「あなたに会社継がせるべきじゃなかったわね・・
ごめんなさいね〇〇」(〇〇は私の名前)と、目に涙をためて言いました。
私は「いや、俺がやってみたかっただけさ」と虚勢を張って・・・
中略
なんにせよ、父にもう一度会えるなら聞いてみたい。
「俺はがんばったか?」・・と。
できるなら、今は亡き父にほめてもらいたい。
「お前は頑張った」・・と。
今、私は人生の道が見えなくなってしまっている。
父よ、俺を導いてくれ。
どうしたらよいのか最早何もわからなくなってしまった俺を・・・
53 :
素敵な旦那様:04/11/21 12:00:02
>>52 あげておこうよ。
・・・なんか胸に迫るな。。。
ちゃんとご飯をおいしく食べているか?
>>18に関連して
大石清伍長「妹への手紙」
なつかしい静(しい)ちゃん!
おわかれの時がきました。兄ちゃんはいよ/\出げきします。
この手紙がとどくころは、沖なは(縄)の海に散ってゐます。
思ひがけない父、母の死で、幼ない静ちゃんを一人のこしていくのは、
とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
兄ちゃんのかたみとして静ちゃんの名であづけてゐたいうびん (郵便)通帳とハンコ、
これは静ちゃんが女学校に上るときにつかつて下さい。時計と軍刀も送ります。
これも木下のをぢさんに たのんで、売ってお金にかへなさい。
兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のはうが大じなのです。
もうプロペラがまはつてゐます。さあ、出げきです。
ではお兄ちゃんは征きます。泣くなよ静ちゃん。がんばれ!
55 :
素敵な旦那様:04/11/24 19:31:59
良いスレです。 age
56 :
1/4:04/11/24 20:27:42
変な文章なのは、とあるコピペの改造だから
987 名前:921 - 1/4[sage] 投稿日:03/04/13 05:43 ID:X8cmC/62
この前妻に先立たれたんですよ、この前と言っても随分前だけどね。
で、生まれて初めて一人で乳児を育て始めたわけですわ。正直最初は乳児を育てるのって簡単だと思ってたのよ。みんな普通に育児してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男一人でやるもんじゃない。女性だね、お母さんが愛情込めてやるものだよ。
最初に寝かせつける時さ、めちゃめちゃびびってお腹そろ〜ってさすって頭そろ〜っと撫でたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって手を止めちゃったのさ。
そしたら娘がさ「もっと撫でて!」って感じでぐずるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからお腹トントンしたのさ。えぇ、そりゃもうトントンしましたとも。全てを忘れてトントンしたよ。
ちょっと強すぎるんじゃないか、とか実はそろそろミルクやる時間だとかオムツも確かめないといけない事とか色々忘れてね。
だって娘が撫でろって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい号泣。すごい喧しさ。耳元でシンバル鳴らされたくらい。空港の隣に住んでる人でもきっと驚く。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
正直「男なら女房の忘れ形見くらい一人で育てるぜ!」なんて見栄張らないで素直に娘と一緒に妻の後を追えばよかったと思ったよ。
心の底から一人で育てると決めた事を後悔して今後の事を不安に思ったね。
でも会社行って同僚に「赤ん坊の世話なんて簡単だな!専業主婦なんてただの暇人だよ。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい。
57 :
2/4:04/11/24 20:28:23
988 名前:921 - 2/4[] 投稿日:03/04/13 05:43 ID:X8cmC/62
この前娘の尻に赤い染み見つけたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の初潮に気付いたわけですわ。正直最初はそんなの簡単だと思ってたのよ。みんな普通に気付いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男親が処理するもんじゃない。女性だね、母親でなくてもいいからとにかく女性がやるものだよ。
最初に娘に知らせる時さ、めちゃめちゃ怯んで娘の肩そろ〜って叩いて「あのさ」って静かに囁いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか言いにくくなって下向いちゃったのさ。
そしたら娘が俺の視線に気付いてさ「もっと早く言ってよ!」とか怒るの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから謝って生理用品買いに行ったのさ。えぇ、そりゃもう買いましたとも。全てを忘れて買ったよ。
俺は結構ごつい外見してる事とかレジのお姉さんが結構若くて綺麗な事とか夜用と昼用がある事とか色々忘れてね。
だって娘が家で恥ずかしがりながら俺を待ってたからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい血まみれのゴミ箱。すごい血まみれ。俺の方が貧血になるくらい。 赤ん坊一人の血の量くらいあるかもしれなかった。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事睨んでるの。ホント頼むから紙に包んで捨てなさい。
正直「男ならなんでも対応できるぜ!」なんて見栄張らないで素直に職場の若い子とかに聞いておけばよかったと思ったよ。
心の底から一人でパニクった事を後悔したね。
でも会社出て友達に話した時に「娘もこれで一人前だな!欲情すんなよ」とか言われて顔で笑って腹で密かにむかついてんの。
ホント俺ってダメ人間。
これから思春期迎える娘、俺一人で平気なのかなぁ。
58 :
3/4:04/11/24 20:28:59
989 名前:921 - 3/4[sage] 投稿日:03/04/13 05:44 ID:X8cmC/62
この前娘が大学受けたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の合格発表を迎えたわけですわ。正直最初は合格発表見に行った娘の電話待つのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に待ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは普通の親が待つもんじゃない。裏口入学者の親だね、合格確実な親だけが安心して待てるものだよ。
最初に受話器上げる時さ、めちゃめちゃびびって受話器そろ〜って握ってそのままそろ〜っと耳に当てたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって戻そうとしちゃったのさ。
そしたら電話の向こうで娘がさ「ちょっとお父さん聞いて!」とか言ってんの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから「どうだった?」って聞いたのさ。えぇ、そりゃもう聞きましたとも。全てを忘れて聞いたよ。
高1の時から決めてた第一志望だとか強気な娘は滑り止め受けてないとか…受かってたら彼女は一人暮らしを始めると決まってる事とか色々忘れてね。
だって娘が聞けって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい合格。すごい「サクラサク」。満開過ぎて涙出てくるくらい。遠山の金さんなら肌色が見えなくなってる。
それで横見たら鏡の中の俺がすごい勢いで涙こらえてんの。ホントごめんなさい。
正直「いい父親なら娘との距離は適度にとるべきだぜ!」なんて見栄張らないで素直にもっともっといろんな話をしときゃよかったと思ったよ。
心の底から娘との会話が減っていた日頃の自分を恨んだね。
でも妻の実家言って義理の両親に「これで一段落ですよ!これからは少しは一人の人生楽しもうかな。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
娘よ、たまには帰ってきて下さい。
59 :
4/4:04/11/24 20:29:38
990 名前:921 - 4/4[sage] 投稿日:03/04/13 05:45 ID:X8cmC/62
この前娘の結婚式に出たんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘と腕を組んでバージンロードを歩いたわけですわ。正直最初はバージンロード歩くのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に歩いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは父親が歩くとこじゃない。新郎だね、どうせ連れてっちゃうなら最初から新郎が腕組んで歩けばいいんだよ。
最初に歩き始める時さ、めちゃめちゃびびって右足そろ〜って踏み出して左足そろ〜っと揃えたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか不安になって娘の方見たのさ。
そしたら娘がさ「お父さんしっかりして!ロボットみたいだよ」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから堂々と歩いたのさ。えぇ、そりゃもう歩きましたとも。全てを忘れて歩いたよ。
娘のドレス姿が眩しすぎるとか今からでも回り右してやりたいとか時折励ますように娘が組んでる手に力を入れてくるとか色々忘れてね。
だって娘がしっかりしろって言ったからね。
そんで新郎のとこに辿り着いたらエライ事になった。
もうすごいキス。すごい突然頬にキス。しかも「私からの最後っ屁じゃ!」って囁きながら。何だよ、それ。俺を泣かせたいのか、笑わせたいのか、泣いてやるよ。
それで横見たら新郎がすごい神妙な顔で俺の事見てんの。ホント幸せにしないとぶっ殺す。
正直「男なら余裕持って娘を送り出すぜ!」なんて見栄張らないで素直に新郎を10発くらいぶん殴りゃよかったと思ったよ。
心の底から笑顔で送り出した事を後悔したね。
でも式場出て娘に「お前の世話も大変だったよ!これからしばらくはお母さんとの思い出に浸るぜ。」とか言っちゃってんの。
「お母さん」でいてくれた時間が短すぎて名前で呼んだ事の方が多かったな、翠。
僕はいつも君と一緒にあの子を育ててきたつもりだ。
もう何年かしたら胸を張って君に会いに行きます。誉めて下さい。
60 :
素敵な旦那様:04/11/24 20:38:19
んー、久々に見たコピペだけどな。
娘ネタは反則だぞ!グス
61 :
素敵な旦那様:04/11/25 01:07:49
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
62 :
素敵な旦那様:04/11/25 02:16:36
ええ話や・・・
ウワー うち、父子家庭なんよ。マジ泣けます
でも生理用品は親戚のおばちゃんが用意してくれたし養護の先生も気にかけてくれてたよ。
ってマジレスいらねえよな。ゴメン。
64 :
素敵な旦那様:04/11/25 09:26:07
(´;ω;`)
66 :
素敵な旦那様:04/11/25 10:03:21
泣けますた。。。
67 :
1/2:04/11/25 10:28:14
長いんだが(゚Д゚)ゴルァ!させてください・・・
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら
5 0 万 もはいってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
渡されるとき変だな変だな〜って思ってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ
でもな、ばあちゃん
何やってんですか(゚Д゚)ゴルァ!
50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか?
ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゚Д゚)ゴルァ!
曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゚Д゚)ゴルァ!
金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゚Д゚)ゴルァ!
漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ
四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって
声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
68 :
2/2:04/11/25 10:29:07
医者いってください
整体いってください
頼むから!
頼むから、ばあちゃん!
「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って
医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
「あんたが生きててくれて嬉しいん。
このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
自分どうすればいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
結婚資金どころか相手もいないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんを安心させて喜ばせてあげたいのにそれすらできませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
使えません、使えませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
受け取っちゃったんで返せませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
かえしたらばあちゃんきっと悲しむ
でも返したいですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはどうしたらいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れは悪い孫ですよ
ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ
四年も田舎に帰らなかった自分(゚Д゚)ゴルァ!
帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか(゚Д゚)ゴルァ!
手の骨とかポキンて折れそうですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れにはなんてことのない四年だったけど
ばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ
しんじゃいやだよう
ずっと生きてて漏れに孝行させてください(゚Д゚)ゴルァ!
漏れに背中もませてください
手つないで坂道歩かせてください(゚Д゚)ゴルァ!
ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう!
まだばあちゃんまだ連れてかないでください(゚Д゚)ゴルァ!
次の休みは年末だ(゚Д゚)ゴルァ!
祭りにはいかねえ
田舎に帰るよ
ばあちゃん待っててな(゚Д゚)ゴルァ!
いっしょに温泉行こうな
漏れ少ない給料がんがってためるよ(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
69 :
素敵な旦那様:04/11/25 11:12:14
上
号泣
>>67 コレ読んで被爆3世・・・と思った漏れって最低だな。
整体なぞ行ったら壊れます
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、
そのうちメモリがいっぱいになったらしくてメカ音痴な母は
「ねえ、これ写らなくなっちゃったんだけど…」
と遠慮気味にメールしてきたけど、俺は面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ!
忙しいからくだらないことでメールするなよな!」
と罵倒返信してしまった。
その母が先日事故で亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、
なんとなしに撮ったものを見てみた。
俺の寝顔が写っていた。
涙が出た。
デジカメの使い方を..... うるせー話しかけんな!
J( 'ー,`)し 写らなくなっちゃった..... (`Д) パソコンやってんだよ!
( ) ( ) 説明書読めや!
__
毒 |
家 |
墓 | ∴ ('A`) カーチャン.....ごめん
──┐ ∀ << )
| □
| ('A`)ノ カーチャンの遺品?
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄ デジカメ?
┌───┐
│ ('ー`) │オレの寝顔.....
└───┘カーチャン.....
75 :
素敵な旦那様:04/11/26 07:59:54
83 :可愛い奥様 :04/10/02 07:13:37
うちの母が父が死んだ時には(正しくは静かに動かなくなっていった時)
「勝さん、勝さんってば!私あんたに沢山迷惑かけられたんよ、
これからお返ししてもらわんと困るやないの、ねぇ、勝さん」と言った。
そして
「私にこれからも迷惑かけていいけん、まだ逝かんで!」と言った。
私と姉と兄はただ泣いてそれを見ていた。
。゚(゚´Д`゚)゚。
77 :
素敵な旦那様:04/11/26 10:22:35
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
78 :
素敵な旦那様:04/11/26 11:15:34
俺の嫁はボランティアで公園の桜の世話をしていた、一番好きな花だから。そんな理由
四季にあわせて料理をし、俺に合わせる程度に酒を嗜む、出来た女だった
けど病気にかかりそのまま亡くなった、31歳だった
霊柩車に嫁と俺を含めた家族が乗り込み、公園の横を通りかかった頃
その嫁の世話していた桜が一斉に散りだした、「ブオオオオブオオオオ」という音と共に
最初は風か何かかと思ったが、少し違う。そういえば何かで読んだ事があるが桜は散る瞬間に音が鳴るそうで
それらが互いに共鳴しあいまるで桜が泣くかの如く
そして嫁の父親が「○○!見ろ!桜が泣いちょるぞ!○○!聞け!聞け!」
俺も涙で前が見えなかった、桜色に染まった風景が涙で霞んで朧のような桜、空気が桜色に染まったような錯覚を覚えた
あの風景は絶対忘れられない、すべてが桜色に染まった
あれから二年、今でも桜を見ると耳を傾けてしまう、あの桜の声が聞きたくて
どれもこれも泣ける、、。・゚・(ノД`)・゚・。
俺も、子供出来てから、随分涙もろくなったんだな。
ってか、心暖まる話はないですか?orz
80 :
素敵な旦那様:04/11/27 09:48:32
>>78 忘れられない風景ってあるよな
子供の時見たもの凄い蒼い空とか
泣ける2ちゃんで今日も号泣・・・
82 :
素敵な旦那様:04/11/29 18:02:27
私も(゚Д゚)ゴルァ!させて下さい。
お母さん、家で転んで脳内出血とは何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
いくら軽い麻痺があったからってドジにも程がありますよ(゚Д゚)ゴルァ!
臨月の私のお腹の子、女の子だってすごく楽しみにしてたじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
その子にって不自由な手で刺繍してた壁掛け、針が刺したままですよ(゚Д゚)ゴルァ!
夜中の緊急手術で命を取り留めた時、お父さんとどんなに喜んだかわかりますか(゚Д゚)ゴルァ!
でも一週間後に開いた目はこちらを見ていませんでしたね(゚Д゚)ゴルァ!
気管には管、胃には栄養補給の管、お尻には大きい床ずれが出来ましたね
どこを見ているんですか私はここですよ(゚Д゚)ゴルァ!呼んでも聞こえませんか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
陣痛が来て、同じ病院に入院した時、病室に寄って力を貸してと頼みましたね
お陰で元気な女の子が産まれましたよ
この子を見て下さいよ(゚Д゚)ゴルァ!麻痺した手でもいい抱いて下さいよ(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
もう二年になりますね おおまま大好きってぎゅっしてる娘が少しでも判りますか(゚Д゚)ゴルァ!
お父さんは見る影もなく老けましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
明日もみんなで会いに行きますね
もう二年もお母さんは頑張っているのに まだ生きていて頑張ってと望む私は親不孝ですか
でもお願いです もう少しでいい 生きていて
83 :
素敵な旦那様:04/12/02 04:21:16
なんかさ、生きることって切ないよね・・・
でも、生きているからこそ味わえる事って・・・
うまく言えないけど、ありがとう。
「美人だろ?出会ってから毎日思ってたよ。なんて綺麗な女だろうって。」
棺に横たわった母の傍らで父が私に言った言葉。
85 :
素敵な旦那様:04/12/02 10:03:03
素敵ですね。。。
86 :
素敵な旦那様:04/12/02 11:20:23
モルァァァア(#゚Д゚)
職場での休憩時間に読んでて、おもっくそ泣いてたら先輩に「えっ!?」って思われたじゃねーかー!(#゚Д゚)!!
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ、ってアレ。
禿泣
「美人だろ?出会ってから毎日思ってたよ。なんて綺麗な女だろうって。」
棺に横たわった母の傍らで父が私に言った言葉。
「お前はお父さん似だからなあ、、」
45 名前:名無しさん脚:03/11/20 01:38 ID:bgufB06L
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
89 :
コピペ:04/12/06 03:27:33
先日、一人でテレビを見つつ、酒の肴に鍋を食べていた。
自分なりに、見切りのアラとか、そこそこ野菜も贅沢した上で満足して
ハフハフ食べていたとき、なんか思い出したことがあった。
あれは、俺が中学一年の頃、父が亡くなって半月ほど経った日だった。
それまでバタバタ非日常の日々を送っていた母と俺、そして弟がやっと
落ち着いてコタツを囲んで鍋を突付いてた日のことだった。
確かあの日も、近所のスーパーで魚のアラが安くて、母が買ってきて
鍋にしよう、と言ったんだと思う。父の飲み残した酒を「もう飲まないから
いいよね」と母がどぼどぼ鍋に注いで、ああ勿体無いなぁと話したのを
覚えている。
ぐつぐつ煮立っている音とは別に、弟がいきなり泣き出した。ほんとうに
突然泣き出したんだ。俺はそれをすごく女々しいと思い「お前が泣いたら
お母さんが泣いちゃうだろ。泣くな!」と強がって言ったけど、そうしたら、
今考えてみたら当たり前だけど、母も泣いちゃったんだよね。つられて
俺も泣いた。わんわん、三人で泣きながら鍋を食べた。
ふと思い出したことだけど、あれは家族の情景というにはあまりに過酷で
切ない思い出だった。今の俺には、その切ない思い出を共有できる人が
居ない。それもとても寂しい。
90 :
素敵な旦那様:04/12/06 05:47:21
。゚(゚´Д`゚)゚。
91 :
素敵な旦那様:04/12/06 05:50:44
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!!
舅が亡くなる10日程前に見舞いに行った旦那の話
自宅でという希望で、舅は自宅介護されていたんだけど
旦那が、見舞いに帰省していたので、久しぶりに家族4人(舅姑旦那弟)で
レストランに食事に行ったそうだ。
自分自身は、殆んど食べられる状況では、無かったらしく
それでも、他の家族が美味しそうに食べているのをニコニコ見守っていた舅
そして、会計に行き、もう既に脳障害が現れていたらしく
簡単な計算もできず、レジの前で戸惑っていたんだと
そして、「何か頭悪くなったなぁ・・(~ー~;)」と一言照れ笑いをしたらしい。
その話を私の妹にしたところ、妹が「義父さん可哀想・・・」と号泣
二人で、一緒に号泣してしまった。
私は舅と仲良かったのだけれど、子供も小さく、遠距離だったため
亡くなる前は、殆んどお見舞いにいけない状態だったが
無理しても行けば良かったと後悔した。
昼休みに見るスレではなかったな…
95 :
コピペ:04/12/08 01:33:13
3年前、妻と長女が事故で他界しました。
先日、次女が7歳の誕生日を迎えました。
早く仕事を切り上げて帰宅し、
次女と2人で妻と長女に誕生日の報告をした時の事です。
次女が長女の遺影に向かって、
「ゆうちゃん(長女)は6歳だから、今日からは、さや(次女)がお姉ちゃんだね。」
と言ったとき、涙を堪えきれませんでした。
ミチエへ
年上の君に、「もうすぐ三十路だね。」などとからかっていましたが、
僕の方が先に三十路になっちゃいました。
年下の夫で頼りなく思っていたかもしれませんが、
年上になった今、少しは頼もしく見えますか?
さやは君そっくりに、たくましくしっかり者に成長しています。
ゆうちゃんと2人で、安心して見守っててください。
良スレすぎだ。泣いた。
97 :
素敵な旦那様:04/12/08 12:20:40
あまりに素晴らしいスレで
涙が止まらんぞ!!(TДT)ゴルァ!
あかん……目薬さしてごまかさんと…。
99 :
素敵な旦那様:04/12/08 13:55:58
通りがかりの鬼女ですが泣きました。
某板の嗚咽スレが荒れてるから、ここは上手く育って欲しいね。
101 :
素敵な旦那様:04/12/08 14:30:44
禿泣きでage
つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
こうカキコ多いと自演と思ってしまうが
103 :
素敵な旦那様:04/12/08 14:56:06
つまらん
>>102 別に実害があるわけでも無し。
真実が分ったところでどうするものでも無し。
今、見てきたスレでイイ話があった
俺とかぶる ↓
507 名前:素敵な旦那様[sage] 投稿日:04/12/09 00:48:27
>>505 3連休か羨ましいよ
俺なんか、仕事が忙しくて週一の休みでいっぱいいっぱい('A`)
でさ、連休も何年も無いんだよ・・・結婚してから旅行も一回も行ってないし(休みないからな)
今年の誕生日にプレゼント何がいい?って聞いたら
「5年くらいプレゼントいらないから1週間旅行に行ってみたい」って言われた。
結婚する時、「結婚したら毎年旅行に連れて行ってやる」って何回も言ってたんだよ。
で、俺も馬鹿だから誕生日に「今年は旅行に行きましょう」って書いたカードだけ渡したんだよ
そしたら嫁の奴、喜んで泣いてやんの・・・でも、もう今年も終わるんだよな
誕生日以来、旅行と言う言葉を言わなくなったんだけど、やっぱり休みが取れそうにないから
「旅行行けないかもしれないから、友達と旅行行ってくれば?」って言ったんだ。そしたら
「二人で行くんじゃないなら、意味が無いので行かない。旅行に行こうって言ってくれたのが嬉しかったから、それだけで満足よ」
だってさ。ごめんよ嫁。
小学4年の時に母が死んだ
小学6年の時に北海道から東京へ転校
中学の時は片親しかいないことでイジめられた
高校では父が一時過労で入院、晩御飯が食えないことはよくあることだった
大学生になった時、はじめて恋人が出来るが父が発病、病気の関係から入院し
恋人どころではなくなったので別れた
翌年、車にはねられ足を骨折
父に心配かけまいと病院から電話して毎日元気だよと言った
3ヶ月後父は病状が回復し退院、その1ヶ月後に自分が退院
退院して家に帰ると父がいなかった
次の日の朝、父は帰ってきた
「すまない時間がかかった」父はそう言ってスーパーの袋から高級な肉をどさどさ出した
びっくりした、最初は正直盗んできたのかと思ったがちゃんと買った物だ
僕が疑っていたのを知っていたかのように購入した証拠のレシートを出した
次に親父に殴られた
入院していたのを黙っていたこと、そして親父は言った「俺を殴れ」と
こんな頼りにならない親父だ、お前は俺を殴る権利がある
お互いに殴り合い、疲れたところで肉を焼いた
ごはんと肉と野菜の簡単な組み合わせだったけど、とても美味しかった
時計を見ると午後8時だった
同時に親父も時計を見ていた「もうそろそろか」と親父は言った
何がもうそろそろ何だ?と聞いたら「すぐ分かる」と親父が言った
10分ほどしてインターホンが鳴った
親父が出ろと言うので、玄関のドアを開けてみた
すると恋人がいた。泣いてた。俺も泣いた。親父だけが笑ってた。
それから現在に至るまでずっと楽しい生活を送ってる。
この親父さん格好良過ぎ。
凄いな、親父。
穴兄弟ってオチじゃないよな。
110 :
素敵な旦那様:04/12/09 08:39:40
夫婦の幸せだねぇ
111 :
素敵な旦那様:04/12/09 08:40:02
コピペだけど
今日の寝言:あげませんっ!
あまりに大きな声だったので、となりで寝ていた私は起きてしまった。
夫の顔を見ると眉間にすごーい縦じわを入れているのでいい夢では
なさそうと思い、起こしてみた。どんな夢を見ていたのか聞いたら、娘
の彼氏が「娘さんをください」と言ってきたのだそうだ。をいをい。うちに
娘はいないでしょ。先日はなしあった赤ちゃん計画のせいか? 気が
はやすぎるよ
カワイイ。
113 :
素敵な旦那様:04/12/10 08:57:44
>>112 じゃあsageなさい!!
って思ったの漏れだけ??
他にいい話ないですか?
「五年後に手紙を届けます」と銘打った博多南郵便局(福岡市)の
「タイムカプセルポスト」に夫婦で応募した福岡市東区和白丘、無職
坂本恒子さん(59)の元に二十日、五年前にがんで亡くなった
夫、薫久(のぶひさ)さん=当時(58)=の手紙が届いた。
薫久さんは投かんした二カ月半後に他界した。「これからの人生の支えに
します」。手紙を手にした恒子さんのほおに涙が伝った。
「5年後のいとしいきみへ」。そう書き出された便せんには約百三十の
文字が続く。衰弱していた薫久さんの文字は、筆圧が弱く、所々乱れて
判読できないが「五月は小樽に行き、六月はダービーに行きましょう」と
希望がつづられていた。
坂本さんは手紙を読んで薫久さんの笑顔や声が間近に感じられた。
「幸せな結婚生活でした。生まれ変わっても、また結婚しましょうね」。
亡き夫にそう呼び掛けたという。
タイムカプセルポストは博多南郵便局の開局百二十周年を記念して企画。
郵政記念日のこの日、二百七十四通が配達された。薫久さんは、九八年
十二月、末期の肺がんと診断され、闘病中に妻あての手紙を投かん。
九九年七月に亡くなった。
悲しいが良い話だ。
119 :
素敵な旦那様:04/12/14 15:07:59
そういやテレビで見たな
120 :
素敵な旦那様:04/12/14 22:10:19
生まれ変わってもまた結婚しましょうね、か。
…
やっぱやめた。
test
122 :
素敵な旦那様:04/12/14 22:45:39
今だったら本当、捕まってるぐらいの暴力親父。
テレビの世界にだってこんなヤツいないよってぐらいにうっとうしい親父だった。
母は耐え切れずに俺と兄貴を置いていったらしく、物心ついたときにはいなかった。
くる日もくる日も殴るける。灰皿を投げつけられて病院行った事もあった。
中学何年生かは忘れたけど、大喧嘩して家を出てったの。女つれこんでるのは
知ってた事だったから親父は俺を探そうとしないだろうから嬉しいのか悲しいのか
複雑な思いでふらついてて結局友達の家に一日だけ泊まって帰るという約束で
入れてもらったんよ。でも、その夜、親父が知るはずもない俺の友達の家にとびこんできて
何もいわずに俺を引っ張ってつれて帰ったの。
そのときはやっぱ「またブン殴られるのかな」「また病院逝きかな」「今日で俺死ぬのかな」
とか思ってた。
ところが家に帰っても何も言わずにずっと黙ったままで。
んで気まずくて息もできないくらいで早く時間過ぎろって思ってて。
そしたらいきなり「俺が死んだら泣いてくれるか」なんて言ってて「はぁ?」
って風にしどろもどろしてたの。んで淡々と今までの事とか親父の子供のころとか
喋って、最後に「今までごめんよ」って言って。その間俺身動き一つできなかった。
何をいきなりこんな事言ってるんだって。親父が憎いとかそんなこと思う余裕なくて
考えてたの。もちろん兄貴も話を聞いてたらしくて後から話し合ったけど、結局わからなくて。
その三日後に親父が死んじゃったの。ほんとにコロっと。病院の先生からよれよれの
手紙を手渡されてね。兄貴と二人でよんだ。ひたすらに謝ってる手紙。
アルコール中毒で手も思うように動かせない汚い字で。
その手紙の最後に「玄関の梁の下に酒がある。あと十年後、おまえ達が大人になったら
俺の仏壇の前で飲んでくれ。」って書いてあった。
その時なぜか涙が出て、恨みこそすれあんなに殺したがっていた親父が
死んじまったって。
明日、ちょうど約束の十年目。兄貴は俺が十八のときに肺炎で死んだ。
一人身の俺は明日、三人で酒を酌み交わす。
小学生の時、両親が共働きで所謂「鍵っ子」だった俺。
風呂を洗っておいたり、玄関の掃除をしなくてはいけなかったので友人達とは中々遊べなかった。
ある日親父が仕事から帰ってきた時にFC本体と「ドラクエ3」を買ってきてくれた。
仕事から帰ってきた両親と夕飯を食った後3人でそれをやるのが俺の最大の楽しみだった。
中学生に上がって反抗期を迎えた俺は毎日両親とケンカばかりしていた。
ある日いつもの様に両親とケンカになり消防の時買ってもらったFCと唯一のカセット「ドラクエ3」を投げつけた。
その時はなんとも思わなかった・・・・。
中学卒業後、俺は高校にいかずペンキ屋に就職する事になった。両親は中学卒業前に既に離婚していた。
俺はどちらにもついて行かず父方の祖母の家に祖母と二人で住む事になった。
現在、祖母の家に住み始めて7年目。
先日祖母に頼まれて物置を整理していた。
奥の方にボロボロになったダンボールを見つけたので中を開けてみた。
そこにあった物は粉々になったFC本体とカセットの中身が剥き出しの「ドラクエ3」。
不器用に接着剤で修理しようとした痕がみられるが修復出来なかったらしい、・・・俺達家族の絆と一緒だ。
おいおい、プレステがある時代に「ドラクエ3」かよ、と思った。
だが心とは裏腹に「ドラクエ3」がやりたくなりニューFCを買ってきてTVと繋げ電源を入れてみた。
懐かしい。勇者の名は俺の名前、戦士に親父、僧侶にはお袋の名前。3人パーティでプレーしてたのだ。
忘れ様としていたあの頃の思い出が頭を駆け巡り涙が止まらなくなった。
3人パーティはイシスの町で止まっていた。クリアは当時の俺には難しくて出来なかったのだ。
父母とはあれから会っていない。今どこで何をしているのかも知らない。
そして俺は今ドラクエ3をやっている。なんとしてもクリアしたくなったのだ。
もちろん4人目は入れない。3人パーティでだ。
懐かしいやつだな。
某板の某スレは壊滅状態。
このコピペが張られてた頃はよかったなぁ。
126 :
泣ける2ちゃん から:04/12/16 11:35:53
609 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/01 17:31 ID:c.nPTq2A
我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。
ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」
その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。
買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。
これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。
あーダメダ。本当にうるうるする。
元気がないとき、なける2ちゃんねるを見る。
そうすると忘れていた気持ちを思い出してがんばれる。
128 :
素敵な旦那様:04/12/16 11:58:41
>>127 このスレが良スレなのは同意だが、
>元気がないとき、なける2ちゃんねるを見る。
>そうすると忘れていた気持ちを思い出してがんばれる。
なんか悲しくないかい?
今から13年ほど前の話
ちょうど俺が大学受験の時に
ずっとに幼馴染が死んだ。
交通事故だった。
そいつは俺よりも頭が良くて
俺よりも社交的だったのに
俺が中学のとき、苛められて
登校拒否になって
自殺すら考えてた時に
あいつはわざわざ学校のプリントや
授業のノートを持ってきてくれてた。
いじめがきつくて
本当に死にたかったとき
あいつのノートに1枚のルーズリーフが入ってた。
「負けるな」
ルーズリーフにデカデカと
ただそれだけ書いてた。
そのおかげで、俺はなんとか立ち直って
今に至ってる。
あいつには感謝してる
ただ
後悔してるのは、ありがとうって
言えなかったことだ
130 :
素敵な旦那様:04/12/16 12:32:27
いい話だが夫婦ネタでも家族ネタでもないところがおしいところだ
その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。程なく恋仲に。
あるとき、
「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち。」
と告白された。本人は死ぬ気だったらしい。
迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのなら、と方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術に
こぎ着けた。
どきどき。
成功した。うれしかった。術後も良好。でも、子供は無理。
受胎しないだろう、と言われた。
当然、親同士は結婚に猛反対。オレの親は勿論、向こうの両親も。
無視。
無視し続けてもなを、説得も続け、6年掛けてやっと挙式/入籍。
10年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、妊娠できたのなら出産は問題ないだろう、
「挑戦しましょう。」
おまい、オレの女房だぞ、オレの子供だぞ、大丈夫なんだろうなぁ。
どきどき。
無事出産。3,000g 元気な男の子。
あまりに嬉しくて、2寸ほど、宙に浮いていた。
半年後、かみさんに似たような心臓障害発覚。成長しないだろうってどういう事?
「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう。」
かみさんの執刀医の紹介で小児心臓外科の先生にお願いする。
十年待った一粒種、殺すなよ。頼むから。
どきどき。
成功した。これ以上ないくらい。
あれから15年。
ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父。」憎まれ口を聞く、ちょっと小振りな男子高校生が居る。
さえないサラリーマンの普通の一家がある。
かみさんにも、せがれにも言わないが、
幸せを噛みしめている。
135 :
素敵な旦那様:04/12/16 14:20:18
いいねぇ
なんか久しぶりにドキドキしながら読んでしまったよ。
137 :
素敵な旦那様:04/12/16 14:31:24
いい!
いいな。こういう幸せはいい。
一気に読んじゃったよ。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。うわぁ〜ん
久々に泣けた。
くだらない罵りあいばかりのスレが乱立する中
このスレに出会えて・・・良かった。
>131-134
ハッピーエンドで泣ける。良い。
という事で、あげ。
141 :
素敵な旦那様:04/12/16 18:33:16
>>134 ハッピーエンドでホントに良かった。
安心して涙が出たよ。
142 :
暇な旦那様:04/12/17 03:45:49
身の回りで色々騒動が起きてるが、自分もこのスレに
描けるような良い人生にしたいなぁ・・・
では、問題にも本腰いれてくるよ!
感動をありがとですw
良スレsage!
いいね〜
ヽ(`Д´)ノageッテンノ?sageッテンノ?ミンナハッキリ逝ットケ-!!
145 :
素敵な旦那様:04/12/17 12:52:03
命日
あなたは幸せですか?お母さん
38年という短い生涯の中で
私を産み落としたあの日から
幸せでしたか?お母さん
あなたが嫌いでした、お母さん
小さい頃から大嫌いでした
この世に生まれてきた事が
辛くて辛くて 死にたくて
あなたと過ごす毎日が
全部消されてしまえばいいと
暗い部屋の片隅で
ナイフを手首でひいてみたり
首にリボンを巻きつけて
布団の中で泣いたりもして
でも死ねなかった 死んだのは
お母さん あなたでした
あの日私は泣きました
びっくりするほど大きな声で
いつまでも涙がこぼれて
大好きだったと気づきました
子供を育てるよりも遊んでいたい
あなたの口から聞いた言葉です
男と喧嘩するたび私を
サンドバックにしたのもあなたです
あなたを憎んで流した涙を
あなたを憎んで生きてきたあの頃を
何故だか滑稽にも思えてきて
あなたを愛しているのです
あなたの命日がまたやってきます
天国は住みやすいですか?お母さん
あなたの分までとは言わないけれど
私なりに生きる道、見つけました
あなたのお墓に飾る花
今年はデンファーレにしましょう
あなたが好きでいつも飾っていた
あの花を持って行きましょう
ひとつ年を重ねる毎にお母さん
あなたが恋しくてたまらなくなります
あなたに逢いたいですお母さん
あなたを抱きしめてあげたい
お母さん
146 :
素敵な旦那様:04/12/17 12:52:27
おかぁさんの夢を見た
まぐろのお寿司をいっぱい並べて
「食べなさい」と言ってくれた
にこにこ笑っている母は
淡い色をしていた
生きてる時は見れなかった笑顔
しょっちゅう喧嘩ばっかりで
いい思いでひとつ作れなかったね
おかぁさんが生きていた時
最後に「ごめんね」と言ってくれたけど
私はどう答えたらいいのか
わからず笑ってごまかした
あのね、おかぁさん
私、お寿司あまり好きじゃないんだよ
言いかけて目が覚めたら
涙が溢れていた
夢で優しくしてくれた母への感謝と
私の好物さえ知らなかった母への怒りと
甘くてしょっぱい涙
今日の夢は65点くらいかな?
今度夢に出てくる時は
もうちょっとゆっくりしていってね
今まで出来なかった事 ひとつづつ
例えば手をつないで歩いてみたり
小さな事から始めてみようよ
あの時いえなかった「ごめんね」が
言えるように私 頑張るから
147 :
素敵な旦那様:04/12/17 12:52:49
死んだら
死んだらどうなるの?ママ
保育園に現れたという「センセイ」は
本当にママなの?
幽霊になるの?ママ教えて
魂は残るの?わからない
わからないよう
ただの無になりたい
そこに存在してなかったみたいに
無になれれば一番いいのに
そしたらもっと自分勝手に
そしたらもっと自分勝手に
生きていけるのに・・・
口が達者だからと言って
あたしを苦しめる大人達
口が達者だからといって
自分を守れるわけじゃない
肩肘張って生きていくのは
もう、やだ
誰かに甘えたい
ママ、答えて
幽霊でもいいから
あたしに会いに来て
あたしを小さな子供のように
抱きしめて下さい
148 :
素敵な旦那様:04/12/17 12:53:24
ねぇ、おかあさん
ねぇおかあさん
あたし、もう一度だけ
おかあさんに報告があるよ
聞いて欲しいな
今日までの事
おかあさんと離れ離れの日々
抱きしめてもらった記憶
一番最後はたしか。。
7年と1ヵ月前
「自分の為に生きなさい」
「ずっと悪いおかあさんでごめん」
「好きだよ」
あたしにだけ不器用なおかあさんの
最初で最後の優しい言葉達
胸に抱いて眠るよ
へへっ
瞼が重くなってきたから
報告は夢の中でするね。。
だからあたしに逢いに来て
もう一度だけ抱っこされたい
貴女の子供だって感じていたい
おやすみなさい
>>148 なけるというよりこわいな
思い込みが強くて
嫁にはしたくないタイプだ
連投ポエムはなあ…
151 :
素敵な旦那様:04/12/17 13:33:29
へへっ
体重が重くなってきたから
騎乗位は夢の中だけにしてな
嫁よ
152 :
素敵な旦那様:04/12/17 13:35:01
(;゚д゚)ァ....
154 :
素敵な旦那様:04/12/17 14:00:56
151(ワラ
155 :
泣ける2ちゃん より:04/12/17 15:35:10
72 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/04 03:51 ID:4/Y1aaQ+
自分が幼稚園に入った頃から母が入退院を繰り返していた。
結局、卒園一ヶ月程前に母は亡くなった。
数年後、母は高齢出産で自分を産んでいたのを知った。
何気なく「母ちゃん死んだの、無理して俺生んだからかな・・」と呟いた所、
父にブン殴られた・・普段は物静かな父がこの時は凄く怖かった。
なんかジーンと来た。思わず殴ってしまった父親の気持ちが痛いほど分かる。。。
天国のあなたへ 柳原タケ
娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。
三二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは三二歳の青年、私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、おまえはどこの人だ、なんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり甘えてみたい。
あなたは優しく、そうかそうかとうなづきながら、慰め、よくがんばったねとほめて下さいね。
そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。
春、あでやかな桜花
夏、なまめかしい新緑
秋、ようえんなもみじ
冬、清らかな雪模様
など四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対にはなさないで下さいね。
。゚(゚´Д`゚)゚。
昨日の夜。年末だし仕事も超忙しいし残業続きだし、
普通に午前2時に帰宅、いつもどおりだよ。
テーブルの上の冷めたおかずがいつもより少しリッチだった。
ボーナス出たばっかしだしな、
でもあんま飛ばして使うとすぐなくなっちゃうぞー、
オレの稼ぎは少ないぜぇー、
かなんかブツブツ言いながら食って、風呂入って、ビール飲んで即寝。
今朝、しょんべんで目が覚めたら
オレの横でまだ寝てるかみさんの枕元に、花一輪。
摘みたてっぽい、なんかわからんけど、とにかく花だ。
なんか供えてあんの。
なんじゃこりゃ、と思いながらしょんべん行って
二度寝する前にリビングで、我が家で一番の早起き小僧に
「かーさんの枕元に花置いたのお前か」ってきいたら
犬の散歩の途中で近所の人に
「かーさんにあげたいので一輪だけ下さい」って貰ってきたんだと。
「とーさん、好きな女の誕生日には、花ぐらいあげなきゃだめだ」
ってマジ顔で言われた。
「あの花、とーさんから、ってことにしといてやるから。」って。
昨日、かみさんの誕生日だった。
・・・・・わすれてた。。。。。
小4の息子、生まれた時なんか3キロなかったんだぜ、
あのチビスケがオレに貸し作りやがった。
嬉しいやら情けないやらで、朝からなんだか涙ぐんじゃったよ。
オレ、今日、ケーキ買って早めに帰るよ。
。・゚・(ノД`)・゚・。
えぇ話や・・・
そんな子供に育ててくれた嫁に感謝しなはれ。
。・゚・(ノД`)・゚・。
>>158 コピペかな?
もし実話だとしたら…
いいお子さんですね。きっとあなたと奥様の
育て方が良かったんでしょうね。
丸々実話なのよコレが。ちょっとオレ情けないオヤジだよね。
摘みたての花一輪ポロンと枕元、なんて
大人は、やんないじゃない。そんなの、オレじゃないってモロバレじゃん。
バレないって思ってるガキっぽさと、
そんな息子に男の道を説教されたってアンバランスに、
なんかこうグッときちゃってさー。
あんなまっすぐな目、最近オレ、してないなぁってのにも
こう、グッ・・・と。
オレね、子供とかあんま好きじゃなかったの。
なんかめんどーくさいじゃない?とか思ってて。
で、あんまかかわってこなかった。
最近さ、息子とこーいうことっぽいの、なんか多々あるんだよね。
そのたびに、男として、とか、人間として、とか考えさせられてさー
子供持って良かったよ。かみさんと結婚してほんと良かった。
お!定時だ。ケーキ屋に寄って直帰するわ。
163 :
素敵な旦那様:04/12/17 17:41:51
>158&162
おぉ。リアルタイムのお話なのか。
仕事、乙。ちゃんと嫁に「おめでとう」と真っ直ぐに言うんだぞ(笑)
良い息子だ。うちのちびもそんな風に育ってくれるかなぁ・・・。
134 144 04/03/16 00:28 ID:DSvEHCFQ
萌えたとゆーより泣けたんでコピペ スレ違いだったらスマソ
【さようなら】別れのSEX【これっきり】220-230から抜粋
ttp://wow.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1075769792/220-230 妻のことが大好きだった。可愛くて性格もよくて結婚できた時は天に上る気持ちだった。
ひとつだけ、身体が弱かった。日本で百数十人という事で病名は支障があって書けないけど、
症状が進んで心拍が上がると危険な症状、日常は静謐にしてなきゃだめ。
妻の容態が大事でセックスしたいなんて思ってもいなかった。
幾度か入退院。薬の副作用で隠部が感染化膿。最期の入院の三日前、実家に行って一日
帰ってこなかった。あとから妻の両親にきいたが激しくもめたらしい。
もしもの場合の別れを両親に告げて、私の元に帰った妻は、入院の前の夜精一杯綺麗に
化粧して、それまで二年間、病んだ心臓と肺を気遣って彼女を抱かなかったオレに詫びた。
そして、こんど入院したらもう二度と、妻として、恋人としてオレに何もできないし、
してもらえなくなる。今夜ショックで死んでも構わない。抱いて欲しいと言った。
135 144 New! 04/03/16 00:29 ID:DSvEHCFQ
性欲はこれっぽっちもなかった。ただ、心は激しく互いを求めいたと思う。
静かに、妻の身体に思い出を織るように愛し続けた。キスをしたまま彼女の下肢に射精した。
「ふみ(妻の名)元気になったら、いままでの分、いっぱいしてね、毎日二回も三回もするからね」
救えない悲しみは涙は出ないで、息が詰まる事を知った。オレも妻も、最期の別れの
セックスということは分かっていた。
2ちゃに迷いこんでスレタイトル見て、これまで、誰にも話さなかっことだけど、書いてみました。
あの日のことは、全て完璧に覚えてますね。ただ、その記憶の中の妻は、病にやつれた姿ではなく、
初めて会って恋に落ちた時の美しいふみなんですよ。 無理してでもセックスしてよかったんだろうと思います。
私の心の一番奥にしまってある宝物です。
翌日入院して10日あまりで、一度も好転しないで妻は死にました。早いですよ、
あれから6年たちました。母親のことなにも覚えてない娘も三年生。分かる年頃になったら話ていいのか?
いや、やめときましょう。
158のとこの坊主、いい男だなぁ。
自分の息子だからってなめてかかると嫁とられるぞ。
子供だからってなめてかかると大事なこと忘れちゃうぞ。
自分も子供好きじゃないけど、あいつら時としてとんでもない光を放つんだよな・・・
>>164 スゲーいい女だな
。・゚・(ノД`)・゚・。
亀すぎてわるいが
>>2 男と男ってあれだよな
泣ける
人が死なないいい話がいい
上の誤爆スマソ
>>158 今までで一番きた
いい話だな
高校を卒業後、専門学校へ進学し初めての正月を迎えてすぐ
親父の勤めていた会社が倒産した。
正直、まだ遊びたいなんてふざけた理由で進学を決めたので
学校に対する未練はなかったが、「学費とか大丈夫なのか?」
と聞いたら「大丈夫だ。ちゃんと卒業することだけを考えろ」
と言われたので、それを鵜呑みにしてそれまで通りの生活を続けていた。
その後、卒業、就職を経て無事やさしい嫁を貰うこともできた。
結婚式の時、妹が「おめでとう、お幸せにね」といって3万のご祝儀をくれた。
そして先月、そんな妹の結婚式があった。
司会のおっさんが読んだつり書き?(新婦は○○中学校を卒業して〜とかいうやつ)
で、初めて事実を知らされた。
小さな頃から教師になりたいと言っていた妹は、大学へ進学していなかった。
もともと凄く頭が良く高校でも成績はトップクラスだったのに。
母親に聞いたら、当時、国立の特別推薦が決まっていたが
会社の倒産で、二人分の学費は出せないだろうと入学を辞退し
市内の会社で事務員をして働き、俺の学費を出してくれていたらしい。
その頃の俺は半引きこもりで、家ではほとんど口もきかず
家族が何をしているかなんて気にもしていなかった。
情けないことだらけで、式の途中からトイレにこもって泣いた。
どうして学費のことを深刻に考えなかったのか
どうして妹が働いていることに気がつかなかったのか
一度だって、妹から学費のことや仕事の愚痴を聞いたことが無かった。
お前は、俺の結婚式の時、お幸せにと言ったが
お前こそ幸せになってくれ。
こんな苦労かけっぱなしの兄ですまんかった。
173 :
素敵な旦那様:04/12/19 13:59:24
ばか
おまえが幸せにしてやれ。
また人任せかよ。
174 :
素敵な旦那様:04/12/20 08:53:56
> その頃の俺は半引きこもりで、家ではほとんど口もきかず
> 家族が何をしているかなんて気にもしていなかった。
ネタにマジレスもカコワルイが・・・
気が付かないにも程がある
175 :
素敵な旦那様:04/12/20 11:38:48
>164
最後の2行がそれまでの良い話を「あれ?」と思ってしまうなぁ・・・。
ネタなんだろ?
>172
確かに気付くのが遅すぎの馬鹿だが、今後は嫁とその妹に対して最大限の幸せを
与える事がこの男の義務だろうなぁ。
176 :
素敵な旦那様:04/12/20 17:58:55
夕飯を食べている時に、テレビを見ていて幽霊がいる、いない、みたいな内容でした。
そんな時に旦那さんが「じゃあ、どちらかが先に死んだら枕元に立てるか試してみよう」と言いました。
死んでからも会える、会いに来てくれると思うと胸が一杯になりました。
涙ぐむ私に気が付くと、彼はビックリしていました。
今年結婚10年目、でも大好き。
( ゚д゚)ポカーン
次行ってみよう♪
>>177タン、
>>176でジーンときちゃったぞ、俺。
おかしいかな? おかしくないよね・・・
176は旦那が死んでも旦那を失わない方法を見つけたんだぜ。気持ちの上で、だけど。
つうかこの板って気団の板でしょ?
わざわざ鬼女が出張して自分に酔ってるスレは
迷惑だし読んでて不愉快。
180 :
素敵な旦那様:04/12/20 19:19:04
176です。
不愉快か。
失礼しました。
迷惑に思う人がいるなんて想像もしてなかったよ・・・orz
気団板なんでね。
183 :
素敵な旦那様:04/12/21 09:33:14
〜鬼女の皆さんへ〜
鬼女板に出没してる男のレスが空気読めてなくて迷惑に感じてる人も多いでしょう。
こっちだって同じなので、お互いロムるだけにしましょう。
注意しても書き込む馬鹿がいるのは、お互い様ですが、
この良スレを荒らさないで下さい(荒らすつもりでなくても、荒らしてるのです)
うちの嫁もここを除いてるかも知れないから言っておく。
分ったな、読むのはいいが書き込むな。後、俺が納豆が好きだからって
ラーメンのトッピングに納豆を乗せるのは止めてくれ。
おーい、なんか変なのが紛れ込んだぞ〜
流れ読めないカオナシだな〜
気団って言いたいだけちゃうのかと小一時間(ry
185 :
素敵な旦那様:04/12/21 09:39:16
>>185 しーっ!
そういう子供みたいな事しないの!メッ!
>>183 この良スレを荒らさないで下さい(荒らすつもりでなくても、荒らしてるのです)
>183
でも、最後の3行にはワラタ
じゃ、次の人どうぞ↓。
189 :
素敵な旦那様:04/12/21 16:40:46
うちの嫁は潔癖症。かなり重症。よく言われるような電車のつり革も持てないタイプ、
実家での鍋は絶対にキャンセル(別に俺の親と仲が悪いわけじゃない、自分の親でも
同じ鍋は嫌だそうだ)
で、キスするまで付き合って3年かかった。
キスからセックルまではそう時間はかからなかったが、やっぱり潔癖、いわゆるマグロ。
色々と不便なことも多いが、俺が嫉妬心が強いので潔癖な嫁は助かる、浮気の
ハードルがかなり高いからな。安心感あるし。知らん奴としゃべるのも苦手だから。
で、そんなことはいーんだが、
結婚5年たってもフェラしてくれないので、この前、溜まりかねて延々と説得した。
「キスできるのにチンコをくわえられないのはおかしいだろ?
チンコそのものが嫌なら仕方がないと諦めも付くが、
オマエはチンコは嫌いじゃないじゃん?ションベンするところだから咥えられないと言うが、
たった今、風呂に入ったばかりのこの清潔チンコの何処に
ションベンが付いてんだ?キスが出切るなら咥えられるはずだ。
口なんて痰が絡んでたりする喉の玄関だぞ?鼻水とも繋がってんだぞ?
オマエは痰や鼻水の少しは口に入れてるはずなのに、何故洗ったばかりのチンコが
嫌なんだ!こっちの方がずっと清潔だろうが!」・・と。
後日、嫁はキスもさせてくれなくなった。俺、浮気してもいいですか?心がジーンとしてます。
190 :
素敵な旦那様:04/12/21 16:47:53
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
>>189 ジーンとした ・゚・(ノД`)・゚・
>189
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
イ`
・゚・(ノД`)・゚・。オマイは悪くない、でも浮気するな。いや、してもいいかも。
兎に角、確かにジーンとキタ。
>>189 ドッギャーン!!
行け;っ!
>>189!!!!
お前に、ソープへ行く事を許可するっっっっ!!
ジーンじゃねーだろ!って一瞬思ったけど、確かにジーンとする話だな。
(・∀・)ィィョィィョ-
奥さん精神科に通わせて方がいいかも。
別にフェラがどうとかじゃなくて、今度子供が生まれたり(既に居るかも知れないが
やっぱり潔癖症って病気だと思うよ。
ジーンとしたからマジレスしたんだぞ。あ、あと浮気はすんなよ。もっとヒドイことになるから。
上手くやれるならいいけど、君は無理そう。<褒めてんだ。
>>189 嫁はクンニさせてくれるのか?潔癖症の人は自分が舐められたりする分は平気なのか?
興味本位な質問でスマンが。
>>189 浮気なんかしたって虚しいだけじゃネーノ
おまいさんは嫁が好きで嫁にフェラしてほしいんでネーノ?
嫁への愛情を間違うなよ
まーフェラの快感だけほしいなら病気に気をつけて発散してこい
でもできなさそうなタイプだな
オマイラ、ありがとな。色々とレスくれて。マジでこんなにレスもらうとは思ってもなかった。
心配してくれた人もいるけど、俺は浮気は多分できねーよ。ありがとな。
俺は臆病だから、リスク考えると恐いんだよ。それにモテねー癖にソープとか苦手なタイプなんだ。
下心とかバリバリにあるんだけどさ。
今までセックルしたのなんか3人しか居ねーし<嫁含む、しかも俺33歳。
女をよく知ってるわけじゃねーからAV見過ぎかもしんねえし、別に嫁のこと好きだから
これでいいんだよ、いいんだよ、いいんだよ、いいんだよ・・・うん、いいんだ!
ただ、キスもさせてくれなくなって、心がジンジンしてんの。高望みしなけりゃ良かったな。
もうフェラなんてしてもらえなくていいから、キスくらいさせてもらえる良い言葉ないかな?
今、改めて考えたら潔癖症の奴に痰とか鼻水とか言ったの、俺本当に馬鹿だよな。ハァ。
馬鹿だけど皆を笑わせてくれたのでGJ
>>202 あなた、いいひとだね。
> 俺は臆病だから、リスク考えると恐いんだよ。それにモテねー癖にソープとか苦手なタイプなんだ。
それは「臆病」なんじゃなくて、「思慮深い」んだと思うな。家族のことを考えたら、
そんなことできないもんね。
うちの嫁は潔癖症ではないんだが、ディープキスが大嫌い。舌を入れようとすると、
いつも顔を背けるようにして逃げてしまう。でも、「ちゅっ」程度の軽いキスなら大丈夫。
だから俺は質より量で、一日に何度も嫁に軽いキスをしている。
(たとえ子供の前でもw)
189さんの奥さんも、軽いキスなら大丈夫じゃないかな?
ほっぺや額にキスして、その流れで唇に、っていうパターンはどう?
> 下心とかバリバリにあるんだけどさ。
> 今までセックルしたのなんか3人しか居ねーし<嫁含む、しかも俺33歳。
> 女をよく知ってるわけじゃねーからAV見過ぎかもしんねえし、別に嫁のこと好きだから
> これでいいんだよ、いいんだよ、いいんだよ、いいんだよ・・・うん、いいんだ!
>
> ただ、キスもさせてくれなくなって、心がジンジンしてんの。高望みしなけりゃ良かったな。
> もうフェラなんてしてもらえなくていいから、キスくらいさせてもらえる良い言葉ないかな?
> 今、改めて考えたら潔癖症の奴に痰とか鼻水とか言ったの、俺本当に馬鹿だよな。ハァ。
>
後半、削除し忘れた orz
既女、乙
よくわからんが潔癖の人自身は痰も鼻水もシッコもうんこもださないのか?
そして
>>189はクンニとかしてやるのか?
あぁ、そーいや最近嫁とキスもしてないや・・・ orz
>>207 よく分らんが、頭では理解できても生理的に無理とか。
テレビで見た潔癖症の女は、出先の椅子にも消毒のスプレーかけないと
座れないとかやってたの見たことあるぞ。
そう言えば、手を何度も何度も洗う人もいるらしいね。
綺麗になった気がしなくて。
一種の精神病らしいから、あまり酷いようだと誰かも言ってたけど
カウンセリング受けた方がいいよ。
日常生活に支障が出るようだと強迫神経症という名前にでもなるとおもった。
程度にもよるガナ
さて、そろそろ本題に戻りましょか?
潔癖症の話じゃジーンとこないよ
ある阪神の選手が引退を決意
引退試合には一打席だけ立たせてもらえることになった
愛する娘に「パパ頑張ってくるよ」と言うと
まだ幼いその娘は「パパはどうしていつもホームラン打たないの? 最後にパパのホームランが見たいよ」
と言った
その選手は所謂二番打者タイプでバントや流し打ちなど繋ぐバッティングを期待されていた選手だった
だからその娘は、ほとんど父親のホームランを見たことがなかった
それに気付いたその選手は「分かった。じゃあ最後はパパ、ホームラン打ってくるよ」
と娘に言い、試合に臨んだ
そして試合中、ランナー一塁の場面でその選手に打席が回ってきた
いつもより大きくバットを構える
相手投手も、ど真ん中にボールを投げる
そしてその選手は…………バットを構え、送りバントをした
ランナーは二塁に進み、犠打の記録がつく
その選手は笑顔でヘルメットを掲げ、甲子園球場の声援に応えた
最後の最後まで自分のスタイルを貫いたその姿に、ファンも割れんばかりの拍手を返した
そして試合終了後、娘のもとによると、
その娘は約束を守らなかった父親に文句を言うこともなく
涙を溜めながら、笑顔でたった一言
「パパ、お疲れ様」
と、父親を労った
>>213 最後くらい、思いっきりバット振らせてやれよ、藤山かんび〜じゃない岡田〜!!!!
あれ??そういう話じゃないの??
『かんみ』だな
216 :
素敵な旦那様:04/12/25 11:07:15
とても良いスレなので保守あげ
ジーンというか。
今日はクリスマスだ。
妹が4時頃にお起き出して、何やら泣いている。聞けば、
「サンタさんが来てない。プレゼントがない。もうサンタさんは来ないのかな?」
とのこと。
なんだ、そんな事かといいたくもなったけどなんだか可愛く思っちゃった。
>>217 ちゃんとおいといてやれよ。
可哀想だな。
ちょっと待て、お前の妹っていくつだ?
小3w
オマイ既男だよな?オマイはいくつなの?
年の離れた妹って事で良いの?同居?
本当に妹か?戸籍上妹で本当はオマイの子?
訳わからなくなってきた。
えっ!?ここって既男しか書いちゃダメなん!?
すいません;;
2の女だょ;
>>223 駄目って事はないけど、既男板だから説明無しに書かれたから既男だって思い込んだよ。
まだサンタ信じてるんだな。大事にしてやれ。
>>224 これから気をつけます;
泣ける2chからdできたから;
出きる限り大事にする。
>>225 とりあえず、板の名前を1000回音読してちょっと考えなさい。
書き込んじゃだめって事は無いのかもしれんが
ルール違反ではある。
227 :
素敵な旦那様:04/12/25 16:21:03
まあ中二の割に配慮あるんだから書き込みOKでしょう。
229 :
素敵な旦那様:04/12/26 22:22:29
厳しい父でした。
「負けるな、なんでも一番になれ」
小さい頃からいつもこう言われていた。
一代で千名弱の従業員を有する会社を作り上げ、家族にも社員にも
厳し過ぎるくらいの男でした。
正直こんな父のような男にだけはなりたくなかった。
そんな父が末期がん宣告、気丈に振る舞いテキパキと部下に指示を出す。
日増しに衰える父。
そんなある日、私が
「おい、会社に連れて行ってくれ、頼む。」
最後の最後まで仕事の鬼は変わらないと思った。
会社に付くとそのまま社内にてマイクを握る。
社内スピーカーから聞こえる父の声
「皆様、○○です、お仕事ご苦労様です。
本日は皆様に謝らなければいけません。会社の為が皆様方の為と、信じて
生きてきましたが、どうも過ちでした。今まで厳しく辛い思いをさせて申し訳ない、
もう少し早く気づくべきでした。心から謝ります、すみません」
会社に玄関先で見送る人の目に涙、握手求める方、階上から手を振る人。
私に一言
「強く生きるな、優しく生きてくれ、すまんかった、かぁちゃんにはもっと
あやまらんとな・・・」
初めて父を誇りに思った日でした。
中学生の頃、イジメが原因で不登校になり、引きこもったり、非行に走ったりと両親と散々喧嘩しまくった。
リスカもしたし、母親に手あげたり、罵声を浴びせたりもした。父親にはそのせいでどれだけ殴られたかわからない。
もうこんな両親嫌だ、こんな両親じゃなきゃ‥とかわけのわからん逆恨みまで抱いていた。
そんな生活を続けて三学期の始め頃、また私は学校を無断欠席。「今日だけは学校に行ってみようよ」という母の言葉を無視して自分の部屋で寝ていたら、夜勤から帰ってきた父親が大激怒。
「今日だけは学校に行け!!」と何故か今日だけは、今日だけはと言っていたがそれも無視してたら殴られた。
泣いて泣いて夜まで泣いてたら、いきなり母親が部屋に入ってきて「ちょっと来て」と。最初は拒否ったが、「お願いだから来て」と頼まれたので居間まで行ってみた。
すると、テーブルの上に小さい苺のショートケーキがあった。
「今日○○(私の名)の誕生日でしょう。学校行くのは辛いかも知れないけど今日だけは行って欲しかったの。それでね、お父さんとお母さんと○○とで気持ちよくお誕生日祝いしたかったの。」なんて母親が言いだした。
「大きいケーキ買えなくってゴメンね。プレゼントも買えなくってゴメンね。もっと私達がしっかりしてれば‥」そこからはもう母の涙で何を言ってるのか解らなかった。
すっかり自分でも忘れてた誕生日に、貧乏なのにケーキを買ってきてくれた両親。
両親の分は?と訊くと、「俺達は歳だからそんな甘いモンはいらないんだ」と言う父。嘘だ。甘いものが一番好きなのはお父さんじゃないか。
三等分しようよ、なんて柄にも無い事言っても、「お前のケーキだから全部食べろ」だってさ。そのケーキは凄く甘くて美味しかったけど、涙でぐちゃぐちゃになっちゃってたね。あんなに申し訳ない気持ちで一杯になったのはやっとあれが初めてでした。
お父さん、お母さんいつも迷惑かけてごめんなさい。早く楽させてあげれるように頑張ります。
>230-234
駄文&長文スマソ
>>234 わざわざ、4つに分ける必要があるのか?
236 :
素敵な旦那様:04/12/27 03:40:05
>>234 その気持ちを行動で示しなさい。
それが親孝行というものです。
237 :
素敵な旦那様:04/12/27 10:21:58
>>236 まあ、なんだ。
そういう気持ちが出てきたということで、今のところいいやん。
親孝行なんて頑張ってするもんじゃない。
ゆっくりまったり、自分のペースでやればいい。
238 :
素敵な旦那様:04/12/27 14:30:15
604 名前:大人の名無しさん sage 投稿日:04/05/11(火) 00:03 ID:PQeHPMxB
昨日、親父の七回忌だった。
うちは本当に貧乏でさ、商売やってたんだけど、つぶれてシャッターがおりてる店がほとんどの寂れた商店街の隅っこに店があって、それでも「店で待っていてもお客は来ない」って両親は毎日毎日朝から晩まで注文取りに走り回ってた。
俺は五歳下の妹と二人兄弟で、小学生の頃からいつも二人で夕食を作って遅くまで両親の帰りを待ってた。
小学生の料理なんてうまいはずはないけれど、親父は「お前たちのカレーはすごくいい味だ」ってほめてくれた。
明るい家族だったから、貧乏でも楽しかった。
休みの日には、大きな鍋とインスタントラーメンを持って海に行って、たき火をしてラーメンを煮て食べた。
おいしかったなぁ。
小学校中学校と放課後友達と遊んだ記憶はほとんどない。
妹の面倒見なくちゃいけなかったし、家の手伝いもあったし。
高校受験の時にね、「こんな暮らしをしててもお前は貧乏から抜け出せない。家のことはいいからちゃんと大学出て、自分でやりたいことを見つけろ」って親父が言ってくれて、鹿児島の全寮制の高校に行かせてくれたんだ。
バイトはできなかったけど、運良く奨学金がもらえて仕送りなしで高校に通えた。
たまに帰省すると、その度にくしゃくしゃの千円札を母親に隠れて何枚か渡してくれて、「少しで悪いな」って。
そんな金使えないよな。
今でもしまってある。
35枚。
馬鹿なりに一生懸命勉強して東京の国立大に受かった。
ホントは受かっただけで満足だった。
でも、親父すごく喜んでさ「商売がんばってるから大学行ったら仕送りしてやれるぞ」って。
大学に入ってからはバイトバイトの毎日で、何とか授業料と生活費は自分で稼いだ。
大学でも寮に入れたから家賃は楽だった。
親からの仕送りは毎月三万円。
もったいなくて使えずに郵便局の仕送り口座にお金が貯まっていって、「好きに使っていいんだぞ」なんて手紙が来たりして。
そう言われると、苦労して送ってくれてるお金をそのままにしておくのも悪い気がして、毎月郵便局から引き出して、銀行の口座に移してた。
239 :
素敵な旦那様:04/12/27 14:30:48
605 名前:大人の名無しさん sage 投稿日:04/05/11(火) 00:04 ID:PQeHPMxB
卒業間近になって、大学院を勧めてくれる先生がいたけど、早く就職して親に仕送りしてあげたいと思ってたから、断った。
そのころ、たまたま東京の親戚が亡くなって、東京に両親が来た。
何を思ったか研究室にまで押しかけて来ちゃってさ、先生に御礼なんか言ったりして。
そうしたら先生が余計なこと言い出しちゃって、大学院を親に勧めるのよ。
親父またまた喜んじゃって「なんで断ったりするんだ」なんて叱られちゃったりして。
結局、大学院にも進ませてくれた。
同じ大学の大学院に行くときも入学金って必要なんだよね。
毎月の三万円積み立てから25万円出した。
初めて仕送りを使った。
大学院に行ったら、研究でで食っていけるかななんて思い始めて、学振の特別研究員に受かった(月に20万も給料が出る)こともあって、修士終わってから博士課程に進むことにした。
博士になったら学生なのに仕送りができる!って内心かなりうれしかった。
修士論文を提出した日。
初めて母親から研究室に電話。
「どうしたの研究室に電話なんかして。修士になったよ。次は博士だぞ。」
「あのね、お父さん、ここ何日かずっと調子悪いって言ってて、今日胃カメラ飲んだの。写真見せてもらったら、ものすごい状態だった。」って。
末期の胃ガン。
背中の方に向かって進行していたから、食欲も衰えずに気づかないことがあるらしい。
目の前真っ暗。
頭の中真っ白。
「そんなわけないだろっ」って大声で叫んでしまって、同じ研究室の学生に「どうしたんですか」って。
240 :
素敵な旦那様:04/12/27 14:31:08
606 名前:大人の名無しさん sage 投稿日:04/05/11(火) 00:05 ID:PQeHPMxB
医者に電話したら「一日でも早く手術しないと」って話で、友達にお父さんが医学部の教授ってやつがいて、そいつに頼んで「消化器ガンなら日本一」って先生を紹介してもらった。
三日後に入院して七日後に手術。
胃全摘、脾臓全摘、膵臓半分摘出の大手術。
手術の前の晩、親父と二人で人気のない病院のロビーで、手術のこと話した。
地元の病院で撮った胃カメラの写真を見て、自分の病気はよく知っていた。
どんな状態かも知っていた。
でも「悪いところ取って、ようやく第二の人生だな」と笑って言っていた。
明るい親父に家族はどれだけ救われたか。
手術が終わって、先生に摘出した臓器を見せてもらった。
金属製のバットに山盛り。
こんなに取っても人間は生きられるのかって思った。
先生は「取れるところはすべて取りましたよ。後は抗ガン剤で転移巣をやっつけます。」と言っていた。
でも、手術後少ししてからずーっと背中に激しい痛み。
抗ガン剤も効果はいまひとつ。
俺と妹と母親と、親戚の家から毎日病院に通って交代で夜通し付きっきりの看病。
妹は50kgから30kgに激やせ。
もう痛みが我慢できないと言うので、真っ赤なモルヒネ錠剤を経口で投与して痛みを抑えてた。
モルヒネが効いているうちはなんとか普通の感じ。
車いすに乗っけて、中庭に連れて行ったりもした。
俺、親父と二人っきりでいたことなんてないからなんとなく気まずくて、車いすを景色のいいところに押していって、少し離れたところでぼーっと座ってた。
「近くにいてくれないか」と言われて近くに行ったら、子供の頃手をつないでもらった時とは比べものにならないくらい細くなった腕を膝掛けから出して、しわしわになってしまった手でぎゅっと手を握られた。
二人で声も出さずに泣いた。
241 :
素敵な旦那様:04/12/27 14:31:30
607 名前:大人の名無しさん sage 投稿日:04/05/11(火) 00:06 ID:PQeHPMxB
ある日「五年後の話をしてくれないか」とベッドの父に聞かれて、
「俺は29だからたぶん大学で研究してるな。
妹は24か。結婚して子供もできてるかもよ。
お母さんは、うーん、まだ店がんばってるんじゃない?
お父さんは、退院しても胃がないから、毎日グルメ番組見て、あれがうまそうだ、とか、これ買ってこい、とかわがまま言ってるかもよ」
なんて答えてた。
そんなに長く生きられるなんて俺も親父も思っていなかったくせに。
五年後がどんなに遠い未来なのかも分かっていたくせに。
結局、親父は死んでしまった。
手術から三十三日。
病院で胃カメラ飲んでから四十日。
62歳の誕生日から十日。
夕方研究室から病院に行ったら、もう息を引き取ってた。
「実験してるだろうから、呼ばなくていいぞ」って言ってたらしい。
最後に何かを言い残したらしい。
でも、俺は親父がなんて言ったのか知らない。
悲しすぎて知りたくない。
あんな大手術をさせて、殺してしまったのは俺だって、ずーっと思ってる。
俺が手術をすることを決めて、家族もみんな俺の言うことに納得してくれて、でもその結果、親父をあっという間に殺してしまった。
悔やんでも悔やみきれない。
ごめんな、お父さん。本当にごめんな。
葬式。
親戚が「まだ学校に行かせてるのか」なんて、何にも知らないくせに母親に言ったりしてた。
「この子はお父さんのできなかったこと頑張ってるんだから、私一人でも最後まで学校に通わせるつもりです。この子はお父さんの夢なんです。」
って、言ってくれた。
ドアの向こうでそれを聞いていた。
親は有り難いと思った。
もう泣かないつもりが、止めどなくあふれた。
242 :
素敵な旦那様:04/12/27 14:32:05
608 名前:大人の名無しさん sage 投稿日:04/05/11(火) 00:06 ID:PQeHPMxB
お父さん。
あれから六年だな。
俺は大学で毎日研究をしてる。
今年、学会で賞をもらった。
去年、結婚した。
大学に入ってから仕送りしてくれたお金で、婚約指輪を買ってやった。
お父さんからだぞって言って渡した。
かずはお母さんの仕送りと俺の給料でなんとか大学に行かせてやれた。
四年で卒業して就職して、おととしお嫁に行った。
キャリアウーマンとかいって、かっこつけて歩いてるくせに、少し太った。
幸せそうだけど、たまに夫婦げんかをして泣きながら電話をしてくることがある。
お母さんは、一人で店を頑張っている。
一緒に住もうと言ってもまだ頑張るって、言うことをさっぱり聞いてくれない。
お父さんへの恩返しはもうできないけどさ、お母さんと妹といつか生まれてくる俺の子供に精一杯のことをしてあげるつもりでいる。
お父さんの描いた将来に少しは近づいているのかなぁ。
俺が生まれてからお父さんが酒もたばこもやめたって葬式で聞いた。
酒は飲めないんだと思ってた。
そんなことを聞いてから今まで、酒を一滴も飲まなかった。
昨日、法要が終わってから、高校生の頃お父さんがくれた千円札で瓶ビールとチューハイを買ってきた。
千円札を出すとき涙がでたよ。
違うお札にしようかと思ったけど、やっぱり使ってみた。
うちの奥さんと、お父さんの話をしながら酒を飲もうかと思ったんだ。
うちの奥さんは結構酒が飲めるらしい。
二人で初めて飲む酒はきっと楽しい酒だ。
さっきメールが来て、夕食はカレーだって。
俺が昔作ったのよりずっとうまいカレーをお父さんと一緒に食べたい。
カレーを食べながら話したいことがまだまだたくさん、たくさんあるんだ。
243 :
素敵な旦那様:04/12/27 14:42:10
>>238-242 結構いろんな所にリンク張ってあったから、
読んだ人もいると思うけど、コピペしました。
今でも読むたびに涙が出ます。
なんか、すてきな親子だよね。
私は、三歳の息子とと二歳の娘と旦那と四人家族なのですが、
親の責任というか、子供に恥ずかしくない生き方というか、
このスレを読むとそんなことを考えてしまいます。
がんばらなきゃ。
>>243 お前の自分語りがなければ叩かれないのにな。
246 :
素敵な旦那様:04/12/27 15:41:06
>>243 他人のコピペで自分を語るな。
せっかくいいスレなのに。
荒らすな。
いい文章だ
はじめてみたよ。ありがとう
うっかりageてしまった。
猛烈に反省。
もうしません。
>>238-242 仕事中にうっかり泣いてしまった
いい話だな。なんか、心に染みたよ
文章書くのうまいヤツってたまにいるよな。
もし俺が同じ内容を書いても、誰も泣かないだろうなぁ。
書く才能が欲しい・・・
250 :
素敵な旦那様:04/12/27 20:27:50
>>249 それはみんなも思ってる。言わない方向で・・・
>238-242
・゚・(ノД`)・゚・
子供として、自分の親に対する思い。
親として、息子や娘に対する想い。
両方で泣けた。
鬼女である事は置いておいて、コピペはGJ!
252 :
素敵な旦那様:04/12/28 12:47:12
千円札が泣けた
明日から休みだが、がらにもなくちょっと親孝行してこようかなと思った
始めて見たけど泣けた。
美しいね、父と息子の不器用だけど深い愛情。
そしてこの人はまた同じような美しい家庭を
作る事ができるんだろうね。
母上をお大事にしてくだされ。
とコピペにマジレス
254 :
素敵な旦那様:04/12/28 15:33:54
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1092970182/ 151 素敵な旦那様 sage 04/12/27 17:52:25
〃〃∩ _, ,_ ヤダ
⊂⌒( ・ω・) ヤダ
`ヽ_つ ⊂ノ ヤダ
ジタバタ
_, ,_
〃〃(・ω・∩ < 猫たん逝っちゃやだ〜
⊂ (
ヽ∩ つ ジタバタ
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒ ( つω・) < いつまでも生きててほしかったのぉ〜
`ヽ_ ノ ⊂ノ
ジタバタ
∩
⊂⌒ ( _, ,_) < 長生きしたけどもっと一緒に…
`ヽ_つ ⊂ノ
ヒック...ヒック..
⊂⌒ ( _, ,_)
`ヽ_つ ⊂ノ zzz…
>>254 泣けた。
俺のぬこも2週間前に逝っちゃったんだよな・・・
>>256 全員が猫好きだと思うなボケ。
どこにでもあるんでうぜぇんだよ。
>>258 いいですよね、これ。
以前嫁に見せたら、涙ぐんでいました。
>>258 初見だけど、なんかグッときた・・・
俺が立ち止まったとき、遺した妻と子に笑顔で手を振ることが出来るかなぁ
ガキの頃にオヤジと川に釣りに行った。鮎釣りという特殊な釣りで常に川の
流れの中に腰の辺りまで水に浸かって行う釣りなんだけど、ガキだった俺は
何度も流されそうになった。その度にオヤジの腕が伸びてきてオレをガッチリ
掴んで助けてくれた。時にはオレのベルトの辺りを強引に掴んで助けてくれた。
それから20年近く経った今年の初夏にオヤジが体調を崩して倒れた。
幸いにも1週間ほどで退院できた。退院してしばらく経ってオヤジが鮎釣りに
行くというので、心配した母がオレに付いていくように言った。
オレも年老いて病み上がりのオヤジが心配だし付いていくことにした。
そして当日、午前中は順調に釣りを楽しんでいたんだけど午後になってポイントを
変更して少し流れがキツイところに移った。そしてオレは歩き回ってポイントを
探しているうちにかなり流れが激しく立っているのがやっと、という感じの
ところに入ってしまった。体力も限界まできたので流れの緩いところに戻ろうと
した瞬間、足を滑らせてこけてしまった。それを見ていたオヤジが流れを横切って
オレのところまで速攻できてくれて無言でニッコリ笑って手を伸ばした。
そしてオレの腕を掴むと流れの中からオレを引き上げてくれた。
ガキの頃と同じでその腕はゴツゴツしていて力強く逞しかった。
オヤジまた来年も一緒に行こう!
264 :
素敵な旦那様:05/01/03 18:07:13
あげ
20代半ばにもなって、病弱な親に助けられる軟弱な青年の話sage
小児白血病だったKくんの話です。
Kくんは3度目の再発でした。
急速に増えていく白血病細胞の数。ドクターはKくんのご両親に、
「化学療法のみの延命治療ならもって後3ヶ月、残る治療法は骨髄移植ですが成功率は10%程です。」
と言いました。
何度も辛い治療をしてきたKくん、このままゆっくり過ごすのが良いのか、わずかな望みに書けたほうが良いのか、、
ご両親は迷ったそうです。
そんな両親から何か感じ取ったのかKくんは、
「どんなに痛くても死にたくない、退院したらキャンプに行きたいんだ。がんばるよ。」
と言ったそうです。
Kくんの"生きたい"という生きる力を信じて、ご両親は移植を決意しました。
今まで使用した抗がん剤は効果が出にくくなっているため、かなり強い薬を使います。
Kくんの苦しみはこんな文章ではとても伝えられません。
薬を飲む、食事を取ることも大変なことで、吐き気、痛み、、身の置き場のない苦しみだったようです。
見ているご両親も大変辛かったと思います。
でもKくんは、
「退院したらキャンプに行く約束だよ、○○(Kくんの弟の名前)と魚釣るんだ。」
と、どんなに辛くても、痛くても、元気になることを夢見てご両親に退院してからの話をしていたそうです。
クリーンルームの中、ずっと願い続け、がんばり続けたKくんでしたが、
移植前の処置に耐えられず、ご両親に看取られKくんは眠りにつきました。
「やっと痛いのなくなって休めるね、、ごめんね、最後までがんばらせて、、」とお母さんはKくんを抱きしめて泣きました。
最後まで、弱音を吐かずにがんばったKくんの体重は入院前の3分の2程度にまでなってしまっていたそうです。
亡くなる少し前、Kくんはお母さんに、
「夢を見たよ。みんなでキャンプしてるの。みんながご飯食べているところに僕も行こうとしたところで目が覚めちゃった。」
と話しました。
、、健康な子なら何でもない、でもKくんにとっては祈るような願いだったキャンプの風景が夢にまで出てきたようでした。
それから一年ほどたった頃、家族でKくんの行きたがっていたキャンプに行ったそうです。
Kくんの治療中、時間をとって遊んであげられなかったKくんの弟くんのため。
そしてKくんの供養の意味も込めて。
キャンプ場でバーベキューを用意し、さぁ食べようという時に弟くんが
「お兄ちゃん?」と一言。
どうしたのか聞いてみると、
「お兄ちゃんがバーベキューをしているこの場所に走ってきて、、そこで消えた。」というのです。
お母さんはすぐ入院中に聞いた夢の話を思い出しました。
あの時、Kくんが話していた夢はきっとこの事だったんだ、と。
バーベキューはもちろんKくんの分のお皿やジュースも用意したそうです。
弟くんの話ではKくんはニコニコ笑って走ってきたそうです。
それ以降、Kくんを見てはいないようですから迷ったのではなく、
時間を越えてKくんはあの夢を見たのだとお母さんは信じているそうです。
一瞬でも、ほんの少しでもKくんの願いがかなっていたのなら、、救われた気がする、と。
269 :
素敵な旦那様:05/01/07 09:19:10
( ´Д⊂ヽ
悲しいがええ話や。
270 :
育児板からコピペ:05/01/08 05:04:11
クリスマス、年長の長男のところには今までにない程、たくさんのプレゼントがサンタさんから
届いた。「どうしてこんなにいっぱいくれたんやろ!!」と大興奮の息子。「多分、○○(長男の
名前)が今年、いろいろ我慢していい子だったからちゃうか?」と俺。
うちには2歳の次男がいるが、先天的な疾患があり産まれた時からあまり先は長くない、と言われている。
昨年は特に容体が悪い時が多く、緊急入院を繰り返した。その度に、長男は大好きな幼稚園を休まされたり、
祖父母宅にあずけられた。6歳の誕生日も次男が入院中で祖父母宅で両親抜きで祝ってもらった。
親子遠足も行けなかった。実際、クリスマスも母親は次男につきそっているので側にはいない。
サンタにできる唯一の罪滅ぼしのつもりのたくさんのプレゼントだった。
病院に行く仕度をしていると長男が何やらゴソゴソしている。見るとプレゼントの1つを破った包装紙と
ガムテープで包んでいるらしい。「なにしとんねん?」と聞くと「これ、△△(次男の名前)に
持っていってやるねん!あいつのプレゼント、サンタさん忘れたみたいやわ。これあげたら喜ぶやろ?」と。
思わず、号泣してしまった。おそらく、この冬は越せそうにない次男のことや、長男の優しさで、
胸が張り裂けそうになった。長男はすごく戸惑った顔をしていた。「来年は、忘れない様に手紙を書かんとな」
と何度も長男に泣きながら言った。
いい子だな・・・
( ´Д⊂ヽ次男くんもこんな素敵な親兄弟で幸せだと思うよ。
>229ん家の親父、最高にかっこいいな
274 :
素敵な旦那様:05/01/13 14:35:21
保守
29 名前: Mr.名無しさん [sage] 投稿日: 04/12/09 20:19:28
今日カーチャンのところ行ってきました。
うちのカーチャンは、おいらが工房の時に頭の病気で倒れて
それ以来介護なしでは何も出来ない状態です。元気な頃は
絵に描いたような肝っ玉カーチャンで「漢ならみんなに優しく汁!」
とか、「人様には迷惑かけんなゴルァ!」とか厳しく躾けてくれた。
今じゃ息子が顔見せても他人としか見えてないらしいけど、今人並に
生きていけてるのはカーチャンのおかげと思ってる。
カーチャンにとってみれば生意気盛りの息子のままで、就職や結婚とかの
良いところ全く見せられずにゴメンよ。プレゼントや旅行なんて形としては何も
出来なかったけど、ガキの頃にカーチャンが教えてくれたモノは大切にしていくよ。
うまくいっておいらに子どもできたら、同じように大切な事教えて育てる。
カーチャンも喜びそうだから、それもひとつの親孝行かなと思っている。
湿っぽい長文でスマソ
30 名前: Mr.名無しさん [sage] 投稿日: 04/12/09 20:24:14
>>29 おまいがお腹に宿った事
おまいが生まれた事
おまいが笑った事
おまいが泣いた事
おまいがはじめてハイハイした事
おまいがはじめてママと呼んだ事
おまいにはじめて歯がはえてきた事
おまいがはじめて立った事
おまいがはじめて歩いた事
・
・
全部親孝行だ。 J( 'ー`)し
夫婦の話が少ないな。
277 :
素敵な旦那様:05/01/18 23:18:16
なんだかんだ言って、やはり毒とか喪のほうが多いのかな?
278 :
素敵な旦那様:05/01/19 00:46:01
多いって何が?
279 :
素敵な旦那様:05/01/19 01:08:50
1 :可愛い奥様:04/11/21 17:16:54 ID:hqCl/CdB
少し早いけれど、新スレです。
さあ、わが夫はエリートよ。
低学歴無職dqだった女も、元お嬢様も、元エリート現在専業も
もちろん現在エリート女も。
旦那がエリートであるなら、学歴・職業・資産・年齢不問。
皆で楽しく集いましょう。データ―は別記。
☆職業条件
1 政界(国政)裁判官 国家公務員キャリア事務官 2番〜5番で出世した人
2 医師 検察・弁護士 大学教員
3 キャリア技官(含・国の研究機関) 日銀
4 優良業界優良企業(幹部候補) 公認会計士
5 一流企業の会社員(その他)
☆学歴条件
A級 東大京大の各社会科学系・理工医学部
B級 東大京大他学部 旧帝・東京医科歯科の医学部
C級 東工大 一橋大 旧帝他学部
・大学院でのロンダ不可。
※各地域top進学高(男女御三家灘ラサール・国立附属・各地方トップ公立)
卒業なら、尚可。
※世界各国名門大学や大学院への留学は、尚可。
☆家庭環境
・夫婦・(実・義)兄弟姉妹ともにエリートが望ましい。
・親や親戚も類似した職歴学歴や、一定以上の資産があるのが望ましい。
281 :
素敵な旦那様:05/01/20 22:45:37
267-268
もうね、これ読んでからは会社でも家でも寝る前でもウトウトしてる時も
涙目…
>>281 おまいのレスで267‐を読み返して
涙目
283 :
素敵な旦那様:05/01/20 23:27:29
>>270 やばい。涙が押さえられなかった・・神様も罪作りだな
284 :
277:05/01/21 00:35:24
>>278 いやね、このスレにいる香具師って、鬼男より、毒、喪のほうが多いのかな?
ってだけ。文章不足ですまぬ。
>>279 愚痴になっちゃうけど。
俺、国立医学部に行きたくて激しく偏差値競争して負けた人間なんだけど、
B級の大学に入れなくてA級にいる。
俺は京大なんかより阪大医に行きたかったよ。
受験戦争しなかった女って平和な発想で心が和む。
向こうで書けよ
不機嫌なジーン ナンツッタリシテナ
ゴメン
既女ですが、うちの話をひとつ。
旦那は私より一回り年上。
結婚する時から「でも俺先に死んじゃうしなぁ」と
しきりに年老いた時の私を気にしてると思ったら
独身時代から入ってた生命保険を解約して新しいのに入り
一つは一括で、もう一つは新規でかなり高いのに入ったんです。
保険なんかどれだって同じじゃん、と言ったら
「でも俺が先立った時に、困らないだけのものは残してあげたいから」とな。
家のローンはチャラになるし、お金もこれだけ入るからと言われて
結婚したばかりなのに死んだ先の話なんて、なんとなく嫌だったんで
「じゃあそのお金が入ったらホストクラブでも行っちゃおうかな〜」と言ったら
ニッコリ笑って、「それでもいいよ」と言われました。
ああ、この人と結婚してよかった、本当にそう思いました。
お金なんかどうでもいいから、健康に気をつけて長生きしてね、旦那。
>>290 自分語りしに、わざわざ板違いな場所まで来るんじゃねーよ。
キジョはカエレ
つか氏ね。
まぁまぁ
あまりキジョを叩くのもどうかなぁって思ってたけど、こういうのを見ると
叩かれるのも当たり前って気がしてくるな。
294 :
素敵な旦那様:05/01/22 23:35:19
ほんと空気よめよな
>290
>4-5
みたいな話なら、鬼女でも叩かれずに済むんだけどね。。。
296 :
素敵な旦那様:05/01/24 21:44:15
ま、たいした話でもないんだが、漏れ的にちょっと来ちまったんで
さっき、うちに帰ってきて「ただいま」っつたら、息子が「おつかれ」と言った。
昨日まで、お帰り、だったんだが、ちとジーンとした。
そんだけ、なんだが
>>296 ちょっとした日常的な、でも大きな幸せって感じだな。
298 :
素敵な旦那様:05/01/25 21:22:04
296なんだが、
今日も息子(中2)は「おつかれ」と言った。「なんでだ?」と聞いてみたら、
「考えてみたら、毎日残業で仕事してるのって、大変そうじゃん、だから、おつかれ、だよ」
漏れはあんまり家庭のほう向いていない仕事親父だが、こいつはいい息子に育ってるかも・・・
>>296 別に煽るつもりはないが、ありがたがってる場合なのか、それ?
中2の実の息子に「お疲れ」って、対等以上の言い方されて
いい風に育ってる、と言われても正直「はぁ?」としか思えないんだが…
ウチにもボウズ(1歳半)が一人いるけど、将来こいつが俺に向かって「お疲れ」なんて言おうもんならムッとこそすれ、嬉しいとは思わないような気がする。
「お疲れさまでした」までは言わんでいいが、せめて「お疲れさま」と「さま」ぐらい付けろと…
いや、
>>296がイイんなら全然構わないんだけど、ちょっと気になったからね…
いや、
>>296がイイんなら全然構わないんだけど、ちょっと気になったからね…
読めば本人がイイと思ってるのが分るだろうに、本当に余計なお世話だな
301 :
素敵な旦那様:05/01/25 23:42:23
>>299 言葉使いはこれからとして、俺がなんかうれしかったんだからしょうがねぇじゃん。
もともと家庭を顧みずに突っ走ってた仕事人間だから、しつけなんて禄に考えたこたねぇよ。
>>300 援護、さんきゅ。多謝。
しょうもない男だな
304 :
素敵な旦那様:05/01/25 23:48:42
>>302 惜しかったな、自作自演は、301と303だ (藁
305 :
素敵な旦那様:05/01/25 23:49:34
306 :
素敵な旦那様:05/01/25 23:51:21
さて
300〜305でどれが、俺でしょう?
正解者には、何あげよ・・・
>>306 全部、おまえじゃんwww
何が、「何あげよ・・・」だwww
それで、ごまかしたつまりなんだから、大爆笑wwwww
309 :
296:05/01/25 23:59:06
>>309 分かった分かった、悔しかったんでちゅね〜www
もういいから帰って寝てくだちゃいwww
おまえ、実は結婚なんてしてない毒男だろ!(プゲラ
311 :
素敵な旦那様:05/01/26 00:09:33
逝こうかと思ったら、まだ粘着してますか。では、遊びましょ。
こっちは、酒呑みつつなんで、誤字、脱字、タイプミス、変換ミスの揚げ足取りは止めてね。
そして、次のお題、何か出してくれれば、ナイスです。
こまるよネタなしでは、こっちのネタに食いついてきたんだから、
まってるし、なにかよろ〜
312 :
296:05/01/26 00:12:47
>>310 うん、ほんとに悔しい。マジで悔しい。俺がせっかくジーンとしてたのにぃ(泣)
俺の、ジーンを返して欲しぃ、マジで。
313 :
素敵な旦那様:05/01/26 10:03:04
>>312 俺はジーンときたよ。
お前がジーンとくることが大事。
そうすれば息子さんの相手を思いやる気持ちがどんどんのびるさ。
>>312 俺もイイ!(・∀・)と思ったぞ。。
子供から大人に、対等な人間として成長する過程では
敬語が逆に邪魔になることもある。
「おつかれ」大いに結構。
ただし度が過ぎて「ゴルァオヤジ!、金出さんかい!!」
にならないよう注意。
>>315 禿同
>>311など
とにかく 藻前は1を1000回音読してから戻っておいで
話はそれからだ!
別にいいんだけどね
>315でくどくなり、>316でうざくなった。
いい加減もうやめれ
祖父の最期に付き添っていた祖母。
それまではずっと泣いていたのに、最期の最後で
「おじいさん、ありがとう。私は幸せでしたよ。ありがとう。」
と、最高の笑顔で祖父の手を握っていた。
「おじいさんには、私の笑顔を覚えていてほしいからね。」
と、可愛い笑顔で祖父の最期を見とっていた。
ほんとうにかわいらい笑顔だったなぁ。
ええ話や
320 :
素敵な旦那様:05/01/27 20:25:16
そういえば、ウチの母方のバァさんも、ジィさんの通夜の時に
「色々あったけど、ウチはこの人と添い遂げられて幸せじゃったよ。」つってたな・・・
その頃、俺はまだ厨房だったけど、奇妙なほど、その言葉が重く感じられたのを覚えてる。
おまえら、自分の方が先に逝ったとして、嫁さんにそう言ってもらえる自信ある?
・・・俺は皆無です・・・_| ̄|○
>>321 >75みたいに言ってもらったらそれはそれで幸せかも
385 名前:370[sage] 投稿日:05/01/28 19:58:28
漏れも見合いなんだよね。
で、見合いの席で親同士が意気投合して結納や式の日取りをあらかた決めてしまった。
あとは親の敷いたレールを走るだけだったんだよ。
でもちゃんと言っておかなきゃと結納の前日までにと思っていたんだが、緊張のあまり言えず、それなら式の前日まではと思ったんだがやっぱり緊張して言えなかった…
情けない…
そんな情けない漏れに黙って付いて来てくれる嫁はやっぱり大好きだぁ〜!
言っておくべきだろうな〜
一応今際の時に言うといっているんだが…
396 名前:370[sage] 投稿日:05/01/29 18:40:04
明日嫁にプロポーズします。
15年目のプロポーズです。
振られる心配がないので気は楽ですが…
406 名前:370[sage] 投稿日:05/01/30 10:53:40
プロポーズ終わりました。
全然ドラマにもなりませんでしたけど、いちおう・・・
嫁は9時前に近所のスーパーの朝市に行き、9時半に帰ってきて荷物の片付けを済ませPCの前に座り2ちゃんねるしてました。
漏れはそろそろ言おうかなとかな?と嫁に近付く。
嫁のPCの横に写真のアルバムが置いてあるのが見えた。
子供が授業で使う家族の写真を選ぶのにアルバムを引っ張り出してきたそうだ。
何気にアルバムを開く。
その中に結婚式の写真も2枚入ってて昔の自分たちを見て鬱になる・・・
家族全員居間にいたので嫁を台所に呼び出す。
嫁「なんか用?」
漏れ「いやぁ、結婚式の写真を見たら今まで言い忘れていたことに気がついたんで今から言うわ」
何のことかわかって照れた嫁は、
嫁「いまさら言わんでもいい」
漏れ「言わないと気が済まないから、ガマンして聞いてくれ」
嫁「・・・」
漏れは嫁の手を取る。
漏れ「今まで一緒いてくれてありがとう」
嫁「うん」
漏れ「これからも一緒に、ずっと一緒にいてください」
嫁「はい、よろしくね」
漏れ「ありがとう」
嫁「猫も一緒によろしくね」
漏れ「・・・」
この後すぐに日常生活に戻りましたよ。
ええ、エロ小説にはなりませんでしたよ。
ホントは他に色々台詞を考えていたんだが、全部飛んじゃいますた・・・
でも言えて良かった。言って良かった。
325 :
素敵な旦那様:05/02/02 16:22:51
>324
良かったな。 幸せにしてやれよ。
326 :
素敵な旦那様:05/02/02 20:29:16
ここは鬼女の溜まり場じゃない
・いつもクソミソにしている夫が余計な知恵をつけないように監視
・いつもクソミソにしている夫が仲間を見つけて反抗しないように監視
・完璧に洗脳している夫が正気にならないように監視
(参考)男の振りしている鬼女の見分け方
・文が短い。いつも一言のみ。長文の場合は意味が分からない
(長い文を書くと女だとばれる)
327 :
素敵な旦那様:05/02/02 22:06:36
>324 いい話だね。324がいつまでも幸せでありますように。
328 :
素敵な旦那様:05/02/03 04:37:26
タイトル:「幸せになりたい、って言ったら負けかなと思てる」
ルールールルルルー ルルルルー ルッルッルッルー
ひ〜もじ〜い・・・ 無職〜の日々〜は
む〜なし〜い・・・ なんど〜も履歴書〜、送〜て
繰り返〜す不採用の手紙
お祈りしますが涙を誘うよ
悔し〜く〜て、情けな〜く〜て、世界一惨めなオイ〜ラ〜
給料〜安くすむよ、オイラな〜ら
どんなことでもする〜よ、オイラな〜ら
昨日の履歴書、いまごろ届い〜たかな〜
戻てき〜た〜・・・
げ〜んか〜い・・・ 無職〜の日々〜は
逝〜きた〜い・・・ 練炭〜車に、乗せ〜て
繰り返〜す不採用の手紙
お祈りしますが涙を誘うよ
悔し〜く〜て、情けな〜く〜て、世界一惨めなオイ〜ラ〜
も〜う逝くしかないよ、オイラ〜は
借金しか残せないよ、この世に〜は
今日もポストには昨日の履歴書〜が〜
督〜促状だった〜・・・
329 :
素敵な旦那様:05/02/08 23:10:57
閑散としてきたなぁ。ageとく。
330 :
素敵な旦那様:05/02/08 23:25:33
ジーンとする話はそうそうないってことですか。age
さすがにネタ切れか。
カップル板で見つけた悲しい話を貼付けてみる。
157 :恋人は名無しさん :05/01/13 14:44:31
2年付き合った彼に振られました。
それはもう、彼が言ったとは思えないほどのひどい言葉で。
どんなにまだ好きだと言っても復縁はかなわず、音信不通になってしまいました。
そんな彼の友達から、彼が亡くなったことを聞き、彼が書いた日記をもらいました。
「入院二日目、昨日は周りのモンがめずらしくて初体験ばっかだったけど、
今日からヒマなんだよな〜。こうやって日記つけてみたわけだけど、
オレのことだから続かんだろなぁ。
N(私のことです)は今頃元気にしてるかなぁ。最後傷つけちゃったけど、
新しい男でも見つけてくれんかなぁ。」
最初、私は彼が病気をしていたことも、入院していたことも知らず夢中で日記を
読んでいました。日記には彼の私への想いがたくさん書いてありました。
「今日テレビでディズニーランドの特集やってた。Nと行ったことを思い出した。
あいつ買い物大好きだったから、あの時は疲れていい加減にしろとか思ってた。
でも帰りにこっそり買っといてくれたミッキーはうれしかった。
今枕元にあるわけだけど、友達なんかにからかわれるから皆が来るときだけは
隠してる。別れちゃったしなぁ・・・好きなんだよなぁ。」
「夢にNが出てきた。しばらく、半年は会ってないよなぁ。
別にたいした夢じゃないけど喋った。それだけで幸せだなぁ。なんで目覚めちゃったんだろ。
今ごろ誰と喋ってんだろ。宇多田の歌みたいだ。」
それは日記では無く、私のことばかり書いてありました。
「やっぱりNが好きだぁぁぁ忘れられねぇぇぇぇぇ。
日常の一つ一つにNが出てくるんだよう。ばかやろぉぉぉぉぉぉ。」
158 :恋人は名無しさん :05/01/13 14:45:03
そして、次のページが最後でした。
「オレはもうすぐ死ぬらしい。医者ははっきりとは言わんけど、わかるモンだなぁ。
思えば治らない病気(病名は伏せ)だって聞いてからもう1年だ。
結構長く生きた方だし、充分な人生だったんじゃねぇ?
って思おうとしたけどやっぱりダメ。もっと生きたい。
Nともっと一緒にいたかった。入院してる間、振ったことを、あんなひどい
言葉を言ってしまったことをずっと後悔してきた。
でも、退院して完治なんて可能性が無かったオレにNを付き合わせるわけにはいかなかった。
Nはキレイだし性格いいんだからすぐ次に男ができる。オレのために人生棒に
ふらせるわけにはいかん・・・って何回も納得したはずなのに。
Nと喋りたい。今から電話したい、会いたい。
まだ死にたくない。まだフォアグラ食べてないし、USJ行ってない。
大学卒業したかったし、母さんに親孝行もしたかった。ベタでも父さんと酒飲みたかった。
Nをもっと抱きたい。結婚して子ども欲しかった。おじいちゃんおばあちゃんになっても
手とつなぐような夫婦になりたかった。Nにあいたい。
でももう叶わない。後悔してばっかりだった。死ぬときは笑っていきたいけど、
本音は辛すぎる。N、やっぱりまだまだ愛してる。オレのこと忘れて幸せになれよ。」
涙が止まりませんでした。彼は私のことを常に考えてくれて、でも私は彼の
体のことなんてまってく気付かずに自分のことばっかり考えていました。
何で死んじゃったんだろう。私には彼しかいないのに。
友達はこの日記を病院のゴミ箱で見つけたそうです。私に見つからないようにだと思います。
私のことをここまで想ってくれる人はもういません。
お葬式には行けませんでした。
明日は彼の一周忌です。
最初は自暴自棄な私でしたが、彼の遺志を尊重するために幸せになろうと思います。
333 :
素敵な旦那様:05/02/09 14:36:53
長女(6歳)長男(4歳)の俺の家では、二部屋に二組の布団をしいて、本来は、夫婦と子供別々に寝るのが目標なのだが、
子供が寂しがって、そう上手くいかず、俺一人、嫁と子供達で寝る事が多かった。
そんな先日、長女が俺と寝ると言って、横に寝た。
で、俺の腕を抱きしめて長女が「パパ、大好き」と言った時、「ああ、俺、今死んでも良い」と思った。
(死ねないけどさ)
336 :
ヲリヂナル1号:05/02/11 00:53:17
父は7年前の冬に、片肺に水が溜まるっていう最悪の状態で入院した。
そこまで肺に水が溜まるなんて8割以上の確立で肺癌だろうって医者には言われたんだと。
でも検査の結果は膵臓だった。膵臓の癌。肺だったら手術して取っちゃえる状態ではないだろうとまで言われていたので、
膵臓ならまだ手術もできるから、って。
検査やら準備やらで入院から2ヶ月、2月の頭に手術した。
そのときは知らなかったけど、医者からは5割の可能性で生きて手術室から出てこれないかもっていわれてたらしい。
さぁ丸一日かけて手術して、ごっそり摘出された膵臓の塊。
説明はこんな感じ。
思っていたより癌の進行が早かった。
膵臓は一箇所も残せなかった。
膵臓のほか、脾臓、胆嚢、門脈の一部、背中の神経って摘出した。
膵臓が無いので今日から父は重度の糖尿病だ。
膵臓全摘して1年後の生存確率は8割、3年後だと3割、5年でほぼ奇跡。
とにかく無事に手術が終わったこと。それだけが救いだった。
最初の難関、生きて手術室を出る事は成功だ。
337 :
ヲリヂナル2号:05/02/11 01:11:19
それから約半年、父は肝臓に膿が溜まって一度入院したが、糖尿病ともうまい事付き合ってるようで、
とにかく仕事にも復帰してたし、酒を飲まなくなったことのほかは、なんだか平和だった。
余談だけど、そうなると俺や妹や弟は結構父母を気にせず、そこら辺の大学生、高校生に戻っていたわけです。
そんな6月末(だったかな?)今度は母が倒れました。
夏風邪にやられて、熱出したりしながら仕事したり、術後我侭になった父の世話したり、そんな母がね。
土曜に父が運転して市民病院に連れて行ったら、そこで意識失って、原因がわからなくて、救急車で父が入院してた大学病院に運ばれて。
血糖値ってさ、全部で1000の血液中にどれだけ糖があるかって数値で示すらしく、普通は120〜150くらい?かな。
それが850を超えてます、いつ死んでもおかしくないですよ、って医者に言われるほどでやんの。
父は気が狂ったように、「おい、お母さん死んじゃうぞ、おい!」って俺や妹に話しかけてくる。
処置を終えて、「今夜が山」っていうドラマでよく見る場面が来たわけ。
ようは血を薄める処置だから、血液中に生食をたっぷりいれたんだろうけど、とにかくほっそりした母が倍くらいに膨れ上がってるわけ。
で、「今回の件でインシュリンを作る機能が破壊されていたら、奥さんも糖尿病になりますよ」って医者の言葉です。
父は「いつでも俺の後ろを付いて来てくれた。だからって病気まで真似しなくてもいいのにな」って苦笑してたよ。
翌日、母はちゃんと目を覚まして、検査の結果糖尿病になって、彼女は現在も注射を打ちながら生活してます。
なんで、昔者の親父やお袋ってのは、そこまで我慢しちまうんだろう。
うちの親父も、心臓が具合悪いのに我慢してて、
動けなくなって、救急車で運ばれた病院で医者の顔色が変るほど悪かった。
もっと早く、「痛い」とか「つらい」とか、言えよな。ゴルァ
339 :
ヲリヂナル3号:05/02/11 01:18:46
それからは夫婦揃ってインシュリン打ちながらの生活。
そのうち医者に宣告されていた2割の患者が亡くなる1年目がきたけど、まぁなんとか無事だった。
春先には父は少しまた入院したけど、それも肝臓に膿が溜まって熱が出てって具合。
彼は胆嚢をとって、ああ、書き忘れたけど十二指腸もとったんだっけか、だから食べたものが肝臓に逆流?しちゃうのかな、
そんなイメージで肝臓に膿が溜まるのは、まぁ不可抗力みたいで、そんなに心配してなかった。
妹が大学に入学して、娘を溺愛してた父は、そりゃぁ喜んでた。生きててよかった。まだまだぜんぜん余裕だな。って。
340 :
ヲリヂナル4号:05/02/11 01:28:02
さて、俺んちに吹き荒れた災厄は父の癌、母の糖尿、俺の留年(自業自得だ)と暴れまわった挙句落ち着いたみたいだった。
で、20世紀最後の大晦日、なんだか俺は(今年は自宅で年を越そう)って思ってた。
結局呼び出されて外で友達と年越ししたんだけどさ。
21世紀最初の正月、我が家では正月はとりあえず全員集合するんだけど、
「おい、お前ら3人、はやりのできちゃった結婚でもいいから孫の顔を早く見せてくれよ」って父に言われた。
今時ないだろうって言うくらい古風な両親だったからさ、子供3人きょとんとしてたよ。
ついでに、年賀状の整理ってあるよね。父は51歳でまぁそれなりの役職だったろうから、毎年何枚も届いてたし送ってた。
その大量の年賀状の整理って次の年の年賀状出すときに整理してたみたいなんだけど、
その年はなんだか正月休み中にほとんど終わらせてしまったんだって。
そんな話も今から思えばっていう話で、そのときは別になんとも思わなかったんだけどさ。
341 :
ヲリヂナル5号:05/02/11 01:42:15
2月の末、父が超高熱だしたんだって連絡が入った。
大阪に日帰りで出かけて、向こうで会議中にがたがた震えがきてしゃべれなくなったほど。
それでも昔気質の父は会議が終わるまで帰ってこず、その夜新幹線で新横浜に着いてその足でまた入院してしまった。
話が前後するけど父が手術をした頃から、車の免許を持っていたのは、父のほかには俺と超ペーパーの母だけで、
車じゃないと病院行くのに結構時間かかったから、入院中はほとんど毎日くらいの勢いで俺は病院に行ってた。母を乗せて行ったり、着替えを届けたり。
今回の入院でもそうだった。
父は一日に何度も42度を超える高熱が一気に出て、がたがた震えだした。
そんなときには座薬で強制的に熱を下げる。平常でもまぁ37度くらいの微熱だったろうから、3〜4時間に一回づつくらい5度近く体温が上下していたんだろう。
俺が行くと、落ち着いてるときにはタバコを吸いに行こうと俺を誘う。
父はヘビースモーカーだったけど、それだけじゃなく単にベッドに横たわってる姿を息子に見せたくなかったんだろう。
俺は20歳も超えてたし、タバコも公然と吸えたし、まぁ結構吸ってたけど、父の前じゃなんだか恥ずかしくて吸えなかった。
お前も吸えよって何回か勧められたけど、今はいいやって断ってた。
そう言えば手術後に「俺はこれ(糖尿)で父と酒を飲む機会が無くなって残念だ」って思った。
結局父はだんだん酒も飲むようになって、時々俺に電話してきては
「今駅前なんだけどいっぱい付き合わないか」って誘ってた。
俺はそれもタイミングが合わなかったり気恥ずかしかったりで一回も答えられなかった。
病院の帰り道そんなことを思い出して、明日は一緒に吸おうかなと思ったんだよ。
342 :
ヲリヂナル6号:05/02/11 01:50:40
で、明日がやってきた。
なんかさ、父の容態が急変したって、ICUに入ったって言う話。
あれ、昨日は結構元気そうにタバコなんか吸ってたよ?
まぁ急いで病院へ。
ICUじゃゼハゼハ言いながら笑顔で迎えてくれた。
なんだか平気そうじゃないか。
でも違ったみたい。
血中酸素濃度が落ちてるから呼吸器を付けたい、ただしそれは起きてる状態ではとても付けられない(苦しいから)、薬で眠らせる必要がある、
大至急親族を集めてくれって医者は言う。
4時間後くらいに、親族が集まって、全員と話をしたら呼吸器が付けられた。
父はまたなって笑ってた。母に聞いたら、仕事に使う資料を明日、持ってきてくれって言ったんだと。
父が薬で寝た後、医者は言った。普通に会話なんかできる状態じゃなかった。意識があっただけで奇跡だ。
343 :
ヲリヂナル7号:05/02/11 01:55:32
その晩、病院に泊まるつもりなんか無かった母はインシュリンを忘れてきていた。
俺はどこかで父のことをあきらめていたのかもしれないが、今度も母が父と同じ状態になってしまうのではと不安だった。
父の傍らで「どうしても今夜はここにいる」と言い張る母を、みんなで説得して、
「疲れてるんだからちゃんと布団で寝たほうがいい」ってつれて帰ろうとしてた。
そしたら意識なんか無いはずの父の左手が、すぅって持ち上がって、手首をひらひらとふった。
そんな状態でも母を心配しているって思ったら涙が出て、ICUのマスクの中は鼻水で溢れた。
344 :
ヲリヂナル8号:05/02/11 02:06:07
翌朝、病院に駆けつけると、担当医から説明を受けた。
癌の再発かどうかはわからない。ただ、肝臓の値(GDPとかなんとか)が非常に悪い。まず助からないと思ってくれ。との事。
一同愕然としたが、母は違ったようだ。夫が死ぬはずが無い。きっと助かる。
それから丸一日。
俺は病院の喫煙所でタバコを吸った。父との会話を思い出し、酒も飲めなかった、タバコも吸えなかったと思いながら。
タバコなんて吸ったことも無い火のつけ方も知らない従兄弟が、むせ返りながら、黙って一緒に吸ってくれた。
親戚がずらっと集まった為、交代でICUへ入った。
何も言わずに眠る父を見ながら、一人泣いた。
父は21時04分まで生きて、死んだ。
最期は母と子供3人が周りを囲んで見送った。
345 :
ヲリヂナル了号:05/02/11 02:26:42
家に帰り、遺体を前にして酒を飲んだ。生前、父が土産としてくれた酒。
葬儀は盛大だった。役員や有名人ではないが500人ほど集まった。
そして知人のほとんどが泣いてくれた。俺は親族の中で唯一笑顔だった。
これだけの人が見送ってくれたと嬉しくなって。後で叱られたけどね。
今、俺には娘が一人いる。父の死んだ年に知り合った妻と、まさかのできちゃった結婚。
母は孫がかわいくて仕方ないみたいだけど「お父さんが生きてたら喜んだのに」って時々悲しそうだ。
目元が父にそっくりだと思う。だから生まれ変わりかと思った。
でも、一人で誰もいない空間を見ては「じぃじ、じぃじ」って笑ってるから、きっとあやしに化けて出てきてるんだろう。
子供が大好きで地域の子供たちにも結構好かれてて。生前には間に合わなかったけど。
長々、だらだらごめんね。
文章がうまけりゃよかったんだけど。
大変だったな。お疲れ。
御母さん、嫁さん、娘さんを大事にな。
347 :
素敵な旦那様:05/02/11 06:43:22
ないたよ。おつかれ。
素敵な家族だな
ジーンと来る話なんだろうけど、この年になるといろんな人と死に別れてるんで、
あんまり…。
やっぱ泣けるのは子供と動物だな。
>>348 肉親で泣けなくて動物で泣くお前にジーンと来た。
情けない、、
443 名前:名無しの心子知らず[] 投稿日:05/02/11 19:47:00 ID:Qz5EN/ox
うちにはねこがいました。わたしがひろってほにゅうびんからそだてたねこ。
わたしがおよめにいくときもじっとえんがわでわたしのとなりからうごかなかった。
↓
けっこんしてなかなかこどもができなかったわたし。
びょういんにかようのにもつかれて もうなげやりになってたときでした。
↓
ねこがしんだとじっかからでんわがあり いそいでかけつけたけどすでにつめたくなってたねこ。
ごめんね ごめんね およめにいってごめんね
ないてもないてもねこはつめたいままでした。
↓
それからふつかご わたしのおなかははいらんび。
そうです にんしんしたのです。
ありがとう あなたがつれてきてくれたのね。
あるまんなかにすむ ふたごをかかえたははは きょうもおそらのねこにいっさいになったふたごのおはなしをします。
キモッ
353 :
素敵な旦那様:05/02/15 08:01:41
486 名前:ダメダメマン 投稿日:05/02/15 17:57:13
うちも、嫁は体もだけど心が弱かったので、最初の5年は大変でした。
ある程度予想はしていたけど、実際に生活してみると、もうしんどいのなんの。
もう自分の時間はゼロ状態、日々を全部嫁のために費やしてた。
なんでこんなことになってしまったのか、こんなはずじゃなかったのに。
正直いって離婚も考えました。
でもね、結婚して人生を共有するということ、夫婦になるということは、自分の都合で相手を切り捨てるようなもんじゃないと思ったんですよ。
こういう最悪の時でも、絶対見捨てたりしないのが夫婦なんじゃないかと。
何より、自分より嫁の方が苦しいはずなんだから。
おかげで最近ようやく、嫁は「この人は絶対に自分を見捨てない」ということを覚えて、精神的に強くなりました。
相手がちゃんと生きている、これ最強の幸せ。
記念日なんか問題じゃありません。
また一緒に過ごせる日々が来るんですから、そしたら毎日が記念日ですよ。
その割に俺はアタフタしてるけど。
これも余裕が生まれたからなんだろうな、とすり替えてみるテスツ。
まーなんだ、青臭い長文スマン(;´Д`)
キモッ
ジーンとは来ないけど、356のはガンガレ!
350はキモッで胴囲
359 :
素敵な旦那様:05/02/16 09:23:13
でも、ダメダメマンはバレンタイン=結婚記念日なのに、すっかり忘れてあたふたしてたんだがな。
ダメダメだね
362 :
泣ける2ちゃん からのコピペ:05/02/17 14:43:21
No.330 ■■■TDR最高の想い出(感動スレ)■■■ より
398 :名無しさん@120分待ち :03/08/02 01:53 ID:+Ez/tOka
バツイチの俺、約束の時間ぎりぎりに舞浜駅のホームから階段を下りると、
雑踏の中に元妻とミニリュックを背負った小3の息子が待っていた。
半年ほど見ない間に一回り大きくなっている息子をじっと見ていると、
元妻が「じゃあ、お願いね」とパスポート(引換券)とメモ紙を渡してくれた。
元妻に見送られ改札を出る俺と息子、
メモには息子の好きなアトラクや好みの店、食べ物が記してある。
ランドまでの道のり、二人とも無言だった。
いろいろと話したいこともあった、普通の父親が子にするように
頭をなでたりも・・・でも、きっかけがつかめずにインパーク
いろんなアトラクを楽しむ内に少しずつ会話が増えてきたが、
まだ、お互いに気を使っているような感じもあった。
ミートでキャストから「おとうさん」と言われ、なんか不思議な気分。
長いようで短い、8時間ほどの親子ゲーム
夕闇せまる駅のホームで息子を元妻に引き渡した。
彼女の希望で俺は一本あとの電車に乗るので、二人を見送ることになる。
電車のドアーが閉まる寸前、息子が周囲も気にせず大声で叫んだ。
「おとうさん、今度はシーだよ! 絶対、一緒に行こうね!」
その日聞いた、初めての「おとうさん」という言葉。
一人、電車の中で、スプラッシュで撮られた、同じように口を開けている
バカヅラの二人の顔の写真を見ていると、なんだか泣けてきてしまった。
------------------------------------------------------------------------------
ちょっと、じ〜んときた。
未亡人日記
【7:12】慌てて起床。こんな時間!だがもう急いで会社に送り出す人はいないことに気が付き力がでない。歯も磨かない。どうせ食べていない。
【7:22】子供にだけ朝食のかわりにミルクをあげる。母が暗いので子供の機嫌も悪い。こんな母でごめん。イヤになる。
「今日のラッキーな星座はおひつじ座です。」今日の占いだ。おひつじ座の人はもういない。
「ラッキーポイントは電車です。」うるさいんだよ。もう動けないのに。
【7:35】玄関で音がしたので子供がお父さんをお迎えに行く。でももうお父さんは帰ってこない。
【7:43】「うわ〜ん!」必死にはいはいして探しているが誰もいない。抱き上げるしかできない。
【7:50】まだ子供は分からない年でかえって良かった。そう言ったのは誰?分からなくても悲しい思いをしている。
【8:03】今日は曇りだ。あの日も曇りだった。あの日に帰れたら外に出さないのに。
【8:46】子供がぐずっている。
【10:30】適当に掃除洗濯終了。
【10:40】それでも子供に笑いかけて一緒に遊ぶ。
【11:45】お腹がすいた。せめてなんか食べないと。でも味は分からない。
【13:11】友だちがきて談笑。気を使った笑顔に悲しくなる。
【13:20】離婚母子家庭の友だち登場。
【13:22】「でも保険金も入るし離婚より死別のほうが恵まれてるよね。お金があって子供がいて気を使う旦那いないなんていいじゃん。」 相変わらず無神経な奴だ。それとも下手すぎる慰めなのか。
「そうかもね。」確かにそうだが、つまりうちの旦那は死んでよかったと?帰宅時間早く来い。
【16:40】みんなが帰って虚無感に襲われる。暗い。景色に色がないようだ。
【16:42】「こんにちは。いる?」母だ。タイミングが良すぎる。どこから見ていたんだ?
【16:43】「ごはん一緒にどう?」さようなら、強い私、こんにちは、泣き虫の私。子供が不思議そうに見ている。
【16:45】「・・・・・・・・・」声はでない。
「うちに帰ってくる?」でもそうしたら息子を失った義両親が孫まで失うことになる。
【16:49】「大丈夫だよ。ずいぶん落ち着いたし」格好だけ言ってみる。
【23:53】旦那が帰ってきた。「ただいま。」遅すぎる。待ってたのに何してたんだ。と思ったら目が覚めた。うだつの上がらない私だ。
【23:55】未亡人という言葉が頭をよぎる。未だ亡くなっていない人。後を追うか?
子供を置いて?つれて?どっちもできない。
やばい
2chで泣くなんてありえないと思っていたけど、これはやばい。
これ作った人、すごいね。。
うちの嫁さんは、早くにお袋さん亡くしてて、兄姉はもう実家を出てて、
親父さんと二人暮しだった。
オレが嫁さんにプロポーズした頃、親父さんに肺癌が見つかった。
手術したけどすぐに再発して、何度も入院しては抗がん剤を使ってたらしい。
オレとの結婚に付いては、親父さんにとっては最悪のタイミングだったのに、
調子のいい時見計らって、1年ちょっとかけて親同士の顔合わせまでしてくれた。
もともと肺とか心臓が悪かったらしくて、相当苦しかったらしい。
食事すれば発作みたいに呼吸困難になったり、トイレに行ったら便座から立てなくなったり、
それはそれは壮絶だったらしい。(全部嫁さんから聞いた)
そんな中、嫁に結婚祝だって真珠のネックレス買ってくれたり、
俺らが籍だけ入れたいって言うのもすんなり許可してくれた。
結婚式も親父さんが気に入ってた場所でやることになって、日取りも決めた。
前撮りとかいって、親父さんと嫁さんは二人で結婚衣裳着て写真撮ったりもした。
今思うと、先が無いと思っていろいろ親父さんなりに考えていたんだろうな。
親父さんの看護のために、嫁は仕事も辞めてたから心配だったろうしな。
たまに、嫁が「あの口の悪いお父さんが悪いな、とかありがとうとか言うのよ。」
って泣いてた。
嫁も、兄弟が口は出すけど手を出さないって言うんで、一人で親父さんを看てて、
俺が、正直親父さんに嫉妬しちゃうくらい良く面倒見てた。
結局、肺に水がたまったりして1年半くらいで急変して逝っちゃって、
籍入れた報告は出来たけど、結婚式には出てもらえなかった。
もちろん、いわゆる結婚祝はもらってない。ところが、嫁と嫁の兄弟が
親父さんの通帳を整理してたらね、一冊の通帳に、メモが入ってた。
「この通帳から、○子(嫁)への結婚祝いを」って書いてあった。
嫁がそのメモをもらって帰ってきた。
なんかもう、親父さんのいろんな気持ちを考えて、一人で泣いた。
理屈じゃなく、親父さんのことは初めて会ったときから妙に好きだったんだ。
だから余計にそう思うのかもしんないけど。
巧く書けなくて伝わらんかも。
ただの自分語りになってたらゴメンな。
369 :
素敵な旦那様:05/02/17 21:18:04
(T_T)
370 :
素敵な旦那様:05/02/17 23:16:47
『お客さん、もしお耳障りでなかったら、聞いていただけませんか。』運転手はこう言って、話し出した。
◆(以下はタクシーの運転手さんの話である)
私は生まれた時からジャイアンツの洗礼を受けて育った者です。両親も弟も親戚もみんな、野球はジャイアンツでした。
私の弟は名古屋で葬儀社の運転手をしておりまして、偶然星野監督の奥さんの葬儀の霊柩車の運転をさせて頂きました。
出棺の際、監督は大勢の弔問客に涙をこらえながら『妻はナゴヤドームでお父さんの胴上げを見たいね。それまで生きていたい、と言い続けていました』と挨拶しました。
いよいよ火葬場へ出発の段になって、星野さんは後続の運転手に何事か話し、霊柩車には自分一人にしてくれと言って、出発しました。星野さんは弟に『運転手さん、ナゴヤドームヘ行って下さい』。
前例のないことに、弟は『ナゴヤドームですか?』と驚いて聞き返した。霊柩車はそぼ降る小雨の中、ドームを一周し、雨よけのひさしのある所に止めた。
371 :
素敵な旦那様:05/02/17 23:17:46
監督は『運転手さん、家内の棺を出したいので、手伝って下さい。全部下ろさなくてもいいですから、下ろせる所まで下ろしたいのです』。弟は何事が起きるかと恐れながらも、それに従った。
棺は頭の方を車にかけ、斜めに下ろされた。
すると監督は『運転手さん、5分間だけ泣かせて下さい』と言って、棺にすがりついて号泣した。
『なぜ死んだんだ。ドームでパパの胴上げを見たいね、それまで頑張ると約束したではないか。かあさん、なぜ死んだんだ!』
弟は感動に打ち震えながら、監督に負けないくらい泣いたとのことである。
監督は『必ず優勝して見せる。かあさん、見守っててくれ』と言って、火葬場へ向かった。
弟はその年の暮れ、正月前に休暇で帰った際、親戚が集まった席でこの出来事を涙ながらに語った。弟はこの日のことは一生忘れないと言ったが、私たちだって星野ドラゴンズを決して忘れない』
◆この話を聞いたKさんも、それを話す運転手さんも泣いた。
『お客さん、この話は初めて人に話すことなんです。誰かに伝えたいと、いつも思っていました。今日、やっと弟の感動をお客さんに話すことが出来ました…』
星野嫌い
>>371 いい話だけど
>やっと弟の感動をお客さんに話すことが出来ました…』
って、感動っていう表現はおかしいよ運転手さん
>>370-371 いい話だね〜。ほんと思わずジーンときた。
あと、どこの世界にも空気読めないバカいるんだよなw
797 名前:大人の名無しさん 投稿日:2001/07/24(火) 13:46
三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に
親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは三人兄弟なんだけど
おふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ
とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけど
これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで
開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ
なんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で
子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった
子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ
798 名前:797 投稿日:2001/07/24(火) 14:01
んで、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?
みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前で
ニヤニヤしながらガサガサやってんのを見た とかいったから
俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ
んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったから
ワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ
そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ
それをみた一番下の弟が「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ
次に出てきたのは、なんかの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”といいだして
その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って
気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」
その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ
その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ
799 名前:797 投稿日:2001/07/24(火) 14:17
それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなもなんだか
泣き出しちゃって、俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて
なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど
少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら
肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ
そこで鍵屋が、きまずそうに「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで
みんなが、はっとして涙をにじませながら「ありがとうございました」
このとき、俺は親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと
さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと
子供の頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった
親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている
長くなって申し訳ない sage
(・∀・)イイ! 話age
うん。いい。
嫁さんもいい。
>>380 て言うか、コピペ元をテンプレに入れるのはどうかと、、w
382 :
素敵な旦那様:05/02/19 13:24:42
ほんのり、だけど。↓
77 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:05/02/18 20:49:25 ID:QSViBRzI
大した言葉じゃないかも知れないのだけど、
私にとって一番最初に私を変えてくれた言葉は
反抗期の時に母親に説教されるのが嫌で(今、思えば母が正しいこと)
「アンタなんか大ッ嫌い!」と叫んだ時、
「好かれようげな(げな=なんて)思ってない!嫌われてもいいけん、守りたいだけや!」
と言われて、その時は無視したけど、ずっとその言葉が心に残ってて
自分が大人になってから、あの言葉が私を支えてくれたんだろうな・・て思い返すことがある。
すごーく臭い言葉になってしまうけど、無償の愛情っていうか、
本当の愛情って自分が好かれるとか関係ないんだなって、思えるようになったのは
お母さんのおかげ。
泣ける2ちゃんねるに行けば見れるのに、何故コピペをするのかと。
このスレの存在意義もなくなってしまうが。
>>383 言ってる事は正しいが、スレタイに「コピペでも」と入っているので
それも有りかと。
しかし、泣ける2ちゃんねるばかりだとつまらなくなるのも事実なわけで。
仕事の合間と家に帰ってからの一時間程度しか2chその他、みる時間がない俺にとっては
このスレは嬉しいよ。そんなやつ、結構多いんじゃない?
>>363-364の続き
未亡人日記(その後)
【9:42】起きてびっくり。またやってしまった。旦那実家に泊まりにくるとどうしてこう寝坊するのか。横を見ると息子ももういない。私も起こしてくれ。
【9:52】トメが朝ごはんを出してくれる。またダラ嫁ぶりを発揮してしまった。イヤになる。
「お母さん遅いよ」息子の言葉だ。先に起きたら起こしてねって言っといたのに裏切り者〜。
「ここに来た時くらいゆっくりしていていいのよ。」ありがたいですが恥ずかしんいです。すいませんお義母さん。
【10:35】いつものようにコトメが子供をつれて参上。庭で子供たちが遊びだす。
【10:43】「助けて〜!」子供たちがが叫んでいる。!!何かあったのか!?
【10:50】子供たち救出。洗濯物をひっぱって物干し竿を倒したらしい。洗濯物には触っちゃ駄目!
【11:03】今日は曇りだ。ただでさえ洗濯物がかわかないのに。早く洗濯しなおさなくちゃ。
【11:06】コトメは関係ない顔をしてしている 。
【11:30】結局トメが洗濯しなおしてくれた。 すいません。
【12:10】昼食。
【12:45】お腹いっぱい。子供たちはすぐにまた遊びだす。
【13:11】みんなで談笑。子供たちのほうからばたばた聞こえてひやひやする。
【14:20】外出していたウト帰宅。
【14:22】「よ〜く来たね、孫君たち!」 相変わらず孫命な方だ。
「やめろ〜!おじいちゃんをを離すんだ!」ヒーローごっこをはじめたらしい。うちの子は悪役がはまっている・・・。
【14:40】ちょっとだけ寂しさにに襲われる。もう母に抱っこされるより友だちと遊んでるほうが楽しいのね。
【14:42】「あっというまに大きくなるのよね。」トメだ。タイミングが良すぎる。考えが読めるのか?
【14:43】「大人になるのもあっというまよ。」さようなら、母命の幼児時代、こんにちは、自分で考える少年時代。コトメがニヤニヤしている。
【14:45】「いくぞ〜!あ〜んぱ〜んち!!」アンパンマンごっこだったらしい。
「バァイバァイキ〜ン〜…!」息子よそれでいいのか。
【14:49】戦闘終了らしい。「おやつ食べる?」格好だけ聞いてみる。
【14:53】もちろん飛んできた。「手を洗ってからだよ」遅すぎたか。食べるな。今からでも手を洗え。
【17:30】帰宅。平和で穏やかな日々。貴方が思い描いていたような平凡で幸せな生活。
ただそこに貴方がいないだけ・・・
。゚(゚´Д`゚)゚。
。゚(゚´Д`゚)゚。
。・゜・(ノД‘)・゜・。
北チョンのニュース番組はだいたいこう聞こえる
踏んだら孕んだ!
孕んだ振る降る般若だ!
童貞擦る無駄、フン出る春巻きはむ無理!
チン毛ちぎり、看板塗る飛騨!
安眠煮る焼酎!
安打!?半田ゴテ適時打!!
原チャリ盗んだ!
よくちょん切れるハサミだ!
∧__∧ ________
<丶`Д´>/ ̄/ ̄/
( 二二二つ / と)
| / / /
|  ̄| ̄ ̄
161 ::03/02/07 18:26
今日、女性の宅配便業者が配達に来た。
病床の妻が、カタログ販売でマフラーを注文していたのだ。
代金は頂戴済みであるという、訝しげに開くと結婚ありがとうとメモカードが
ついていた。
忘れていたが明日は、結婚記念日であった。
もしかしたら、妻から最後のプレゼントになるかもしれんと耽った。
早々に首に巻いてみた、嬉しいやら悲しいやら、言葉が上手に書けん。
>>393 >>72でタイトルだけ出てる(URLも貼ってあるが、
●持ってても飛べなかった)。
どこかの泣けるスレ紹介で出ていて、ずいぶん前に読んだが
泣いた。子供が生まれてから子供の絡む話に弱くなった。
839 名前:素敵な旦那様 投稿日:05/02/25 15:08:15
喧嘩してて、そろそろ謝りたいと思っていたけど
なかなか素直になれず謝罪の言葉も言えなかった俺・・
何気に嫁と付き合っていた頃に好きだった歌を口ずさんでいたら
廊下から同じ歌を歌っている嫁の声が聞こえてきた
いや、歌っていいね・・って話です
19 名前:無責任な名無しさん 投稿日:05/02/25 15:02:39 ID:DpNSusPS
朝、旦那とくだらないことで大喧嘩して、もう離婚してやろうと思って
実家に帰ろうと最低限の荷物まとめた後に、
「もう疲れました」と書き置き(一度書いてみたかった)しようとしたら
「もう疲れますた」
と書いてしまいますた。
あまりの自分のアホらしさに怒りの熱も一瞬で冷めてしまい、
その日の晩御飯は旦那の好きな肉じゃがにしました。
398 :
素敵な旦那様:05/02/27 04:21:09
382 :名無しさん@ピンキー :05/02/25 15:04:51
12才の娘に昨日もうエッチしないでと真剣にカミサンが言われたらしい 前から声が聞こえてて嫌でたまらなかったらしい どうしよう・・・
仕事中にもかかわらず、泣ける2ちゃんをよんで
涙ぐんでヒィックヒィックしてる俺。
嫁の日記を盗み読みしたら
いつも昼飯は、納豆ご飯やお茶漬けしか食べてないって分った。
友達とファミレスに行くのも月に一度と決めてるらしい。
俺に美味しい料理を食べさせたいからみたいな意味のことが
書いてあった。昼飯けずって夕飯にまわすって。
しかも、すげー明るく書いてあんの。
「今日は○ちゃん(俺)の好きな牡蠣を買うのだ〜」とかさ。
俺の文句とかも書いてあるけど、文句書いてるくせに最後は俺を庇ったこと書いてるし。
マジで泣いた。もっと俺に甲斐性があれば昼から寿司でもなんでも食わせてやるんだけどな。
給料少ないのに専業で居てくれって言ったの俺だし。
金のことで責められたこと一度もないし(タバコ減らせとは言われるが)
節約も楽しいよーとか言ってたし。
盗み読みは良くないことだが、結婚してよかったってつくづく思った。
こんなに俺につくしてくれたのって親以外で初めてだし。
何もしてやれんけど週2回の風俗通いを風俗1キャバクラ1に変更しようと思った。
つまんねーよヴォケ
改変コピペだし
俺の親父の心臓が具合悪くなって病院に行った。
車椅子とか慣れてねぇし。(親父も俺も)
手伝わせようと息子(中2)連れてった。
案の定、自動車から車椅子、トイレ等苦労した。
朝の8時から予約の診察。血液検査の結果でERで追加の点滴。
結局、病院出たのが、17時。
嫌な顔せず息子は付き合ってくれた。
親父も俺が言っても聞かねぇのに、
孫である、俺の息子の言うことを聞きやがる。
ほんとにマジ助かった。
帰りに、デニーズでメシ食いながら勇気を出して聞いた。
俺 「俺もおじいちゃんみたいになるんだろうなぁ?」
息子「歳とりゃなるんじゃね」
俺 「・・・」
息子「今日、親父がんばってたじゃん。俺もそんときゃやるよ。」
息子「でも、なるべくならないで欲しいけどな。」
俺 「・・・」
デニーズのメシが妙にうまかったよ。
いい話だ
こんな当たり前の話がいい話になっちまうんだよな。
なんだかな〜
>>408 そうだね、それ程、いい話がちまたにないってことだもんな。
でも、ささやかな何気ない生活の一コマに感動できることは良いことだ。
煽る気はないんだが、
>>408みたいなレスをするのって、何なんだ?
別に「いい話だと思えない奴はおかしい」ってわけじゃないけど、
なんかこう釈然としないものがある。
まぁ。
俺は自分の息子が中学生になって、
>>405みたいな面を見せてくれたら
たぶん泣く。想像しただけでヤバい。
つーかさ、基本的に既男に書き込むようなヤツって、
いい人が多いんだよ。世の中嫌になる様なニュースばっかりで、
ささやかな幸せってのかな、>405みたいな話は
読んでいてもほのぼのするけどね。
405からの流れで、「自演、乙」が出てこない。
ってのが、既男板のいいとこだね。
>>412 やっべ〜!止めといてヨカターヨ・゚・(ノД`)・゚・
20 名前:名無しさん@5周年[sage] 投稿日:05/03/09 14:17:16 ID:pqC/Wk4T
小学生の時、母親に「セックスってなに?」と聞いたところ
母親は「男の人と女の人が仲直りするおまじないよ」と答えた。
その日の夜、両親がケンカした。俺は
「ケンカやめてセックスしなよ、セックスセックス!」と止めに入ったら
父親からボコられた。
>>414 おもろいが、ジーンとはしないな。ふう。
>>415 いや、414のほっぺと頭は、間違いなくジーンと来たはずだ。
いや、ガーンかなw
>>417 知ったかの藻前の態度にもジーンと来る物がある。
ちょっと駄文になると思うが言わせてくれ…
クリスマスの日に倒れた親父…
俺が子供の頃に「いつかお前とバイクで田舎に行きたいなぁ」って言ってて
「昔は陸王のバイクに乗ってたんやぞ」なんて話して
「子供ができたんやからバイクから降りたらどうや?」などと余計な世話を言って
俺が「このバイクの音ってツインやから親父の乗ってたのに似てるやろ?」
って言ったら嬉しそうに笑って
「今年は田舎に帰ってみるか?」なんて言ったよな?
ただ「バイクは無理やから車で帰るぞ」なんて言いながら楽しそうにしてた
もうすぐ退院やって2月の終わりに話してたよな…
でもな、俺の娘の節句の時に死ぬか?
田舎に行くのはGWやって言ってたやろが!!
なんで8月に初盆として行かなならんのや?
いつか田舎にバイクで帰りたいって言ってたのを実現したるよ
お守りに入れた髪の毛、それと思い出を後ろに乗せてな…
納骨が済んだら田舎でゆっくり好きな海を見とくんやぞ
「子供みたいやったけどいい親父やった」
俺も娘にそう思われるようになりたい…
やっぱ文章力ねぇや…
初七日終えたばかりって事で勘弁してくれ…(苦笑)
まぁ孫を見せてやれたんだ、十分に親孝行したよ。
元気出せ。
>>419 俺も息子とバイク乗りたいと思ってたんで
グッときた。
いい親父だな。
>>421>>422 ありがとう、ちょっと自分語りでスレの趣旨と違うっぽかったけど…
俺も親父に対して思った事を子供に思われるように頑張るよ
感動系コピペスレの中でどのスレに貼るか考えたけど、ここが一番合ってる気がしたので。
304 :1/2 [sage] :05/03/11 14:58:00 ID:TRAEmy9A0
この前親父と喧嘩したんですよ、つっても10年以上前にね。
で、生まれて初めて親父と殴りあったわけですわ。正直最初は殴り合うって簡単だと
思ってたのよ。みんな普通に親父と殴り合ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは人がするもんじゃない。猛者だね、腕に自信のある奴がするもんだよ。
最初に殴りかかる時さ、めちゃめちゃびびって拳そろ〜って握って足をそろ〜っと出したのよ
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって拳を下ろしちゃったのさ。
そしたら親父がさ「この根性無しが!」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから殴りかかったさ。えぇ、そりゃもう殴りかかりましたとも。全てを忘れて殴りかかったよ。反抗期とか親父は空手の有段者とか色々忘れてね。
だって親父が「根性無し」って言ったからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごいカウンター。すごい重いパンチ。800kgくらい。ドラクエならソフト何本分だ?。
それで横見たら親父がすごい勢いで勝ち誇ってんの。ホントあんたをいつか越えてやる。
正直「男なら親父とタイマンだぜ!」なんて見栄張らないで素直にごめんなさいしてりゃよかったと思ったよ。
心の底から親父に挑戦した事を後悔したね。
でも次の日学校で友達と「親父弱っちょろいよ!これだからオッサンは。」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい
305 :2/2 [sage] :05/03/11 14:59:02 ID:TRAEmy9A0
この前親父と飲みに行ったんですよ、これまた4〜5年前にね。
で、生まれて初めて親父とサシで飲んだわけですわ。正直最初は親父と飲むって簡単だと
思ってたのよ。みんな普通に飲んだりしてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれはオレみたいな脱線したバカ息子が語らうもんじゃない。
普通だね、普通に親父と接してきた息子が語らうもんだよ。
最初に話す時さ、めちゃめちゃびびってビールそろ〜って飲んでそろ〜っと喋りだそうとしたのよ
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなってうつむいちゃったの。
そしたら親父がさ「すまん、ワシ病気でもうすぐ死ぬかもしらん」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから親父と語ったのさ。えぇ、そりゃもう語りましたとも。全てを忘れて語ったよ。殴り合いの喧嘩したとか
やっぱり親父の背中でけぇとか今年の暮れには孫の顔見せてやれるとか色々忘れてね。
だって親父が「もうすぐ死ぬかも」って言ったからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい喪失感。すごい後悔。8ヤッテモウタくらい。ドラクエ3ならカンダタと間違えてオルテガぶっ殺してる。
それで横見たら親父がすごい勢いで泣いてんの。ホントオレもいい年こいて涙がとまんねえ。
正直「男なら親父超えだぜ!」なんて見栄張らないで素直に仲良くしてりゃよかったと思ったよ。
心の底からこの年まで親父と語り合わなかった事を後悔したね。
でも家帰って嫁と「親父もう長くないらしいわ!だいたい飲み過ぎなんだよ。」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ息子。
誰か助けて下さい
親父、アンタ結局じーちゃんになる前に逝っちゃったね。でもアンタの息子の息子は元気でやってるよ。
最近幼稚園でしょっちゅう他所の子殴って泣かしてるけどなw ったくよぉ、誰に似たんだか。
オレは親父とは体格も性格も違うけど、オレにとって一番の男はアンタです。
泣ける…。
初めて見たコピペだ。
>>425 泣ける、けど
>ドラクエ3ならカンダタと間違えてオルテガぶっ殺してる。
これで思い切りワロタ
あげ!と思ったけどここってsage推奨?
>>428 これ、ネタじゃなかったんだよな?
レスつけてたヤシらが笑える。
俺の話じゃないけど、俺自身が結婚してよかったんだと思った瞬間の話をさせてくれ。
3年前に父親をなくした。
父親は簡単に言えばドキュソだった(ギャンブル&アルコール中毒&浮気しまくり)
反抗期には親父を殺そうかと思う位の修羅場の毎日だったし
離婚しない母親に腹が立ったくらいだった。
自分が大人になってから、父の長所やどんな親父でも俺の親父だって当たり前のことを
感じるようになって、親父に対しての嫌悪感はなくなってたけど、母ちゃんは可哀想な
人生だなって思ってた。
でも、親父が死んでから母ちゃん老化が激しすぎ。
親父が死んだら、自由にノンビリ楽しんでくれと思ってたけど、
見た目も老化してる、痴呆症とまでいかないけど話が飛びすぎだし目が逝っちゃってる。
あんな糞親父でも母ちゃんには大事だったんだなって思う。
母ちゃん、親父の悪口言うときが今でも一番ニコニコして嬉しそうだしな。
母ちゃん、どんな親父でも大好きだったんだな、あんなに文句ばかり言ってたくせによ。
母ちゃん、親父が最後に入れた留守電、夜中に聞いてるの知ってるよ。
>>432 それは共依存だったからじゃボケ
おふくろさん大事なら真剣にサポートしろよ
434 :
素敵な旦那様:2005/03/25(金) 20:59:24
808 :大人の名無しさん :2005/03/25(金) 19:27:36 ID:bm3q8jBR
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
これ毒男のカーチャンスレのコピペだろ
|ω・)コソーリ・・・
オレのこと書いたら自分でもビックリするぐらいスンゲー長文になった。
夜中にコソーリ置いておきます。ヘタレなもので・・・
もう結婚して10年が経つ。独身の頃はバブルで、俺も平均よりはだいぶ良い暮らしをしていたと思う。
おれの家はオヤジが商売をやっていたんで、25歳ぐらいまで放蕩な生活を満喫してから家に入ってオヤジの手伝いを始めた。
手伝いと言っても、たいしたことなんかなんもしてやいなかった。
外車とまではいかないが、上のクラスの国産車を乗り回し毎晩遊び歩いていた。そんなおれも、大きな失恋をして凹んでた時期があった。
ちょうどその頃おれに気を寄せていたのが今の嫁だ。そして、やがて結婚した。
オレは田舎で生活しているのだが、結婚生活に入ってから本格的にバブルが弾けた余波が来て、仕事が段々怪しくなってきた。そんなときにも嫁さんは
「大丈夫だよ!わたしパートにでも出て生活費ぐらいは稼いで来るから!」と明るく言っていた。
案の定、その通りになった。雇っていた数人の社員・パートを解雇し、残ったのはおれとオヤジとおふくろの3人だけの会社になっていた。
経理を担当していたおふくろは、ストレスがたまると嫁にあたっていた。
そして、いよいよおれの給料も出せない状態になり、子供が生まれてから間もなくして嫁はパートに出た。
仕事はいわゆるスーパーのレジ係りだ。さしておもしろくも無い仕事だとは思うが、嫁はいつも明るく「すんごい楽しいよ!まわりのオバチャン達もいい人ばかりだし」と
おれを気遣ってくれるのか、明るく話してくれる。
いつも子供達のおやつを抱えてパートから帰ってくる。おやつといってもスーパーで売れ残ったパンやその日に賞味期限が切れる菓子を社内販売で1個10円とか20円で買ってきたものなのだが。
まだ何もわからない子供たちは「おとうさん、うちのおかあさんはスゴイんだよ!お菓子なんでも
10円で買ってこれるんだよ!」と無邪気に自慢してくる。
おれは「そうか、よかったな。でも特別なんだから友達とか他で言っちゃだめだよ」
と子供たちには言うけれど、嫁の顔は見れなかった。見れなかったけど子供たちを前に明るく笑っていた嫁の声が聞こえた。自分の情けなさと嫁への申し訳なさで息苦しくなる。
ある日、外の仕事から帰ってくると暗い部屋の中で嫁が声も出さずに泣いていた。
嫁に聞いても訳は言わなかったが、すぐにその訳がわかった。またお袋に八つ当たりされて、しかも今回はオヤジからもイヤミを言われて、嫁は言い訳も出来ず我慢してひとりで泣いていたのだ。
さすがにキレた。実の親に対しはじめてなぐりかかろうとした。しかも30過ぎて・・・。嫁に泣きながら必死に止められた。
「おとうさん、もういいから、いいから、やめて・・・」
そんなこともあってから数日たっておれが深夜に帰ってきた時の事。
嫁は子供たちと川の字になって寝ていた。すると枕元に小さな包みが置いてあった。
中を明けて見ると革の名刺入れと手紙が入っていた。
「おとうさんへ、いつもよれよれの財布に名刺入れてちゃダメだよ!営業なんだからこれに入れて持ち歩きなさい。
忘れていると思うけど、今日は結婚記念日です。いつも遅くまでお仕事ありがとう。」
(あっ、そういえば今日だった、結婚記念日。オレなにも用意してなかったな。)と思いながらうす明かりのなかでふと嫁の手が目に入った。
よく見ると嫁の手はガサガサになって、ひび割れがいくつもあった。結婚当初は苦労知らずで綺麗な手をしていた嫁の手は見る影も無い。
なんだか急に自分への自己嫌悪と、嫁と子供たちへの息苦しくなるぐらいの申し訳なさが相まって、涙がとめどなく流れてきた。嗚咽をかみ殺しながら泣きつづけた。口を抑えても大粒の涙が
ぼろぼろぼろと出てくる。川の字で並んで寝ている枕もとでずっと泣いていた。
次の日、嫁と話がしたくてなんとか仕事を早くすませて帰ってきた。朝はみんながいるので恥ずかしくて言えなかったが、夜2人になったときに名刺入れのお礼を言った。
「ありがとうな。なんか結婚してから苦労ばっかりさせるけど、オレおまえと結婚してほんとによかった。ありがとう」
こんな事初めて言ったので思いっきり照れていたんだけど、嫁さんいきなり泣き始めた。
しかも子供みたいに「わーん、わーん!」って、両手で顔抑えて思いっきり泣いてた。
あんまり子供っぽい泣き方だったんで、最初はオレもビックリして何も言えなかった。
でも今までずっと抑えてきたんだなとわかった。がんばってたんだなってこのとき本当に気付いた。
オレ思わず嫁さん抱きしめて「ごめんな、ごめんな」って言いながら一緒に泣いてた。
どのくらいの時間かわからないけどずっと嫁さん抱きしめて2人で泣きつづけた。
いつか今より平穏で楽しい暮らしができるようになったらいやと言うほど嫁さん孝行をしてやる。
必ず約束する。ヘタレなおれは嫁さんを前にして口にできないから、ここでしか言えないけど、いつか必ず幸せを満喫させてやる。
結婚当初より今のほうがずっと嫁に惚れている。おまえよりオレのほうがおまえに惚れている。
ヘタレなオレだけど・・・。
長文スマソン。
ここなら書き込んでも許してくれそうだったもんで・・・。
なんかスッキリした。
失礼しました。m(__)m
>>440 イイ話じゃん。できた嫁もらって羨ましいよ。
>>437-
>>440 多分、ケータイからの書き込みっぽいが、まぁガンガレ。
口では何とでも言える。文なら何とでも書ける。
要は、今の気持ちを忘れずガンバり続ける事だ!
俺もガンバる!!!
>>437-440 お前が本当に嫁さんを大切にしたいなら、
その気持ちをきちんと伝えるべき。
こんなところにカキコしてる場合か?
転職すればすぐにでも楽になりそうだが
泣けた
>>444 まぁ自営にはいろいろ都合もあるだろう。
ってか、ヘタレでいいから、この書き込みを正直に嫁さんに読ませてやれ! タノム
結婚記念日、おめでと。
すまん、元スレを考えると不謹慎かもしれないけど一部抜粋でコピペ。
>532 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2005/03/28(月) 22:13:55 ID:cuamKZUs
>
>知り合いで
>15歳の男子を亡くした父親は
>号泣して「親父としてアイツに一度でもいいから女抱かしたかった・・」
>笑いごとでなく解る気がした
ま、見方によっては不謹慎というヤシもいるかもわからんが。
特攻隊なんかの遺書見ると、母上とか、妹にあてて○○ちゃんとか。
ヨメや幼い子ども(中にはまだ生まれてない)残して亡くなった
兵隊さんはもちろん気の毒だが、まだ17・8くらいで
恋も女性も知らないで逝ったのもかわいそうだよな。
ある女の人が学生の頃に強姦されました。
男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、会社勤めをしているうちにそんな彼女に
熱烈にアタックしてくる人がいました。
その男性の優しさや「こんな自分でも愛してくれるんだ」という気持ちから、彼女も彼と交際を始めました。
そして交際を重ねて二年、ずっと清い交際を続けてきた彼が彼女をホテルに誘いました。
彼女は「大好きな人とできるのだから怖くない」と自分に言い聞かせましたが、やはりベッドの上で
パニックを起こしてしまったそうです。
その時、彼は彼女が泣きながら切れ切れに語る辛かった過去を辛抱強く穏やかに聞き、最後に
泣き伏してしまった彼女に「ずっと大変な事を一人で抱えてきたんだね」と頭を撫でたそうです。
そして彼女の頭を一晩中撫で続けながら、彼女に語りかけていたそうです。
「これからはずっと俺が守るから。もう怖い思いはさせないから」
「焦る事は無いよ、ゆっくりと分かり合おう」
「君はとてもキレイだよ、ちっとも汚れてなんかいないよ」
「ごめんなさい」と繰り返す彼女に、彼は一晩中優しく語り掛け
「いつか、君が僕との子供が欲しいと思う時まで、心で深く分かり合っていこうよ。
僕が欲しいのは君の体じゃなくて君自身だよ」
と言い、その後彼女と結婚するまでの五年間、おでこにキスくらいまでの清い交際を続けました。
そして結婚してからも焦る事無く、ようやく初夜を迎えることができたのは結婚後二年経ってから
だったそうです。
そして、私と弟が生まれました。
弟が二十歳になるのを待って、母が初めて子供二人に語ってくれた話でした。
その話を聞いたとき、母の苦しみや父の愛情、そしてそれに母がどれだけ癒されたのか、今ここに
自分の生がある事のありがたさを知って、ボロボロと泣きました。
お父さん、お母さん、愛し合ってくれてありがとう。
さらにその後、父とその件について話した事があったのですが、ホテルでの一件の後
父は結婚してから母を一人にする事のないように自営業を始めるため、五年間貯金を
したそうです。
開業資金、結婚資金が貯まって、母にプロポーズをした時も「一生子供が作れなくてもいい」
と思っていたそうです。
実際、振り返ってみても父と母はいつも一緒にいた所しか思い出せません。
そんな両親も今はこの世にはいません。
二年前に母がすい臓ガンで、昨年父が脳卒中でこの世を去りました。
母の命日に位牌を抱いたまま冷たくなっていた父を見て、弟と二人号泣しました。
「お父さん、本当にお母さんのことが大好きだったんだね」と大の大人が葬式で
わぁわぁ泣きました。
法事まで母を一人にできなくて同じ日に亡くなったんでしょうか。
私たちを叱る時、精一杯厳しくしようとして、出来なくて、目に涙を浮かべながら
一生懸命大きな声を出していた父と、大きくなって「恥ずかしいよ」と文句を言っても
私たちの頭を良く撫でてくれた母。
本当に最高の両親でした。
>>452 クソッはないでしょクソッは
ウンチ、位にしときなさい。
母が急に倒れた時、同居していた妹は、救急車を待つ間、母の衣服を緩め
ネックレスを外し、はめていた指輪を外そうとしたその時、父が「それは構わんだろう」と強い調子で言い
妹は、ただでさえ気が動転している高齢の父の気持ちを逆なでしてはいけないと、外すのを止めたそうです
病院で意識が戻らないまま衰弱していく中で、母は全身がむくみ
担当医から「指輪が食い込んで血行が滞りだしたので、この指輪を切断してもいいですか?」
と尋ねられた時まで、私も妹もその指輪のことを忘れていました
金属を切断する器具でその指輪が外されていくのを見て
今更のように、そういえば、何年も前から、この金のファッションリングのようなものを
母がいつもつけていたことを思い出しました
以前から持っていた石の入った指輪は右手の薬指、この金の指輪は左手の薬指と決まっていました
二つに割られた指輪を持ち帰って父に見せた時、父は何とも悲しげな表情で「そうか」と一言いっただけでした
その数日後、母は亡くなりました
一番素敵な着物を着せて、お化粧して、お棺の中の母は、それはそれは綺麗でした
納棺の時、父はポケットから、セロハンテープで元の形に戻した
あの金の指輪を取り出して、母の手の中に入れました
お骨になるのを待っている時、父は喪服のボタンを外し、黒いネクタイの下のほうに
金のネクタイピンがついているのを見せ始めました。
それは喪服には相応しくない、金色の洒落たネクタイピンでした
そして、誰にともなく「金婚式の日に指輪をやったら、ネクタイピンをプレゼントしてくれたんだよ」と話しました
戦前米国に駐在していた父が、帰国延期になり、婚約中の母を日本から呼び寄せたのが、2人の結婚でした
船旅で若い女性が見知らぬ国へ赴いた事は、見事なことだと思っておりましたが
そんな状況だったので、結婚式もせず、結婚記念日も私達には知らされていませんでした
それでもおそらく、2人とっては、娘達にも知らせていない二人だけの結婚記念日があったのでしょう
そして、その50年目の金婚式を、2人だけでお祝いしたのでしょうか
それから半年後、父はまるで母に迎えられたように、あっけなく亡くなりました
私達は父のお棺の中に、その金のネクタイピンを入れました。いい夫婦でした
456 :
素敵な旦那様:2005/04/19(火) 00:43:24
あげ
457 :
素敵な旦那様:2005/04/19(火) 01:02:24
想像してください。。。
金属バットを両手で握り、おもむろに振りかぶり、両腕の上腕筋・上腕二頭筋
そして大胸筋・腹筋のすべてを一気に収縮させ、握った金属バットを硬いアス
ファルトめがけて振り下ろす・・・
ガッヂィィィィンンン 硬く鈍い音と感触を味わう。
アスファルトにたたきつけられたのとほぼ同時に金属バットの先端から握って
いる両手の中に伝わる感触が・・・
いまもまだ残っている・・・この両手の中に・・・
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1090868396/l50より 100 :素敵な旦那様:04/09/29 20:18:13
がんばってね。俺も嫁に電話の涙声で「ごめんなさい」を繰り返されたとき,かける
言葉も見つからなかった。「誰のせいでもないからさ」とだけ伝えた。何の慰めにも
ならないのは知っていた。もし障害があるから自然淘汰で生まれなかったのだとし
ても、子供に手足がないのなら、自分の手足をあげてでも生まれて、生きていて
ほしいと願った。嫁と幾日も泣いて過ごした。
半年後、嫁が再び妊娠した。初めての超音波検査で「今日は心音が聞ける筈です」と
言われたけど、俺も嫁も自信がもてなかった。互いに口には出さなかったけど、
また、心音なんて聞こえないのではないか、と思っていた。心のどこかで、
「残念ですが、」と言われることを覚悟していた。しかし、心音が聞こえ、
俺は診察室でモノクロのモニターを眺めながらボロボロ泣いた。嫁も泣いていた。
いい年こいたおっさんが若い看護婦の前でみっともなかった。でも涙が止まらなかった。
その後も順調で3900gのドデカイ男の子がうまれた。今、一歳半になる。いつも週末に
公園に遊びに連れて行く。
いつか出来ると信じること。生まれる子供を流産してしまった
子供の分までかわいがってやろう、と思うこと。あきらめないこと。
305 名前: 名無し職人 [sage] 投稿日: 2005/05/02(月) 17:25:35
幼稚園の頃母親とつまらない内容で口喧嘩した。
「こんないえ、でてってやるぅ〜」と郵便ポストの形をした貯金箱を握りしめ、泣きながら近所の空き地に逃げ込んだ。
で、貯金箱を開けようとしたら底にある蓋が取れない!
30分くらい蓋と格闘していたが、縦にしても横にしても取れなかった。
どうしても蓋を取りたくて頼みに行った先が母親w
母親は喧嘩していたことをすっかり忘れてしまっている俺に何も言わず、ただニコニコ顔で貯金箱の蓋(捻るだけ)を取ってくれた。
貯金箱から出てきた100円玉や50円を数えて「お母さんとお菓子買い行こうか?」って言ってくれた母親も、去年急性心不全で死んでしまった。
貯金箱って言葉を見たら、つい思い出してしまったよ・・・
463 :
素敵な旦那様:2005/05/09(月) 14:31:30
人が死なないのキボン…
僕が12歳の時に父親が他に女を作り、母親と僕と当時7歳だった妹を残して
その女と蒸発した。
母は父が失踪した始めの頃は「どうしてあんな女と」と恨み節を言いながらも
女手1人となってからも気丈に頑張っていた母だったが一家の大黒柱を失った
家族は本当に脆かった。
僕ら兄妹を養うために夜の飲み屋の仕事を始めた母だった。それから母は段々と
酒びたりに。
だけど子供の僕達には本当優しい母だった。しかしその優しさは自分の感情を
殺した上での僕達への精一杯の自分の子供への愛情だった。
そして今でも思い出したくないとんでもない事件が起きた。
その日、土曜日だったと思うが通っていた小学校の授業が終わって家に帰ろうと
したら正門の前に妹が僕が出てくるのを待っていた。たまに土曜日には妹と2人で
一緒に帰ることもあった。
妹とはその途中に色々と話したと思う。内容までは覚えてないがとにかく何かを
話したと思う。
そして住んでいた安アパートについて部屋のドアを開いた。部屋の中には母がいる
はずだった。
いつもだったら「ただいま」と声を掛ければ飲み屋の出勤前の濃い目の化粧した
母が顔を出して「おかえり」と言ってくれるのがいつもの光景だった。
しかし部屋のドアの鍵も掛かってないのに母が出てこない。部屋の鍵も掛けずに
出てったくらいだからすぐに帰ってくるだろうと思いながら部屋に入ったが2つ
あった部屋の居間に使ってた部屋にも母の気配がない。
僕は何気にもう1つの寝室兼家族のプライベートなことに使っていた部屋の
ふすまを開いた。
母はその部屋にいた。部屋の柱に釘を打ちつけてそこに紐を縛りつけた状態で首を
吊っていた。
僕は今でもその時の自分の冷静さに驚くことがある。自分で気づいたらいつの間に
か母の首に巻きつけてあったビニール紐を切った上でテレビで見た人工呼吸と心臓
マッサージを見よう見真似でしていた。しかしそれでも母が何の反応を示さない
ので近所に助けを求めにいった。
幼い妹は状況が判らずに「ママー」と母の体を揺り動かしながら母に取りすがっていた。
すぐに近所の人が助けに来てくれて救急車を呼んでくれた。家には親子3人の
貧乏暮らしだったので電話すらなかった。僕はそれから貧乏は大嫌いになった。
そして母は幼い僕らだけ残してあの世に逝ってしまった。
葬式の日、参列したのは僕達と知らせを聞いて掛けつけてきた母の弟夫婦と隣組の
人達だけだった。
そして僕達はその弟夫婦に引き取られた。
母親を思わぬ形で亡くした僕達を気遣ってか本当に良くしてもらった。
しかしそれも長くは続くことはなかった。弟夫婦には子供が2人いてそこに食べ
盛りの子供が2人も増えたのだ。
僕はある夜におじとおばが言い争う場面を見てしまった。おじは「気にするな」と
言ってくれたが子供だからって気にしない訳にはいかなかった。
そして僕は自分から役所の福祉課行って相談した。
そして僕らは弟夫婦の家を出て同じ県内の違う都市の養護施設に移り住むことに
なった。
おじは「行かなくてもいい」と言ってくれたが僕としてもこれ以上に気を使うのは
嫌だった。
幾ら良くしてもらっても所詮は他人に家でしかないと思っていたからだ。
おじの家を出て行く日、僕は役所の福祉課の職員が「行こうか」と声を掛けてきた
時に妹がとっさに強く握ってきた小さな手の感触をこれからも忘れることはない
と思う。
そして僕と妹の養護施設での生活が始まった。
養護施設では兄と妹でもまるで他人のように振舞わなければならなかった。
寝起きする部屋はもちろん別々で2階建ての建物で2階は男子、1階は女子と
言うようにフロアーで完全に仕切られていた。
それは男女間での間違いを防ぐためには当然のことだったがこうなってしまうと
兄妹とは言え、会話は皆無となってしまう。
風呂は1日置き、それも男子の人と女子が入浴する日が交互でやってくる。
施設では男女間のことに関してはそこまで徹底していた。
僕達が顔を合わせるのは朝夕の食事の時間と夕食後にあった勉強の時間だけ。
施設に入所した初めの頃こそ時間を見つけては兄と妹の時間を持ってこそはいたが
いつしか施設にあった暗黙の規則に従っていた。もちろん僕達の他にも
兄弟で入所していた者はいたが特別、僕達だけがそうでなく施設にいたみんなが
そうだった。それを当たり前のことだとみんなが思っていたし、そうでなければ
施設ではやって行けなかった。
施設内ではいくら自分の兄貴であっても妹が「お兄ちゃん」と呼ぶことすらはば
かるような雰囲気があった。目上の兄姉を呼ぶ時には名前で呼ぶのが半ば慣例の
ようになっていた。だから僕も妹からは「お兄ちゃん」ではなく「智之君」と
名前で呼ばれていた。
兄妹が兄妹でなくなってしまう場所、それが養護施設と言う場所だった。
やがてその生活にも慣れてようやく自分の家と思えるようになってきた頃、
僕の妹が小学3年生の冬休みに起きた僕達の運命を変えてしまう僕達にとっては
大きな出来事が起きた。
養護施設では、夏、冬休みの時には大抵の入所者達は自分の家に帰る。
年に2回だけのお盆と正月にある帰省だ。僕達に入所していた施設は公的機関の
施設だったので丁度その時には役所の休みと重なることもあり、人払いも兼ねて
の半ば強制的な帰省であった。親自体がいない、いたとしても養育が困難だとか、
余程のことがない限り帰省させられてしまうのだが僕達には引き取り先もなかった
のでいつも家の人に迎えに来てもらって帰省で家に帰る他の連中を
羨ましく見ていた。誰か迎えに来てくれないかとありもしないことを期待しながら。
結局、施設に残ったのは僕達も含めて10人程度だけ残ったと思う。
この時ばかりはいつもは厳しい指導員も開放的な気分となるのか入所者に甘くなる。
だから多少の規則破りには目をつぶってくれていた。普段は出入りは一切禁止され
ている異性の部屋への出入りも兄妹や姉弟間であれば事前に許可さえ取れば短時間
程度であれば許されていた。
帰省中の施設にはいつもとは違う雰囲気が漂っているのだ。
そしてその日の昼間、僕達はその日に宿直予定となっていた1人の指導員に呼ばれた。
「館長室まで一緒に来て」と言う指導員に従って施設内にある館長室へ行って
みれば、その日は休暇となっていた施設の館長が椅子に座っていた。
「おっ、来たな。そこに座れよ」といつものとっつき難くい雰囲気とは一転、
柔和な笑顔で僕達を椅子に座るように促した。彼に言われた通り椅子に腰掛けた
僕達の前には食べきれないようなおやつが山のように置かれていた。
「他のには内緒だぞ」と彼から口止めをされた上で食べるように薦められた僕達。
僕は「これは何かあるな」とは思ったが施設では甘いものはそう多くは口には
出来ない。あたかも幼稚園の子供のようにおやつの時間というものがあるのだが
限られた予算と寄付などで賄っているので公平に分けるとほんの少しとなってしまう。
全てが公平というのが施設での鉄則。そうしないと喧嘩すら起きてしまうからだ。
聞くところだと刑務所でもそうだと聞いたがその頃の僕達にはそんなものは知る
はずもなく目の前に山のようにあった甘いものの誘惑には勝てるはずもなかった。
まるで敵を討つかのように次から次へと口へと押し込みお菓子を貪っていた僕達の
様子を黙って見ていた館長と指導員だったが少しだけ時間が経ってから唐突に今回
の用件を切り出し始めた。
「美恵(妹の名前)のことを育てたいと言ってる人がいるんだ」
どうやら妹を里子として育てたい言ってる人がいることを僕達に伝えるために
皆に内緒のおやつの時間を作ったのだ。
僕は何も言えなかった。
父親は未だに行方知れず、今まで頼りにしてきたおじも僕達が施設に入所してから
は顔すら見せるこのなくなっていた。この世でたった2人だけの兄と妹。
どうせこのままここに居ても、今までの卒園生のように中学を卒業すると余程の
ことがない限り就職させられてしまう。僕は過去の卒園生の中に進学してくても
進学出来ずに自分の夢を諦め、うな垂れ落ち込んでしまった先輩を見ていた。
その光景が思い起こされ、妹にそんな思いをさせるくらいだったら、自分さえ我慢
さえすればと思った。
その場では「少しだけ考えさせて下さい」そう言うのがやっとだった。
僕はそれから自分なりに妹の今後の将来について考え抜いた。確かに妹と離れ離れ
になってしまうのは死ぬほど嫌だったが自分のことよりまだ幼い妹の幸せ、
それが僕が妹にしてやれる何よりのことだと自分自身に必死に言い聞かせ続けた。
そして僕は妹を里子に出すこと決断した。
それを館長に伝えた日の夜、冬の冷え切ったトイレの個室の中で僕は夜通し泣いた。
これって、ジーンとする話なのか?
いや妹思いの兄に対してってのは判らんでもないけど、悲惨すぎてジーンとする前に悲しくなるよ。
>>468 なにかい、お金持の裕福なお坊っちゃまのハッピーエンドでジーンと
しないと気が済まないかい?
あぼーん
471 :
468:2005/05/18(水) 23:34:37
>469
そんな安直な事は言わないが、スレ違いだろと言っている。
〉470
女が中古っつーなら、男も一緒じゃね?
でも、そんなビデオまだ持ってんのは、どうかと思うが。
>>470 まあまあ、ネタにマジレスもなんだが。
本当に居るとすれば、こう言う輩が、ロリコンだとか
異常なのに走るんだろうよ。
別々の人生歩んで来た男と女が出会うんだから、
こんなの当り前の話。
悔しくありませんか?だってwバカジャネーノ
悔しいどころか、こんな良い女が今は俺の物で
嬉しくて仕方ありませんが何か?
他の男に抱かれた?当り前だっつーの。腐れブス
じゃないんだからよ。
まあ、こんな粘着男たとえ処女と結婚しても浮気される
か離婚でしょうね。
474 :
素敵な旦那様:2005/05/24(火) 15:24:44
肺がんです。
が〜ん。
家の中が暗くなりました。
女房も暗くなりました。
入院費用、生活費の捻出に女房を働かせました。
小学生の子供。
修学旅行の費用は積み立てで、そんなにきつくなかったですが、
おこずかい
2000円
まあ仕方ありません
修学旅行で子供が
灰皿を買ってきました
「おとうさんがタバコ止めてから元気がなくなったから、タバコを吸ってもらおうと思った。」
この子がいれば俺の人生救われたな
意味があったなと思うよ
何か残したくて、、すまそ、っていうのかなここでは
親父が酒に酔って階段からこけて脳挫傷になりやがった。
見舞いにいった親父の姿はなんかもう、平然としてた。
なんともないなと思ってたら
記憶が混同してるのか病院になぜいるのか、俺はもう帰るとか
言い出す始末。
なんかもう・・・・そんな親父の姿見たくなかった。昔親父の財布の
金を掠め取ったことがバレたとき、俺を家の前にひっぱりだして
マウントパンチを顔面に何度も何度もくらわせたあの強い拳はやせ衰えてて、
悲しかった。
帰り際、親父が俺を抱き締めてくるんだ。
何故か全く恥ずかしくなかった。入院中だから伸びきった髭とかおもいきり
あたって痛かったけど、逆に嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
その話をおかんにしたら、親父は父親を知らなかったという話をしてくれた。
なんでも出征したままで戦死したそうだ。だから、父親を知らずに育った
寂しさというものを俺や兄弟に与えたくなかったんだそうだ。
ありがとう。親父。
477 :
他板よりコピペ:2005/05/25(水) 08:25:28
496名無しさん@HOME sage 2005/05/25(水) 02:24:54
「よめさら」なる小さな鮑もどきの海の生物がとても気になる。
妊娠中に旅行で行った田舎の海で母が見つけて採ってきた。
ごつごつの岩場で、旅行用のきれいな服が汚れるのも構わずに。
鮑は生まれてくる子の目にいいと聞くが・・・
鮑じゃないけど目のきれいな子が生まれるといいね、と味噌汁にして出してくれた。
あと3週間逝くの待ってくれれば、結果を見せてあげられたのに。
・・・目のきれいな子だよー、だ。
今年の夏がきたら、逝って&生まれて4年になる。
いまだに「よめさら」のことが忘れられず、その生物が鮑の血を引くものなのかも不明。
てか他スレで鮑の話見て思い出した。
育児板からコピペ
815 :名無しの心子知らず :03/11/10 01:59 ID:g/AP7Sd1
地区の運動会の花形は全学年男女混合リレー。
どの地区も足の速い子を揃え、前から練習をする気合の入れよう。
運動会も終盤になり、そろそろリレーが始まる。うちの地区はリレーに
勝てば逆転優勝できるかも?!というので、否応なく盛り上がる雰囲気。
が、選手の子達は緊張でガチガチ。特に1、2年生などは高学年の男子に
「おまえら、絶対、抜かされんなよ!」「転んだらしばく!」などと言われ
半泣き状態。見ている親達も苦笑しながら、実のところ親の方が緊張で
胃が痛い。
そこへ、日頃はのんびりしているが足の速いのが取り柄、6年生の愚息登場。
彼はアンカーで1番長い距離を走る。「お〜い、集まって」と選手全員を
のんびり徴集すると「みんな、頑張ろうな〜」と、これまた暢気口調で声をかける。
1年生の男の子が「ぼく、抜かされるかもしらん」と半泣きで言うと、息子は
「抜かされても、ええ。俺が抜きかえしたる。一生懸命走ったらええねん」と答えた。
すると、「ぼくも抜かされるかも!」「私も」「私も抜かされるかも!」と
みんなが次々必死で息子に言い出した。すると、笑いながら「俺が最後にまとめて
抜かしたるから、みんな安心して抜かされろや!でも一生懸命走るんやで!」
と、言った。みんな心底ほっとした顔になり、見知らぬおっちゃんに「兄ちゃん、
かっこいいこと言うやないか!」と、肩をたたかれる息子。
結局、抜きつ抜かれつの混戦で3位でバトンをもらったアンカーの息子は
200mを走り2人を抜いて1位でテープをきった。大盛り上がりの応援団。
逆転優勝は逃したものの、気持ちのよい運動会になったとさ。
息子、かっこよかったぞ。涙でビデオうまく撮れなかったけど、忘れない。
たぶん俺の息子がこんなことやってのけたら、俺は号泣する・・・
かっこ良すぎるな。父ちゃんもかっこいいんだろうな。
480 :
素敵な旦那様:2005/05/25(水) 13:36:11
羨まし。そんなお兄ちゃんになって欲しいなあ〜。
481 :
素敵な旦那様:2005/05/25(水) 18:26:39
ジーンとしないと思うけど
嫁さんとまだ付き合ってたころ、
俺が冗談で嫁の頭をはたいたり、俺が自分の髪を触ろうと頭に手を持っていくときなど
嫁が異様に「ビクッ」と反応する。
おかしいなと思ってたら、やはり幼少時に父親から虐待されていたようだ・・・
親と離れて数年経つのに(嫁は一人暮らしだった)身体は覚えてるみたいで、何か身に危険を感じると身体が反応してサッと避けるみたい。
嫁が子供のとき、普通にテレビを見てるだけでも
父親の機嫌が悪いと、顔面に蹴りを入れられたりしてたそうだ・・・orz
酒を飲んで暴れて、タバコの火を目の前に突きつけてきて「もっと泣け!」と笑っていたそうだ・・
俺は直ぐにでもその馬鹿親父を殴りに行きたかったけど、住んでるところも分からないって・・
(生活保護受けてて病気で死ぬのを待ってる状態らしいが・・・)
「俺は、なにがあってもお前を殴ったり痛めつけるようなことはしない!絶対にしない!俺を信じてくれ」と何度も言った。
「もういいよ」という嫁に
「一緒になろう、結婚しよう!俺が一生守るから・・何も怯えることのない幸せな生活をしよう!!!!!!」と叫んだw
嫁は大泣き、俺も鼻水と涙で前が見えず・・・
今は幸せだと思う、うちの嫁・・・たぶんw
482 :
481:2005/05/25(水) 18:30:21
ありがちな話だったかも、sage
(・∀・)カコイイ!!
>481
・゜・(ノД`)・゜・
487 :
素敵な旦那様:2005/05/26(木) 18:48:56
俺の話で申し訳ないのですが・・
結婚したのは4年前 当時商売をはじめたばかりの俺は
当然稼ぎも悪く一ヶ月の売上が8万円とか10万円ばかりでした。
商売を辞めようとも思ったが
お店をはじめるときにかかった500万円を考えると
簡単には辞めれませんでした。
嫁は会社員でしたがアパート代・光熱費・保険等を支払うと食費すらなく
実家から米・野菜をもらってなんとか食いつないでいました。
あまりの苦しさにバイトをはじめました。
朝4時〜朝8時まで運送会社の倉庫で仕分けのバイト
朝9時〜夜8時まで自分の商売。1年間で1日も休むことなく毎日続けました。
1年と3ヶ月くらいだったかなバイト先で倒れてしまいました。
過労によるものでした。救急車に運ばれましたが入院費もなく すぐに病院を出ました。
家で寝てるだけの休養生活・・
焦れば焦るほど何にもできませんでした。
そんなときに嫁が笑いながら「貧乏生活も最近は楽しめてきたよ」って一言
俺は「ゴメンゴメン」と泣きながら手をとって謝っていました。
今はというと商売もなんとか軌道に乗り 嫁も会社を辞めて商売を手伝ってもらっています。
あのとき嫁が怒ることなく励ましてくれ文句も言わずに俺についてきてくれたことを
ほんとに感謝しています。
「嫁よありがとー」と言いたいがなかなか言えませんね。
ああ文章書くの下手すぎ _| ̄|○
(・∀・)イイ!!
>487ガンガレ!
。(ToT)/~~~
>>488>>489 ありがとうございます。これからもがんばります。
>>490 そのスレにいってみます。
ほんと「愛してる」とか「ありがとう」とかなかなか口にだして言えませんね。
493 :
素敵な旦那様:2005/05/30(月) 17:44:14
保守age
>>487 よし、ワシがおまいの胸の内を代弁してジーンとさせちゃる。
あまりの苦しさにバイトをはじめた。
朝3時起きで朝8時まで運送会社で仕分けのバイト。
その後夜8時まで自分の商売。
それが終わってからも業務の整理。
1日の休みさえも取ることなく、毎日毎日必死に働いた。
当時はなりふりかまっていられなかった。
毎日が戦争だった。
そんな日々が1年以上過ぎたころ、過労がたたりとうとうバイト先で倒れてしまった。
救急車で病院に運ばれ、入院が必要との診断だったがそんなお金もなくすぐに病院を出た。
体がボロボロですぐに働けるわけもなく、家でただ寝てるだけの休養生活・・
その分嫁に負担がかかりっぱなし。
俺は一人の女性すら幸せにできないのか。
男として、涙が出るほど情けない。
そう思い、早く働かなきゃと焦れば焦るほど何にもできなかった。
そんな俺の姿を見た嫁が、笑いながら一言「貧乏生活も最近は楽しめてきたよ」って。
苦労ばかりかけて何ひとつ楽しい思いをさせてあげられない俺を非難することもなく、
優しく元気付けてくれた。
俺は涙を止めることが出来なかった。
泣きながら手をとって嫁に謝った。
今は商売もなんとか軌道に乗り 嫁も会社を辞めて商売を手伝ってくれている。
あのとき嫁が怒ることなく励ましてくれ文句も言わずに俺についてきてくれたことを
ほんに感謝しています。
「嫁よありがとー」と言いたいがなかなか言えませんね。
・・・・すまん。あまりかわらん。
代弁しなくてもみんな理解出来てると思うんだが…
496 :
素敵な旦那様:2005/05/30(月) 21:55:51
私と家内は離婚寸前でした。
幼い息子がいるので、何とか夫婦を維持していましたが、
私の方が限界に近づいていました。
家内は寝ている私の頭を蹴ったり、「死んでやる」と5階のベランダから身を
のりだすかと思えば「死ね」と私の首を絞める始末です。
結婚指輪はとっくに窓から投げ捨てています。
とにかく無茶苦茶でした。何かが憑いている感じです。
もう限界だと思った私は家内の母に電話をしました。
すいませんが私はやっていく自信がないと伝えようと思ったのです。
義母はある程度事情を知っています。
ところが、電話をかけた時には義母は不在でした。
その後、私の携帯に「お電話下さい」という旨の留守電が
入っていたのですが、タイミングを逸したと思い
そのままにしていました。
その数日後に義母は事故で亡くなりました。
その後は家内は少しづつ昔に戻り、夫婦仲も回復し、
待望の第2子にも恵まれました。
考え杉とおもわれそうですが、義母が命をかけて
親の責任を果たされたと思っています。
>>496 幼い息子ってことは、嫁さん育児ノイローゼだったんじゃねーの?
498 :
496:2005/05/30(月) 22:14:23
家内はお嬢さん系の短大を卒業しています。
友人たちは皆、一流企業に就職し、そこで伴侶を得ています。
家内もそうなる筈が失敗してしまい、
高卒で、つぶれそうな中小企業の経営者の私に
一縷の望みをつないで私を選びました。
ところが結婚後5年たっても一向に暮らしわ良くならず、
やむなく子どもを保育園に預け家内は働きだしました。
そのあたりでのストレスがたまっていたようです。
>>498 それは嫁に同情できねえな。
勝手な嫁だ。
500 :
487:2005/05/30(月) 23:19:29
>>494 すいません。自分より数段うまく書いてくれてありがとうございます。
>>498 深く同情
そんなに自分のことを卑下するなよ
中小企業の経営者って立派じゃないか
立派過ぎるよ
3人の子供(含、嫁)を背負ってがんばれよ!
502 :
496:2005/05/31(火) 09:30:52
いろいろとご感想いただきありがとうございます。
夫婦なんて、障害を乗り越えてやっていく物だと思っているので
それはいいのです。
私が言いたかったのは、義母を犠牲に成り立っているということなんですよ。
義母は当然、家内の我が儘で自分勝手な部分を熟知しています。
私たちのいざこざは私の母をも巻き込み、
その事を義母は大変憂慮しておられ、「私がよく言い聞かせます」
と母に謝っておられました。
半年以上断絶状態だった嫁姑間も、義母のお通夜の時に家内が母に謝罪し、
二人は夜通し話しをしていました。
その後、家内はストレスの強い仕事を辞め、専業主婦となり、その減収分を私が寝ずに働き補っています。
そして、もう安心かなと思い、第2子を授かりました。
本当に責任感の強い義母でした。
503 :
496:2005/05/31(火) 09:35:00
>>502 >3人の子供(含、嫁)
まさに言い得て妙です。
私はそう思う事で随分気持ちが楽になりました。
502さんもそうだんでしょうね、含蓄のあるお言葉です。
504 :
496:2005/05/31(火) 09:36:25
あ、間違った、502さんは俺やんけ、
501さんでした。失礼。
505 :
素敵な旦那様:2005/05/31(火) 09:56:30
まあ、乗り越えた事が偉い部分だし、それを義母に感謝してる所も偉いと感じる。
だって、その嫁作ったの義母と出てこない義父でしょ。
俺には無理。
506 :
素敵な旦那様:2005/05/31(火) 10:57:11
じーんときた
507 :
素敵な旦那様:2005/05/31(火) 14:02:21
アハハ、タケシハ カルイワネェ!モット ドンドン タベナキャ・・・・
;;; :::: ... ::::: ::;;
;;;; ,,, 、、 ,i' ` , ` :;;::.,,:
ヾヾ
i;;;::::′~^ ` ` , ` ;;; ″~ ~
ii;;::iヽ / ` ゞ:,,,:: ヾ 〃::;:
iii;::i ` ` ii;;;;::: ::
iii;;::i ` J('∀` )し ` iii;;;;::: ::
iiiii;;::i ` (.'∀`) つ┓ ` iii;;;;::: ::
iii.,ii;;:i, (,, っ,,, ) 冊冊 iii;;;;::: :::
iiiii゚i;;:i ,' ̄U' γ_(/γ⌒ヽ ` iiiii;;; :::::
iiiiiii;;::i ゝ_゜ノ ゝ_゜ノ ||iiii;;;;::::
iiiiiii;;::::ヽ;;,,';;"'';;";;""~"`"`;.";;""'"~"`~"''"~"`~"''"~"`~"''"~;,,';;"'';;";;
iiiiiii;;::;';;" ;,,';;"'';;";; ;,,';;"'';;";;
カーチャンノセナカ、アッタカ〜イ!
>507
イイ!
私には歳のはなれた妹がいる
小さい頃から、はしっこくて要領いい。あんたはおねえちゃんのくせに、ってそのたび比較されて怒られてた。
そのころ年中になったばっかりの妹、すこし得意顔。ムカつく。
中学の頃、誕生日だったな。夕飯みんなで食べに行くことになってた。
学校から帰ったら、妹が私の机の引き出し、勝手に開けてたからチョットこずいたら泣いちゃった。
それで私が怒られて。私、食べに行かないって言ったら、3人で行っちゃった。
きっと私より妹が好きなんだなって、ふとんかぶって泣いた。
だんだん私も友達と遊ぶことが多くなったし、話も合わないから
妹とあんまり仲良くなかったな。大学に入って下宿しちゃったし
親ともはなれて、あっちはあっち、こっちはこっち って感じで・・
今、得意の英語を活かして仕事してるけど、日本と違ってこっちは自分がしっかりしなきゃ、って感じ。
一人で精一杯張りつめて生きてるけど、たまにチョット疲れ気味。
この前、国際郵便が来たの。私の誕生日、2日遅れだけど 妹から。
おねえちゃんへ って。誕生日おめでとう、あとビデオテープ。
何だろうって、ちょっと楽しみに見てみた。
中学校の校庭、夕方かな 影が長くのびてる。
吹奏楽部の練習の後かなんか、誰もいない。楽器とたくさんの椅子と。
妹、吹奏楽部だって言ってたな。
画面から、にゅーっと妹のアップ。
「○○○○○」をおねえちゃんにプレゼントって。私の好きだった曲、知ってたんだな。
そのままトコトコ向こうに歩いてって、何の楽器かなーって思ってたら、大ダイコの前。笑った。
ドンドンドン・ドンドンドン・・・ってわかんないよ、それ。w
でも、いっしょうけんめい真面目がお。
ドンドンドン・ドンドンドン・ドンドンドン
ずいぶん背が伸びたね○○・・・ドンドンドン・・
そしたら何か急に泣きたくなってきて、わーっと涙があふれて来て・・
ドンドンドン・・ドンドンドン・・・・
ありがとう○○、わたしの妹。
510 :
素敵な旦那様:2005/05/31(火) 19:19:43
みんなどう、ジーンとした?
>>509 よし、ワシがおまいの胸の内を代弁して・・・
516 :
素敵な旦那様:2005/06/01(水) 09:08:58
,:;''`.:.;;:.":.;;.. .:.;;:.":.;;.''`.:.;;:."
:.;;:":.;;.''`.:.;;:."//.:.;;:":.;;.''` ⊂⊃
,:,"'`',:'':'`:::;..,."'`',:'':'`:::;..," ⊂⊃
:;ヾ、;..,",,ノ''"ヾ:;..,"'`',:'':'` ⊂⊃
/:/''ヾ,:;`//"'`',:'':'':'
;:;/:/:;;:;:i",:;゙,:;`,,ノ''"
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.;,:;;:;:'':i/_ ,.,,.,_ ___,_ __ ,.,_ _ .,_ ___,_ __
:((.,,);:'':;:| ミカン オイシイヨ
,:;:'':;:;,i
.;:'':;:;,:;;| [ ̄J( 'ー`)し ̄ ('∀` )  ̄ ̄] .,;.、
:'':;:;,:;;:;:'':i _|:|l ( つ日と ̄0(;゚;;)と) ̄ l|;|_
;;:;:'':;ヾ:;,:`ヽ、. /_ ̄( )  ̄ ○ハ○ゝ ̄ ̄ ̄ \
''´''"`''´゙''"`''  ̄| l| ̄ U U ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| l| ̄ .,;.、
.^~'
518 :
素敵な旦那様:2005/06/01(水) 13:06:53
毒男板の「兄貴がストーカーかもしれませんpart3」という一時期祭りスレになってたとこから拾ってきた
引きこもりでデブでヲタクで精神的に病んでる兄貴を持った1(弟)の相談スレ
祭りの焼け後でこんなイイ話は反則だと思った
俺このスレタイ見たときに何か惹かれる感じがしてPart1からROMってた
ちょっと書きたくなってしまったので、気が向いたら読んでやってくれ
家は母子家庭で、2コ下の弟と俺の二人兄弟
俺は大卒ニート、弟は高校卒業してすでに就職
暇なモンで今も昼間っから2chしてる
親父を早くに亡くして、お袋は女手一つでありながら何不自由なく俺らを育ててくれた
俺は当然のごとく大学(国立なのがせめてもの親孝行)に進学したんだ
弟は大学に行く学力はあったが、お袋に早く楽をさせたかったのか就職を選んだ
弟はどこか俺に不満そうで「長男は学歴くらいないとな」とか「大学生はいいよな」なんてことを言ったりする
でも俺はそれを聞いて「長男だから当たり前だろ」とか「大学いかなかったのはおまえの選択だろ」ってムカついてた
俺がまだ大学在学中、お袋が突然病気になって、弟とマンションで二人暮らしになった
必然的に俺が養われる格好に…焦った、兄貴として人として
んで就職活動に入たんだけど全敗した、見事なまでに全敗した
人間って不思議なモンで追いつめられるともうどうでもいいやーってなっちゃうのな
それが昨年の春のこと
退院してきたお袋には呆れられたし、精神的に参ってた俺は病院にも連れて行かれた
弟の目が怖くてリビングにも出られない俺は本格的な引きこもりに
一回ドアをこじ開けられて殴られたりもした…弟は殴りながら泣いてたよ
519 :
素敵な旦那様:2005/06/01(水) 13:07:39
98 :Mr.名無しさん :2005/05/31(火) 11:28:37
この春になってようやく調子がよくなってきた俺はやっと外に出て就職活動を始めた
まだ就職はできてなくて、さっき書いたとおり昼から2chだけどw これからもがんばっていくつもり
そんな俺を見て、弟が飲みに行こうと誘ってくれた
俺が引きこもってたこととか、殴ったこととかには何もふれず、弟はまた泣きながら言った
「おかえり、兄貴」
俺は泣いた、ほかの客とか気持ち悪がってたけど、声を上げた泣いた「ゴメッ…ゴメ…ンナサイ」
「兄貴のくせに敬語使うな」そういってくれた弟、一生頭があがらないw
俺はこれまでこいつやお袋にどんだけ心労をかけてきたのかにようやく気づいた
きっとこのスレを見てる奴にも、俺と同じような奴もいるのかもしれない
もしいたら聞いてくれ「ほんとに家族は心から心配してるぞ」と
それは本当の家族愛ではなくて、面倒を見なきゃならないって自己愛からかもしれないけど、とにかく心配してる
このスレ主の弟君のことを俺は心から応援してる
もしネタであったとしても、このスレをROMってる、同じような環境にあるみんなを応援している
つーか応援させてくれ、俺自身のせめてもの贖罪のために
スレ汚して悪かったな
520 :
素敵な旦那様:2005/06/01(水) 13:21:15
・・・人生って難しいね。
ニートは病気じゃ無い以上、こいつには全くと言って良いほど同情出来んな
弟と母親が不憫すぎ
>面倒を見なきゃならないって自己愛からかもしれないけど
とか言っちゃってコイツ何様だ?加害者のくせに自覚無さ過ぎ
だからニートになるんだバカ
とコピペにマジレスしてみる
まぁ、ちっとも感動できる話じゃ無いからいちゃもんつけたくなっただけなんだが
522 :
素敵な旦那様:2005/06/01(水) 15:46:39
>>521はきっと強くて立派な人なんだろーね。
ただニートの増加は社会問題になってるし、結構こんな風に困った子のいる家庭も多いんじゃない?
そんで兄はたしかに加害者だけど、駄目人間なりに立ち直ろうとしてるように見えるし、自分はありだと思う
つーか弟の家族愛にジーンときた。・゚・(ノД`)・゚・。
これは自分の話じゃないんだが
70歳の医者が、3年前に奥さんを亡くした。
『いやー、この前冷蔵庫のなかの掃除したら、冷凍のカレーが出てきたんですよ。
家内が昔作ったやつ。びっくりしちゃった。』
『え、そりゃ、もちろん食べましたよ。ちょっと冷蔵庫の特有のにおいがしましたけど。
久しぶりに、懐かしい食事の味でしたよ。』
わたしはそれを、サラッといいのけた先生に感動したのでした。
524 :
521:2005/06/01(水) 16:46:09
頑張って行くなんてコイツの場合そんなの言葉だけ
だって火曜日の昼間から職安にも行かずに2chだぜ?
こういうのに限って「もうじき昼休みで受付してくれないから」とか言い訳するんだよ
弟が「ニートの兄貴を殴りたくなかったけど思わず殴ってしまった。そしたら少し良くなった。兄貴もつらいと思うが頑張って欲しい。」って内容なら俺的にはアリだな
コイツが就職決まって「苦労かけたけどこれから頑張って行こうと思う」と言うのならコレもアリだ
要するにコイツにはまだ書く資格が無いってこった
コイツにとっての贖罪とは他人を応援することじゃ無くて、自分の家族を心配させない事だろ
これすら履き違えているヤツになぜ感動出来るのかが謎
確かに弟は偉いよな
でも、兄貴のバカっぷりが酷すぎて怒りしか込上げてこない
525 :
521:2005/06/01(水) 16:48:31
>>523 ごめん、いきなりぶった切っちゃったorz
コレは(・∀・)イイネ!!
>>523 翌日、食中毒で亡くなられたそうで(-人-)
527 :
素敵な旦那様:2005/06/05(日) 10:04:19
>>526 もしそうなら、本望だと思う。
>>521の言うことは正論。
このお兄さんを可哀相と思う人は少なからず見下していて、
>>521の言い方は並列に見ている。
まあ、文章だけだから読み手次第だけど、受け取り方は人それぞれ。
俺は弱さを乗り越えられる人はものすごく尊敬するけど、口だけは軽蔑する。
>>518-519のお兄さんは『まあ早く頑張れよ』ぐらいかな・・。
ニートっていうのは病気ではないのは確かだけど、病気の症状ではあることが多いそうだ。
喘息持ちに「皆と同じく荷物を運べ!」っていうのが並列にみるってことかな。アホめ。
セキも病気じゃない以上、どれほどセキしてても関係ないぜ。
530 :
素敵な旦那様:2005/06/06(月) 12:41:25
病気なら病院行くか、カウンセラー受けろ。
自分の病気に対する管理を全く行っていないような奴をどうしろと?
521や527のように、本人もそれが病気の症状だと気づいてないんだろう。
532 :
素敵な旦那様:2005/06/07(火) 16:24:23
てゆうか、そんな話、全くジーンとしないぞ。
ここは大人の集まりだろうが。
俺(41歳)が子どもの頃
親父の会社で社員旅行があった
(今はないよね)
川原での炊事遠足みたいな小旅行だった。
俺、なぜか蜂に指を刺されてしまって、大泣き。
親父が『アンモニアをかけないとだめだ!』
おやじは、ちんぽをおもむろに出して、じゃ〜と小便を俺の手にかけた。
親父の小便は熱くて、大量だった。
おれは指の痛みがまるで引かない上に、臭い手のまま飯を食った。
なんか、ジーンと来ない上に情けなくなってきた。
534 :
素敵な旦那様:2005/06/07(火) 20:45:30
ウチのヨメの彼氏は…
オレの友達だった…
535 :
素敵な旦那様:2005/06/08(水) 04:51:53
>>534 よくわからんがそれはジーンというよりズーンとする話だ
536 :
素敵な旦那様:2005/06/08(水) 05:12:31
しーん・・。
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
538 :
素敵な旦那様:2005/06/14(火) 13:17:44
1 名前: 恋する名無しさん 投稿日: 2005/06/03(金) 14:37:31
3年前俺は事故で完全に盲目になった
当時付き合っていた彼女は、普段は俺が大好きだとか愛してるとかそればかり言っていたくせに
俺が目が見えなくなってしまってから手のひらを返したようにいなくなった
結婚までしようと俺は考えていたので本当にショックだった。俺はその程度だったのかと
それからの生活は一変し、気づけば周りの人達は俺から離れていなくなっていた
はじめは暗闇の中での生活に恐怖を感じていたので周りに気を向けるヒマもなかった
気づいたころには友人とも付き合いはなくなり、
元々仲がいいわけではなかった兄もしょうがなく面倒を見てるといった感じ
そもそもこの事故は前彼女を庇った時に巻き込まれて失明したので、いなくなった前彼女に怒りや憎しみを覚えることすらあった
今思えばその頃は怒りを向けることで一時的にでも自分のことから逃れられていたのでそれが楽だったのかもしれない
しかししばらく時がたつとそれすらも億劫になるようになり、毎日ボーっとするだけの日々をすごすようになった
何かをやろうとしても目が見えないのだから何もすることが出来ない
一人では何ひとつできることがないのある
何度も死んじゃおっか…とも思った
けれどそんな俺にも2人だけ頼れる友人がいた
中学時代からの本当の親友A(男)とB(女)
嫌なことも楽しかったことも色々あったが、目が見えない中そいつらとの楽しかった日々の思い出だけがいつまでも焼きついて離れない
539 :
素敵な旦那様:2005/06/14(火) 13:17:58
春 車で500kmも離れた桜の名所まで行って一緒に花見をしたこと
夏 新しい水着を買って海にいきスイカ割をし夜はカレーを作りバーベキューをしテントで朝まで語りあったこと
秋 食欲の秋だのなんだの騒ぎつつ食べ歩きをしながら旅をしたこと
冬 スキー板をつんでホテルを予約し朝からナイターまですべり通し巨大雪だるまを作って遊んだこと
もっともっと書きつくせないほどの楽しいことが一杯あった
俺はAがBを好きなのを知っていたのでたまに気を利かせ二人きりにしたりしたが
Aはあとから余計なことすんな、と照れ隠しに言ってきたりもした
去り際Aが小声でサンキュッと言ったりしていたのが耳に残っている
そして4年前俺は一人就職のために地元を離れた
しばらくして俺に彼女が出来たといったらAもBも本当にうれしそうにお祝いのメールを送ってくれたこともあった
幸せの最高期とでもいうのだろうか?それくらい毎日が充実していた
しかしその1年後全てが…壊れた……
540 :
素敵な旦那様:2005/06/14(火) 13:18:17
仕事もクビになり地元に戻ってきた俺をそれでも暖かく迎えてくれたAとB
目が見えなくなった時も気分は半分冷めていたのだがこの時ばかりは号泣してしまった
そして月日は立ち2年前のある日俺はAと居酒屋で飲んでいた時に酔ったAがポロッと口を滑らせた
「Bはお前(俺)が就職して地元を去ってからも毎日お前を思っていた」と
Aが言うにはさらに前からBは俺のことが好きだったらしい
それを知っていたからAはBが好きでも告白をしなかったのだと俺は知った
そして俺のことが好きでありながら俺に彼女が出来た時に自分のことのように本当に喜んでくれていたB
「まぁ、俺はお前ならいいと思っていたからな…」
と、Aにも言われ俺は泣いてしまった
そして数ヵ月後Bに告白され付き合うことになった
完全に盲目の俺と付き合うことは並大抵のことではなかったと思う
色々と迷惑もかけ、それでも俺のことを好きだと言ってくれたB
1年前に俺はBと結婚した
結婚式の参列者はAだけの3人での結婚式
綺麗なドレスも豪華な食事も何も無い指輪の交換だけのささやかな結婚式であったが
俺達はそれだけでも世界で一番幸せな結婚式であったと胸を張って言える
キスしろキスしろと二人をひやかすAであったが、仮にも自分が本当に好きであった女を取られるのである
悔しくないわけがない
俺は心の中でAに感謝しながらBに口付けをした
その時わずかにAの嗚咽が聞こえた気がしたが俺は聞こえない振りをした
そして念願の子供を授かる
子供の顔を見れないのが残念といえば残念だが、いてくれるだけで俺には十分だった
しかし幸せも束の間、1ヶ月後に急にBが倒れ病院に運ばれた
結果は原因不明の重態、数々の治療を試みるもその3週間後に亡くなった
その後、俺は角膜の移植手術を受けた
Bが亡くなる前にもしものことがあったらと伝えておいたらしい
541 :
素敵な旦那様:2005/06/14(火) 13:18:31
今俺の目にはBの角膜が生きている
光を見ることができる
それを目が見えない間も取り続けた写真を今見ながら感じている
写真の中にはぎこちなく笑う俺と満面の笑みを浮かべたBが並んで写っていた
そして何よりも…愛するわが子の顔、仕草を見ることができ自らの意思で抱きしめてあげることが出来た……
まだBの死を割り切ることは出来ない
夜も一人で泣いてしまうこともある
そんな簡単に割り切ることは絶対に出来ないけど
いつか笑顔で笑える日がくるように俺は強くなろうと思う
目の前の一つだけの笑顔を絶対に守り切れるように
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。
何で盲目なのに書き込めるんだと思ってた
そういうオチだったのか
感動した
久しぶりに泣けた
盲目のヤツを花見に連れて行くか?・・ってツッコミはナシなんだろうな。
おっと、盲目になる前か・・・スマソ
月日が立つって何だよって思った。誤字に突っ込むのはアレだけど。
事故で盲目になって、角膜移植で直るって言うのがなんとも・・・
つーかそれで直るんら何年も苦しまずすぐに受けりゃ良い訳で・・・
そんな簡単に提供者が出てくるわけじゃないんじゃ?
・・・・疫病神・・・・・・・・・ゲフゲフ
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。 久々にキタ
いい話だが、マジレスすると角膜の提供者って結構いるんだよな。
俺の知り合いは3ヶ月目であっさり見つかったし、その時聞いてみたら「平均3〜6ヶ月で提供者はみつかりますよ」とのこと。
しかも角膜は拒絶反応についてはまだわかってないから、提供者が出たら即手術って感じだから。
まぁ、フィクションとしてはいい感じだということで。
>>552を受けて、「俺」は元彼女ともダメになって
すっかりひねてしまい、角膜移植を拒んでいた、と
脳内補完することにした。
(;´д⊂)ジーン
554 :
素敵な旦那様:2005/06/19(日) 21:02:33
今日、入院中の妻のお見舞いに行った。
仕事の話やペットの話、今日何食べたとか、
ありきたりの話をして、病院から帰ってきた。
少ししてから、妻からメールが来た。
「あなたの手に触れたかった」と。
555 :
素敵な旦那様:2005/06/19(日) 21:42:28
角膜って拒絶反応ないの?
不思議だなあ・・・
>>554 今度行ったときは部屋にいる間中、手を握ってやれ。
速く退院できるといいな。
生体肝移植でも倫理観の違いで受けない人もいるし。
亡くなった人、もしくは見ず知らずの人の角膜もらうのいやだったんでない?
話は飛ぶが角膜が3-6ヶ月で済むのは
アメリカとかオーストラリアから輸入してるからだそうだ。
558 :
素敵な旦那様:2005/06/19(日) 22:51:22
やっぱ>553>557の通りひねてヒキっていた+しらない人のは嫌だとか、って感じだったんだろうねぇ
俺ならそうなりそうだし
関係ないが、
俺はドナーカード持ってるんだが、角膜だけはやめてくれって嫁に言われたなぁ。
棺おけの外から見えるから、顔だけは傷つけないでくれって言われた。
560 :
http://web.hpt.jp/panchira/PAN/index01.html:2005/06/20(月) 01:02:11
上記URLの317個のパンチラのうち、どれがいいですか?
個人的には022が萌えました
561 :
素敵な旦那様:2005/06/20(月) 01:24:40
無粋な話が続くから補正しておくけど、
角膜のドナーを部分的に指定(輸入はイヤとか、一時感染症で話題になった)したり、
心理的に手術に同意できない患者もいるから3年待つ人も現実にはいるよ。
しょうもない話では、その病院の環境にもよるし・・。
562 :
素敵な旦那様:2005/06/20(月) 16:14:26
角膜を提供しても、ちゃんと義眼を入れてくれるから、たぶん見た目はほとんど変わらない。
もっとも通常は目を閉じさせていますけど。
>>538-541に近い話だけど。
俺の中学時代からの友人にAという男がいる。
大学時代に不釣合いなほど可愛い女性と知り合い、大恋愛の末23歳で結婚した。
幸せだったある日、事故に巻き込まれ怪我をして、失明をした。
角膜移植をすれば目はある程度見えるようになるらしいが、同時に別の特殊な手術も必要なことと、
その事故で片腕を無くした精神的なショックからか、角膜移植を拒否していた。
嫁さんは献身的に世話をしていたが、Aは目が見えないもどかしさや突然目を失ったことの怒りを嫁さんにぶつけることしかできず、
たまに俺が見舞いに行くと、嫁に申し訳が無い、早く離婚したい、嫁はまだ若くて可愛いから俺より良い男がいるはずだ、と泣いていた。
Aは一旦退院し、リハビリ通院を続けていた。
そんなある日、また別の不幸がAを襲った。
Aの嫁が仕事から帰る途中倒れ、病院に運ばれたのだ。
検査結果、リンパに癌があることがわかった。
即手術をすることになったが、その日から逆にAが嫁の身の回りの世話をするようになった。
目が見えないながらも、看護婦さんや介助の人に手伝ってもらい、なんとかこなしていたらしい。
俺はちょうど仕事の山場でなかなか見舞いにいけなかったが、嫁さんの手術が終わってしばらくしてから一度見舞いにいった。
すると、そのベッドには昔の見る影もないほど輪郭の崩れた嫁さんがいた。
どうもリンパの手術の後、物を食べることができず首や頬あたりの筋肉を一切使わなかったため弛んでしまったらしい。
ブルドックのように垂れた頬と異様に太った首。
顔に出していないつもりでも、俺の驚きに気づいたのか嫁さんは「いっきに100歳くらいのおばあちゃんになったみたいで、恥ずかしい」と笑ってみせた。
「でも、Aクンに見られてないからいいの。不謹慎かもしれないけど、Aクンの目が見えなくて良かったって思うの。
もし、私が死んでもAクンのなかではキレイなころの私をずっと覚えていてもらえるから」
笑いながら、でも、眼の端にうっすら涙をうかべながら彼女はそういった。
このとき、俺は知らされなかったが、癌が他にも転移していて、もう手の施しようがない状態だったらしい。
数ヶ月後、彼女は病院でAに看取られながらこの世を去った。
彼女は生前、医者と相談しもし自分が死んだら角膜を旦那に移植して欲しい、と言い残していた。
Aは悩んだ。
悩みに悩んだ末、移植を拒否した。
通夜の日、ひさびさに酔っ払ったAの隣に俺はいた。
Aは涙をぽろぽろこぼしながら「嫁さんの気持ちもわかるんだ。痛いほどわかるんだ。
でも、あれだけ迷惑をかけた嫁の目を貰うわけにいかないんだよ。
それにな・・・何より、嫁の顔に傷をつけたくないんだよ。
知ってるか?眼を取ったあと、義眼をいれるんだよ。
ニセモノの眼であいつあの世でどうやって生活するんだよ。
眼が見えないのは俺だけで充分だよ。
嫁にはこれ以上苦労をかけられないんだよ・・・」
何度も繰り返しそう言っていた。
それから数年たち、Aは別の人から角膜移植をうけ、視力は一応回復していた。
今年の春も、二人で桜を見ながら酒を飲んでいた。
そして「あの時、嫁さんの目をもらっていれば、この景色は嫁さんにも見えていたんだろうかなぁ・・」とつぶやいていた。
「未だにあの時の選択が正しかったのか、間違っていたのかわからない」と。
オチらしいオチがなくてすまそ。
。・゚・(ノД`)・゚・。 うえええん
ウェーーー(ToT)ーーーン
特殊な手術ってなんだ?
角膜移植事態が特殊な手術じゃねーの?
538に対抗して急いでつくったネタレスだろwww
>>568 ネタじゃないよ。
確かに角膜移植事態特殊な手術といわれればそうかもしれないが・・・
眼を事故(火傷や薬品の影響)なんかで失った場合、角膜を移植してもすぐにごってしまい、ほんの数年前までは移植しなほうが良い例とされていたらしい。
ところが、ここ数年で角膜の上皮をつくる幹細胞の移植が開発されて、そちらはかなり特殊技術がいるらしい。
(うる覚えな知識ですまん)
で、同時に極度のドライアイのような症状がおきるので、その治療も必要なうえ、
角膜だけ移植する手術より拒絶反応がでやすく、免疫抑制剤(だったと思う)をつかった手術が必要になるので、
普通の角膜移植より数段難しく特殊な手術らしい。
なんか聞きかじりの知識なので「らしい」ばっかりでスマン(´・ω・`)。
目の話にちなみまして
思い出しました、うちの子の実話です。
息子が8歳くらいから近視になりまして、子供だからすごい勢いで目が悪くなるんですよね。
医者に聞いたら、眼球も大きくなるから近視も進むそうなんです。
生来目のいい嫁が、ひどく心配しまして、息子に「○○の眼、かわいそう。これから
大人になって頑張らなきゃいけないのに。代わりにお母さんの目、あげたい。」といったら
夜、布団の中で息子が泣いていたんです。
嫁がどうしたのかと問いただすと、息子が
「お母さんに、、ヒク、、言いたいこと、、、が、、ヒク、あ、あr、、、あるの、、ヒク」
『何?』
「始めに、、ヒク、あ、がついて、、、、、ヒク、、、、最後に、、ヒク、、、う、がつく言葉、、ヒク」
これだけです。忘れないうちにかいとこうと思いまして。
いい息子さんだ(´・ω・`)
ぜ、ぜ、、ヒク、、、い が、、ヒク、、、泣い、、、、、ヒク
何いいたいのかわからん
574 :
素敵な旦那様:2005/06/22(水) 18:25:25
575 :
570:2005/06/22(水) 19:13:52
ありがとう、です
なんてひねくれたガキだ。素直に言えよ。
なんて嘘ぴょーん。いい息子持ったね!
あう
あぼーん
あ
こ
あ
あ
弄
あ
あ
・・・(´・ω・`)?
580 :
素敵な旦那様:2005/06/23(木) 19:09:18
小学4年の頃に、母と同じ職場で働く当時18才の男の子と初めて出会いました。面倒見がよくて、よく遊んでくれました。そして徐々に恋心を抱きました。
月日が流れて中学生になり、マセて化粧なんか覚えておしゃれをしてその男の子に映画に連れて行ってもらったりなんかして楽しい片思いでした…
581 :
素敵な旦那様:2005/06/23(木) 19:14:19
思いは募る一方でした。
まだまだガキンチョの私に夜景を見に行こうと誘ってくれたり、まるでデートの様でした。
やがて高校生になりこちらの時間が合わなくなって次第に疎遠になって来た矢先の出来事でした、交通事故で早朝に他界したと連絡が入りました。
582 :
素敵な旦那様:2005/06/23(木) 19:22:44
信じられないまま通夜に行き、白い顔を見て過呼吸になり、大好きだった人を失った喪失感にただただ打ちのめされていました。
そして何日か経ちみんなで集まった時に、男の子の先輩がしみじみと思い出を語ってくれました。
創作するのなら、メモ帳に全部いっきに書いてからコピペシル。
584 :
素敵な旦那様:2005/06/23(木) 19:30:19
『あいつは本当に君の事が好きだった。いつも話を聞かせてくれたよ 』
信じられなかった。片思いだとばかり思っていたから…
その時苦しくて、嬉しくて、仏壇の前で崩れそうになりながら泣いた。一度だけ握ってくれた右手の感触を思い出すように右手を握り締めて泣いた。
白けちゃった (((((((っ・ω・)っブーン
_, ,_ ,_
(; ゚д゚ ) (` )
( ⊃┳O ⊂( ヽ
( ⌒) )┃_ ┃(⌒ ) ) _
/ ̄ ̄ ̄`J ̄ ̄ /\ / ̄ ̄し' ̄ ̄ ̄/\
( ((  ̄◎ ̄○ ̄◎ ̄○  ̄  ̄◎ ̄○ ̄◎ ̄○ ̄ ) ))
_, ,_ コツン ,_
(; `д´)\/(` )
( ⊃┳O ⊂( ヽ
( ⌒) )┃_ ┃(⌒ ) ) _
(( / ̄ ̄ ̄`J ̄ ̄ / ̄ ̄し' ̄ ̄ ̄/\ ))
 ̄◎ ̄○ ̄◎ ̄○◎ ̄○ ̄◎ ̄○ ̄
/☆\
ひびくぅ――! _, ,_ _, ,_ _, ,_ _, ,_ かんじるぅ――!
((Д´≡`Д)) ((д`≡´д))
(( ⊃┳O⊂( ヽ))
(( ⌒) ))┃_ ┃((⌒ ) )) _
((/ ̄ ̄ ̄`J)) ̄ / ̄ ̄((し' ̄ ̄ ̄/\))
 ̄◎ ̄○ ̄◎ ̄○◎ ̄○ ̄◎ ̄○ ̄
587 :
素敵な旦那様:2005/06/23(木) 19:37:45
あれから何年かして私は幸せな恋愛をして、結婚をして、この間母になった。
いつまでも俯いていられないから、お墓に行って報告をしてきました、『幸せです』と手を合わせました。 おしまい
>587
既男?家族?夫婦?ジーン?
大手小町から
時代劇風会話をする主人
05.06.18 15:49:26 秋子
タイトル通りです。
主人は時代劇の大ファン…なのはいいのですが、家での会話もまさに時代劇。
(子供はいません。二人所帯)
たとえば夕飯の時「お秋、もう一本つけてくんな」と職人風の場合もあれば
「秋、いま一本所望じゃ」と大名きどりの場合もあります。
私が現代語(!)で話すと途端に機嫌悪くなるので「あいよ、お前さん」とか
「殿、今宵はもうおやめあそばせ」と合わさなくてはなりません。
結婚して10年、ず〜っとです。
私とだけならいいのですが、外でこの癖が出ないかと心配です。
職場の女性に「このコピー頼まあ」と言ったり、上司に「承知つかまつりました」と
返事をしたりしないかと、気をもんでいます。
何かこの癖をやめさせる良い方法は無いものでしょうか。
ttp://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200506/2005061800089.htm ジーンとしたというよりほのぼのしたんだが
どこをどう読んでもスレ違いだな
ぼのぼのならわかるが。
593 :
コピペ:2005/06/25(土) 03:33:06
>>588 そこは、娘が丁度同じ年のときに読んで号泣しちまったよ。
このスレのレスをガイドラインに貼った奴いたんだね。
595 :
素敵な旦那様:2005/06/26(日) 01:10:05
チラシの裏にしてすまんが。
俺の両親は小さい頃からケンカが多かった。
オヤジが酒を飲むと暴れて、俺や妹弟やお袋を殴りつける。
その度に、近くに住む叔父が助けにきてくれたり、叔父宅に避難したりした。
叔父夫婦は子供がおらず、俺や妹や弟を実の子供のように大切にしてくれた。
そして、俺に「お前のオヤジはあーいうやつだからお前は大変だろうが、長男なんだから、妹と弟はお前が守ってやれ」と言っていた。
俺はオヤジから教わらなかったことを叔父からたくさん教わった。
俺にとってのオヤジというのは、実のオヤジじゃなく叔父だった。
父の日にオヤジではなく叔父の顔を書いて、それがオヤジにばれて鼻の骨が折れるほど殴られたこともあった。
それでも叔父を慕っていた。
アル中で入院し、一時大人しくなった時期もあったが、それでもオヤジの暴力は止むことはなかった
俺が25歳の時、7歳年上の彼女を連れて帰り「彼女と結婚したい」といった時酒に酔いながら「そんなババァと結婚するのは許さん」と年齢だけで反対したオヤジを説得してくれたのも叔父だ。
「お前の息子が一緒の伴侶として選んだ人なんだから、認めてやれ」と何日もかけて説得してくれた。
披露宴の二日前、父が飲酒して病院へ運ばれ、式に出られなくなった時、オヤジ代わりとして出てくれたのも叔父だった。
披露宴の日、俺に内緒で彼女の控え室へいき、こう言ったらしい。
「あいつは小さい頃から決して幸せとはいえない家庭で育った。だから、その分これからあいつには幸せになって欲しい。どうかあいつをよろしくお願いします。あいつと二人で幸せな家庭を築いてください」
そう言うと、深々と頭を下げた。
そして再び顔をあげたときには、両目から大粒の涙があふれていたそうだ。
それから8年経ったつい先日、叔父が食道がんで死んだ。
5月アタマに叔母から叔父が入院したと連絡があった。
いってみると、やせ細った叔父がベッドに横たわっていた。
食道がんでまともに物を食べることもできないらしい。
医者の話によると、かなり痛みもあったのではないか、とのことだが、我慢強い叔父はそれすら面に出さずに毎日過ごしていた。
ガンが大きくなりすぎて、胃カメラ(のようなもの)がはいることもできず、検査もままならないほどひどい状態だったらしい。
そして、そのままろくな治療もできないまま、叔父が死んだ。
叔父は死ぬ数日前に俺の手を握り「お前は俺の息子のようなもんだから、俺が死んだ後で嫁さんを頼む。力になってやってくれ」と言った。
自分が死ぬ恐怖より、自分の病巣の痛みより、自分が死んだ後の周りの人のことを気にする叔父の手は、骨と皮だけでもう死期が近いことを物語っていた。
大工をやっていた叔父は、誰よりもたくましく、誰よりも強くて、でも奢ったところはなく、優しい叔父だった。
そんな叔父でもやはり死ぬんだ。
そう考えると俺は涙がとまらなくなった。
そして、先日叔父は死んだ。
俺は結局、叔父に何一つ恩返しをできなかった。
それが口惜しくて口惜しくてしょうがない。
これから、おばさんの力になり、嫁と幸せな家庭をつくることだけが、唯一の恩返しと思うしかない。
ちなみに余談だが。
叔父が入院中のある日、嫁が叔父の夢をみた。
夢の中の叔父は、披露宴の時の背広姿で嫁に深々と頭を下げ
「どうかこれからもあいつをよろしくお願いします」とお願いしたらしい。
次の瞬間、眼がさめた嫁は隣にいた俺を起こし「今から病院へいこう」と言い出した。
夜中の3時半だった。
さすがにこんな時間には・・と思ったが、嫁が泣きながら言うので仕方なく準備をしていると、家の電話がなった。
叔母からの電話で、「たったいま叔父が亡くなった」というものだった。
当然、偶然かもしれない。
嫁は叔父が入院しているのを知っているし、おそらく死期が近いであろう事も知っている。
だから、その不安が見せた夢かもしれない。
でも、俺は、叔父が俺を心配して嫁に最後のお願いをしていってくれたような気がする。
まぁ、偶然って可能性の方が高いわけだがな・・・
>596-598
「チラシの裏」なんかじゃない。いい話だ。
偶然だなんて決めつけず、叔父さんの優しさを信じようや。
野次馬でスマンが、親父はまだ生きてるのか?
>>594 すまん。それ俺だ。
この板の住人でもあるが、向こうのスレの住人でもあるので…。
個人的に胸にグッとくるものがあったので向こうに貼ったんだが、
マズかったかな?
602 :
594:2005/06/27(月) 23:23:59
>>601 別にマズくないと思う。
ただ指摘しただけ。ゴメンな。
このスレみてたら思い出したんで聞いて欲しい話あるからちょこっと長いけど少し整理をしたものを貼っていきたいと思います。
一様トリップも。
俺には歳が六つ離れた妹がいた。
俺は小学校の頃からずっと体育5とかで元気だけが取り柄みたいな子供だったんだが、妹はちょっと体が弱くて少し体調を崩すと何日も熱で寝込んじゃうくらいだった。
そんな事もあってかお互いケンカもほとんどなく本当に仲良く楽しく暮らしていた。
結構妹に甘くて、いつも何か頼み事されたら断り切れないでそれを聞いてしまう。
例えば、苺のショートケーキがおやつに出たら、出た瞬間にはもう妹が顔で合図してくる。
俺も馴れたものでそれだけで「はいはい・・・・・・」って感じで聞いてしまう。
そしたら妹は、たった一つの苺で大はしゃぎする。あれを見たら苺の一つや二つなんかまじで安いもんだって思った。
本当にそんな何でもない日々を過ごしていた。
でもさ、現実なんて本当にもろいもんだった・・・・・・。
俺が高校2年生の時だった。
その日の朝もいつもと変わらない朝のはずだった。
いつもの目覚ましで起きて、いつもの制服に着替えて、いつもの道を通って学校に行く。
そんな何でもない日だったはずなのに、朝起きたら両親がやたらと騒いでいた。
朝からうるせぇなぁとか思いながら両親が騒いでる居間に行くとそこで顔面蒼白の妹が横になって呻いていた。
今までの熱とは明らかに違うような感じで、もう誰が見てもわかるくらいに
「苦しい・・・・・・辛い・・・・・・」って顔だった。
さすがに俺もびびって、すぐ妹に話しかけた。
そしたら、本当は苦しいはずなのに「いつもの熱だから大丈夫だよ。」って笑って言った。
そんなわけ絶対になかったのに・・・・・・。
親父が救急車を呼んですぐ病院に直行、すぐ集中治療室に運ばれた。
ドラマとかであるだろ?集中治療室の前で待ってる場面とか。
俺もよく見たけどあの時は本当に気が狂いそうになった。
次から次へと嫌なことばかり考えてしまう。本当に生き地獄だった。
その日の手術は無事終わったが話によるとこれからもあと何回か手術を受けなければいけないらしい。
もちろん妹はそのまま入院。
退院の日にちを教えて貰うなんて甘い状況ではなかった。
次の手術の心配をしなければいけない状況だった。
妹はいつも「自分の熱のせいでいつもみんなに迷惑かけてるからあたしは悪い子だね」って言ってた。
今思えば、どんなに苦しくてもいつも笑いながら「大丈夫だよ。」って言ってたのか。
そんなことにすら気がつかなかったのに俺は「心配するな、誰もそんな風に思ってないよ」って言ってた。
妹はずっと笑っていた。恥ずかしい話だよ、本当に。
俺は、何で小学生の子供がこんな我慢しなきゃいけないんだって本当に何度も思った。
年甲斐もなく「神様、助けてください」とかもやった。
無駄かもしれないってわかってたけど本当に藁にもすがる思いだった。
お見舞いには毎日行ってたんだが妹は全身チューブ姿。俺は初めてその姿を見たとき、本当に怖かった。
このまま、もうだめなんじゃないかって・・・・・・。
でも、あいつの顔をみたらそんなバカな考えが一瞬で吹きとんじまった。
その時、俺もしっかりしなきゃだめだって改めて思った。
学校の部活も休部にさせて貰って友達の誘いも全部断ってずっと学校から病院に直行。
初めは恥ずかしいのか知らないけど「毎日来なくていいよ。」って言われたりした。
でも、病院なんてやっぱりつまらない場所だからすぐに「早く来てよ!」って言うようになった。
大抵は母さんがそばについていたんだがどうしても居ない日とかできたりしたから
そんな日はこっそり学校休んでずっとついててやってた。
俺あんまりしゃべるのうまくないんだけど、一生懸命話すと妹も笑って聞いてくれた。正直、何度も同じ話をしたと思う。
でもさ、ずっと笑いながら聞いててくれたんだ。
一度、「おまえはよ、俺には勿体ないぐらい良い妹だな。」って言った時、とびっきりの笑顔で答えを返してくれた。
あの時は本当にうれしかった。
これ書いてる今でも鮮明に覚えているぐらいだからな。
それから二ヶ月ぐらいたった頃だった・・・・・・。
久しぶりに家族そろって病院に行った。
入院した頃に比べたら妹は本当に痩せてて触ったら折れてしまうんじゃないかってぐらい細い腕になっていた。
それはそうだ、ずっとベットの上で大して動けずにずっと、食べやすいようにされたどろどろの病院食と点滴だけだ。
一度、お見舞いの時に苺のショートケーキを買って持っていったんだが、その時は食べることをゆるされなかった。
目の前にあるのに食べられないっていう辛い思いをさせてしまったから、その日以来、食べ物は持っていかないようにしてた。
でも、その日は違った。
親父がいきなり「何か食べたいものはあるか?」って言った。
俺は不思議に思っていたんだが、妹はそんな俺にはお構いなしで大喜びだった。
案の定、苺のショートケーキが食べたいって言った。
親父は奮発して高いのを買ってやるって言ってた。
その日は本当に久しぶりにみんなが大笑いできた日だった。
病院の帰り、車の中で俺はさっき思っていたことを親父に聞いた。
「もう、普通の食事をしてもいいのか?ってことはよくなってるんだよな!?」って嬉しくて大声で言った。
そしたら、親父は黙り込んだ。どういう訳か母さんも俯いてた。
さすがに俺も薄々感づいてた。
親父は言った。
「先生(医師)の話では、もう長くはないそうだ。」
そんな、本当にそんな素っ気ない言葉で俺は頭の中が真っ白になっていた。
妹の体は衰弱しきっていたらしい。
何のための苦しい手術だったんだ。
何のための長い入院生活だったんだ。
まだ何か言ってたけどあんまり覚えてない。母さんは横で泣いてた。
その時俺はどうして良いかわからなかった。
次のお見舞いの日に、いつも食べていたようなスーパーで買う苺ショートケーキとは違って専門店の高い苺ショートケーキを買っていった。
苺も本当に大きくて甘そうだった。それをみて妹は大はしゃぎ。
苺のショートケーキを渡したら、本当に久しぶりに顔で合図をしてきたんだ。
そのことが本当は嬉しかったけどいつものように「はいはい・・・・・・」って感じで苺を渡そうとした。
でも、それを妹が遮った。
「今日は兄ちゃんが私の苺も食べて」って・・・・・・。
俺は一瞬呆気にとられていた。だって久しぶりのショートケーキでしかも高い奴なのに。
なんでそんな事するんだって聞いた。理由を聞いても「いいじゃん。」ってくびを振るだけ。
俺も初めはしぶっていたんだがどうしてもって言うから素直に貰うことにした。
その様子を見て妹は本当に嬉しそうな顔をした。
で、一緒に食べた。苺のショートケーキ。
それで妹が聞いてきた。
「苺、おいしかった?」って。
俺はうなずいた。本当においしかった。
あの時改めて思ったのが「食べ物は一緒に食べる人によって味がかわるもんだな」って。
どういうわけか、同じ苺なのに妹の方が甘く感じるんだ。気持ち一つでここまで変わるんだなって正直びっくりした。
その後もいつものように何気ない話をして笑った。
その中で、やっぱり親父が妹に言うんだよ。
「元気になって退院したら何処か行きたいところはあるかい?」って。
俺は、遊園地かそこらだろうかって考えてた。
妹はちょっと考えてから
「家に帰りたい。」「家のテーブルでみんなと一緒にお母さんのごはんが食べたい。」って・・・・・・。
俺、自分の考えの浅はかさに怒りを覚えたよ・・・・・・。
今の妹にはそんな当たり前のことですら願いごとに値するほどなのに。
病室にいられなくなってトイレに行って泣いた。もう、わけがわからなくなって。
親父と母さんはさすが大人だと思った。
家に帰るまではずっと笑顔のままだったんだから。
ついにその日がきた。あのときも朝だった。
今度は目覚ましでなんて起きない、親父の怒声でおきた。容態が急変したらしい。
着替える暇もなくパジャマのまま車にのって病院にいった。
妹は呼吸を荒げていた。遠くからでもわかりそうなぐらいに荒かった。
病院に行ったあの日よりも辛そうな顔にいっぱい汗をかいてた。
母さんが妹の手を握ってた。母さんの手は真っ白になってた。
それぐらい力が入ってたんだと思う。
妹は俺たちが来たことに気付いたらしく妹が本当に小さな声でいったんだ。
苺、おいしかった?って。
それは前に何度も言った言葉だった。
荒げる呼吸の中なのに何故かはっきりと聞こえた。俺はうなずくことしかできなかった。
「次は俺のをあげるからまた一緒に食べような。」って言ったら「今度、食べるときも、あたしのを、あげるよ。」って途切れ途切れに返してきた・・・・・・。
もう、我慢出来なくなってた。
俺はボロ泣きだった。
苺なんていらないからこれからも一緒に話しをしてくれよ。
これからも一緒に笑ってくれよ。
前みたいに一緒に遊びに行ってくれよ。
楽しい場所、いっぱい知ってるんだよ・・・・・・。
1人じゃつまんねぇよ・・・・・・。
俺は本当に・・・・・・本当にそう思っていた。
でも、そんなこと絶対に言えなかった。辛いのは妹だったんだから。
「そんなこと言ってると、これからもずっとお前の苺を食っちまうからな。」
笑いながらそんな冗談を飛ばした。俺は泣いてたのに。
たぶん、変な顔になってたんだろう。
妹は笑っていた。俺は泣いてるのに笑って、お前は苦しいのに笑って。
本当に変な兄妹だったな、俺たち。
あんなに苦しんでいたのに逝く時は本当にあっさりだった。
治ってしまったのかと思えるほど朗らかな顔。ただ眠っているだけにしか見えない顔。
なのに、なんでその顔に白い布をかけるんだよ。
俺たちの顔を見れなくなるじゃないか・・・・・・。
俺たちともう話せなくなるじゃないか・・・・・・。
もう泣くことしかできなかった。
あんなに泣いていたのにまだ涙は枯れなかった。
俺はダメな兄ちゃんだった。
ただ会いに行って話をするだけで。
俺はお前からたくさんの大切な物をもらったのに、俺はお前に何か伝えてやれたんだろうか?
俺の気持ち、伝わってたか?
こんな俺たちの日々を誰かに伝えたくて、今こうして文字にしている。
あれから二年、俺は勉強したかいもあり無事大学にも合格し、一段落ついた。
二年たった今でもはっきりと覚えているお前の笑顔。
遅くなっちまったけどあの時言えなかったあの言葉を言わせてくれ。
苺、おいしかったよ。
ありがとう。
読んでくれた人、本当にありがとう。
長々とすまなかった。
こんな長いの興味ねぇよって人もいると思うけど、この板見てたら思い出しちゃって。
どうしてもこの気持ちを伝えたくなった。
恥ずかしい話だが文字打ってるときも当時の様子が浮かんできて泣いちまった。
俺の気持ちが1人にでも多くの人に伝わってくれれば本当にうれしいです。
ここにいろいろ書いたらすっきりしました。
じゃ、もう名無しに戻ります。
失礼しました。
>>610 ただただ泣きました
妹さんのご冥福をお祈りします
>>610 俺の妹は気が強くて、口も凄まじく悪い。
けど、元気なのがとりえで、良かったと思うよ。
そんな話聞いたら、涙止まらねーよ。
お前は元気に生きろよな。
親御さんも、悲しいはずだからな。
妹さんがしたくても、できなかったことを、親御さんにしてやれよ。
ヽ('Д`)゚ノ・*:.。..。.:*・゜゚・*・
だめだー涙止まらねー。
・・・なんなら俺のおっぱい・・・吸うか?
泣けた。辛いな。
>>612 ありがとう、ありがたくいただくよ
>>610 朝から本気で泣かせてくれやがって・・・
馬鹿やろー(ノд`)゜・。
これからも大変だろうがおまいさんは学校がんばれよ!
ageずにいられるかヽ(`Д´)ノ
何か錯乱してる奴が多いな・・・。
俺も姉貴が神戸に住んでいて、震災の時に一日連絡が取れなかっただけで、
結構色々考えてしまった事がある。
仲のいい兄弟ではないんだけど、自分にとっては親同様に特別な存在だって事を実感したよ。
>>610は妹の分まで頑張ってね。
ジーンと来た。
妹の分までガンガレ610
137 名前: 素敵な旦那様 [sage] 投稿日: 2005/07/02(土) 03:18:59
『愛してる』って俺がワザワザ刺繍したハンカチを、
ヨメが寝てる隙にヨメのパンツの中に入れといた。(ムラムラ来て襲いそうになったけど我慢した)
さ〜どうなるかな?
138 名前: 137 [sage] 投稿日: 2005/07/02(土) 12:48:08
ヨメが朝トイレに行って、帰ってきたら、俺の刺繍したハンカチ持ってニッコリしてた。
『私も愛してるよ』だって・・・(*´∀`*)
でも、『嬉しかったけど、今度からは勝手に人のパンツの中に物を入れないでネ♪』って注意されたw
73 名前:Miss名無しさん[sage] 投稿日:2005/07/04(月) 02:02:42 ID:2fao/s5S
>>72 それ食べたい〜。
今日あったいいこと。
ちょっと長くなりますが。
私は小5の時に事故にあいました。
運転席にいた父は即死だったそうです。
後ろの席で眠っていた私は、腰椎を部分的に損傷し、杖なしでは歩けない体になりました。
そして、その事故の影響か事故前の小さい頃の記憶と事故後数年の記憶が不鮮明で、特に父に関する記憶がほとんどありませんでした。
今日、偶然彼の家に遊びにいっていて、二人で一緒に「スターウォーズ」をみていました。
小さい頃に見たことあったような漠然とした記憶はあったものの、内容はほとんど覚えてない映画だった。
彼の隣に座って見ていると、突然、ある光景を思い出して涙が止まらなくなった。
それはまだ私が小学校の低学年(2年生くらい?)で、父の膝に座り一緒に、多分、洋画劇場かな?テレビでスターウォーズを見ているという光景。
記憶のなかの父は、とても優しかった。
まだ幼くて、設定なんかが理解できない(帝国軍とかジェダイとか)私に、父がひとつひとつやさしく説明してくれていた。
「あぁ、お父さんってすごく優しかったんだ・・・」
そう思うと涙が止まらなくなった。
彼はスターウォーズをみて泣いてると思ったのか、困った顔をしながら私にタオルを貸してくれた。
写真をみても、お墓にいっても存在すらほとんど覚えていなくて、実感が湧かなかったけれど、今日初めて「父の暖かさ」というものを感じることができた。
すごくすごく嬉しかった。
長くて読み難い文章でスミマセン。
でも、もしこれ読んでる人でお父さんがまだ生きてくれている人がいたら、大切にしてあげてください。
私は、もう二度と会うことも優しい言葉をかけることもできないから。
>>604〜
俺は会社ではよまないぞ。
ノックアウトされそうだからな。
>>619 スターウォーズまで、泣かせにかかってくるとは、
621 :
素敵な旦那様:2005/07/04(月) 17:27:07
622 :
素敵な旦那様:2005/07/04(月) 19:12:20
俺が皿を洗って嫁が拭いてたら
嫁が手を滑らせてガラス製の鍋のふたを俺の足に落としやがった
しばらくジーーーーーンとしてたよ。
スレ違いだって事は分かってるさ。
623 :
素敵な旦那様:2005/07/04(月) 22:34:36
何気なしにこのスレ見に来たんだが…。
ダメだ…。
途中から涙で読めないや(;Д;)
>>622 そういう話は嫌いではない。むしろ好きだといえる。
625 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 02:29:14
ファミレスの兄妹 (泣ける体験談)
家にいると仕事が進まないので、しうはよく、〆切がせっぱ詰まってくるとファミレスに自主缶詰をするんです。
長時間ファミレスにこもっていると、奇妙なお客さんに出くわします。
先日なんかも、人気の少ない深夜のファミレスで、大学生の6人組(女4:男2)が、いきなり王様ゲームをはじめてビックリしました。
最初のうちは、『3番が1番に、ご飯をたべさせてあげるー!』とか可愛い内容だったのですが、次第にエスカレート。
『2番が1番の首筋にちゅー!』
『4番が2番に、氷口移しー!』
いやいやいや、待ってくれ! ここはファミレスだぞ! つーか、おまえらシラフだろ?! 首が長いよそれはジラフだろ?!
とか思いつつ、女子同士の首筋ちゅーを見て( *´∀`)ハァハァしてしまう、しうなのでした僕も混ぜてください。
そんなこんなで。
今回もファミレスで出逢った奇妙なお客さんについて書こうと思うんですが……
ファミレスに来るお客が、楽しくていい人たちばかりとは限りません。
見ていてツライ想いをしてしまうお客さんもいるのです。
今日は、そんなお客さんについて書こうと思います。
今日も今日とて、ファミレスで仕事をしていると…
隣のテーブルに、親子が座ったんです。
妙に若作りしてる茶髪のお母さんと、中学一年生ぐらいの兄、そして小学校低学年ぐらいの妹です。
まあ、どこにでもいる家族連れだなあぐらいにしか思ってなかったのですが……驚きました。
626 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 02:29:39
母「ほら! 早く決めなさいッ! ったく、トロいんだから!」
お母さんが、デフォルトでキレてるんですよ。
子どもがなにをしても、怒鳴りつけるんです。
妹「それじゃ、わたしカレーにするー」
母「そ。わかった」
妹「わたし、カレー好きー」
母「うるさいな! そんなこと聞いてないでしょ?!」
カレー好きって言っただけじゃん!
なんで、怒鳴るんだよ?!ヽ( `Д´)ノ
お兄さんの方は、もうこのお母さんに呆れてるのか、
兄「…………」
無表情でそっぽ向いたまま、一言も喋ろうとしません。注文を決める時もメニューを指さしただけ。
関わり合いになるのを、極力控えているみたいです。
料理が届いてからも、お母さんはキレっぱなし。
妹「いただきまーす」
母「黙って食べなさい」
妹「……ショボーン(´・ω・`)」
兄「…………」
ただカチャカチャと鳴り響く、食事の音。
さっさと自分だけ平らげた母親は、タバコ吸いながらケイタイをいじり始めました。
やるせねぇ(\\\\\\\\\\\\\\\'A`)
627 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 02:30:01
すると突然、妹が明るい顔をして口を開いたんです。
妹「あ、そだ、お母さん! 聞いて聞いてっ! あのね! えとね! 今日、学校でね、とってもいいことが……」
母「うるさい! 食べてる時は騒がないの! 周りの人に迷惑でしょ!」
ちっとも迷惑じゃないよ! うるさいのは、アンタだよ!
むしろ、そのコの話、聞いてあげてよ!
怒鳴られてびっくりした妹が、カレーをテーブルにほんのちょっと落としちゃったんですが…
母「あーもー! 汚いな! なんでちゃんと、食べられないの?! 綺麗に食べなさい! 綺麗に! あーもームカツク!」
烈火のごとく、怒る母。
そんなに怒るほど、こぼしてないだろー?!ヽ( `Д´)ノ
妹「うう…ごめんなさい……」
ブツブツ文句いいながら、母親はケイタイをいじくっている。
妹は涙目。兄は一言も喋らずに、黙々と食べています。
まるでお通夜みたいな雰囲気に包まれたテーブル。
こんな食事、楽しいはずがない。
すると。
母親のケイタイが鳴り始めました。
母「ちょっと、お母さん、電話してくるから。サッサと食べちゃってね」
そう言い残して、ケイタイ片手に母は店から出ました。
電話するヒマがあったら、我が子としゃべれよ!
628 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 02:30:29
子育てを経験するどころか、恋人もいない僕には言う資格がないかもしれませんが、それでも言いたい。
もうちょっと、子どもとの接し方ってもんがあるだろ。それじゃ、あまりにも可哀想だろ。子どもがグレてからじゃ遅いんだぞ、ゴルァ( `Д´)
と、隣のテーブルで、私はキレまくっていたんですが……
妹のようすを見て、怒りも吹き飛びました。
そのコは、涙目のまま、一生懸命カレーを食べてたんです。
お母さんの言いつけを守りたいから、ゆっくり食べていたら怒られてしまうから……味わう余裕もないぐらい、急いで食べてたのです。
でも。
もともと、食べるのが遅い子なのでしょう。焦っているからか、口の周りをべそべそに汚してしまっていて……
きっと、それをまた怒られてしまうのに、それすらも気付かずに必死にカレーをかき込んでいたんです。
目にいっぱい涙を溜めて。一生懸命に。あぐあぐ。
そのコが健気で不憫で、しうは泣きそうになってしまいました。
もうね、この世には親子の情はないのかと、寂しい気持ちになってしまいましたよ。
あんなお母さんはやめて、お兄さんチの子になれと、そう言って抱きしめてあげたくなったほどです。
そのとき。
一言も喋らなかった兄がボソッと言ったのです。
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!
630 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 02:31:00
兄「……そんなに急がなくてもいいよ」
妹「え?」
兄「ゆっくり食べな」
妹「で、でも……お母さんが」
兄「いいから。好きなんだろ、それ」
妹「うんっ」
兄は、チラッと母親が出て行った出口の方を確認しつつ…
兄「で? なにがあったって?」
妹「???」
兄「学校でいいことあったんだろ」
妹「う…うんっ! あのね! えとね! 今日学校でね!」
妹は、楽しげにしゃべり始めました。他愛もないことだったんですが、とっても嬉しそうに。
きっと、聞いてもらえるだけで嬉しいんでしょう。さっきまで涙目だったのに満面の笑みを浮かべています。
兄は、にこりともせずに話を聞いてあげていたのですが、
兄「そっか。良かったな」
と言って、妹のべそべそになった口元を拭いてあげたのでした。
そのとき、隣のテーブルでは……
しうさん号泣・゚・(ノД`)・゚・。
親子の情は見えなくとも、兄妹の情はちゃんとありました。
きっと、この二人はまっとうに育つと思います。
いやー、今日はいいもん見せてもらいました。
え?
仕事は進んだのかって?
仕事なんざしてる場合か!
祝い酒だ! 酒持ってこーい!(ビールを追加注文)
ファミレスで思い出した。
数年前、不況で俺の勤める会社がヤバくなり、リストラされた。
すぐに再就職できると思っていたが、なかなか見つからず、仕方なく親戚が支配人をやっているファミレスに三ヶ月ほどバイトすることになった。
その時、たくさんの家族連れやカップルを見てきたが、子供の世話ってどの家族連れも母親がするもんなんだな。
暖かい食事を持っていっても、嫁さんは子供に食べさせたりして、暖かかった皿はどんどん冷めていく。
逆に旦那は、子供が何をしようが嫁さんの飯が冷めようがお構いなしに自分の分を平らげていく。
旦那が食べ終わると、子供の世話をする人もいれば、そのまま新聞なんかを読み出す人もいる。
どっちにせよ、暖かい食事を食べる嫁さんというのは、結構少ない。
多分、家でもこうなんだろうな。
もし、俺に子供が生まれて、外で食事する時は、俺も面倒みてやろう。
嫁さんに暖かい食事を食べさせてやろう。
そう思った。
それからしばらくして、俺は前より給料は安いものの、それなりに待遇の良い会社へ再就職した。
そして子供にも恵まれた。
ファミレスに食べにいった時、子供の世話をする嫁さんとその皿を見てふと思い出した。
「あぁ。俺、あの時の旦那と同じことしてるな」と。
「俺が面倒みるから、お前、先に食えよ」そういうと嫁さんは驚いた顔をした。
家にいても滅多に子供の面倒をみることもないから。
嫁さんは「悪いから・・・」といったが「いいから。ほら」と嫁の手から娘用のスプーンを取り、娘に食べさせた。
嫁は小さく「ありがとう」と言い、暖かい食事を食べ始めた。
嫁はいつもより早口で食事をし、俺と交替した。
俺の手からスプーンを受け取る時、「ありがとう・・・本当にありがとうね」と何故か涙ぐんでいた。
俺の皿には冷めた料理がのっていたが、それでも美味く感じた。
632 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 02:54:57
泣いて良いですか?
634 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 05:57:39
俺の仕事って、歩合制なんだが、この不景気、以前はそこそこ有った給料も年々下り坂になり、
それに伴い、嫁も、パート→フルタイムで勤めに出る様になった。
嫁を働かせる事を申し訳無く思いつつも
互いの仕事の疲れ、勤務体系による生活のすれ違いから喧嘩も増え、セックスなんかは当然レス状態。
離婚や浮気の文字が毎日の様に頭をよぎる日々。
続き
先週の事、仕事が終わり、自宅に着いたのは夜中の2〜3時頃。
リビングのテーブルに一枚の封筒が。
『〇〇(俺の名前)へ
お帰り
6/30に嫁は久々に
ボーナスを貰いました(ちょびっとね)
ので〇〇にも臨時のお小遣いです』
不意打ちだったよ…
続き
翌朝、嫁に「ありがとな」って伝えると、
「日頃のお小遣いは通勤とお昼で殆んど飛んでっちゃうでしょ?だからあれは、それとは別に、自分の好きなものを買って」って。
…使えねえよ。
何を買っても多分すっきりしないだろうから、
3か月後の嫁の誕生日まで封筒開けずに取っておいて、一緒にプレゼント買いに行って、その時この封筒から払ってやろうと思っている。
喜んでくれるかな?
長々と自分語りスマソ
638 :
素敵な旦那様:2005/07/05(火) 07:17:19
>>637 気持ちが醒めないうちに買うべきです。
一緒にご飯食べに行くなり、映画見るなり、二人の時間を作るのに使ったら?
奥さんも時間の無さを気にしていたんだろうから。
>>618-619 ぼーっと読んでいたので、最初
パンツの中に入っていたハンカチを
食べたいと言ってるのかと思ったw
>>631 ええ話や…
(iДi)ウェーン
>>631 人の死なない話っつーのはいいもんだ。
俺も子供できたら、面倒みるよ。
嫁さんに暖かい飯食わせてやる。
なんか急に人が増えた気がしたけど、泣ける2ちゃんねるで紹介されたんだね。
泣ける2ちゃんねるを知らない・・・(´・ω・`)
俺…2chやってて初めて泣いたよ…。
こんなスレ見る価値ね〜って思ってたけどやっぱり見なきゃよかった。
2chは遅くまで仕事やって寝る前のちょっとした楽しみだったのに。
余計寝れねぇんだよ!!・°・(/Д`)・°・
ヽ('Д`)゚ノ・*:.。..。.:*・゜゚・*・
オレ久々の休みなのに、朝から泣いてばかりじゃねーかよう
いい兄ちゃんだな 二人で強く生きておくれよ
子供の話はキますね。。。。
569 名前:大人の名無しさん[sage] 投稿日:04/12/26 09:59:28 ID:yEbttmvy
昨日は、来年中学生になる息子の誕生日。
ささやかなプレゼントとケーキでお祝いしたよ。
「ぼくを生んでくれて、元気に育ててくれてありがとう」
だって。
夫婦で嗚咽して、パーティーを台無しにしてしまったよ。
おまえこそ、生まれてくれて、元気に育ってくれて
ありがとうな。
家庭持って子供授かってみないとわからない感動が、そこにはある。
25歳の時に父が他界した。
うちの家は、母と姉、そして俺の3人になった。やがて姉が嫁ぎ、その後俺も妻を娶り、家には母が一人残った。
俺の所は共働きで、不規則勤務なので、二人共休みの時は、出来るだけどちらかの実家に行く様にしている。
とは言っても、実際二人で顔を出してやれるのは、2.3ヶ月に一度が良いところで、母に寂しい思いをさせてるだろうなと、
日々考えている。
先日、俺たち夫婦が二人共休みだったので、花好きの母を、国立公園のバラ園に遊びに連れていった。
嫁がお茶を買いに行ってる時に、母が「私はもう長く無いのかしら?」
と、おもむろに言い出した、・・・血の気が引いたよ。
「何で?」俺の声は強張っていたかも知れない。
確かに母は、糖尿の気が有り、食事等には気を付けなくてはいけないのだが、
そんな、「長く無い」とか言う程の重症じゃ無い筈なのに。
続き
すると母は
「だって息子達はこうやって色々遊びに連れて行ってくれるし、息子の嫁も色々私に気を使ってくれるし」
朗らかに笑いながら
「ひょっとしたら、私は今が一番幸せなのかな、こんなに幸せで良いのかなって。
神様か何かが最後だからってしてくれているのかもね」
なんて言う。
具合が悪い訳では無いと解ってほっとした。でも、こんな些細なことで、そこまで喜んでくれるこの人を、俺は最近まであまり
喜ぶ事をしてやれなかったんだと、改めて反省した。
お母さん、俺はまだ、あなたが俺に与えてくれた沢山の愛情に見合う親孝行をしていません。
「長く無い」なんて言わず、いくらでも長生きして下さい。
今からでも間に合うなら、俺に親孝行させて下さい。
言いたい言葉が次々に頭をよぎったけど、なんか気恥ずかしくて、「まあ、そう言わんと長生きしいや」
ってしか言えなかったけど、母はとても嬉しそうだったよ。
652 :
素敵な旦那様:2005/07/07(木) 00:59:19
平凡な日常の中の一コマがいい!
偉いなあ。見習わないと・・。
653 :
素敵な旦那様:2005/07/07(木) 11:06:27
俺は650さんと似た環境だ。親父が亡くなり、姉が嫁いだが、
姉には子供がいない。もう年齢的に無理。でも俺には子供が二人おり、
孫の顔を見せることが出来た。
しかし折り合いが悪いんだな嫁><姑。
母には迷惑かけ通しなんだな。警察に逮捕された時も、
事業の失敗で借金を抱えたときも、親の愛情って絶対的なものだと痛感したな。
幸い近くに住んでるんだから親孝行したいけど、時間も金もないし、
なにより折り合いが悪いんだな嫁><姑。
650さんが羨ましい。
>>653 ヨメトメの折り合いが悪いのは嫁のせいだけではなかろうし
藻前の親孝行に嫁を付き合わせることもあるまい。
嫁には「自分は母に親孝行したいと思うが、君には
無理をさせたくないから自分だけでできることをする」
と言えばいいのだ。
>650を羨む暇があったら>653なりの親孝行を汁!
かあちゃんスレを彷彿とさせる流れだな。
656 :
653:2005/07/07(木) 20:56:21
そうだな、そうするよ。
ありがとう。
659 :
うしお:2005/07/07(木) 23:58:09
出世するには転勤するしかなかったオヤジが管理職になった!
そんなオヤジが行方不明との連絡があった時、仕事が手に付かなかった。
もしかしたら俺の所に来るかもしれないと思って一睡もできなかった。
結局翌日に車で半日かかるオヤジの住んでいた場所へ向かう途中に電話で、高い所から落ちて死んだことが分かった。
一月前には、家族で居酒屋で一杯飲んで笑顔を見せていたのに‥あったときには、当然目をあけないし、冷たかった‥
後で聞いたが、労働組合との交渉で毎晩深夜まで交渉していたみたいだ。
NO1は出ないで、NO2のオヤジが全部背負っていたという。
早いもので、今年13回忌です。
もし、生きていれば退職して暇なもんだから、毎週うちに来て、かわいい?孫を見にきてたんでしょうね。
すいません。変な書き込みして
変な書き込みって言うより日本語が変(゚ν゚)ニホンゴムズカスィネー
661 :
素敵な旦那様:2005/07/08(金) 04:22:29
家族に自殺されるのだけは勘弁だね。
どんなに見苦しくても家族にだけは生きる意志を持ち続けて欲しい。
もう何年も前の話。母と姉が2人でちびまるこちゃんを観ていた。
私は1人自分の部屋でちびまるこちゃんをみていた。
その日のちびまるこちゃんの内容は学校に暴れ犬が学校に進入して来て
お姉ちゃんが体を張って襲われるまるこちゃんを守るというものだった。
ちびまるこちゃんが終わり部屋をでて居間に行き姉はすれ違いで自分の部屋に戻っていった。
当時はあまり仲が良くなく用事がない限りほとんど口も聞かない状態だった。
母に「今日のちびまるこちゃんちょっといい話だったね」というと
「姉さんに同じ状況になったらどうする?ってきいたらあんたのこと守るって言ってたよ。
よかったね(´∀`)」と言われた。
「ふ〜ん」とポーカーフェイスを装って自室に戻った。少し泣いた。
今ではものすごく仲良しで2人で一緒に住んでいます。
コピペとは書いてないよな。
姉弟で住んでるのか。で、仲も良いのか。
で、既婚か。
色々大変そうだな。
>>663 いや、どう考えてもコピペだろ。
つーか、姉妹の話じゃないのか?
665 :
素敵な旦那様:2005/07/08(金) 08:56:15
兄弟だと萌えるんだけどなぁ・・・。
遅レスだけれど、<<631 かっこいいな。
おいらも子育て中で、暖かい御飯なんかここ1年くらい食べた事が無かった。
ましてやキチンと食事したかなんて覚えていない。
この間の長期連休の時に、主人の実家に帰ったんですよ。
主人のお母さんが「子育て中は暖かい御飯なんて食べる時間が無いでしょ?(孫を)見ていてあげるからゆっくり食べなさい。」
さすが子育てのベテラン!よく解っていらっしゃいます。
お言葉に甘えて食べました。
御飯が冷えて硬くなっていないのは久しぶりでした。
なにより人のいる食卓で御飯を食べるのが嬉しかった。
「御飯ってこんなにあったかいんだ・・・」
お母さんのの優しさと、有り難さが心に染みて、いつも以上に美味しかったのを思い出しました。
おいらももし、息子が生まれてお嫁さんを連れてきたら同じ事をしてあげたいな。
kijohasare
<<631←なんだよこのレスアンカー
電車男でわいた鬼女の厨は 消 え ろ
670 :
素敵な旦那様:2005/07/10(日) 17:10:12
子供の頃の記憶。
小さいころ共働きだった為、私は保育園に通っていました。
今は結構遅くまで預かってくれますが、20年以上前の話ですから
3時ぐらいからお迎えが始まり、そこから一人減り、二人減りと減っていき
4時ぐらいには当然保育園に園児はいなくなりました。
私を除いては・・・(それもかなりの頻度、私だけ30分以上)。
そういう状況なので、先生も一人だけ私のために残っています。
反抗期も重なっていた私は子供心にもそれがかなり悔しかったらしく、
父親が迎えに来ると(多分、車のエンジン音や気配で・・)まず保育園内で隠れんぼ、
先生に見つかっても
『お父さんに会いたくない。』
『帰りたくない。』
と父を困らせていました。
現在、同じように保育園に子供を迎えに行っている俺。
7時までに行けば大丈夫なのに、それでも遅れる俺。
でもうちの子は
『おとーさぁーん。』
ときちんと逆お迎えしてくれる。
『今日、・・・した。』
『家に帰ったら一緒に遊ぼうね。』
と話しかけてくれる。それに幸せを感じる度、あの時の寂しそうな父親の顔とそれに同情する先生を思い出すことが多くなった。
最近、母親と保育園のお迎えについて話す機会があった。
あの当時、父親は保育園のお迎えで会社を一時抜け、母親の帰宅後にまた会社に戻る生活をしていた。当然といえば当然だが会社内における父の評価はかなり悪くなり、それが原因で会社に居辛くなった。結果、会社を移ったという事を聞いた。
まあ父が転職した事は知っていたが、俺はよもや原因が自分とは知らなかった。愕然としたし、これはさすがに誤解し続けていた事を詫びた方が良いかと思い、父と『保育園のお迎え』の思い出について話すことにした。
帰省中に実家でそんなことを話すのは難しいので、近くの焼き鳥屋に誘って二人だけで飲んだ(成人式以来、10年以上ぶり)。
あまり良い親子関係ではなかった俺なので、酒の力を借り、酔っ払った者勝ちと先に酒を煽り、酔っ払った上でも遠回りをしながらやっと
「あの時は悪かったね。」
と言えた(それも格好悪い事に半笑いの変な表情で・・orz)。
父親、涙目〜軽い泣きの状態になっちゃったよ。
去年還暦、それまでそんなの親父見た事無かったからこっちまで涙目に・・。
しばらく、無言でラジオの音だけでビール飲んでいたら(多分、1-2分、でも長く感じた)、親父から、
「お前も(父親として−脳内変換)大変だろう。頑張れよ。」
って言われた。すごい予想外で『やばい、泣く(=負け)』と思ったから、ラジオの話に集中しようとしたり、明日の朝飯の事とか考えちゃったよ。
そして続けて、
「子に分かってもらうという事は・・・嬉しい。」
こんな感じ。親父も照れ屋だから間に『ウー』とか『アー』とか、入れ歯もあるから意味不明な音が入ったけどね。それもあって余計親父の年を感じ、謝るのが間に合って本当に良かった。
次は自分の番だなと思っている。正直、会社を早く切り上げての『保育園のお迎え』を面倒だと感じた事もあったけど、親父がやれた事、きちんと頑張らないと。
あと?当然、泣いたよ。
673 :
662:2005/07/11(月) 04:52:28
ごめんなさい既婚男性板って知らずに書き込んじゃいました(´∀`)
674 :
sage:2005/07/11(月) 10:29:48
一年半の不倫が終わった。
それなりに燃えた恋だったが虚しさだけが残った。
寂しさを紛らわす為に嫁にやさしくしてみた。
折りしもちょうど10年目の結婚記念日(兼嫁誕生日)だった。
ちょっと無理をして高級ホテルの部屋をとった。
ホテルのバーも予約した。
仕事が終わって会社の近くで待ち合わせをして出かけた。
子供2人は嫁の実家に預けていた。
嫁は年甲斐もなく俺が好きだったピンクの口紅とメイクをしていた。
着ているドレスは義姉から借りてきたものらしい。
道中運転中にサンドイッチを渡された。ホテルのレストランで食べると
高くつくからと笑っていた。
ホテルのバーで嫁はキョロキョロして最初のオーダーは中生w
ボーイさんはちょっと苦笑しながら大き目のグラスにビールを入れてきた
たいした料理は出なかったがとてもおいしそうに食べていた。
思えば結婚当初以来だな。2人っきりでこんなところで飲むのは。
嫁の薬指の傷だらけのリング。5年前にあげた安物のバッグ。
俺は聞いた
「お前俺と結婚してよかったか?」
嫁は顔を赤らめてうなずいた。
涙が止まらなかった。
>>674 sageてないし。
これはあんまジーンとしないな。不倫だし。
別れた後の話のようだが?
>>674はその後どうしたかだよね。
自己満足の段階で話が終わっちゃってるから、プレゼントの後日談求む!
健気な奥さんが可哀想だな。
泣いてる暇があるなら、今後どうやって償うか考えて行動しろよ。
>>156 頭から読んでここでギブアップ。
とうとう泣いちゃったわ。。
>>671 GJ
歳をとると、涙腺がゆるくなるなぁ。
>674
・゜・(つД`)・゜・泣いた…
俺も
>>674で泣いた。
ジーンとしたのではなく、奥さんの健気さに。
これからは幸せにしてあげなよ。
>>674は男女で感想分かれそう。
自分♀のせいか、奥さんが気の毒に思えて仕方ない。
不倫の事実を知ってたかもしれないし、寂しさを紛らすためにそんなことされたら
よけい惨めだ。
それで「涙が止まらない」って…身勝手に閉口。
たとえ不倫がばれてるとしても、一生隠し通しなさい。
あなたにできるのはそれだけ。
女が堂々と書き込むな
>>685 いいからキジョは巣に帰れ。
野郎だってお前と同じ感想持った奴の方が多いから安心しろ。
おまいらコピペにマジレスしすぎ
689 :
素敵な旦那様:2005/07/18(月) 02:13:22
ほっしゅ
私が小さい頃、近所に開業医の叔母夫婦が
住んでいて、子供が居ないのですごく可愛がってもらってよく食事に
呼んで貰っり洋服を買ってくれたりした。
我が家では滅多に食べられない、御馳走ばかりなんで釣られて殆ど入り浸ってたけど、食事の時に私の分と一緒にもう一膳を私の隣に用意して
私に『美味しい?』って聞いた後、必ずもう一つのお膳の方も眺めるの
が、子供心に不思議だったけどあまり深く考えなかった。
大きくなってから、叔母夫婦は一度死産してしまい、それっきり子供が
授からなかった事、無事生まれてたら私と同じ頃に生まれてた事、
叔母夫婦は私を養女に望んでたけど(私は3人兄妹の末っ子)
両親がガンとして拒んだ事・・・・後から(成人してから)知った。
道理で、母親が私が小さい頃、叔母の家に遊びに行くのを、反対し
ないけど、いい顔しなかった訳が判ったよ。
この事実が判った時、両親には不満は無いけど、チラっと『もし養女に
出していてくれたら、今頃はお医者の一人娘・・(^。^)』なんて不埒な
事を考えマスタ(;´д`)
私の結婚式の時、両親以上に泣いたのは叔母だった。小さい時から
厳格で近寄り難くて苦手な叔父まで目を赤くしているの見て、不覚にも
私までウルウルしてきて困ったっけ。
もう今は年賀状のやり取りだけになってたけど、最近になって叔母夫婦から
医者を廃業したと告げる葉書が届いた。
今まであまり気にしなかったけど、このスレ見て、叔母夫婦の事が懐かしいな。
去年生まれた娘を連れて挨拶に行こうかな〜?
子供を持つようになった今、おばさんの気持ちが痛いほど良く分かる。
是非行ってやれ。
693 :
素敵な旦那様:2005/07/22(金) 19:51:41
…昔々、第二次世界大戦の頃、Mさんというインド人の若者がいました。
Mさんは、インド国民軍に参加し、日本軍の新藤(仮)という軍人の下で訓練を受けたそうです。
新藤氏は、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で「インド人に
似ているから、お前のあだ名はインドさんだ!」とおもしろがって呼ばれていたそうです。
また、Mさんたちからも、そのあだ名と、名前の発音がインドの古称である「シンド」と
似ているため、「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて呼ばれるようになったそうです。
新藤氏の訓練は厳しく、Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を加えたりするのも
日常茶飯事だったそうです。
しかし、訓練が終わると、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、時には
特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも
尊敬され、愛される上官だったそうです。
そして、訓練も終わり、インパール作戦への開始。
その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)として、作戦に参加することになったそうです。
激戦の中、新藤氏の部隊は、強力なイギリス軍の陣地を攻めるため、本隊から大きく迂回して
ジャングルの中を進み、イギリス軍の背後を突くように、という命令を与えられました。
しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けたそうです。
気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか5名。みんな恐怖で
逃げ散ったためにかろうじて生き残った者ばかりだったそうです。
イギリス軍に見つかれば殺される、と怯えるMさんたちの元に、片腕を失った新藤氏が合流し
「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」と告げたのだそうです。
ですが、武器も食糧も水もろくになく、本隊がどこにいるのかもわからず、しかも敵兵がうようよ
いる中では、夜中にしか移動できません。そんな中でも、重傷の新藤氏は怯えるMさんたちを
励まし、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよったそうです。
694 :
素敵な旦那様:2005/07/22(金) 19:53:23
数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も悪化し、いよいよもうダメだ、とMさんが覚悟した時。
最悪なことに10人ほどのイギリス軍の小部隊が近づいてくるのを発見します。
新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。
「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。
だが、諸君はなんとしても生き延びて、インドの独立のために戦いなさい」
うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせた後、新藤氏は
「ガンバレ!」と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、イギリス軍に向かって駆け出します。
しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の機関銃に頭を撃たれ、鉄兜をはね飛ばされ、
その場に倒れます。それでも、新藤氏は跳ね起き、小銃を構えてイギリス兵に襲いかかり、
銃剣で3人を刺し殺したそうです。
なおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤氏に恐れをなしたイギリス兵は、武器や荷物を
放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていったそうです。
イギリス人が逃げ去って始めて、新藤氏はその場にばったりと倒れます
敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃の弾で頭を撃ち
抜かれたためか、頭が半分無くなってしまった新藤氏の変わり果てた姿でした。
695 :
素敵な旦那様:2005/07/22(金) 19:54:33
Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、私たちは
怯えて見ているだけだった。情けない。これからは勇敢に戦い、新藤氏が願ったように、
生き延びてインドのために命がけで働こう、と誓ったそうです。
そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを手に、イギリス軍の残していった武器や食料を
みんなで分け合い、その場を離れます。
新藤氏の死から、10日以上も山中をさまよった後、一行は小さな集落にたどり着き、その
住民に助けてもらってようやく日本軍(当初属していた本隊ではない部隊)と合流できた
のだそうです。
形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の元に戻った
ことでしょう。
そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ写真…
新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真…が入っていたそうです。
小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで自分たちを
守ってくれた新藤氏の勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。
そして、終戦。
最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は
「私たちと一緒にいると、イギリス軍に捕まってしまうから、身分を隠して故郷に帰りなさい」
といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれたそうです。
そして、「インド独立の約束を果たせなくてすまない」と涙を流して頭を下げたそうです。
696 :
素敵な旦那様:2005/07/22(金) 20:01:02
戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合い、新藤氏の最後の言葉「ガンバレ!」を
合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働いたそうです。そして、Mさんは軍人と
して大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、政治家や実業家、学者として同様に成功を
修めたそうです。
勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人。そんな日本人は今どこかにいるのだろうか。
そして、今の私は(同時に、私たち日本人は)、Mさんや、その意志を受け継いだSさんたちの
好意と敬意に応えられるだけの存在なんだろうか。
そんなことばかり考えてしまいました。
でも、ほんの60年前。私の両親や祖父母の時代に、この国には確かにそんな立派な人間が
いたという事実は、私にとって小さな誇りと、負けないように自分も頑張らないと、という
目標を与えてくれたような気がします。
最後に。
今回の話は、もともとが古い時代の聞き語り。話した本人も、聞き覚えた人々も幼い頃の記憶に
頼っていますし、歴史や軍事に詳しい訳でもありません。
また、この話をまとめた私自身も第二次大戦に関する知識に乏しいので、戦史に詳しい方から
見れば首をかしげるような部分もあるかも知れません。
その点をご理解頂ければ幸いです。
697 :
素敵な旦那様:2005/07/22(金) 20:04:08
そうそう、この話にはちょっとオカルチック(?)な余談があります。
新藤氏が死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。
疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中、新藤氏が出てきて
「敵襲!」と叫んだそうです。
そして、はっとして目覚め、跳ね起きて藪の中に身を潜めたMさんたちのすぐ近くを、
イギリス兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。
その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤氏が現れて、敵が近くにいることを教えてくれたそうです。
Mさんたちは、死んで霊になった新藤氏が自分たちを守ってくれていると信じ、夢の警告に従って、
ひとりの死者を出すことなく生き延びることができたのだそうです。
しかも、戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤氏は何度もMさんたちの夢に現れ、
様々な危険を教えてくれたそうです。
…霊のお告げ、ってのは「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで緊張しきった神経が、敵兵の
近づくのに気づき、無意識のうちに便りにしていた新藤氏の姿を借りて警告を発した」合理的に
考えることも出来ますが、やっぱり、これだけは、死者の魂が最後まで守っていてくれた、という
説明の方がしっくりするような気がします。
さて、以上、インド人の知り合いから聞いた、昔々の英雄端でございました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
某板からのコピペ
>>693 生活板の「日本びいきの外国人を見ると和む」スレにコピペさせて下さい…
699 :
素敵な旦那様:2005/07/22(金) 20:11:04
・・・・で、誰が夫婦で誰が家族の話だったの?
700 :
素敵な旦那様:2005/07/22(金) 20:11:54
ないとしゃまらん?
701 :
素敵な旦那様:2005/07/24(日) 03:49:48
う・・・・ん・・・・
>>674 わたせせいぞうの絵でミニドラマ化したら
安っぽさ大爆発で良い感じになりそう
510 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:04/08/27(金) 12:56 ID:+2EX1C+J
おれにとって,ばーちゃんは『優しさ』の権化みたいな人だった.
いつもにこにこしてて,言葉を荒げることもなく,本当に穏やかな人で,家族みんなが,
ばーちゃんのこと,大好きだった.ばーちゃんは動物にも優しくて,家の周りにある三毛
猫がうろつきはじめると,餌づけして,いつの間にか家のネコになってた.ほどなくして家
族にもなついたんだけど,おれや妹が抱き上げて撫でてやっても,機嫌よくはしているん
だけど,ノドをゴロゴロと鳴らすことはないくせに,ばーちゃんが視界に入るだけで,その
三毛猫はゴロゴロとノドを鳴らしてた.その様子にいつも可愛がってたおれや妹は憤慨
したもんだ.なんでばーちゃんがいるだけでゴロゴロいいやがるんだ,こいつは(`Д´)と.
三毛猫が二度目の出産をしてしばらくたった頃,ばーちゃんが入院した.本人には知ら
せなかったがガンだった.入院からたったの一ヶ月.ホントにあっとゆー間にばーちゃんは
逝っちゃった.
看病している時,一言も『痛い』と言わなかったばーちゃん.末期で凄まじい痛みがある
ハズなのに,顔を見ては『ありがとう』と微笑むばーちゃん.逝ってしまう1週間くらい前だっ
たかな?珍しくしかめっ面してベッドにいるばーちゃんに『痛いのか?』と聞いたら,小さく
頷いた.おれが初めてみたばーちゃんの弱音だった.そんな我慢強い人だった.
死に顔は本当に安らかで,元気だった頃のばーちゃんの穏やかな顔そのもの.遺体を
家に連れて帰って,葬儀をすませたその夜,気がつかない間に,三毛猫は生後二ヶ月
の仔猫4匹を連れて家出した.それっきり帰ってこなかった.大好きなばーちゃんがいな
くなったのを感じ取ったんだろうか...
あれから9年.ばーちゃんの事を思い出すのも滅多にないよーになってた.
先日,ばーちゃんに会わせてあげられなかった嫁が死産した.おれの子供が嫁のお腹
の中で死んでしまってた.前日までお腹蹴ったりしていたのに.母体への影響もあると
いうことで,嫁は普通分娩で2日かかって出産してくれた.9ヶ月の男の子だった.体重
2600g,身長49cmまでにもなっていたのに,産声を上げることなく出てきた.
511 名前:510[sage] 投稿日:04/08/27(金) 12:57 ID:+2EX1C+J
>>510続き
おれも嫁も初めての子だっただけに,どうにも現実とは思えず,放心状態.
息子が出てきてくれた夜,丸二日寝てなかったのに,病院の簡易ベッドということもあり,
なかなか寝つけなかった.うとうとし始めた頃に,夢にばーちゃんが出てきてくれた.
別に何を言うわけでもない.いつもの笑顔でおれを見つめて,ただ2度頷いてくれた.
目がさめて,まわりを見渡し,夢であったことを自覚すると,嫁にきづかれないように病室
を出て駐車場のクルマまで一目散に行った.そして大泣きした.まさに号泣した.
ありがとう,ばーちゃん.きっと息子のことはまかせとけって言いにきてくれたんだよね.
忙しさにかまけて墓参りもまともに行ってない不幸者なのに,ちゃんと見守ってくれてたん
だな.そう思うと,息子を亡くした悲しさと,ただ自分がつくりあげた妄想かも知れないが,
夢にまで出てきてくれたばーちゃんや祖先にたいする感謝が塊となって襲ってきて,大声
あげて泣いた.
まだ立ち直ったとは言い切れないけれど,おれは嫁と一緒にがんばっていくよ.心配ばっか
かけてごめんな,ばーちゃん.どうかこれからも見守っててください.
そして,おれも嫁も知らない世界へ行った息子の魂を守ってやってください.
乱文失礼.
705 :
素敵な旦那様:2005/07/25(月) 03:06:47
入院していても、子どもは勉強しなければならない。
私が通っている総合病院には院内学級で勉強している子ども達の学習成果発表用の掲示板がある。
先週、その前を通ったら、小5の男の子の俳句(季語ないけど)が貼ってあった。
喉乾く 機械の音と 親の声
一読してわからず、再読して何となく想像がついて、横の解説で納得した。
これは、手術後ベッドで意識が戻ったときの句だという。
長い手術だったのだろうか。大がかりな機械を付けられているのか。親御さんは何と言ったのか。
目を開けることができない状況なのだろうか(視覚表現が一切ないので)。
すごく良くできた句だと思ったが、俺も子どもができて涙腺が緩くなった。
早々に掲示板から立ち去ることにした。
なけた
俺の暮らしていた家にはばあちゃんが二人いた。
1人は曾祖母にあたるわけだが、俺にとっての祖母ってこの人のことだったと思う。
祖母もいたけど家事とかほとんどしてなかったな。
一緒に暮らし始めたのは小学校6年生の時だったんだけど
一緒に住む前は、全然元気がなかったんだよね。
老人ホームにいそうなおばあちゃんって感じだったな。
でも、一緒に暮らし始めてから若返ったように元気になっていったんだ。
なんでかっていうと俺と弟のせいだろうね。
俺と弟は当時小学生だったんだけど、朝二人とも全然起きないの
母親とか俺らの起きる前に出勤しちゃってたしね。
二人してずっと寝てたんだけど、それを起こしてくれたのが曾祖母。
洗濯や料理もやってたな。
あと散らかってた俺の部屋も勝手に片付けてたな。
当時は余計なことしなくていいよとか思ってたよ。
毎日毎日、俺らのこと起こしたり、部屋片付けたり、家事やってたら
おちおち寝てられないよな。
あと、いつも体を張ってた記憶があるんだよ。
うちの弟は、ろくでもないやつとつるんでたりしたから
少しつっぱってるって感じだったかな。
気に入らないことがあると、平気で物を壊したりしてるの
俺や母親にも文句ばっか言ってたな。
ある日、そんな弟を見かねてか
ばあちゃんが叱ったんだよ。
弟も滅多に叱られないから、逆上しちゃって
すごい剣幕だったよ。今にも殴りかかりそうだった。
でも、ばあちゃん全然怯まないでやんの。
殴れるもんなら殴れみたいな感じで堂々としてるの
今思うとすごいばあちゃんだったな。
でも、俺が高校の時なんだけど
急に倒れちゃったのな。
脳卒中だったのかな?
後から聞いたけど、祖父とか祖母は倒れてるの見ても
救急車も呼ばなかったらしい。
母が救急車呼んだとか後で聞いた。
入院生活は結構長かったんだけど
俺がお見舞いに行ったのは、数えるほどしかなかったんだよ。
今まで元気に俺のこと起こしたり、賞味期限が切れたヨーグルトとかくれたりしてるのに
死ぬわけないと思うじゃん。
ひょっこり元気になって、俺のこと起こしにきてくれると思ってたよ。
今思えば、恥ずかしがらず寝たきりのばあちゃんに声かけてあげればよかった。
あの時の俺は、手は握ったものの、恥ずかしがって少ししか声かけられなかったんだ。
で、ある日死んじゃったわけよ。
信じられる?信じられないよな。信じたくねぇもん。
最初は実感できなかったよ。
棺桶に入ってるの見ても、全然涙とかでてこないでやんの。
死ぬ前より綺麗な顔してんだもん。
ひょっこり生き返りそうじゃん?
鼻を入れ終わった後、弟のほう見たら、思いっきり泣いてるのな。
お前、なんだかんだでばあちゃん好きだったんだな・・・
それで、火葬場で、骨になったの見ても全然泣けないんだよ。
悲しいって気持ちはあるのにな・・・
悲しいのに泣けないってしんどかったよ。
で、休みが終わって学校始まったわけよ。
でも、起こしてくれる人いないのな。
いつもの日常がなくなったんだなぁって
そこで実感させられたよ・・・
でもさ、ばあちゃんは俺が結婚するまでは生きてるとか思ってたんだよな。
俺全然もてないからいつになるかわかんないけどさ。
嫁さんできたんだって報告したかったな・・・
ねぇ、一緒に暮らした7年間は楽しかった?
迷惑ばかりかけちゃったし、何かいいことあったようにも思えないんだ。
今思い出しても、俺何もしてやれてないもん。
ありがとうって言った記憶さえないし・・・
ねぇ、また俺のこと起こしにきてよ。
そしたらいつもありがとうって肩ぐらい揉むからさ。
あんまりいい孫じゃなかったけど
ばあちゃんの孫でよかったよ。
いつかばあちゃんを安心させられるような報告をしに行くからさ
楽しみに待っててな。
横になってたら、ふと思い出して泣けてきたので吐き出しにきました
駄文スマソ
親思う心に勝る親心・゜・(つД`)・゜・
それにも勝る感情がヒシヒシと・゜・(つД`)・゜・
自分が親になった今ジ〜ンときます
子供が成長していくと夢が広がります 君等は親を乗り越えて行けと・・・
客が来るのに泣いてしまったじゃないか!
714 :
素敵な旦那様:2005/07/28(木) 23:42:50
大学生の時地元を離れて1人暮らしをしてた。
埼玉に住んでたんだが、ある日神奈川の友達の家に泊まりに行った。
その時携帯の充電が切れてしまって、しかも充電器も家に置きっぱ。
今思えばコンビニで簡易充電器を買えばよかったんだけど当時は
あまりお金もなく次の日帰るからいいか、と電源を切ったまま二日ほど過ごした。
そして家に帰って充電してみると大量の着信&メール。
何事かと見てみると自宅やらおとんやら弟から。
「どうしたの?」と自宅に電話すると電話したが繋がらずメールしても返事なし。
おまけに弟が冗談で「今ごろ何かの事件に巻き込まれて・・・」と
根も葉もないことを言ったらしく母親パニック。電話したとき半分涙声で
「今からそっちに行こうかと思って支度したところ」だったらしい。
そんときは、んなことあるわけなかろうにと冗談で終わらせてしまったけど
ほんとはものすごい心配してくれてたんやなと思ってかなり反省した。
それ以来携帯の充電は必ずチェックしてから出かけるようになり、
母親は俺が遠出するたびに
「発電機持った?」と言う。
発電機て・・・でもありがとう。これからはもっとしっかりするよ。
長文スマソ
-----------------------------------------------------------------------
いや、俺の嫁、5年前の3月13日に31週でいきなり常位胎盤早期剥離って言うの起こしてさ、
緊急帝王切開で産んだのよ、子供。
それまで全く普通に日常生活こなしててさ、5ヶ月の時には引越しまで仕切って、
3月12日には俺の部下(嫁の仕事仲間でもある香具師)呼んで、
家で一緒にメシ食ったりしてるのよ、嫁が気合い入れて作った手料理を。
で、その翌日、いきなり朝7時に真っ青な顔して嫁が言うのよ。「…出血してる」って。
もう、どうしようかと思ったよその時は。
で、行きつけの小さな産院に行ったら、「うちではどうしようもないから大きな病院に行ってくれ」
って言われて。
紹介状もらった病院に行ったら、いきなり「歩くのもダメです!」って言われてさ。
もう、すぐに車椅子に乗せられて。即入院だよ。
その時は嫁さんもだいぶ顔色も良くなってたし、その日、俺が外せない会議があるってことも知っていたから、
「会社、行った方がいいよ」
って言うから後を嫁の母親に任せて出社したのよ。その時はそれで済むと思ったんだよ。
あと2ヶ月入院かな、まあとりあえず良かった、なんて思った。
…そしたらさ。
午後4時ぐらいかな、いきなり電話が来たのよ。嫁のお袋さんから。
「すぐ手術だ。××大学病院まで来てくれ」って。
……それ、嫁が担ぎ込まれた病院じゃないんですけど。
話を聞いたら、最初の病院にはNICUがないから、それがある大学病院まで嫁を運んで、
そこで帝王切開するしかないらしい。
夕方の会議は事情を話して欠席して、速攻で飛んで行ったよ。
そうしたらさ、もう、青い顔した嫁のおふくろさんが病院で待ってて。
看護婦さんから手渡された書類にサインさせられて。
もう、訳が分らなかったよ。昨日まで普通に生活していたのに、なんでだ? って思った。
嫁とは、手術室に運ばれる時、やっと会えた。…ビックリしたよ。
顔も、手も、むくんでるんだよ。
で、俺に言うんだ。「ごめんね」って。
「今日、仕事にならなかったでしょ? ごめんね」って。
俺、なにも言えなかった。
で、そのまま嫁は手術室に運ばれて。
俺と嫁のおふくろさんは延々と待つしかなかったよ。
手術が終わって、俺が先生に呼ばれて。
産科と婦人科と小児科の医者が入れ替わり立ち代り、
俺に嫁と子供がのっぴきならない状況を説明したよ。
嫁の胎盤が子宮の中でいきなり剥がれたこと。
それにより子供の状況が極端に悪化し、帝王切開で外に出してケアしないと危なかったということ。
外に出しても呼吸器が未完成でしかも弱っている子供は、今後3日が山だということ。
嫁も、胎盤がいきなり剥がれたことで大出血していて、この出血が収まらない場合は危ない、
また、その場合最後の手段の一つとして、子宮を全摘出しなければならないかもしれないということ。
さらに、手術の執刀医が出てきて駄目押しだよ。
「はい、これ。奥さんから剥がれた胎盤ね」
なんか、でっかいレバーみたいな、血の塊みたいな。
「これが剥がれちゃったんだからねえ、奥さん、大変だったと思いますよー」
どうやら、手術前の俺と嫁の会話を知っているらしい。
「仕事仕事もいいですけど、もう少し大切にしてあげないと」
で、やっと病室に行ったよ。
嫁は半分眠っているようだったけど、俺が側に行くと目を覚まして言うんだ。
「子供の名前、どうする?」って。
もう俺、「お前、ちゃんと寝ろよ。寝ないと子供の顔、見に行けないだろ」って言うのが精一杯だった。
…そのとき、子供は、保育器に入れられて。
鼻と口からチューブ通されて、両手と片足に点滴のライン入れられて。
自力で呼吸も出来ない状態だったんだよ。
そんなこと、嫁に言えるか?
(嫁さんと子供はぶじだったのか?というレスに対し)
----------------------------------------------------------------------
心配かけたようだな、申し訳ない。
とりあえず、嫁も子供も無事だ。
嫁は2週間で退院できた。
子供は娘で、3ヶ月入院していた。うち1ヶ月は保育器。
1380gだった。
5年たった今でも嫁は疲れやすく、傷の直りが悪い。
大出血しているから、その影響だそうだ。下手すると、一生この状況が続くそうだ。
当人は「普通に生活する分には問題ないから」といっているが、
そのこともあって一生続けるつもりだった仕事は辞めざるを得なかった。
あと、生理のとき、もの凄く辛いそうだ。
最初は気がつかなかったが、月に1度余りに状態が悪くなるので聞いたらどうやら手術の影響らしい。
子供もとりあえずは健康に大きくなっているが、やはり少し体が弱い。
幼稚園も週のうち必ず水曜か木曜に体力が切れて熱を出し、休まざるを得ない状況だ。
言葉も、他の子供に比べると遅い(まあこれは、俺たちが甘やかしすぎたせいもありそうだが)
あと、保育器に1ヶ月入っていたせいかどうか分らないが、やや視力が弱い。
下手すると5歳でメガネっ娘だ。
ただ、5年前に告げられた『最悪の事態』を考えると、本当に奇跡のようだと思うよ、マジで。
今日はこれから俺と娘はケーキを買ってくる。
嫁は風邪気味なので、家で娘の好きなものを作っているそうだ。
夜は誕生パーティーだよ。
よかった、ほんとによかった
去年の秋、新車を購入するため、5年間乗ったカローラを手放すことになった時、
小1だった長男は声をあげて泣きました。長男は妹と一緒にトランクの中に
「カローラへ。いままでいろんなところにつれていってくれてありがとう。これからもげんきでね」
と書いた手紙をしのばせ、カローラとお別れしました。
それから9ヶ月余りが過ぎた先日、郵便受けに「カローラより」
と書かれた長男と妹あての手紙が届きました。
その手紙には
今カローラは新しいオーナーの赤ちゃんを乗せて毎日元気に走っていること、
その赤ちゃんが手紙をくれた2人のように優しい子になってほしいということが書かれていました。
ええ話や
夢がなくて申し訳ないんだけど
カローラの持ち主からの手紙って事だよね。どうやって
>>720宅の住所がわかったんだろう。
>>720 確かこれ、マーチの話じゃなかったっけか。
カローラに出した手紙に住所書いてあったんじゃ?
ディーラーが教えたのかも。
住所を教えなくても、ディーラーが預かってポストに投函してくれたのかもしれないし。
無粋なこと考えるより、想像力を働かせようぜ。
自賠責保険は廃車しない限り、前使用者のを受け継ぐから住所わかる
と夢の無いレススマソ
そうだったのか…気団なのに免許も持っていない俺には分からなかったよ・・・
現所有者GJ!
730 :
素敵な旦那様:2005/08/01(月) 12:59:22
>去年の秋、新車を購入するため、5年間乗った
車検切れで乗り換えだね
自賠責は1ヶ月余裕を見て入るのが普通だから、すぐ買い手が
付いて車検を更新すればわかる
でも、手紙が届いたのは9ヵ月後
中古車の場合は一旦車検を切って、買い手が付いたときに納車
整備に合わせて車検を取るのが普通だろうな
ディーラーで下取車を販売すれば別だが、オークションに流れて
しまった場合には、前所有者のことは分からないだろう
考えられるのは5点
1.整備記録簿が残っていた
(住所・氏名の記載欄があるけど、ユーザー車検で通さないと
整備業者の名前が入るけどな〜)
2.前回の自賠責証書が残っていた(有力)
3.ディーラー(もしくは中古車業者)に聞いた
4.手紙に住所が書いてあった
5.陸運局へ行って登録事項等証明書の詳細証明を取った
こんなところか
漏れはワザワザ陸運局まで行って調べてくれた(と勝手に解釈)
前所有者の思いやりと行動力に感動したぞ
前所有者、GJ!
>>730 GJは現所有者だろ?
けっこう有名な話なのにどうやって住所が分かったかは誰も知らないのね。
陸運局まで行って調べてくれたのならマジすごいね。
マーチがカローラになってんの?
整備記録簿見れば、普通に前オーナーの住所分かる事は
内緒にしておこう。
無料点検だろうが、しっかり住所氏名は記載されてる。
あと保証書もな。やましいディーラーなら律儀に前オーナー
の名前書いた保証書切り取るけど、普通はそこまでしない。
前オーナーが新車で購入してれば、住所氏名は普通に
書いてある。
無粋
735 :
素敵な旦那様:2005/08/01(月) 22:57:34
みんな、細かい事考えずに素直に感動しろよ。
目から出てきた鼻水が乾いちゃったじゃないか。
>>735 おいおいハニー、目から出たら目水だろ。ハハハハ
バカだな。それは心の涙だよ。
汗だろ!!
ところで実際はマーチだっけか?
739 :
無粋:2005/08/02(火) 13:29:48
740 :
無粋:2005/08/02(火) 13:31:58
ディーラーでくれる点検手帳とかお客様カルテみたいな
もんはチョットわからねぇ
マーチでもカローラでもいいけどw
手紙を書くという優しさと
返事を出すという優しさの両方が
そろった話だから、ほんわか暖かい。
742 :
素敵な旦那様:2005/08/03(水) 00:52:15
『トヨタのやり口だな』
と思った日産社員もいるかもしれん。
743 :
素敵な旦那様:2005/08/03(水) 08:15:19
ageとく
>>722だが無粋な話になってしまってすまない。
今は反省している。
745 :
No.1:2005/08/03(水) 10:41:53
小学生の頃、詳しく覚えてないんだけど親父を怒らせたのな
一緒に飯食ってたんだけど、裏拳で吹っ飛ばされた後ヤクザキック連発
玄関まで蹴りで運ばれて、母ちゃんも弟もやめてって叫んでさ。おれ的には楽しく食事してたつもりだったからホント意味わからんくて
それ以来親父とは疎遠で、おかえりもただいまも言わなかった
中学高校の六年間での親父との会話を文字にするとしたら、間違いなく原稿用紙一枚で足りるね
母ちゃんに対する態度とか含めて、親父のことが大嫌いだった。正直、いなくていい、とか思ってた
高校卒業して東京に出てふらふら遊んで。母ちゃんには電話してたけど三年以上親父の声も聞いてなかった
彼女が妊娠したのがわかって、まず向こうの親に電話して結婚の許可もらってさ。でも自分の両親には報告を先延ばしにしてた。あの親父が喜ぶわけねえって思ってさ。
けど、彼女の親への体面もあるし、こんな大事なことを報告なしではさすがにまずいってことでさ
どやされて勘当とかになってもしょうがねえなって考えながら、初めて親父の携帯に電話した。
十何年ぶりに、親父と会話したんだ
746 :
No.2:2005/08/03(水) 10:43:34
「もしもし」
「おお、久しぶりだな。元気でやってるのか」
「あのさ、付き合ってる女にガキできたから結婚しようと思ってんだ。あんたに反対されても、もう決めたから」
言うこと言って親父の反応を待った。どやされたら電話切ろうと思って。そしたら
親父、笑ってさ
すげぇでかい声で笑いやがんのな
おれがキョトンとしてると、いつ産まれるんだ
母さんは知ってるのか
向こうの両親には言ったのか
近々一緒に挨拶に行かないとな、なんて、えらい喋る
いま仕事なにしてんだ
金は足りてるのか
彼女は何歳なんだ
おれは親父の質問にひたすら答えて、なんか不思議な気持ちになってた
困ったことがあったらすぐに電話してこいよって親父、言ってくれて、嬉しかった
んー、文章下手でうまくまとめれんから終わり
自分が結婚して子供育てて、ホント親の凄さを実感するよ
けど、いまでもわからないのが、あの時おれがボコられた理由な。親父、下手したらおれ死んでたぞ(笑
747 :
素敵な旦那様:2005/08/03(水) 10:54:46
>>745-746 何か理由はあったんだろうな・・・・・
子供の心を閉ざさせてしまった、オヤジさんにも非はあるが
生きてるうちに話が出来るようになれば、それは幸いなこと。
俺もオヤジが生きてるうちに結婚し子供が出来てりゃ
オヤジの教育方針と、無言の愛情も理解できたのかもしれん。
・・・・自分で子供を育てだし、初めてわかる親の愛情てあるんだよ。
オヤジさんを大切にね。
自分と重ねてしまいスレ汚しになったなw
748 :
素敵な旦那様:2005/08/03(水) 11:19:46
>>747 あんたの親父も
いまごろ遠くの方で笑ってるよ
749 :
素敵な旦那様:2005/08/03(水) 11:23:36
おれも似たような事があったんで泣けたよ
同意
753 :
素敵な旦那様:2005/08/04(木) 11:34:03
>>745-
>>749 ジーンとしたよ。いい話しだな
おれもついでに
(σ・∀・)σそういえば、あんたアレ忘れてったわね。大丈夫だった?
(*´Д`)=зアレってなによ?
(σ・∀・)σアレよ、アレ
(*´Д`)=з…ああ、アレね。別に必要なかったよ
(σ・∀・)σあら、そう。ならいいんだけど
(´・ω・`)あんたたちすごいわね…
中学の修学旅行から帰ってきて3日後のママンとの会話。
とりあえず2人の間では意志疎通ができてるんだけど、遊びにきてたオバさんはポカーン。
こういう親子はけっこういそうだが
その日1日上機嫌だったママン。いま思うと愛らしいね
ジーンとはしないな。ほのぼの話になってしまった。
スレ違いスマソ
ママンの顔文字も心なしかカワユイ
755 :
素敵な旦那様:2005/08/07(日) 12:25:18
ジーン話キボンあげ
756 :
現役ホステス:2005/08/07(日) 12:53:05
あんたら、嫁を誉めるんだったら本人の前で言え
飲み屋でほざいても嫁には聞こえんだろ
たった一言の優しさこそ妻が必要としている宝なのに
何でわからんねん
おっさんアホか
途中から関西弁になるのは辟易とします。
>>756 それが出来るんだったらこのスレは立ってないよ。
>>756 嫁にも言ってるし
職場でも惚気まくってるし
さらには見ず知らずの他人にも自慢したい私ですが何か?
ジーンとする話キボン
>761
タンスの角に足の小指が当たって痛かったよ。
763 :
素敵な旦那様:2005/08/09(火) 04:48:52
会社経営していた親父は46歳で癌で死んだ。
社命がかかっているので(小さな会社だが)告知望み死期を医者から教えてもらった父は
厨房の俺から見ても超人的な気力で仕事の引継ぎや遺産相続の処理を行い、それから死んだ。
死を覚悟し全部自分で成し遂げたかっこいい親父だと思ってた。
それから10年経ち、大学を卒業した俺は「好きなことをしなさい」と言う母を押しのけ亡き親父の会社へ入った。
親父が亡くなったあと、祖父の代からいる番頭さんが会社をまとめてくれていた。
「もしも○○←俺、が会社を継いでくれる日が来るなら」と俺が継がないなら番頭さんが辞めるときに
この会社も終わりにしよう、と親父が言っていたらしい。
俺の初出社の日、番頭さん(といっても社長だが)が初めて話をしてくれた。
当時あれだけ冷静に死の準備をしていたように見えた親父の話だ。
死が逃れられないことを知った親父は本当に会社の屋上から飛び降りようとしたらしい。
それを番頭さん以下数人でタックルして阻止したことや
俺や弟と酒と酌み交わす日が絶対に来ないことを、妹の未来のだんなには絶対会えないことを
狂ったように親父が嘆き悲しんでいたこと、
死を前にしてもクールに見えた親父の別の面をこのとき初めて聞いた。
俺にとっての親父のイメージってカッコイイ40歳くらいの時の写真だからさ。
しがない会社だけど、俺の代では絶対につぶさない。
おれもつぶさない!
借金てんこもりならつぶした方がいい
766 :
素敵な旦那様:2005/08/09(火) 10:12:45
立派なお父さんに乾杯!
お父さんえらい!!!
768 :
素敵な旦那様:2005/08/10(水) 15:37:43
>>763 親父さんに追いつけ、追い越そうと思うな
お前は親父さんのできなかったことをやるんだ
>>763 感動した!! 仕事中なのに涙が出てきた
俺もガンバル!!
770 :
37歳馬鹿親父:2005/08/10(水) 18:20:48
俺、ガキのころか野球選手になるのが夢で野球漬けの生活を送ってた
一応甲子園にも出て名門大学までいったが結局ケガのためプロまではいけなかった
その夢を一人息子に託した 息子がもの心つくころからボールを握らせバットを振らせた
親ばかながら生まれつき身体能力の高い息子はめきめき上達し小学生のときには
リトルリーグで5年生からエースで4番、中学になってもシニアリーグでチームを
引っ張る中心選手として活躍した、当然といえば当然だった土日はチームの練習、平日は
小学2年の時からチチローも真っ青の3時間に及ぶマンツーマンでの厳しい練習
息子にとって友達と遊ぶ時間など皆無の生活だった、それでも文句ひとつ言わず
プロ選手になるとゆう夢に向かって親子で取り組んだ
そんな息子が中学生での最後の試合を終えた夜、思いつめた顔で自分にこう言った
もう高校では野球はやらない、高校では他にやりたいことがある
気の短いは俺は、息子に対して怒りまくった、そして
今までの努力が無駄になることとか、有名野球高から推薦がきてること
野球を続けてほしいことを、必死で説明したまるで気が狂ったように
今まで従順だった息子だが、とうとう最後ま首を縦には振らなかった
怒られ疲れた息子はとうとうその場で涙を流したまま寝てしまった
体はでかいが、少年のようなあどけない表情を残した息子の寝顔を見て
馬鹿な俺はその時初めて気ずいた、親のエゴの為にこの子はどんな辛い思いをしてきたか
親の期待にこたえようと、どれほど血のにじむような努力をしてきたか、俺の目からはもう涙が止まらなかった
そして寝ている息子の横で、額が擦り切れるまで土下座して謝った、
そしていままで夢を見させてくれたことに心から感謝した
今春高校へ進学した息子は以前からやりたかったボランティア活動に没頭している
とてもいきいきとした表情で、たまに時間が空くと俺とキャッチボールの相手も
してくれる
親ばかながら、ほんとにできた息子である
おおげさな言い方であるが俺にとって息子は神様から授かった宝物である
以上あほな親父でした
771 :
素敵な旦那様:2005/08/10(水) 18:36:07
>>770 グサッ!グサッ!グサッ!グサッ!泣けた。
まるでこれから我が家に訪れるような話だ。スッゲーわかるよ。
齢も同じだし。そうなんだよな〜、どこで野球を辞めるかなんだよな〜。
息子は自分じゃないって分かってるんだけど、素質があるだけに…
申し訳ないが、俺はもう少し楽しむ事にするよ。
772 :
素敵な旦那様:2005/08/10(水) 19:28:32
シニア?
773 :
素敵な旦那様:2005/08/10(水) 19:33:41
シニアリーグって中学硬式野球のこと
774 :
素敵な旦那様:2005/08/10(水) 19:36:24
>>773 おー、そうだったんですか。ありがとう。
お年寄りのことかと思いましたw
775 :
素敵な旦那様:2005/08/10(水) 19:37:01
>>770 子を持つ親として泣けた
いいお子さんですね
5時間かけて頭から読んだ。
久しぶりに号泣したよ。
777 :
素敵な旦那様:2005/08/11(木) 11:38:07
なんだよsageんなよ
778 :
素敵な旦那様:2005/08/12(金) 12:53:36
話は良い話で文句を言うつもりも無いが、
37歳で名門大学まで行って子供が16歳・・・?
本当に野球に集中してたのか?
779 :
1/5:2005/08/12(金) 14:34:23
100 :N.W:2005/07/25(月) 07:06:10 ID:CFXfTZUN0
久しぶりに休みが取れた。たった2日だけど、携帯で探される事もたぶんないだろう。
ボーナスも出た事だし、母に何か旨いものでも食わせてやろう。そう思って京都・貴船の
旅館へ電話を掛けてみた。川床のシーズン中だが、平日だったから宿が取れた。
母に連絡を取ると大喜びで、鞍馬も歩いてみたいと言う。俺に異存はなかった。
京阪出町柳から叡山電鉄鞍馬駅まで約30分。その間に景色は碁盤の目のような街中から
里山を過ぎ、一気に山の中へと変化する。また、鞍馬から山越えで貴船へ抜けるコースは、
履き慣れた靴があればファミリーでも2時間前後で歩く事が出来るし、日帰りなら逆に、
貴船から鞍馬へ抜け、鞍馬温泉を使って帰る手もある。
その日もさわやかな好天だった。荷物を持って歩くのも面倒なので、宿に頼んで預かって
もらい、それから鞍馬山へ行った。堂々たる山門を潜った瞬間、いきなり強い風が吹き、
俺を目指して枯葉がザバザバ降って来る。落葉の季節ではないのだが、母とくれば必ず
こういう目に遭う。天狗の散華だ、と母は言う。迷惑な事だ。途中からロープウェイも
あるが、母は歩く方を好むので、ところどころ急な坂のある参道を歩いて本殿を目指す。
由岐神社を過ぎると、先々の大木の中程の高さの枝が、微妙にたわむ。毎度の事だが。
鞍馬寺金堂でお参りした後、奥の院へ向かって木の根道を歩く。
魔王殿の前で、一人の小柄で上品な感じの老人が、良い声で謡っていた。
“…花咲かば、告げんと言ひし山里の、使ひは来たり馬に鞍。鞍馬の山のうず桜…”
言霊が周囲の木立に広がって行くようで、思わず足を止め、聞き惚れた。
最後の一声が余韻を残して空に消えた時、同じように立ち止まっていた人たちの間から、
溜め息と拍手が湧き起こる。老人はにっこり笑って、大杉権現の方へ立ち去った。
780 :
2/5:2005/08/12(金) 14:35:04
101 :N.W:2005/07/25(月) 07:07:24 ID:CFXfTZUN0
鞍馬山を下り、貴船川に沿って歩く。真夏の昼日中だと言うのに、空気がひんやりして
気持ちがいい。流れの上には幾つもの川床。週末は人で溢れているのだろうが、今日は
そうでもない。少し離れると、清冽な流れの中、カワガラスが小魚を追って水を潜り、
アオサギがじっと獲物を待つ。もう備えの出来たススキが揺れる上を、トンボたちが
飛び回る。
貴船神社へお参りに行く人は多いが、奥宮へ参る人は少ない。その静けさを楽しみ
ながら、奥宮の船形石の横の小さな社に手を合わせる。弟たちも連れて来てやれれば
よかったが、何分にも平日の急な事。学生時分ならともかく、社会人がそうそう手前
勝手な事をする訳にはいかない。母とそんな話をしながら振り返ると、さっき魔王殿の
前で謡っていた老人がこっちへ歩いて来るところだった。軽く会釈すると、向こうも
にこっと笑って片手を挙げる。
「先程は、良いものを聞かせて頂いて、ありがとうございました」
「いやいや、お恥ずかしい」老人は首を横に振り、俺と母を見やりながら
「親子旅ですか、よろしいなぁ。ええ日にここへ来はった。今日は“山祭り”や」
「まあ、お祭りがあるんですか」祭りと聞いて、母の気持ちが弾むのがわかる。
老人が教えてくれる。
「今晩、川床の灯りが消えた時分から、この先の方でありますねん。“山祭り”は
時が合わなんだら成りませんし、ほんまの夜祭りやから、知らん人の方が多いんや。
もし、行かはるんやったら、浴衣着て行きはった方がよろし。その方が、踊りの
中へも入りやすいよって」
母は既に行きたくてワクワクしている。一時、『盆踊り命』だった人だから。
ま、いいか。俺は盆踊りは嫌いだが、仕方ない。付き合うか。
781 :
3/5:2005/08/12(金) 14:35:35
102 :N.W:2005/07/25(月) 07:12:41 ID:CFXfTZUN0
川筋の道沿いに、黄桃のような丸い灯りが、ぽつりぽつりと点いている。俺たちの
他に、歩いている人はほとんどない。
奥宮へ近づくにつれ、笛の音がどこからともなく風に乗って流れて来た。山祭りは
どうやら、思っていた盆踊りのようなものとは、全然違うものらしい。
奥貴船橋の袂をくっと左へ折れ、山の中へ入る細い道をたどると、笛の音はますます
はっきり聞こえる。曲目はわからないが、ゆったりとしたメロディを、複数本の笛で
吹いているようだ。
やがて、木立の間からたくさんの白い提灯と、その灯りが見えて来た。そこは体育館
程度の広さの空き地になっていて、笛の音に合わせて数十人の人たちが踊っていた。
衣装は白地に紺色の流水模様の浴衣。女は紅の帯、男は黒字に金の鱗模様の帯。
踊るというより、舞うと言った方がいいような優美な動きで、普通の踊りの時のような
賑わしさや、テンポあるいはノリは全く感じられない。
俺たちより先に来て、これを眺めていた隣の人がいきなり駆け出し、踊りの輪の中へ
入って中の人と手を取り合った。知り合いがいたらしい。
前の方から、あの老人が笑みを浮かべながら、静かに俺たち親子に近づいて来た。
「ああ、来はりましたんやな」
「こんばんは。不思議なお祭りですね」
老人は不思議な言葉を口にした。
「あの中に、逢いたい人がいたはりますやろ」
逢いたい人?訳がわからず、ぽかんとする俺。
母が突然駆け出した。
「母さん!?」
782 :
4/5:2005/08/12(金) 14:36:15
103 :N.W:2005/07/25(月) 07:13:25 ID:CFXfTZUN0
伸ばした手の先に、よく知ってる人がいた。
実家にいる頃いつも見ていた人。写真立ての中で笑っている、俺と面差しのよく似た
青年。俺が2歳の時亡くなった父だ。
まっしぐらに父に向かって進む母を、踊り手たちは空気のようにするりとかわし、
何事もなかったかのように踊り続ける。
一足ごとに母の時間が逆戻りする。わずか3年余りの妻としての日々と、その何倍もの
母としての時間。今、父の手を取りながら、母は堰を切ったようにしゃべり続け、
父は黙って微笑みながら、時折相槌を打っている。二人の間に涙はない。何を話して
いるか、俺には聞こえないが、きっと言葉で時間を溶かしているのだろう。
時を越え、両親は恋人同士に戻っている。初めて見る両親の姿。ああ、父はあんな風に
笑う人だったのか。母はあんな風にはにかむ人だったのか。これだけの歳月を隔て、
まだ惹かれ合う二人に、思わず胸が熱くなる。
父に誘われ、母が踊りに加わる。なかなか上手い。本当に楽しそうに踊っている。
俺の頭の中で太棹が鳴り、太夫の声が響く。
“…おのが妻恋、やさしやすしや。あちへ飛びつれ、こちへ飛びつれ、あちやこち風、
ひたひたひた。羽と羽とを合わせの袖の、染めた模様を花かとて…”
両親の番舞をぼーっと眺めていたら、ふと俺の事を思い出したらしい母が、父の手を
引いてこっちへやって来た。ほぼ初対面の人に等しい父親に、どう挨拶すべきか。
戸惑って言葉の出ない俺を、おっとりとした弟と雰囲気の良く似た父は、物も言わずに
抱きしめた。俺よりずいぶんほっそりしているけれど、強く、温かい身体。父親って
こんなにしっかりした存在感があるのか。
「大きくなった…」万感の思いのこもった父の言葉。
気持ちが胸で詰まって言葉にならない。ようやく絞り出せた言葉は「父さん…」
「うん」
優しい返事が返って来た。もう限界だった。俺は子供のように声を放って泣いた。
783 :
5/5:2005/08/12(金) 14:36:58
104 :N.W:2005/07/25(月) 07:14:42 ID:CFXfTZUN0
母の事を笑えない。気が付けば、俺は夢中で父に、友人の事、仕事の事を一生懸命
話していた。今までは、そんな事は自分の事だから、他人に話してもわかるまいと
思い込み、学校での出来事さえ、必要な事以外は母に話さなかったのに。
父の静かな返事や一言が嬉しかった。子供が親に日々の出来事を全部話したがる
気持ちが、初めてわかったような気がする。
俺の話が一段付いた時、父は少し寂しそうな顔をした。
「ごめん。もっと一緒にいたいけど、そろそろ時間みたいなんだ」
時は歩みを止めてくれなかった。でも、嫌だと駄々をこねたところで詮無い事。
大事な人に心配をかけるだけ。ああ、わかっている。笑って見送ろう。
「口惜しいよ、おまえたちの力になってやれなくて…」
「大丈夫、任せろよ。俺がいる。」
長男だもの。俺は親指を立て、父に向かって、偉そうに大見得を切った。
安心したように頷く父に、母がとても優しい眼差しを向け、父が最上級の笑顔を返す。
「…じゃあ、そろそろ行くよ」父は、踊りの輪の方を向いた。
「父さん」呼びかけずにはいられなかった。
父が振り返る。
「俺、二人の子供で良かった」本当に、そう思った。
父は嬉しそうに笑い、そのまま煙のようにすうっと姿を消した。
母はしばらく無言で父が姿を消した辺りを見つめていたが、やがて諦めたように
首を振り、「帰りましょう」と俺を促した。
翌朝、まだ眠っている母を部屋に置いて、奥貴船橋の袂まで行って見た。
昨夜の、橋の袂をくっと左へ折れ、山の中へ入る細い道は、やっぱりなかった。
あの老人が言っていた。“山祭り”は、時が合わねば成らないのだと。
それは俺たち親子が見た幻だったかもしれない。
でも、逢いたい人に会え、伝えたい事を伝えられた。幸せな旅だった。
784 :
素敵な旦那様:2005/08/12(金) 16:54:40
つまらん
おっぱいモミモミまで読んだ
ここってオカ板だったっけ?
787 :
素敵な旦那様:2005/08/13(土) 11:33:56
つまんない
おれは嫌いじゃないな
789 :
素敵な旦那様:2005/08/13(土) 20:12:29
俺は泣いた
先月、俺の誕生日があった。
毎年誕生日には妻がごちそうを作り、ケーキを焼いてくれる。
特に今年は、幼稚園に入ったばかりの息子からは「パパ」というタイトルの似顔絵、
片言を喋れるようになったばかりの娘からは「パパ、チュキ」という言葉とチュウを
もらって、とても嬉しかった。
そのささやかなパーティーのあと、寝ようとしてベッドにいくと、サイドテーブルに
小さな包みが置いてあった。
あけてみると、俺が前から欲しいと思っていたフランクミュラーが入っていた。
こんな高価なものを・・・家計は大丈夫なのか。
妻に聞くと、にこにこしながら、家計からは一切出していないから安心して。
私のお金で買ったのよ、と言う。
妻は子供ができてからずっと専業主婦だし、家を買うとき妻名義の貯金もほとんど
使ってしまったから、妻個人のお金でこんな高いものを買えるはずがない。
そのとき俺の脳裏に、数日前の妻の姿が浮かんだ。
独身の頃から大事にしてきた着物を、何故か突然取り出して眺めていた妻。
いとおしそうに一枚一枚触れながら、思い出話をしていた妻。
着物用のたんすを開けると、予想したとおり、それらが何枚もなくなっていた。
妻が祖母から受け継いだという、大切な着物まで・・・
もう着ないから処分しただけよ、あなたはいつも私にプレゼントをくれるけど
私はいつもケーキくらいしか作ってあげられなかったから。
あなたのお金を使わずに、私自身のお金でプレゼントしたかったの。
あなたへの感謝は、こんなものじゃ表しきれないくらいだけど・・・。
妻はそう言った。
俺はケーキだけで充分だったのに。大事な思い出を売ってまで、プレゼントなんて
してくれなくてもよかったのに。でも、でもありがとう。とても嬉しいよ。
俺は泣いた。泣きながら妻を抱きしめた。
あれから毎日、妻のくれた時計をはめて会社に行っている。
妻の愛が詰まったこの時計を見ると、どんどんやる気がわいてくる。
これからも妻と子供のためにがんばっていこうと思う。
ひょんな事から高校の時いじめにあってた俺。その日も殴る蹴るなどされた上で帰宅。
高校生にもなっていじめられるなんてカッコ悪いと思ってた俺は家族には相談できなかった。
俺「………」
姉「お帰り。……ただいまぐらい言ったら?」
俺「ただいま」
姉「元気ないな」
俺「普通。部活で疲れただけ」
姉「は?写真部がなんで疲れる」
俺「……寝る」
姉「ごはんは?」
俺「要らない」
自分の部屋に入ろうとしたら
姉「それなに?」
気付かなかったがズボンのおしりの部分が少し破れていて、砂埃もついていた
俺「!……こけた」
姉「あんたまさかいじめられてないよね?」
俺「はあ?高校生にもなっていじめられるわけねーだろ」
自分の部屋に入った。すると姉ちゃんも入ってきて
姉「………」
俺「なんだよ」
姉「…あんた…負けちゃダメだよ……わたしはあんたの味方だから…ね」
俺「……ありがと」
姉「……」
俺「…寝るから」
姉「うん。…じゃ」
俺「……ありがと」
姉「…うん」
そのあと自分が情けないのと姉ちゃんのやさしさで涙が止まらなかった。
おれは元気やでっ
えっ?俺に姉はいないのに…って話じゃなかったんだ…or2
793 :
素敵な旦那様:2005/08/16(火) 02:05:50
いじめは家族愛では抜け出せなかったけどね・・。
794 :
素敵な旦那様:2005/08/16(火) 04:37:49
実姉を好きになり一生を共にするとかほざいている喪男が登場しています。
電車男〜後編〜に続く気持ち悪さ。「近親相姦男」
65 :('A`):2005/08/11(木) 00:36:27 0
>>63,64
ありがとう。
あれから自分でも一生懸命考えた。でも、やっぱ気持ち変わらなくてさ・・・。
「結婚できなくてもいいから一生お姉ちゃんと一緒にいたいよ」って言ったら、
「・・・わかった。じゃあ、死ぬまでお姉ちゃんの面倒みてよ?先にあの世行ったら許さないからね」と言われたよ。
とりあえず、18時間くらいかけて両親と話し合ったけど、
やっぱ許してはくれなかったよ。
んで、俺がそれでどうしようか考えてたら、
姉が「二人の貯金全部出せば部屋くらい借りられるから、実家出よう」って言われて、そうすることにした。
なので、近いうちに姉と一緒に住む部屋探しに行く予定です。
http://etc4.2ch.net/test/read.cgi/motenai/1123369959/
795 :
素敵な旦那様:2005/08/19(金) 15:55:49
キモッ
796 :
素敵な旦那様:2005/08/19(金) 16:07:24
実家出よう?
家出ようじゃなく?
18時間ぽっちで納得できっかよ
マスゴミもこれはさすがにもてはやしはせんだろうな。
798 :
素敵な旦那様:2005/08/26(金) 12:44:00
泣きたいなぁ・・。と思ってここに着いたんだが・・・、
スレが伸びていない。
799 :
素敵な旦那様:2005/08/31(水) 06:18:24
交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。
そのプリントは、交通事故についての注意などが書いてあり、
その中には実際にあった話が書いてありました。
それは交通事故で加害者の立場で亡くなった人の家族の話でした。
残されたのはお母さんと子供たち、上の子が小学二年生、
下の子が五歳の男の子の兄弟です。
この人たちは、事故の補償などで家もなくなり、
土地もなくなり、住む家もやっとのことで四畳半のせまい所に
住めるようになりました。
お母さんは朝6時30分から夜の11時まで働く毎日です。
そんな日が続くある日、三人でお父さんのいる天国に行くことを考えて
しまっていました。
(以下、プリントから)
800 :
素敵な旦那様:2005/08/31(水) 06:18:52
朝、出かけにお兄ちゃんに、置き手紙ををした。
「お兄ちゃん、お鍋にお豆がひたしてあります。
それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆がやわらかくなったら、
おしょう油を少し入れなさい。」
その日も一日働き、私はほんとうに心身ともにつかれ切ってしまった。
皆で、お父さんのところに行こう。私はこっそりと睡眠薬を買ってきた。
二人の息子は、そまつなフトンで、丸くころがって眠っていた。
かべの子供たちの絵にちょっと目をやりながら、まくら元に近づいた。
そこにはお兄ちゃんからの手紙があった。
「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。
お豆がやわらかくなったとき、おしょう油を入れました。
でも、けんちゃんにそれをだしたら、
「お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べれないよ。」
と言って、つめたいごはんに、おみずをかけて、それをたべただけでねちゃった。
お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ぼくをしんじてください。
ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。
あしたのあさ、ぼくにもういちど、
お豆のにかたをおしえてください。でかけるまえに、ぼくをおこしてください。
ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。
お母さん、おやすみなさい。」
目からどっと、涙があふれた。
お兄ちゃんは、あんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。
私は睡眠薬を捨て、子供たちのまくら元にすわって、お兄ちゃんの煮てくれた、
しょっぱい豆を涙とともに一つぶ一つぶ、大事に食べました。
801 :
素敵な旦那様:2005/08/31(水) 06:19:54
・・・
このお話を読み終えたとき、私と母の目から、涙が出てきました。
そうして、何度も、何度も、くり返し読みました。
私は、今まで、交通事故は被害者だけが悲しい思いをしていると
思っていましたが、このお話を読んで、加害者も、私たち以上に悲しくせつない
思いをしていることがわかりました。
毎日、毎日、日本のどこかで、こういう子供たちが生まれているのかと思うと、
とてもたまりません。
どうか、お願いです。車を運転するみなさん、交通事故など、
絶対におこさないでください・・・・・。
803 :
素敵な旦那様:2005/08/31(水) 23:10:14
今日頭から読みました。
涙が出て仕方ねぇよ。
てゃんで〜
いい話本当にありがとうございました。
久しぶりに本気で泣きました。
>801
言いたい事はわからなくも無いが
絶対に起こさないでくださいと言われても起きる物は起きる
事故を起こそうと思って起こす人などめったにいない
なんかあざとい書き込みに萎えた
>>804 つっか・・・・。そういう反論
なんか、寂しいです。
>>806 でも俺は
>>804の言う事も分かるけどな。
起こしたくて起こす訳じゃない。だからこそ、いつ何時何が起こるのか分からないから
今を大事にするんじゃないのか?
思ってても中々実感したり行動したりは出来ないけどね…
>>801 この話は何度も見たことがあるし、読むたびに思うのだがこの加害者のお父さんって
生命保険も任意保険も入ってなかったのか?
と。
加入して保険からの支払い+家&土地売却って、どんだけすんごい事故を起こした
んだろうと考えちゃう。で、感動も何も起きないです。はい。
ここは汚れた心を持った大人のインターネットですね
>>809 ほんとだな。
こいつらに言わせたら、このスレの話全部感動起きないだろうね。
つか、なんでこのスレ来るんだろうねこいつら。バカじゃねーの。
ほんと視野が狭いのな>810
そんな単純なおつむならなんでもすぐ感動できるんだろうな
安上がりでうらやましいよw
812 :
素敵な旦那様:2005/09/01(木) 21:23:25
>>811 おまえ、嫌われ者だろ?
視野が狭いのどっちよw
こんなところで憂さ晴らすなよ。しっし
814 :
素敵な旦那様:2005/09/02(金) 07:58:09
特攻隊以外のコピペは一つも泣けない… 特に「ママ有難う系」のコピペには
殺意すら感じる。 自分を蔑ろにした母親に感謝する、って… こんな事言っ
てるから虐待がなくならないんだヨ。
俺の両親はむかしから2人で俺達兄弟を家に置いたまま、競艇・パチンコに入
り浸っていた。 酔ってない両親を見たことがない。 親父は死んで、お袋も
肝臓を悪くして、親戚の世話になり、入退院を繰り返している。
この間も親戚(オバサン)が「自分の母親の病院費なんだから、少しは出して!」
みたいなことを言ってた。 俺は一銭も出さない。 俺が20歳位の時、お袋が
腹が痛くてのた打ち回ってた時も、自分で救急車を呼ばせたよ。
早くクタバってくれ、お袋。 一人寂しく病室でな。
↑
こういうヤシが虐待の輪廻を断ち切れない典型。
なにかあったら直ぐに他人のせい。
まあ、両親共DQNだからしかたないか。
このスレは、その呪縛から解き離れた人の話な。
まあ、お前は一生両親呪ってのたうち回って市んでいいよ。
>815
まーまー・・・
つか
>なにかあったら直ぐに他人のせい。
この下りが気になったのだが
俺には>814の書き込みから>814の「落ち度」てものが読み取れないんだが。
あとすぐカッカすんのも虐待につながると思うぞ。
まあ、虐待云々はおいといて空気の読めない奴はどこでも嫌われるよな。
814のような愚痴はわざわざここで書くようなことではないだろう。
ここで憂さ晴らしをするよりも、その怒りは自分をないがしろにした親に向けるべきだろう。
ここで愚痴を言われても聞いているほうは
たちの悪い酔っ払いに絡まれたなぁ、ぐらいにしか思わないぞ。
それに親に対して心のどこかで期待する気持ちがあるから腹が立つんだ。
親なんて何も期待しない、冷め切った気持ちになれたら腹も立たなくなるぞ。
818 :
素敵な旦那様:2005/09/02(金) 12:35:11
やめれ、淋しくなるから・・・・
せめて人様の温もりある話を聞きたいだけなんだから。
>>814 おまい、いいカウンセラーみつけた方がいいぞ。2chとは言え、わざわざ
こういうスレにきて空気全く読めてないレスつけるくらい追い込まれてるんだろう。
早めにどうにかしないと、おまいが虐待する側になるぞ。
820 :
素敵な旦那様:2005/09/03(土) 00:17:06
子供の時はいつも与えてくれるのが親の役割みたいに思っていたけど、
自分が親になった後から親の事を許せる(理解しているとまでは言わないが)ようになった。
親だって人間なんだから少しは落ち度ぐらいあるだろうし(自分もそうだし)、
そういうことを許せるのも『親』になるということだと思うんだけど・・。
何時までも子供側だけからものを見ていたら814みたいな事をここに書き込むかも。
でも、本当にろくでもない人生を親に与えられたら許せないかもね。
既男は絶対に許さなきゃいけない対象を最低一人は持っているはずで、
そんな発言は生活の中ではできないと思うけど。
それとほぼ並列に
821 :
素敵な旦那様:2005/09/03(土) 05:29:28
俺は
>>814みたいな話にもジーンとするなぁ… 皮肉じゃなくてさ…
親がここまで酷かったら死んで欲しい気持ちも解るさ。 みんながみんな
恵まれた家庭を持っているわけじゃないだろうし。
>>819と
>>817さんよ、ここは2ちゃんねる。 ウサ晴らしを書くのも良
いんじゃないかい? 広い心を持とうよ。 別に貴方達に向けて誹謗し
ているじゃないから。
822 :
素敵な旦那様:2005/09/03(土) 09:16:27
>>821 ここにみんなが何をしに来ているのか?
どういう情報を得たくて来ているのかはスレタイで分かるはず。
それなのに
>>814のようなコメントを書き込む奴はおかしい。
例えどんなひどい人生を与えられようと、
親がのた打ち回っている瞬間を無視するどころか楽しそうに眺めているようなコメント。
『目には目を』な生き方しかできない奴はどうなるか?
それすら分かっていない奴に対し何も意見しないこともまた問題。
>>814の親は知らないが、
>>814は不愉快な事をわざとしたのだから反省するべき。
>>814 「自分をないがしろにした母にもありがとう」系の話ってそんなにないと思うけど、
まああったとしてもそれは本当はありがとうって思ってないんだ。
「そんなクズも許せるようになった自分」が嬉しいんだ。
憎みつづけるとか、嫌いつづけると言うのは本当に大変だ。辛いもんだ。
そこから開放された喜びを、「私が成長したので許せるようになった!」って書きにくいのはわかるだろ?
だからかわりにおかあさんありがとうって書くんだよ。
これは別に、おまえがまだ成長してないと指摘しているわけじゃない。
おまえはまだ苦しんでるんだな、というだけのことでしかない。
やっとクソ親が親戚のとこに行っておまいが楽な心になれたと思ったら、払えと連絡されて
繋がりを維持させられそうになる。まあ辛いだろう。楽になれるといいな。もうすぐだ。
そしておまいは、数十年後、自分の子供や嫁さんとの生活を通じて、母親を許せるようになり、
許せたことが嬉しくて泣くんだ。でもそのときの言葉は「かあさんごめんな。」なんだ。
>>820や
>>823の意見はよくわかる。
でも、いろんなものを許せるほど心の広くない人間もいるわけで。(俺だってそうだ)
ほめられたことではないが、
憎み続ける・嫌い続けることを生きるモチベーションにしてる人間もいるだろう。
俺も自分の父親が死んだら祝杯をあげるだろう。
この先自分自身が親になっても、父親を許すことはありえないし。
だから
>>814の怒りは理解できるし、
その気持ちを一概に非難することもできないな。
ただ、ここじゃなくてしかるべきスレor板に書くべきだとは思うがw
俺もね、まあありきたりだけど自分が親になる前は親父なんか
ろくに話もしなかったし、べつにいつ死んだってかまうもんか
とか思ってた。でもそんな親父も俺の子供が生まれるちょっと前に
ポックリ逝っちまったから、残念でしょうがない。
俺の子供の顔も見ないで死ぬとはどういうことだって思った。
今では嫌な思い出より楽しかったことばっかり思い出す。
子供がたまに言うんだ。「おじいちゃんが冷蔵庫の陰から見てるよ」
だから死んでからもそんなとこから見てないで、出てくるならちゃんと
出て来いってんだ。くそ親父。言いたいことはいっぱいあんだよ。
やはり、男性は女性に比べて成長が遅いのだろうか・・・?
とここ数レスを読んで思った。30代男性
827 :
素敵な旦那様:2005/09/03(土) 21:06:06
とりあえず言わせて貰うけど
糞の様な親。
そいつが居なければ、のたうち回って死ねとか言ってる
お前らも居ないんだよ。
これ以上言っても無駄だから止めるけどよ
828 :
素敵な旦那様:2005/09/03(土) 22:32:39
これ以上言っても無駄だろうけど、
産んで貰った事だけで親に感謝するというのは変。
子供には親を選ぶ権利すら無いんだから、それこそ虐待を容認する話に繋がる。
と書いて、自分の子供のことを省みると反省するなぁ・・・。
「産んでくれてありがとう」って思える人間に育てられなかった親は、
「産んでくれてありがとう」って思われなくても仕方ないかも、と屁理屈。
誰も親に感謝しろなんて言ってないだろ。
引き篭もろうが、親を恨もうが、親の死を願おうが、
「今自分が生きてるから」だって言ってんだよ馬鹿タレども。
親を選ぶ権利無いなんて小便臭い事言ってる内は
分からんだろうけどな。
早く自立しろよ。もちろん精神的にだ。
ただし、これは今虐待の真っ只中にある少年少女に
言ってる事じゃないのは理解しろよ。
「今自分が生きてるから」の意味するところをちゃんといわねえから、
こっちで「親に感謝白ってことかな?」って補完したんだろうが。
てめえの手抜き棚に上げてんじゃねえよカス。
>>831 カスじゃなくてチンカスですぅ〜
お前の読解力の無さに泣いた。
すれ違いだからもうヤメレ。
>>832 だれも「親に産んでもらわなくても俺は存在できる」なんて言ってないが?
なのにお前はなにを言っているんだ。
既男のこのスレ見てるって事はそれぞれ良い年した大人なんだろ?
いい加減つまんねー事で喧嘩すんなよ
バーカ、ぜってーヤムチャよりコブラのほうが強いって。
836 :
転載:2005/09/04(日) 18:33:34
嫁の親スレの250から転載
嫁さんとこは親父さんが高校の時亡くなっててさ。
いまだに詳しい話とか聞いてないし、まあ聞いて悲しい気持ち思い出させる必要も無いと思ってる。
ただ、嫁が人間として尊敬できる人だし、そういう風に育ててくれた親父さんに会ってみたかったなあと思う。
お袋さんは困ったちゃんだから余計に嫁の人間性が鍛えられたのかもだが。
ただ、俺の健康を過剰に心配する嫁の病理は親父さんの死去に原因があるんだろうなあ。
おい、親父さんよ、あなたの分まで長生きして、あなたの娘にもう悲しい思いはさせないよ。
だから、お義父さん何十年後かにそっちに挨拶に行った時は誉めてください。
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362 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2005/09/06(火) 09:36:19 ID:nFUhlz5O
前に結婚してた時、家の前を散歩していく老夫婦がいた。
痴呆になったお婆さんをお爺さんが散歩に連れ出していた。
それを見て当時の夫に「私が痴呆になったら…介護してくれる?」と聞いた。
彼は満面の笑みで「施設ぶち込む。もしくは実家に返す。そんな
家事も出来ないなんの価値も無い奴いらない。置いてやれない」と。
トメに告げ口したらしく、当時のトメも「そういうのは息子の嫁に
見てもらうんが常識で、普通夫には聞かない」とかなり叱られた。
当時息子どころか、子供がいなかった私は実家に返品されて当然らしい。
結局色々あって離婚した。
今再婚し住んでいる近所にも、旦那さんが奥さんの介護をしている方がいる。
家から出れない奥さんのために庭にバラを咲かせ見せたり、
「体力一番」と自転車で買い物に行く元気なお爺さんだ。
「夫婦で二人でスキで始めた生活。そこに子供が授かっただけ。
子には子の人生がある。家庭もある。そこに重荷になってはいけない。
なるだけ子供の迷惑になりたくない二人で始めて二人で終えるのが理想。
とはいえ自分も歳だしいつ迷惑かけるかわからない。
だから頑張れるうちは私が頑張る。そうのが家内も喜ぶしな。
出来んかった家事が出来るようにもなったし、なかなか介護も
楽しいもんやで〜こんなベッタリ二人で過ごすなんて無かったからな
新婚さんより仲良しやで」と言って笑っていた。感動した。
今は私にも息子はいないが娘がいる。やはり迷惑はかけたくない。
「息子の嫁が見て当然」とは言わない人でいたい。
いつか夫に介護が必要になったら「介護も楽しいで」と言える
お爺さんのようにいられたらイイと思う。夫にもそう言ってもらえたら
なおいいと思う。そう言えるように何をすべきなんだろう…と思った。
長文ごめんスッキリした。
>>839 これは、二組の老夫婦にジーンとくればいいんだよな?
この嫁にはなんかこう・・・あまり感情移入はできない。
>>839 > それを見て当時の夫に「私が痴呆になったら…介護してくれる?」と聞いた。
もうこれが最悪。
でも女はこういう雑談が好きなのに「施設ぶち込む」とマジ返し
した上に母親に告げ口する旦那っつーのもどうかと思う。
気になるのは、男女の役回りが逆だったら
つまりボケたじいさんをばあさんが介護してるのを見たんなら
この嫁が感動したかどうか?
一応後半で言ってるが、いかにもとってつけた感があるんだよな。
しかしよ、何時からこのスレ、ジーンとする話を評論するスレに
なったのよ。
分かったから、このスレに来るなよ粘着君。
嫁が嫌いなのは十分に分かったから。
いま 844が 禿げしくいいことを言った!
846 :
素敵な旦那様:2005/09/07(水) 15:38:19
844に賛同する845はエライ
ジーンとできない話に文句言うのはだめなのか?
最近つまんねーの多いから荒れてんじゃねーの?
かねて覚悟し 念願してゐた「海ゆかば」の名誉の出発の日が来た。
日本男子として 皇国の運命を背負って立は当然の事であるが
しかしこれで「俺も日本男子」だぞと自覚の念を強うして非常に嬉しい。
短い間ではあったが 心からのお世話に相なった。
おれにとっては日本一の妻であった。
小生は何処に居ろうとも、君の身辺を守ってゐる。
正しい道を正しく直く生き抜いてくれ。
子供も、唯堂々と育て上げてくれ、所謂偉くする事もいらぬ、
金持にする必要もない、日本の運命を背負って
地下百尺の捨石となる男子を育て上げよ。
小生も立派に死んでくる。
十分体に気を付けて、栄え行く日本の姿を思ひつゝ強く正しく直く生き抜いてくれ。
大東亜戦争に出陣するに際して
章
ま り ゑ 殿
海軍大尉 佐藤章
昭和一九年十一月二十日
ウルシー海域にて戦死
それ系やめろって・・・ホント泣くんだから・・・
(チラシの裏)
子供の七五三で靖国神社に行ってさぁ
航空士官の遺言を読んじゃったのよ・・・・
俺と同じ年で特攻で散華した士官が、妻子に宛てた
手紙には慈愛があふれてた。
子供の成長を見ることも出来なかった先達がいるなら
その先達の残してくれた・・・この国というか、子孫というか
なんか言葉になんない。
とにかく、嫁と子供を大事にしたいと思い直した。
そだな、特攻隊員の家族みたいな思いを嫁と子供達には味あわせたくないな。
>>851 おめえが侵略軍に嫁のマンコ差し出してる隣で、俺は死んでも侵略軍と戦う。
>>852 よし、じゃあお前の奥はオレが慰めてやるから心置きなく逝ってくれ。
後のことは心配いらんよ。
854 :
853:2005/09/09(金) 07:20:57
つーかさ、「死んでも」なんて自己陶酔したってお前以外は喜ばないんじゃね?
家族が大事なら戦って何が何でも生き残れよ。
>>853 そうしてくれると助かる。
そして、戦う以上死ぬかもしれないのは当然だ。
死なないように戦って、しかも守るなんて器用なことができるか。
死にたくなるような嫁を持った>852が不憫でならない。
その嫁を慰める>853の引きつった顔が目に浮かぶ。
>>855 おまいが死んじゃったらもう嫁を守ってくれるものはいないんだぞ、死ぬなんて言うなよ。
自分の死体の横で嫁がレイープされて息子が殺されるとか、俺なら想像しただけで発狂しそうだ。
わかったわかった。
「守れるなら死んでも戦う」だな。
どんな状態でも絶対に死ぬことを容認しない態度は、殺されることを容認することに繋がると思うので、
やはり使える自分の命は使いたいと思う。
>>857 おかしくね?
生きてたら守れるというなら、その手段は何よ。
それに「俺の目の前でレイプ」と「俺の死体の隣でレイプ」なら、
まだ撃退の可能性があった分だけ「死体の隣」のほうが意義があると思う。
もっともこれは、嫁がレイプされることは断固阻止って思ってる男だけにしか通用しない意義だが。
嫁が毎夜呼び出されてレイプされて、代わりに食べ物もって帰ってきて、それを家族で食べるのが
家族団欒だと思えるやつなら、「おとなしくしてれば殺されない可能性」に賭けるのもいいと思うが。
俺漏れも
851だが。
誰もそんな思いをしないで済む平和な世の中にしなきゃな、って意味で書いたのに
なんでマンコ差し出すとかレイプな話になってんの?
もし現実に侵略軍とやらが攻めて来る事態になったら、
オレだって家族を守るためなら死んだっていいよ。
でも実際死んだら守れるというならその手段は何だろな。
一般人は銃とか爆弾とか持ってねーし、んー、ナイフとか包丁で軍隊を相手にできるとは思わんが。
何とかして逃げるか逃がす方法考えるよ。
863 :
850:2005/09/09(金) 17:31:59
すまんね、俺の言葉足らずで混乱させたかもね・・・・
右翼チックに取られるかもしれんが、特攻で死んだ軍人さんを思うと、
特攻で軍艦一隻沈めたところで、戦局が大きく変わるわけでもないのに
愛しい妻子がいるのに、愛情を手紙だけに託して死地に赴いた軍人さん
の清々しさ、それに対しこれだけ満ち足りた生活に不満がある自分が嫌らしく思える。
残された妻子はどれだけ辛かっただろう・・・・
そして、旦那さんを誇りに思う事を拠り所にして暮らしたんだろうな・・
そんな多くの犠牲と誇りで成り立っているこの国で、その歴史を知らずに
社会への不満と戦争の贖罪をしゃべることが、さも知的だと勘違いしてた
自分が今は恥ずかしい。
多分、侵略軍がくれば闘うよ。
何もしなきゃ、一方的に侵略軍に蹂躙されるだけだが
そんときゃ、同じ意思を持った人間がきっと立ち上がると思う。
一人でも多くの人間が闘わなきゃ負けちゃうしね。
それに俺が死んでも、国が滅ばなきゃ嫁と子供はなんとかしてもらえるだろ。
そんな辛い生活にならないためにも、今の日本に頑張ってもらわなきゃ・・・
唐突だが、喪前ら!9月11日は選挙ですよ。
投票に行こう!
>>862 A1 言葉が足りないから
A2 たとえばオトリなど
>>863 英霊の言乃葉 8輯
P101〜2を読んで欲しい
カキコしても良いが
>>849の様に
厭われる方も居られるので
もし、許されるならカキコするが
言葉が足りなかったな
『英霊の言乃葉』の編集兼発行所は、
靖国神社社務所だ
靖国神社のHPにアクセスすれば解る筈だ
867 :
素敵な旦那様:2005/09/10(土) 10:48:06
携帯なんで、できたらカキコして欲しい。
母方の祖父は結婚3日目で赤紙が来た
生きて戻ってきたけど、辛かっただろうな
>>867 では書かせて頂く
学鷲は一応インテリです。
さう簡単に勝てるなどとは思ってゐません。
しかし、負けたとしても、そのあとはどうなるのでせす……
おわかりでせう。
我々の命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながってゐますよ。
さう、民族の誇りに……
海軍少佐 西 田 高 光 命
昭和二十年五月十一日 神風特別攻撃隊
「第五筑波隊」隊員として「爆装零戦」に搭乗
鹿屋基地を出撃、南西諸島洋上にて戦死
出 典 : 英霊の言乃葉 第8輯 P101〜102
>>869 だから・・・(`;ω・´)メソシャキーソ
どっちかっていうと、子を生かすために親が(死ぬかもしれなくても)戦うっていうのは
自然の動物のありかただよな。
死にたくないという気持ちも自然だし、子のためには死んでも戦うという気持ちも自然なんだよな。
わかったよ。プロシュート兄ィの言葉が心で理解できた。
死んでも戦うと思ったときは既に死んでいるんだね・・・。オイッ。
>>871 いや、親に生殖能力ある内、子供が自立出来てない場合は、
親が生き残るのが生物としての自然のあり方。
って、ジーンに水を差してる訳じゃないよ。
>>872 いやわかってくれてるとは思うんだけど、死んだらもう絶対一切合切全くの無意味だ、
みたいな意見へのレスだと思ってくれ。
何かと右だ左だと短絡的に決め付ける2chのなかで、
子孫を残す本能に帰結する所は、やっぱり既男クオリティですね。
家の親父。DQN田舎で、継母に育てられ、イジワルされてご飯もろくに
食わせてもらえない子供時代をすごした。
どうしても大学に行きたくて、昼間働いて、夜間大学に入学した。
そして、一部に転部し、警察官になった。
浅間山荘事件の時は機動隊として盾をもって浅間山に行った。
ノンキャリアが出世するには機動隊に入るのが近道だったらしい。
そして公安に配属。
親父は公安の仕事に誇りを持っていた。一生続けたいと思っていた。
しかし、DQN腹違いの弟が犯罪を犯し、そういう身内がいる人間は
もうどんなに頑張っても出世できない。
2人の子供を満足に育てられるように出世したい VS 警察を続けたい、
と悩んでノイローゼ気味になりながら、ヘッドハンティングされていた
民間の会社に転職。
俺と妹は、海外旅行やブランド物とは無縁だったが、何不自由ない生活を
させてもらった。中学から私立校に入れてもらい、私立大まで出してもらった。
そんな親父が、大学2年の時に、すい臓がんを発病。末期だった。
あっという間に、入院してモルヒネ漬けの毎日になった。
家族は、毎日病室に通った。パワフルな親父が縮んでいく様子を見るのは
悲しくて悲しくて堪らなかった。
すい癌の痛みは壮絶で、親父に投入される鎮痛剤の量はドンドン増していく。
と、比例して親父の意識も混濁していく。幻覚、幻聴が出てくるんだ。
ある日、親父が大きな声で俺を呼び、「犯人が潜伏している場所を
掴んだ!はやく、××(警察時代の元同僚)に電話してくれ。頼む!」
と言い出した。
「親父、それは…」幻覚だよとは言えなかった。
「頼む!頼むから!早く確保しないと。電話してくれ!」
「わかった。じゃ、公衆電話から電話してくるよ」と言うと、
「公衆電話じゃダメだ!ここで掛けろ!他にも有力情報がある。俺の前で
掛けろ!」と譲らない。
しかたなく家に掛けた。電話に出たのは母だった。
俺は母に「××さんですね。俺は父の息子です。どうしても父が××さんに
伝えたい情報があるそうなんです。○○の潜伏場所が分かったそうで」
と言うと、母は、状況を察したようで、「ハイ、ハイ…」と言いながら
電話口で号泣した。
父は後ろから、暗号のような言葉をドンドン言い、俺は
電話口にむかって、わけのわからないままその言葉を繰り返した。
電話が終わると父は安心したように眠った。
幻覚を見るとき、警察の夢を見るのか。そんなに警察が好きだったのか。
なのに、俺たち家族のために、職を変えて頑張ってくれてたんだと思うと
ありがたく、そして、のうのうと暮らしてきた自分を呪った。
そして、最期、父は、俺と妹と母に「ありがとう…」と言った。そして
意識不明になり、静かに逝った。
今でも、父のことは自分にとって痛恨だ。反抗して悲しませてばかり
いた。父のことはずっと身近に思い出したいけど、思い出すと辛い。
俺は一生、この痛みを背負っていくことになるのだろう。
でも、いい父だった。
自分語り、スマン。長くてスマン。
878 :
素敵な旦那様:2005/09/12(月) 16:57:07
>>877 ・゜・(ノД`)・゜・
いい話じゃないか
THX
・゜・(ノД`)・゜・
880 :
素敵な旦那様:2005/09/13(火) 04:09:23
>>877 ・゜・(ノД`)・゜・ 泣いちゃったじゃないか
親父さん、漢だったなあ
881 :
素敵な旦那様:2005/09/13(火) 04:49:54
お父さんGJ!
子供に立派な背中を見せることは気団の夢だもんね。
882 :
素敵な旦那様:2005/09/13(火) 06:15:22
こんなにいい流れだったスレを良識派なのかしれん
>>801が見事にぶったぎってくれました。
アンタのおかげで・・・
883 :
素敵な旦那様:2005/09/13(火) 06:41:56
俺も親父を思い出したぞ・゜・(つД`)・゜・
>>882いまさら話を蒸し返すな
似たような話になるが
うちのオヤジも末期は幻覚症状が出てた。
久しぶりに、実家に戻った時、記憶がマダラ状態になり見舞いに行ったとき、
最初は俺が誰だか分からなかったようで、お袋が○○ちゃんが戻ってきたよ!
と言われて初めて誰だか理解して、「○○か!立派になったな!」
と褒めてくれた。大学時代4年間を通し、実家に帰ったのは多分10日くらい。
社会人になってからは、さらに回数が減っていた。
薬のせいだか病魔のためだか、俺が高校時代から合気道をやっていた事も忘れ、
父:「東京は危ないとこだから武術やっておかなきゃ駄目だぞ!」
俺:「合気道は続けてる、大学で沖縄空手も始めたよ」
父:「そうか、東京は危ないところだから自分で守らなきゃな」
父:「自分の家族は自分で守るんだからな・・・」
息子が東京に出ていてたのは記憶していても詳細な情報が欠落していたみたいだった。
一番辛かったのは、親父自身が医者だったために、マダラ状態から覚めたときに、
自分を自分で診断し余命を割り出し、しゃべった内容を聞き、自己分析して、
「あれで読んだ本の話に似てるな」
「俺はもうキチガイと一緒だな」とつぶやき
また朦朧としだした時に「○○か!立派になったな!」と再び褒めてくれた。
俺が意識ある親父と交わした最後の言葉・・・
次に帰郷したときには危篤で昏睡状態に陥り二度と会話をすることも無かった。
お袋は「立派になった」との言葉が今でも胸に残るといっているが、言われた本人は
違う言葉に親父の責任を感じていた。
親父が逝った数年後、結婚し子供に恵まれた。
そして、息子を抱き上げる時に思い出すのが、死の意識混濁直前に
親父のいった台詞
「お前の家族はお前が守るんだからな・・・」
そして小学生低学年の頃、最後に抱きしめられた記憶。
「おい、○○、だっこさせろ。」
「(良く分からず)はい・・・」
「この先もうダッコさせてもらえないから、これがダッコの仕納めだ」
なんだかワカンナカッタヨ、あの頃は・・・・
子供を授かって分かった事は、いくつになっても自分の子供は可愛いのだろう。
そして抱きしめたい。親父が小学生低学年の頃にやめたダッコにあふれてた愛情は
多分俺に受け継がれてて、息子にも受け継がれていくと思う。
親になってから、親父を思い出すとき、風呂場で俺の顔についた水滴を親父の手が
力強くふき取ってくれたこと、肩車して散歩してくれたこと、他所の家から10円玉を持ち帰り
吹っ飛ばされるほど張り倒されたこと・・・・
家の中で親父に話すときは敬語を使うという教育、箸の上げ下げや、時間厳守や非常に
些細なことまでも非常に厳しかったがそんな厳格な姿も子供の教育のためにあえて演じて
いたと母親から聞いた時には本当に愕然とした、そして
「○○と一緒にお酒が飲めるようになったら話すつもりでいたのよ。」
「あんたハタチ過ぎてから、お父さんの接し方変わってたの分かるでしょ?」
たしかに、帰郷して駅まで迎えに来てくれた親父が冗談を言ってくれた事があった
それまでの親父から想像の付かない事で、心境の変化に驚いていたが、残念なことに俺が
ハタチの頃には病魔のせいでお酒が一滴も飲めない状況になり、一番下の妹が大学を出る
までは生きて稼がなきゃならんと節制した生活を送っていたが、結局妹が大学4年の頃に
鬼籍に移り一緒に酒を飲むことも出来なかった。
それでも妹が大学を出れば、
「親の責任は終わるから息子と酒を飲む。この酒はそれまで取っておく。」
と酒棚には中元お歳暮でもらった酒が箱ごと保管してあった。
「お前の家族はお前が守るんだからな・・・」この言葉は親になり時々思い出し
深くかみ締めている。親父はギリギリまで実践した。
俺は自分の家族にどこまでしてやれるだろ、なんとか頑張ってみるよ。
あんたの息子なんだから・・・・
子を持ってはじめて分かる親の恩
今はこの言葉をかみ締めている。
>>877の親父さんの意識の混濁で思い出しました・・・
長文失礼
「巨乳を」まで読んだ
887 :
素敵な旦那様:2005/09/13(火) 17:08:47
。・;+゜・(ノД`):・゜+:・。 みんな頑張り屋の立派な父ちゃんだよ。
抱っこのところで不覚にも涙が…
俺も子ども抱っこするの好きだ。
しかし子供が生まれてから(嫁が妊娠してから)無茶苦茶涙もろくなったと思う。
何でだろうな。俺も子供ができてから涙もろくなった。年なのかな。
892 :
891:2005/09/13(火) 21:57:43
>>890 言葉足らずだな。スマソ。
年くったからじゃなく、人生の段階がそういうところに来たんだよ
きっと。
俺ももうすぐそういうところに行くはずだ。あんたより年上だろう
けど。
お互い、がんばろ。
うちの息子もそろそろダッコの仕納めかな
なんか寂しいな・・・
御父さん、お母さん、愈々隆茂は明日敵艦目がけて玉砕します。
沖縄まで○○粁を翔破すべく落下タンクを吊り○○○キロの爆弾を抱いた機が、
緑の飛行場で武者震ひして自分の乗って呉れるのを待って居ります。
明日会ふ敵は戦艦か?空母か?それとも巡洋艦か?……。
きっと一機一艦の腕前を見せてやります。
明日は戦友が待つて居る靖国神社行く事が出来るのです。
日本男児と生まれし本懐此れに過ぐるなし。
御父さん、お母さん、隆茂は本当に幸福です。
では又靖国神社でお会ひしませう。待つて居ります。最後に、ご両親様の健勝を切に御祈り致します。
御両親様
陸軍少尉 瀬 谷 隆 茂 命
昭和二十年五月二十八日
沖縄にて戦死
出典:英霊の言乃葉
靖国神社社務所
895 :
素敵な旦那様:2005/09/14(水) 06:45:44
英霊の言乃葉 もうお腹一杯。イラネ。
897 :
素敵な旦那様:2005/09/14(水) 14:24:44
特攻隊の遺書書き込ん出るヤツ氏ね
899 :
素敵な旦那様:2005/09/15(木) 00:24:01
俺も好かんが、読まなきゃ良いだけじゃん。
>>895が言ってるんだからその後は無視しようよ。
海外赴任中なんだけど、親父(絶対に海外に来るような人じゃない)と成田空港で別れたとき、
「家族はもっと不安なんだから、お前がしっかりしないと」とか心構えを言われ、
『そんなこと分かっとるわ、家族が不安を感じないように、俺は見せてないだろう。
緊張してるのにプレッシャーをこれ以上かけるな。
全く相変わらず偉そうに。』と心の中で喋っていた。
最後のゲートの所で、「じゃあ、行ってくるよ。」ってだけ言って去ろうとしたら、
親父が俺に向かって「体には気をつけろよ」って。
『もしかして、これが親父と話す最後になる可能性もあるのかなぁ』なんて良くないことを考えてもいたから、
『何言ってんだよ、俺の健康気遣う前にそっちこそ気をつけろよ。
酒飲み過ぎんなよ。
俺がこんなに健康なのはあなたと母親のおかげなんだから。
本当に感謝してるんだから。 なのに全くそんなこと忘れてたよ。
まだまだ抜けてる息子で、本当に不安だろうな。
もう大人になって心配かけなくなったと思ってたのに、まだまだ迷惑かけてるんだな。
やっと忙しい仕事から離れられて自分の時間も出来たのに、孫を遠くに連れて行っちゃってごめんな。
日本に帰ってきたら、孫も一緒に何処かに旅行行くんだからな。
まだ全然親孝行して無いんだから、絶対に死んだりなんかすんなよ。』
という色々な考えが頭をよぎったんだけど、口から出た言葉は
「うん。」
だけだった・・。すっごい後悔している。
自分も子供には色々と気遣えるし、子供から気遣って貰おうとは思っていないけど
(他にいろんなものを与えてもらっているから)、やっぱりきちんと両親にはお礼を言わないといけないと感じている。
30代半ばを越えても、未だこういうことには勇気を持てないが、今年は年末に一時帰国(2年半振り)できそう。
その時に旅行に行く事を今計画しています。
ぜひ、実力以上のものが出せて、うまく行きますように!(と祈らせてください)
>>899 言葉が上手く見つからん・・・・
月並みだが、頑張れ!!
カーチャンは42の時俺を産んだ
..___
│ド命.│ | ⌒⌒J('ー`.)し⌒⌒ |
│ク.名.│ | ('`) ) ..|
│オ │ |⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒| |
.. ̄ ̄ ̄ |. |⌒⌒⌒⌒⌒| .|
保育園に入園した頃には四捨五入すれば50
J( 'ー`)し カーチャンダイ!! v . v アッ ドクチャンノ
( )\(`Д´) . .ノ(・∀・リレ (゚∀゚) オバーチャン?
|| (_ _)ヾ (_ _)ヾヽ(_ _)ヽ
5歳の誕生日にカーチャンが好きな物を作ってくれると言った
ナニガタベタイ? J( 'ー`)し ホントニ?ジャアネェ…
ナンデモイイワヨ ( ) .ε= (゚∀゚*)
|| .ヾ(_ _)ヾ
俺は即座に いつか友達の家でご馳走になったオムライスをリクエストした
∬^ー^) オカワリアルノヨ オバチャン ウメー! ママノオムライス オイシイデショ
(\ ○
|| ε= ヾ(゚∀゚*) ノ(・∀・リレ
/ ̄ ○ノ  ̄ ̄○ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
しかし齢のせいか洋食にとんと疎かったカーチャンが苦戦の末作ったものは
どう見ても「オムライス」ではなく「ケチャップご飯の卵焼きのせ」で
……
J(;'ー`)し オマタセ… (.゚A゚.)
( V) / ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
|│
俺はつい言ってしまった
そ ……コンナノオムライスジャナイ…
J(;'A`)し ('A`lll)
( V) / ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
|│
しまった、と思っても後の祭りだった
そして我が家では暗黙のうちに「オムライス」は禁句となり
……
J(ノд`;)し カーチャン (lll'A`)
( ノ) リョウリヘタダネ / ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
│| ゴメンネ
大学四年の夏、カーチャンが急逝する日までオムライスが食卓に上ることはなかった
________
| .. |
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| |J( 'ー`)し | ..|
| |
就職して実家を離れて数年経つが
時々戯れにあの時の「オムライス」を作ってみる
。・゚・⌒) .(` ) ドレドレ
ヽ二フ━ ノノ) 只
 ̄ ̄ ̄| |│ | ̄ ̄
けれど一度きりしか食べられなかったあの「オムライス」の味は何度試しても再現できない
。・゚・⌒) .(ノ∀`)゚・゚・。アチャー
ヽ二フ━ ノ ) マズー 只
 ̄ ̄ ̄| |│ | ̄ ̄
カーチャンあの時はごめん。見た目は確かにアレだったけど、本当はすごくうまかったんだ。
<(´ー`) マタ シッパイ…
┌--┐ (ノ)
└∧┘  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あの時「おいしいよ」ってちゃんと言えてたら、何度でも作ってくれたろうにな。
イッパイタベテネ カーチャン ウメー!
カーチャンノオムライス スッゲーウメェ!!
J( '∀`)し
(\○
|| ε= ヾ(゚∀゚*)ノシ
/ ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
はい、ズレたコメントします。
かーちゃんオムライスキライだったんだな・・・。
今のお前を見て分かってくれてるよ。
・゚・(ノ∀`)・゚・。
やめれ、カーチャンには弱いんだよ
┏━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃J('ー`)し ┃
┃ ( )\('∀`) ┃
┃ || (_ _)ヾ┃
┗━━━━━━━━┛
初めて動物園に行った
時の写真だ。
母はそれを肌身離さず
いつも持っていた。
────────┐
せ・先生、 │
アラもう診察の時間├┐
─v┬─────┘│
│カ・カーチャンオレダヨ│
│ タケシダヨ・・・ │
└─────v┘
/J(゚∀゚)し ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
キャハハ 先生ったら │
冗談ばっかり! ├┐
─v──┬───┘│
│…・・・・・ │
└───v┘
/J(゚∀゚)し ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─────────┐
ねえねえ 先生! │
これ見て見て│
うちの息子のタケシよ │
かわいいでしょ │
─v───────┘
◇
/J(゚∀゚)/ ヾ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┌────────┐
│モレ、コノシャシン トッタアト │
│オシッコ モラシチャッタヨ ネ │
│カーチャン・・・ │
└───────v┘
/J(゚∀゚)し ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ□/)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
そーなのよー │
もう大変だったの│
でもカワイイ息子でショ├┐
─v──┬───┘│
│ウン・・・・・ │
└───v┘
/ J(゚∀)ゞ ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ□/)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
あら、そういえば │
タケシどこいっちゃ │
ったのかしら??? ├┐
─v─┬────┘│
│カ・カーチャン・・・│
└────v┘
J(∀゚=゚∀゚)し ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ□/)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─────────┐
ちょっと!!あんた誰│
なぜ私の大事な写真│
を取ったの?ドロボー!│
─v─┬─────┤
│ス・スミマセン・・・│
└────v┘
/J(#`Д)/ ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ□/)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─────────┐
かえせ!!! バカヤロー!!│
─v───────┘
◇
/J(#`Д)/ ヾ('ー`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽヽ )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
脳細胞が破壊される病
気で現代の医学ではお
手上げなんです。
徐々に記憶がなくなっ
てそのうち心肺機能も
停止してしまいます。
◎__, < ̄>
('A`) (゙A゙)J('A' )し
(ヽ) ヽ( ) (y )
□>> ̄<<□ ̄ ̄|| ̄ ̄
────────┐
アレ?おじさんダアレ?│
私のお父さんと │
お母さんはどこ? ├┐
─v──┬───┘│
│カーチャン │
│タケシダヨ・・│
└───v┘
/J(゚A゚)し ('A`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
お家へ帰りたいヨウ│
おかあさーーーん├┐
─v──┬───┘│
│・・・・・・・・│
└───v┘
/J('Д`)し ('A`;)
| ( /⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ジリリリリリーーーン
| ('A`)
/ ̄ ̄ヘヘ ) ̄苗 ̄ ̄ ̄
エエ!? カーチャン ガ??
|
| (゚A゚;】>
/ ̄ ̄ヘヘ )~~~田 ̄ ̄ ̄
もう脳の機能も低下し
て記憶そのものもない
状態です・・・
◎__, < ̄>
('A`) (゙A゙)J('A' )し
(ヽ) ヽ( ) (y )
□>> ̄<<□ ̄ ̄|| ̄ ̄
・・・・・・
/~| ('A`;)
|J('A`)ノ⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┌────────┐
│カーチャン ドウブツエン ニ│
│イクヒ イッショニ オベントウ│
│ヲ ツクッタノ オボエテルカイ│
└───────v┘
/~| ('ー`;)
|J('A`)ノ⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┌────────┐
│モレ、オニギリ ニギッタヨ │
│ナカナカ ウマク ニギレナカッ│
│タ デモ カーチャン ホメテ │
│クレタ オカズハ │
│タマゴヤキト ウインナー・・・│
└───────v┘
/~| ('ー`;)
|J('A`)ノ⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┌────────┐
│ウーン・・・ │
│アト ナニガ ハイッテタカ │
│オモイダセナイヤ・・・ │
└───────v┘
/~| ('ー`;)
|J('A`)ノ⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
ア・アスパラ・・・ │
ベーコン巻き・・ ├┐
─v─┬────┘│
│カ・カーチャン???│
└────v┘
/~| ('A`;)
|J('A`)ノ⌒⌒⌒ヽ( )
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
あと・・・ │
肉じゃが・・・ね・・・├┐
┬v──────┘│
│ キオク ガ モドッタノ??│
└───────v┘
/~| (゚∀゚)
|J('ー`)ノ⌒⌒⌒ヾ(ヾ)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
お弁当おいしかっ│
たかい? ├┐
─v┬─────┘│
│ウン! カーチャン ノ │
│オベントウ オイシイヨ│
└─────v┘
/~| (∀`;)
|J('ー`)ノ⌒⌒⌒ヾ(ヾ)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
ぞうさん │
大きかったねー ├┐
─v┬─────┘│
│ウン! ゾウサン │
│スッゴイオオキカッタヨ│
└─────v┘
/~| (∀`;)
|J('ー`)ノ⌒⌒⌒ヾ(ヾ)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
──────┐
タケシ・・・・・・ ├──┐
─v─┬──┘ │
│ン? ナニカーチャン? │
└─────v┘
/~| (∀`;)
|J('ー`)ノ⌒⌒⌒ヾ(ヾ)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
────────┐
動物園楽しいかい├┐
─v┬─────┘│
│タ・タノシイヨ!! │
│ スッゴク タノシイヨ│
└─────v┘
/~| (∀`;)
|J('ー`)ノ⌒⌒⌒ヾ(ヾ)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
──────┐
・・・・・・・・・ ├──┐
─v─┬──┘ │
│カ・カーチャン?? │
└────v┘
/~| (∀`;)
|J('ー`)ノ⌒⌒⌒ヾ(ヾ)
|/ / /| ||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
その後 カーチャンは二度と
目を覚まさなかった。
脳の記憶が薄れていく
中、カーチャンは懸命に動物
園の時の記憶を漏れの
為に最後まで残してく
れていたのかもしれな
い・・・
カーチャンの枕の下には動
物園の写真があった。
その写真のネガはもう
なく、動物園に行った
時のたった1枚の写真
だった。
漏れは棺おけの中に動
物園の写真を入れた。
タケシ、お弁当
食べよっか?
J('ー`)し ウン!!
( )\(∀` )
|| (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
完
「J( 'ー`)しカーチャンAAを作りまくる」スレより
919:(*゚Д゚)さん:05/01/23 08:32:06 ID:e5WBN5hh
正直、すげーなーとオモタ。
泣いたよ、くそ。
918 :
素敵な旦那様:2005/09/21(水) 21:46:20
あーっ、仕事が出来なくてここに来た自分が情けない。
ごめんよ、カーちゃん・・・。仕事に戻ろう。
。・゚・(ノД`)・゚・。 あう゛ぁ〜
これ、何回見ても泣いちまうんだよなぁ。
。・゚・(ノД`)・゚・。 カーチャン・・・
あげ
上がってないし
じゃあ俺もage
こういう良スレこそ、sage進行でいいと思うぞ。
hage
927 :
コピペ:2005/10/04(火) 21:09:39
私は昭和の40年代から50年代に大学病院に勤務していました。
年齢はご推察してください。
昼休みにはナースと中庭でバレーボールなんかを輪になってしていました。
のんびりしていた時代でした。
いつも患者さんが笑いながら声援してくれて
我々のバレーボールを窓から、あるいはベンチで見ていました。
軽い患者さんは入って一緒にしましたね。
勿論、事務長や調理師さんも混ざって、ワアワアキャアキャアでした。
私の担当だった心臓疾患のお嬢さんが亡くなり彼女の
四十九日が終えてから、ご両親が病院にきてくださって
新しいバレーボールを5個、寄付してくださいました。
窓から見れない日は、我々の声だけ聞いては
「○○先生また落としたのね」などとご両親と話していたそうです。
あのプレゼントは嬉しかった。
たまらなく切なかった。
「先生、こんどバレーボールあたしもいれてね」
「おう一緒にしような」
診察のたびに繰り返していた会話でした。
928 :
コピペ:2005/10/04(火) 21:11:14
大火傷した幼稚園児。
一時期はかなりヤバかったが、先週無事退院。
形成手術で火傷跡が消えることを説明したら
ばぁちゃん出て来て
「おおきにぃ〜まぁ遠慮しときますわ。
この傷かくさず、ミィさん祭り(地方のお祭りらしい??)も
ガッコの運動会にも出しますわ。
あーんな痛み超えて退院できたウチの孫でっせ〜
オトコンコの勲章ちゃいまっかぁ?
火傷跡みるたび、嫁もこの子のたくましさ思い出して、がんばれますやろ?
おおきになぁ〜センセ。かんごふさん。ありがと、ありがとさんや。
もう〜焼けた焼いたは、これだけでたくさんや〜。
うちらこんなものしかお礼できひません。
どうか食べたって…」(関西弁変換ソフトが欲しいww)
ばぁちゃんと嫁が早朝から焼いたタコ焼き。
パックに6コづつ詰めて、ダンボール一杯。
普通、手づくりの食べ物は受け取らないけど、
関係者全員ありがたくいただきました。
東京生まれ、東京育ちの漏れは、ひどく感動した!
関西のおばちゃんってすごい。
骨のあるいい婆さんだ。
でもっでもっ 火傷のあとを消すかどうかは子供に決めさせてくれー
無理なくらい小さいなら、治せるものは治してもいいじゃないか。
自分の手にある火傷の痕が、動かしたときにひきっつれて痛いんだよ。なんか人事に思えなかった。
↑なんか読みにくい文章だった。ごめん。
自分で決めるのが無理なくらい幼い子なら、綺麗に治して欲しい。火傷の痕のひきつれって痛いから。と言いたかった。
熱いっすね。
>>927 入院体験のある私は泣けた。優しい医師なんですね。
患者って…いろんな不安を抱えて入院してるもんな。
927医師、どうぞこれからも、ご活躍ください。
>>927 きっと小学生の高学年くらいに植皮を受けさせると思うよ。
ある程度の成長まで、待つと思われ…
ばぁちゃんだって、勲章とはいえ心は痛めてなんとかしようと必死だと思う。
933 :
素敵な旦那様:2005/10/05(水) 02:03:34
こういうスレこそageといた方がいいんじゃないの?
age.sageってどんな影響があるのですか?初心者の質問ですみません。
私の母は62歳で交通事故で4日間昏睡状態で死んだ。
父はオドオドして病室にも入れなかった。
父は勝手なことばっかして母に迷惑かけて…どうしようもない男だった。
母は脳挫傷が3箇所もあって、素人の俺でも助からないなと思った。
父に2時間だけ病室にいてくれ。俺はお嫁と飲み物やおにぎり買ってくるから…
もどったら案の定、父が集中治療室に居ない。「ないやってんだよっ!」
おれは怒って病院の中を探した。
中庭の歌壇に隠れて。肩を震わせて蹲って泣いていた。声だして泣いていた。
見てはいけないもの見てしまった。それを見て、嫁が泣き伏してしまった。
あの姿で積年のオヤジに対する憎悪が消えた。
夫婦って…子供の目ではわからい絆があるんだな。
>934
初心者は半R…
その名前もどうにかしろw
>>935 鬼女板のデフォルト名無しは「名無しに変わりましてモナーを取り返します」になるらしい。
チラウラで拾いました。
息子へ。
お前とはじめて会った時、お前はまだ3歳だった。
母さんの後ろにすっぽり隠れて恥ずかしそうにしていたな。
お前と母さん二人暮らしの部屋に遊びに行き、帰らないでと泣かれた時、
俺は決心したんだ。母さんとお前を絶対に幸せにすると…
お前に淋しい思いはさせないと。
あれから俺の親父ぶりはどうだったか?親父がいて良かったと思ってくれただろうか?
それとも、こんな親父ならいらないと思われていたのだろうか?
俺なりにお前を必死で愛してきたが、伝わっていたのだろうか?
お前が大人になった時、酒でも飲みながらそういう話もしてみたかったぞ。
大学生になったお前、社会人になったお前、子を持つ父親になったお前
もっともっと見たかったぞ。
息子よ、一人で淋しくないか?ごめんな、一人にさせてしまったな。
俺はまだそっちには行けない…もう1つの約束、大事な母さんがいるからな。
母さんの事は心配するな、俺が一生大事にしていく。
あと何十年後になるだろう、母さんお前そして俺、また3人で仲良く暮らせる日が
来るだろう。それまで待っててくれな。息子よ、お前に会いたいぞ…
チラウラでひっそりと語られてたレスです。私、これで泣きました。
938 :
素敵な旦那様:2005/10/07(金) 01:59:03
age
もう20年前。
大学に合格して上京した。
その年の年末に風邪をこじらせ肺炎を起こし入院。
入院費が気になって治療どころではなかった。
親に金のことで迷惑をかけられないと、
医者になんとかアルバイトして払いますからと掛け合った。
「君ねぇ〜そんなこと気にせず、ちゃんと食べなさい」と笑われた。
しかし、心配で心配でたまらなかった。
微熱がひかず、退院も決まらずで憔悴していった。
婦長さんが茶封筒を渡してくれた。
お金と手紙がはいってた。
婦長さんが大学に連絡してくれて、親にも話してくれていた。
オヤジがくれぐれも息子には内緒でと、
院長先生や婦長さんに、一生懸命にお願いしている手紙があった。
病院に現金書留で入院費を送ってくれていた。
余った分は医者や婦長さんにお菓子でも買って下さいと書かれてあった。
婦長さんは、この金額だと余るんだから参考書でも買って勉強なさいと言われた。
実家に電話した。オヤジがでた。
「かあさんには内緒だ。おまえの入院も内緒にしてある。早く元気になれ」
貧乏だと病気にもなれないな…
みんながみんな、内緒で気を遣いあって、
悲しいのと嬉しいのと、わけがわからず泣きとおした。
今年のお盆にオヤジの初盆で帰省した。
オフクロが切り出した。
「おまえが大学一年のときに入院したやろ?なんで言ってこなかったん?」
「え?入院のことオヤジさんが言ったのか?」
「とうさんの様子ですぐわかったわ。おまえの入院も婦長さんへの手紙もな」
「隠し事下手だったからな、オヤジさん」
「息子の病気を内緒にせなならん、とうさんの気持ちがわかっとんのか!
病気やったらしょうがないやろ!うちはそんなに頼りにならん母親か!」
20年、20年間も前のこと。
オフクロは怒りに震え、すごい剣幕で怒鳴りつけてきた。
悪かった…
940 :
素敵な旦那様:2005/10/07(金) 03:19:18
私は安定剤や睡眠薬を服用して7年目。
今の主人に出会って、最高潮に不安に達した時に言ってくれました。
『俺にもっと頼れ。俺を安定剤にしろ』
それからは、すごく肩の力が抜けて、本来の自分を出せるようになって、今じゃ薬がものすごく減りました。
ここまで言ってくれる男性って中々居ません。
私は今の主人で2度目の結婚です。
元旦那は、完全放置で、自殺未遂した時のみ帰宅でした。
入院を医者が勧めても拒否。
離婚して今の主人と再婚して本当に良かったって思ってます
鬼女のカキコ禁止!
>>950踏んだ人は次のスレを立ててください。
【コピペでも】夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ【オリでもPART2】
>>934意外な展開で泣いたYO。怒ってるおふくろさんの気持ちわかるな。
943 :
素敵な旦那様:2005/10/07(金) 05:59:51
>>942 小さい声で
レスバンマチガッテルヨ
>>943 >>942ニカワッテ…
>>939オフクロサン、オコルコトデ、オマエサントオヤジサンヘノアイジョウノ、ヒョウゲンダッタノダロウ
945 :
素敵な旦那様:2005/10/07(金) 16:02:07
age
946 :
素敵な旦那様:2005/10/08(土) 14:36:34
この分だと980を踏んだ人が次のスレ立てだねww
んだ。980よろ。
某自衛隊駐屯地のスレからのコピペです。個人の思い出語っぽいけどジーンときた。
少年時代っていいよなぁ〜〜〜〜〜(遠い目
228 :民間人です@ :2005/08/27(土) 01:39:20
ここは、私が7年間の少年時代を過ごしました。
国道150号線をガソリンスタンド(油井石油?)下って右に入るとゲートがあったな。
夜間演習の音もハッキリ覚えている。航空祭では父とブラスバンドを聴いた。
転校生で自衛隊の子がたくさんいた。九州の人が多かったような…
官舎によく遊びに行った。
複雑な我が家と違って、そこのお母さんの作ってくれる、
ハンバーグやスパゲティはすごいご馳走だった。羨ましかった。
町内のマラソン大会では自衛隊の人と競り合ったのが中学時代。
もう静岡を離れて20年になるけど、プールの帰りにフェンス越しに
いつまでも飛行機を見続けた夏。まるで昨日のように覚えている。
自衛隊にいろんな議論があるけど、私は原体験として、
あの官舎での家族の穏やかさが記憶にあってイラク派遣の時など、
すごいな!大変だな!頑張ってくれ!が正直な感想だった。
一番小さな社会である家族が、自衛隊の官舎での家族が私には眩しかった。
いまでもきっと、飛行機を見つめている少年がいるんだろうな。
週末の夜中…すこしセンチメンタルになっているようだ。
ここのスレッドみつけて、興奮しました。ちょっと涙がでました。
まとまりのない駄文ですみません。
246 名前:素敵な旦那様 メェル:sage 投稿日:2005/10/07(金) 22:51:43
>245
スレ違いにレスする俺もスレ違いだが。
>一人で仕事と子育てするのはキツイだろ。
キツク無いぞ?俺は今、父子家庭で子供(3歳と1歳)を行政サービス目一杯
使って育て中だが、不満はほとんど無い。
残業出来ないんで昇進は諦めた。代わりに「俺って家族に尽くすパパ」像に
浸りつつ、こんな人生の選択もあったと穏やかな今を満喫中。
一生懸命俺を手伝おうとする子供たちの姿に、毎日笑いと涙だ。
配偶者がいた方が良かったかもなんて、「思うだけ」だ。自治体にもよるが
サービスは探せば有用なものが沢山ある。手間を惜しむな。
245こそ、そんな甘っちょろい夢&妄想を抱いて、自分に胡坐かいてると逃げら
れるぞ。
あ、ちなみにウチは逃げられではない。死別だ…。
実家とは絶縁中なので、男34歳、孤軍奮闘中。
(正直ヨメに早く会いたい…。あと何十年待てばいいだろうなぁ。)
247 名前:素敵な旦那様 メェル:sage 投稿日:2005/10/07(金) 23:03:13
>>246 強くイ`
248 名前:素敵な旦那様 メェル:sage 投稿日:2005/10/07(金) 23:30:36
>>246 乙!
いい父ちゃんやってんだな、頑張れよ。
次に嫁さんに会うときには、子達の大人になった様子や孫のことまで報告せにゃならんだろ?
お前の嫁さんなら、きっとわかってくれるさ、もうしばらく待ってもらおうや。
若い嫁さんが待ってるんだから、お前も身体に気を付けて病気やオヤジ臭くなったりするなよ。
951さん、ありがとう。
コムラサキシメジというキノコに人1倍関心が深く、庭の片隅に堆肥を作り、
餅米の藁を撒いては数十年もの間、このキノコを大切に育てている、お婆さんが居る。
昭和21年、終戦を追えて満州から引き上げるお婆さんの胸中は、幼い2人の子供を
飢えは寒さで失った悲しみで、掻きむしられる思いでいっぱいだった。
そして、郷里に落ち着いたが心の痛みは増すばかり。
その心をを癒すのは、もう自殺しかないと決めて何気なく外を見ると、
庭や畑に紫色のキノコが沢山生えていた。キノコ事は何も知らないお婆さんの目に、
それはまぎれもない毒キノコと映った。
そこで、誰にも知られない内にと料理をして食べたがいっこうに死ねない。
翌日もその次の日も沢山食べた。とても美味しく、苦しくもない。
毒キノコではないと知った時、何故か涙が溢れて止まらなかったそうだ。
>>953 出だしでメンヘルのババアか、と思ったけど、
ちょっとジーンとくるね。うん。
4行目も空行にしてほしかった
もしくは以降の空行をなくすか
957 :
素敵な旦那様:2005/10/15(土) 13:33:51
324 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2005/10/09(日) 03:31:36 ID:h+I0oJC80
進学のために実家を離れて一人暮らしを始めた頃のこと。
新しい生活の何もかもが上手くいかなくて、少しまいってた時期があった。
頼れる人どころか友達すらまだほとんどいなくて、気晴らしといったら
実家に用もなく電話することくらい。
といっても、家族に向かって弱音吐くのは 恥ずかしいから当り障りのない
話ばっかりしてたんだけど。
でもある日、母親と電話で話してて、ついポロっとね、きてしまった。
あー、もう実家帰りたいなー、って感じで。
で、うわヤバい!とか思いつつ必死に平静を装ってたんだけど、微妙に
感づかれたらしくて「泣いてんの?」って言われた。
当然私は「泣いてないよ、やだなぁ」って笑って誤魔化して、その時は
それ以上つっこまれることもなく電話を切ったんだけど、その数日後に
母親から手紙が一通届いた。
「あなたがそちらで泣いていても母は行ってあげることができません。
だからあなたが泣いていると辛いです。あまり泣かないで」
文章がクサいよ、母!って思いながら思わず泣いてしまった。
ただ、この人の娘で良かった、って本当に思った。
私はまだまだ頼りなくて弱っちいけど、いつかちゃんと恩返ししたい。
だからお願いします。その日まで元気でいてください、お母さん。
958 :
素敵な旦那様:2005/10/15(土) 14:02:18
18 :名無しの心子知らず :04/04/09 11:16 ID:PdWgJFAH
男だけど、いいですか?
俺には、3つ違いの弟がいた。お袋は俺には「お兄ちゃんだから我慢しなさい」なんて一言も言わなかったと思う。
でも、甘えるの我慢してた記憶はたくさんある。3歳ながらに「弟はまだ赤ちゃんなんだから」っておもってたんだよなぁ。
親父は出張が多くてほとんど家にはいなかったな。
俺が小学生なって初めての運動会の朝、お袋は「○○君(俺)がんばってね!お母さん、△△(弟)とお弁当持って見に行くからね!」って
送り出してくれた。
それが、最後の言葉だった。
お袋は自転車の後ろに弟を乗せ、カゴには俺の大好きなものばかり詰まった弁当を乗せて、俺の始めての運動会を見に行く途中
信号無視したトラックにはねられた・・・。
小1の頃の記憶は、ほとんどない。
「お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。」
もっともっと、甘えればよかった。
弟が乳を飲んでいる時にも、「もう片方のひざはぼくのモノ〜」って甘えればよかった。
もっともっと甘えたかった・・・。
今日の午前2時55分、俺は親父になりました。
ちゃねらー歴はずいぶんだが、初めて来た育児版でふと目に止まったこのスレ。
俺は、嫁と娘を全力で一生守ります。誓います。
お母さん、けんじ、どうか天国で見守っていてください。
スレ違い、長乱文スマソ。
>>958 ・゚・(つД`)・゚・泣けた
家族を大切にな。
960 :
素敵な旦那様:2005/10/16(日) 23:27:48
父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、もちも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
勝美兄、姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗さして戴き有難うございました。
モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、
ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、祐ちゃん、キーちゃん、
正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許しください。
気の休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
つつ。円谷ああああああああああ
仕事がうまくいかなくて悩んでたとき。
上司が俺のいない場で「彼にはこの仕事は無理だったのかも知れない」と
発言したと聞いて、今まで自分なりにがんばってやってきたつもりだったのが
すべて否定されたような気がした。
何もかもイヤになって嫁に向かって「会社辞めようかな」とつぶやいた。
そしたら「ほんと?じゃ、旅行に行けるね!どこがいい?」と脳天気な笑顔。
その笑顔を見たら急に力が抜けて、俺も笑ってしまった。
で、もう一度がんばってみるか、と思えるようになったし、人から指摘されても
直視するのを避けていた自分の欠点とも向き合えるようになった。
まだその仕事の問題は多少残っているけど、なんとかがんばってやっていく。
ああ、この女と結婚してよかったなあ、と台所で嫁が歌ってる鼻歌聞きながら
しみじみ思う。
>>962 いい嫁だな。大事にしろよ。
わかってやってりゃ凄過ぎるが。
964 :
素敵な旦那様:2005/10/18(火) 00:01:34
中越地震から1年、救出の優太ちゃん毎朝仏壇にお茶
新潟県中越地震で、母子3人乗りのワゴン車が土砂崩れに巻き込まれ、母と娘が亡くなった事故から23日で1年。事故から4日後、
埋もれた土砂の中から奇跡的に救出された同県魚沼市、皆川優太ちゃん(3)は元気に保育園に通う。
悲しみはまだ癒えないが、優太ちゃんの成長は、周囲の人々の大きな支えになっている。
優太ちゃんは今、父親と、母方の祖父母の4人で暮らしている。亡くなった母の貴子さん(当時39歳)と
姉の真優ちゃん(当時3歳)の仏壇に毎朝、お茶を供えるのが日課だという。
4月には真優ちゃんが通っていた保育園に入り、体も一回り大きくなった。砂遊びとウルトラマンごっこが大好きで、
同じ保育園に娘を通わせている
主婦は「みんなが教室に戻っても最後まで外で遊んでいるような元気な子」と話す。
生き物が好きで、自宅ではカブトムシや金魚を飼う。
ただ、救出されるまで約92時間も1人で閉じこめられていたためか、「暗い所は怖い」と言い、
今も夜は電灯を消さずに寝ている。母や姉の死をよく理解していない様子で、「2人は天国に行ったんだよ」
と周囲が教えると、優太ちゃんは「ぼくも大人になって天国に行ったら会えるかもしれない」と答えたという。
親類の1人は、「そんな姿を見ると、いじらしくて……。悲しみは帳消しにならないけれど、優太の成長を見守ることが私たちの救い。
これからも明るく元気に育ってほしい」と言葉を詰まらせた。
同県長岡市妙見町の事故現場は今も当時のままだ。県や市は「メモリアルパーク」として一部保存することを検討している。
(読売新聞) - 10月17日9時10分更新
生存確認から救出までどこの局でも中継してやがってウゼー
なんて思いながらもそわそわして目が離せなかったなあ
あげ
「ロケットで天国に行きたい」。新潟県中越地震が23日で発生から1年を迎える。長岡市内を
母姉と車で走行中、土砂崩れで生き埋めになり、約92時間後に奇跡的に救出された皆川優太
ちゃん(3)。今は頭の傷も癒え、保育園へ元気に通う日々を送っている。
「元気だよ」。魚沼市の自宅を訪ねると、優太ちゃんはすっかり「男の子」になっていた。
母の貴子さん=当時(39)、姉の真優ちゃん=同(3)=を同時に失い、今は父の学さん(38)
と祖父母の敏雄さん(69)、ミハルさん(67)と暮らす。
母と姉の死を、どう受け止めているのだろう。「分かってるのか、分かってないのか」。ミハルさん
はこうつぶやいて、優太ちゃんに話しかけた。「お母さんと真優は、天国へ行ったことになってるん
だよね」。
以前、優太ちゃんにそう話すと、「じゃあ、ロケットに乗って天国へ行きたいな」と答えた。ミハル
さんらは「ロケットに乗っても行かれないんだよ」と諭すほかなかったという。ある夕方、自宅から
見た空に夕日が輝いていたときは、「あー、真優、ずるーい。あんなにきれいなところへ行って」と
叫んだ。ミハルさんは「とにかく優太がふびんな思いをしないように、それだけを気をつけています」
と話す。
崩落現場は今も当時のままで、優太ちゃんらが乗っていた白いワゴン車も埋まっている。長岡市
は現場を「震災メモリアルパーク」として保存し、慰霊碑の建立を検討している。
父さん、同い年だったんだなぁ。。。
ロケットで行けると良いな。って言ってあげなよ。
きっと、将来は優秀なロケット開発者か宇宙飛行士になってくれるさ。
agetok
133 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2005/08/24(水) 15:50:50 ID:LNepweEf
何年も前の紅白で森山良子が「さとうきび畑」を歌った
戦争で父を亡くした子の歌なんだが、途中
「お父さんて呼んでみたい」と森山良子が歌ったところで
妹が父に「お父さん」と呼びかけると、父は「はあい」と返事をした
「お父さんどこにいるの」と歌は続き、
父は小さく手を振って私たちに「ここにいるよ」と言った
萌えた
父はその2ヶ月後に他界した。「ここにいるよ」と笑った顔は一生忘れない
ちょっとスレ違いっぽくてスマソ
うっかり萌えた父親のエピソード
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1123144290/l50 良スレなり。
103 :Mr.名無しさん :皇紀2665/04/01(金) 17:22:41
酒と酔っ払いが大嫌いでたまらない俺が昨日、産まれて初めて酒を飲んだ。
初めての酒はまずくてまずくて仕方なかった。
飲みやすいぞと言われてわたされたチューハイは俺にとっては甘すぎた。
あと小学校の頃からの「大人になっても絶対酒は飲まない」って誓いを
破ったことに罪悪感を感じて、余計に気分が悪くなった。
そのとき親父の一言を思い出した。
以前二日酔いで昼頃まで寝ていた親父に散々嫌味を言ってやったことがあって、
普段は自分のことを俺というのに、そのときは妙に畏まってこう言った。
「私だって何も好きでこんなに飲んでいるわけじゃないんですよ」
言い終えて布団にもぐった親父に「酒飲みが何言ってんだか」
って言ったのも覚えている。
酒を飲んでそのまずさに気付いて、ようやくあのときの親父の気持ちがわかった。
糞まずい酒に頼らにゃならんほど親父は苦労してきたんだ。
甘ったるい酒と、誓いを破った罪悪感と、親父の気持ちをわかってやれなかった自分の情けなさに
涙が出てきた。久しぶりに声を出して泣いた。小学生のとき以来だ。
今まで頑張ってくれた親父に「ありがとう」って言いたいけど、
恥ずかしさがあってなかなかできそうにない。
だから親父、もう少しだけ待ってください。
俺が酒に慣れてあんたの晩酌に付き合えるようになったら言います。
仕事勤めしていたときとは違って、今では好きで好きでたまらない酒を飲んでるときに、
酒の力を借りてこっそり言おうと思います。
今までごめんなさい。そしてありがとう。