315 :
やま:
さて、推理開始。
まず、犯人の性格を分析してみます。
その手口を見る限り、犯人はプロの犯罪者か、そうでなければ完全主義者タイプの人間だと思われます。ただ前者の場合、淳君を狙った動機がいまひとつはっきりしません。これは金銭を目的とした誘拐事件でも、「劇場犯」でもなく、明らかに殺人のための殺人だからです。あるいは、動機を持つ人間が別にいて、その依頼を「プロ」が請け負った可能性もあります。もちろん単独犯である可能性もあります。
しかし、ほぼ間違いなく言えるのは、これは衝動的な犯行などではあり得ないということです。念入りに計画され、おそらく「完全犯罪」を狙ったものです。
完全犯罪を行うためには、
1 物的証拠を残さないこと
2 完全なアリバイをつくること
が必要です。そして、アリバイをつくるためには何らかの「トリック」が必要になります。つまり、「この時間に彼がそれを行うのは不可能である」という<確実な状況>を用意しておくことです。これについては後述します。
そして、これらに加えて、犯人が「自分には絶対に疑いをかけられないし、万一疑われたとしても逮捕することはできない(なぜならそれが誤認逮捕になることは絶対に許されないから)」という立場に身を置くならば、それは限りなく完全犯罪に近いものとなるでしょう。
316 :
やま:2001/08/05(日) 08:17
しかしながら、私が思うに、犯人は「絶対に捕まらない」という確信を持っていたと同時に、「捕まってもいい」という諦念も心のどこかに持っていたような気がするのです。それは犯人の書いた「懲役13年」という作文を読んで思いました。あの文章は、たといあの犯行を抜きにして考えても、独特の暗さ、憂鬱さ、虚無感に満ちています。
―――――――――
懲役13年
1.いつの世も・・・、同じ事の繰り返しである。
止めようのないものはとめられぬし、
殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い防臭漂う
心の独房の中・・・
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
゛何"が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。
2.魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、
あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせてい
るかのように俺を操る。
それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせ
るのである。 とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられてゆく。 「自分の中」に・・・
しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。
317 :
やま:2001/08/05(日) 08:18
3.大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちで
あるが、事実は全くそれに反している。
通常、現実の魔物は、本当に普通な゛彼"の兄弟や両親たち以上に普通に見
えるし、実際、そのように振る舞う。
彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わ
せてしまう・・・
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、
実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、
バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと
俺たちが思いこんでしまうように。
4.今まで生きてきた中で、゛敵"とはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」
5.魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、
気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているのである。
「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。」
318 :
やま:2001/08/05(日) 08:19
これは、ほんとうに狂気の淵まで葛藤し、懊悩したことのある人間の書く文章であると感じます。その意味でまさしくあれは、あの事件の「犯人」が書いたものです。
以下は私の純然たる想像です。
たぶん彼は生来の「犯罪者」ではなかったのかもしれません。しかし、「人の世の旅路の半ば」に来て、あることに深く苦慮し、一時は自殺あるいは一家心中まで考えたが、どうせ死ぬなら、と一か八かの「賭け」に出た――
「ボクはこのゲームに命をかけている」(「第二犯行声明」より)
犯人は何らかの事情で淳君を深く恨んでいました(もしかしたら、彼の深い悩みと淳君への恨みはどこかでつながっていたのかもしれません)。そこで、淳君をみずからの手で亡き者にすることによって、ほとんど死によってしか解決され得ないほどの彼の苦悩と、淳君への「積年の大怨」の解消を一気に図った――
完全主義者の彼にとって、みずからの命をかけたその犯行は、そのインパクトと劇的効果において絶大かつ完璧なものでなければなりませんでした。だから、彼はそこにできうる限りの残忍さと憎悪と怨念を詰め込んだのです。彼はその犯罪をひとつの「作品」とみなしていました。その「作品」の基調低音は、まさしくあの不気味な「懲役13年」の絶望的なニヒリズムと同じ響きを持っています。
319 :
やま:2001/08/05(日) 08:21
賢明な彼は、犯行を行うにあたって、「捕まって吊される」可能性も十分に考慮に入れていたでしょう。それは、警察に対する「捕まえられるものなら捕まえてみろ」という自信たっぷりの挑戦というよりはむしろ、「さあ、できるものなら、どうぞ俺を捕まえて吊してくれ」という半ば自暴自棄の「ゲーム」でさえあったのかもしれません。彼がわざわざみずからの動機を悟らせるような「メッセージ」を犯行のあちこちに含ませておいたのもそのためだったのでしょう。
そして、彼はその「ゲーム」に見事勝利しました。
しかし、それが彼にとって本当に望ましい結果だったのかどうかは、神のみぞ知る…
否、いまそれをもっともよく知っているのは、彼自身ではないでしょうか。
<今まで生きてきた中で、゛敵"とはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」>
320 :
やま:2001/08/05(日) 08:25
ここで、犯人の使ったトリックを推理してみます。
アリバイをつくるためのトリックです。
5月27日に淳君の遺体が発見されてから、第二犯行声明が届いたのが、6月4日。犯人は、事件が報道されてから投函するまでのこの一週間の間に、あの声明文を書いたに違いありません。しかし、あの声明文を書くには、どう少なく見積もってもまる1日はかかります。消印を消すための封筒のコーティングも含めて、あの挑戦状を作成するには、密室でかかりきりで作業しなければならないでしょう。
だから、その一週間に明確なアリバイがあれば、犯人として疑われることはないのです。
そこに犯人のトリックがあります。
つまり、実際に犯人があの手紙を書いたのはその期間ではないのです。
彼が第二声明文を書いたのは、犯行以前です。
その推理の根拠は?
321 :
やま:2001/08/05(日) 08:26
それは、声明文冒頭の、
「この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、
報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた」
という部分です。
「この前」という表現からすると、犯人がテレビを見たのは「数日前」と考えられます。少なくとも「数時間前」、あるいはその日のうちではありません。そうだとすると、「さっき」または「今日」という表現になるはずですから。
ところで、テレビで「報道人」が犯人の名前を「オニバラ」と「読み違えた」のは、遺体の頭部が発見された27日の夜のニュースまでで、それ以後は「読み違え」は起こっていないことが確認されています。
ということは、犯人が「見た」と書いている、「たまたま」ついていたテレビは27日のものです。そして、それから数日たって犯人は手紙を書き始めた。
何かおかしくないでしょうか?
322 :
やま:2001/08/05(日) 08:28
第一、「自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている」「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたい」人間が、自分の出ているニュースを見るのに「たまたま」などと言うのはなぜか? そんな人間なら毎日ニュースをかじりついて見ているはずでしょうに。
犯人が手紙を書いている頃には、ニュース報道はまさに「酒鬼薔薇事件」一色だったと言っていいでしょう。なのに犯人はなぜわざわざ27日の「たまたま」見たニュースの「読み違え」だけを話題にするのか?
つまり、手紙を書いていた時、犯人はニュースなど見ていないのです。まだ犯行を行っていないのだからそれは当たり前です。
少々まだるっこしくなりましたが、このように声明文そのものが、それがアリバイ作りのために犯行以前に書かれたものであることを示しています。ここには書きませんが、文中にはもっと決定的な証拠もあります。
犯人がこんな細工をしたのはなぜか? それは、先に書いたように、5月27日から6月3日までの間に、犯人には完全なアリバイがあるからです。そのアリバイを崩せる人は誰もいません。警察がどんなに頑張っても無理です。
なぜなら、その間の彼の存在そのものがアリバイだからです。