サラダデイズ Part3

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640634
了解。ホントに長いよ。
とおもってコピペしたら、「開業」が多いって。
分割しまっせ。

《本誌「さだめ」及び各方面での評価についての一方的な印象》1

 話題騒然・喧喧諤諤のここ3週の「SARADA DAYS」
ですが、あくまでも表面的な(描かれた内容から推測した)印象を
つらつらと書かせて頂きます。

 今回の一連の話は、一つの大きな転機を提示した事でここまで
大きな話題を提供しているわけですが、そのほとんどは
「由喜=善、双葉=悪」
という認識ではないかと思われます。

 たしかに表面的な部分からの印象のみで、今回の「さだめ3部作」
を評価するならば、上記認識は全く不自然ではないといえましょう。
 前・中編かけて積み上げた話を、不自然なく終わらせる為には後編の
あの最後は当然の結末であり、逆に中編から「仲直り」するほうが
(後編のみでは)非常に不自然です。
 「双葉=悪」と印象は、「さだめ3部作」を3部作として成立なさし
めるのに必要な要素であり、その印象を強める為か、作者である猪熊氏は
中編から、双葉にたいする内面表示を極力押さえているように感じられます。
由喜に対する内面描写が多いということも、この押さえているという印象を
強くさせる者ではないでしょうか。
641634:2001/07/07(土) 16:57
《本誌「さだめ」及び各方面での評価についての一方的な印象》2

 では「さだめ3部作」に対するアプローチは「由喜=善、双葉=悪」のみな
のでしょうか。私はそうは思いません。私は今回の話を
「由喜と双葉の選択の違い」
というふうに捕らえています。

 前編において、家族を印象づけるようなエピソード(由喜の母親が「双葉に
会いたい」や、双葉の両親が離婚している事の再呈示、一緒の夕食風景)を
展開しています。ここでは、「由喜=普通の家庭、双葉=普通ではない家庭」という、
二人の育ってきた環境の違いをあらためて呈示している様におもえます。
 誕生日プレゼントを探していた双葉が「偶然」、家族を印象させる絵を見つけ、
「偶然」作者(想)が双葉と同じような環境(彼の両親は事故死ですが)で育っ
た事を知るわけです。
 ここに作者の意図があると思われるのですが、双葉が想の境遇を知った事で
二人の間には共通意識とでもいうような者が形成されます。それは他人に教える
ようなことでは決してありません。また、想という由喜の知らない人間の人生が
重なった為、由喜に対しても(自分の境遇はともかく)話せなくなったのではない
でしょうか。
 ここで双葉は由喜に対して「自分が絵のモデルをしている事、そして由喜の
誕生日プレゼントのために絵を描いている事を話せない」という選択をしたのでは
ないでしょうか。

 一方、由喜は
 @心配してもかわされる A自分に言えない秘密を(彼女と思っている人物に)持たれる
という、大きな要素が突きつけられます。
 それでも中編の最後、双葉のセミヌードの絵(本当に脱いでいるのかは疑問視していますが)
を見るまでは「双葉を信じよう」とし続けました。つまり、
 [ 双葉を信じる(思う)気持ち > 双葉を(同時に自分の双葉に対する価値)を疑う ]
だったのではないでしょうか。
 しかし決定的(とおもえるような)双葉のセミヌードの絵を見た瞬間
 [ 双葉を信じる(思う)気持ち < 双葉を(同時に自分の双葉に対する価値) ]
と、由喜の中で思考の反転がおきたのではないでしょうか(由喜に対する止めは
想のアパートから連れだそうとした由喜の手を双葉が振り払った事だと思われます)。
642634:2001/07/07(土) 17:00
《本誌「さだめ」及び各方面での評価についての一方的な印象》3


 由喜はこの内面の逆転から、今まで見えなかった選択肢が見えたのではないでしょうか。
つまり、「双葉と別れる」という選択肢です。この選択肢の甘美な事、双葉の事で
心乱れる由喜には格段だったのではないでしょうか。
 ここで「由喜=善、双葉=悪」という印象が再び現れます。由喜はあくまでも
受動的な立場であり、由喜をそこまで追いつめた双葉の行動こそが破局の原因である
という認識は当然成り立ちます(双葉の内面がほとんど描写されていない事が、この認識を
助長させていると思われるのは、先刻述べた通りです)。
 しかし本当にそういった一方的な(特に幾つかの掲示板等書かれているような)
「由喜=善、双葉=悪」という認識のみしか成り立ちませんでしょうか。
少なくとも私はそのようには感じられません。
 「双葉と別れる」という選択肢を選択したのはあくまでも由喜であり、この部分に関しては、
由喜は能動的であったのではないでしょうか。少なくとも双葉のほうから積極的に働きかけては
いないように思われます(無意識に行なっているといわれればそれまでですが……)。
 「自分がもう(双葉には)必要ない」と感じたとき、由喜はこの選択肢を選択する事にためらいは
なかったでしょう。つまり、原因はどうであれ最終的な「別れる」と選択は、由喜が行なったのであり、
この部分は押さえていかないと、とどまるところ無く転がり落ちていってしまわないでしょうか。
643634:2001/07/07(土) 17:03
ラストォ
《本誌「さだめ」及び各方面での評価についての一方的な印象》4

 もちろん双葉の行動・認識は誉められたものではありません(実際にこのような人物がいたら、
極力関わらないようにしますが……)。しかし、由喜の方に「双葉の彼氏は俺だ」という、奇妙な
安心感があったのではないでしょうか。それこそ、「将来の夢」や「今、抱えている悩み」といった
事を素直に話してもらえるような、そんな関係を作り上げる努力をしてきたのでしょうか。

 この由喜&双葉シリーズは時々の短期集中でストーリーが語られる為、ストーリー間にどのような
エピソードが隠されているのかが、全く分りませんが、後編の由喜の様子では、恐らくそのような
関係を構築してたとはいえないでしょう。

 今回の「さだめ3部作」は、その内容から非常に憂鬱な印象を与えます。また。双葉のあまりにも
考え無しの行動がクローズアップされるため、ともすれば「由喜=善、双葉=悪」という印象のみを
読者に与えるだけになりかねません。しかしそれでも猪熊氏及びサンデー編集部はこの「さだめ3部作」を
印刷し、発行したのです。

 「由喜=善、双葉=悪」といった面だけでなく、そのほかの捕らえ方もあるのではないか。本当に
こうした見方だけしかできないのか。そういった事を考える一つのきっかけになったのではないでしょうか。

 長々と駄文を書き連ねましたが、ご一読されたら幸いです。 藤
644634:2001/07/07(土) 17:03
疲れたよ