魏延を励まそう

このエントリーをはてなブックマークに追加
228216
>>221
「魏略」・・・諸葛亮は北伐を中止して今後は国境を固守するように
    命じ、魏延はそれに従った。
「正史」・・・諸葛亮は撤退するよう遺言し、費イがそれを伝えたが、
    魏延は自分が代わって指揮を執り、北伐を継続すると主張。
魏延の性格からして、諸葛亮亡き後こそ自分の思い通りの作戦を実行
し、本領を発揮する時だと奮い立ったはず。「魏略」にあるように大
人しく引き揚げるとは考えられない。この件については、正史の方が
事実に近いだろうね。

まあ、裴松之は>>216のエピソードも否定しているけどね。
とはいえ、孫権が費イに与えた警告が作り話だったとしても、諸葛亮
が死んだ後、魏延と楊儀をどう扱うつもりだったのかは謎が残る。

使持節・前軍師・征西大将軍・領涼州刺使・南鄭候の魏延は、北伐軍
のNo.2だったし、先代からの功臣たちが死去し、李厳らが失脚した
後は、蜀の朝臣全体のなかでも諸葛亮に次ぐ地位にあったと思われる。
領長吏・綏軍将軍の楊儀は、諸葛亮の後継者に予定されていた留府長
吏蒋エンと役職はほぼ同格で、それまでのキャリアは楊儀の方が上だ。
魏延・楊儀の性格に問題がなければ、費イの死後、姜維が大将軍とし
て外征に当たり、陳祇が尚書令として内政の実権を握ったように、二
人で諸葛亮の任を引き継ぐのが妥当なところだったろう。
229216:2001/05/31(木) 22:15
しかし、魏延に軍事の全権を与えたならば、姜維以上に無謀な軍事行
動を繰り返して蜀の滅亡を早めたかもしれず、楊儀の狷介偏狭な性格
では宰相は務まらない。
この二人の処遇は頭の痛いところだったろう。文官の楊儀の場合は、
(実際そうなった通り)閑職に就けて、不満を言うようならクビにし
てしまえば済むが、軍勢を率いている魏延をどうするか・・・。
陳寿も特筆するように、魏延には元々蜀を裏切る意図は毛頭なかった。
だが、地位や任務に不満を持ったり、兵を取り上げるなどして圧迫さ
れても、異心を抱かなかったとは断言できない。
剛勇で、漢中の防衛体制を熟知した魏延が魏に寝返ったなら、蜀にと
って非常に厄介なことになっただろう。

演義のように、魏延を除き去り、楊儀にその責任を被せる計画を諸葛
亮が予め立てていたのだろうか?
そして、そもそも諸葛亮が楊儀・費イ・姜維らに、魏延が従わないな
ら彼を置き去りにして撤退するよう、内密で指示したというのは事実
なのだろうか・・・。
(陳寿は嘘を書いていないだろうが、真相を知るのは費イらだけだ)

魏延と楊儀はどう思うよ?