>>221 「魏略」・・・諸葛亮は北伐を中止して今後は国境を固守するように
命じ、魏延はそれに従った。
「正史」・・・諸葛亮は撤退するよう遺言し、費イがそれを伝えたが、
魏延は自分が代わって指揮を執り、北伐を継続すると主張。
魏延の性格からして、諸葛亮亡き後こそ自分の思い通りの作戦を実行
し、本領を発揮する時だと奮い立ったはず。「魏略」にあるように大
人しく引き揚げるとは考えられない。この件については、正史の方が
事実に近いだろうね。
まあ、裴松之は
>>216のエピソードも否定しているけどね。
とはいえ、孫権が費イに与えた警告が作り話だったとしても、諸葛亮
が死んだ後、魏延と楊儀をどう扱うつもりだったのかは謎が残る。
使持節・前軍師・征西大将軍・領涼州刺使・南鄭候の魏延は、北伐軍
のNo.2だったし、先代からの功臣たちが死去し、李厳らが失脚した
後は、蜀の朝臣全体のなかでも諸葛亮に次ぐ地位にあったと思われる。
領長吏・綏軍将軍の楊儀は、諸葛亮の後継者に予定されていた留府長
吏蒋エンと役職はほぼ同格で、それまでのキャリアは楊儀の方が上だ。
魏延・楊儀の性格に問題がなければ、費イの死後、姜維が大将軍とし
て外征に当たり、陳祇が尚書令として内政の実権を握ったように、二
人で諸葛亮の任を引き継ぐのが妥当なところだったろう。