今川義元って評価低すぎやしねえか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
537名無しさん@お腹せっぷく
>>526
>>それらは悉く勝っている。
>それは結果論だろー(笑)。
結果論じゃないよ。戦略的に勝たなければいけないところでは、勝ちうる最善の戦
力と戦術を出していると言ってるんだよ。>>501-503あたりにだらだらと戦暦出し
てる人がいたが、100戦100勝など目指しても意味はない。

>それ言ったら一番負けちゃいけなかったのは本能寺じゃねーの?
光秀の件は信長にも非はあるが、まあしかしこれは信玄が陣中で病死してちゃだめ
ぢゃん!って言うのと同じようなものだな。

>桶狭間はともかく姉川について言えば、敗れても近江の勢力バランスが浅井朝倉に
>傾く程度で織田家にとって存亡云々と言う話では無い。
その後の進出が5年くらい遅れることは必至だね。浅井が完全に朝倉につき、武田あ
たりとの同盟をやられたら恐らく濃尾だけでは滅亡の危機がきてたかもしれないね。

>長篠にしても装備・勢力的に言えば長篠城さえ見殺していれば、城に篭って守備に
>徹する事で武田の撤退を待つ作戦も取れたはず、まあ家康の忠誠を保つ為には、
>救援はやむを得ない選択だったが。
それは安全策なのかもしれないが、そんな戦しかできないから信玄らは田舎大名から
脱出できなかったんだよ。音に聞こえる旧勢力武田騎馬軍をさんざんに討ち破った織
田軍(そしてそれを継ぐことになった豊臣軍)だからこそ、日本統一を為しえている
。あそこで、武田の撤退を待つなんて戦をやっていたんじゃ、その後の進展に10年
以上の遅れを加えることになってただろう。

>やり直しの効く戦だった。
武田にやり直しを効かせても仕方ないでしょ。
538名無しさん@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 20:18
>>だらだら地方戦にうつつを抜かしていた最強騎馬軍団
>だから濃尾クラスの財力を背景に常備軍を定着させられれば、武田にしても
>信長自身衝突を避けまくった謙信との対峙を自ら行いながら、秋山あたりに
>一軍を任せて美濃攻略といった両面作戦も採れたんでは無いかと。
別に織田は、天から降ってきて濃尾にいたわけではない。桶狭間後にしても、義元
なき今川旧領に目もくれず、徳川と盟を結び国内の安定と、少なくとも目先の領土
拡大策なら旧今川領攻略より困難な美濃攻略に出て、苦戦を経て美濃を得ている。
>>弱小徳川程度の同盟
>姉川ではその弱小のお陰で勝ち拾ってるね。
勿論使えない同盟なら、ハナから結ぶ筈もない。あまりに強力でなく、常に自勢力
が風上に立てる、なおかつ無駄にならないように十分に使える戦力として役立てて
いる。これが戦略。
>>寺社勢力すら敵にまわしながらも
>やり方に間違い、宥和政策もとれたハズ。
宥和政策で、寺社の既得権益を守らなければならないことになれば、織田勢力はそ
う簡単には伸びることが叶わなかったのは自明。彼の戦略において、寺社勢力との
対決は必然のこととしてあったの。

>越前を始め、丹波や播磨、摂津など信長の対応の拙さで再攻略が必要になった地域は
>山程有ります。
>もっと能率的に行えた可能性も有った、出来なかったのは信長自身に問題があった。
これぞまさしく結果論。他の誰なら、あれだけの版図を得て守ることができたと言い
たいのか?あれだけの版図を持ち、大過なく勢力伸張を続けていたというのが現実。
そして、武田にせよ上杉にせよ、譜代の家臣の叛乱に汲々として対応していた時代
である。

>最後の最期で大ポカやらかした事実を忘れてはならない。
あれは別にしゃあないんじゃないの?たいしたことではない。