今川義元って評価低すぎやしねえか?

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148無名武将@お腹せっぷく
1555頃〜総石高100万前後になってる。所領を五倍近くまで広げてる。
1555(弘治元年)35歳( 7/19)第2回川中島合戦始まる(10月)今川義元の調停により講和
1568(永禄11年)48歳(12/6)軍勢を率いて駿河に侵入府中を占領、今川氏真は掛川に逃走
甲斐信濃だけですよね。1555では。1553〜1564の間にどれだけ勢力が伸張しましたか?
>それより四十年前ならもっと少なくなると思われる。
1555での先述100万石も同じことになりますよね。比率が同じなら問題ないですよ。
>駿遠三の合計約70万石とある。 尾張を加えて下さい。100も110も大差がないですよ。
>ではそれ以降、動かなかったのは何故?
1560には大軍勢を動員していますね。事故が無ければ100万石以上の版図ですね。
そして1さんはそれを前提に話を設定している。実績十分(信玄約70)じゃないでしょうか?  
>義元は多大な時間を費やしてると言う事です(145の文)。
事故が無ければその主張自体が無意味になりませんか?1554〜1560で尾張併合の偉業とね。
>美濃制圧が如何に容易ではなかったかだ。国力ともに同等以上であり〜
既述です。『織田より遥かに強大な今川軍(織田軍をも一蹴)が、織田軍の
3倍以上の巨大勢力(駿遠三+尾張)で仮に美濃を攻略したらどうなるでしょうかね。
美濃は織田にさえ敗北していますからね』。
それに尾張を一蹴していたのなら、いやがうえでも義元の権威と権力は増大するので
織田家のライバルに過ぎない斎藤なら相当揺らぐでしょうね。「あの織田を一蹴した今川、
しかも比較にならないほど国力が大きいぞ」。とね。西美濃衆もどんな行動に出たやら。
私は『今川の相対的有利さ』を示したかったのですよ。別に織田が美濃で苦戦したかどうか
は問題じゃないですよ。それに力点は美濃併合後の信長の飛躍ですしね。
>1567年以降の信長は自国より弱い勢力を虱潰しにしてる
そうですね。その相対的大勢力が1560に勝利したと仮定した今川家なのではないでしょうか?
>一時期、一向宗などの反信長勢力が結束してると勢力の拡大が落ちてるのでは?
マクロで見て下さい。既述しています。1582で信長700万石(首都圏含む)以上です。
対して2位は約120万石程度なのです。驚異的な速度で拡大しているのです。
1560では尾張の6割約30あるかないかです。22年で23倍以上なのです。

149無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 01:10
> 周囲にライバルが居ないとは、今川も斎藤も一向宗も浅井・朝倉連合も居るが?
123さんが自ら『1567年以降の信長は自国より弱い勢力を虱潰しにしてる』と
述べておられるのでは?即ち正攻法=寡兵を大勢力で叩くと言うことでしょう?
大戦力で寡兵を叩く一例(敵の戦意までそぎますからね)。
1568 9/12箕作・観音寺城攻略戦(近江郡蒲生) 六角軍箕作城に至る足跡を示します。
9/8近江・高宮に逗留9/11愛知川付近に野陣 寡兵六角軍は城に篭り応戦したが、
箕作城を集中攻撃されて敢え無く陥落。『わずか1日』の抵抗に終わる。
9/13観音寺城攻略に取り掛かるが六角軍は既に逃亡しており、
戦わずに城を奪取。数日で南近江を平定。これに対して、
信玄と謙信のように相互に互角で10年間も潰しあい、結果的に得られるものが
あまりない悪循環に陥るようなライバルはいたのでしょうかね?いたら何故これほど
『累乗的』かつ『確実』に伸張したのですかね?常備軍云々はもう既述です。

150148+149:2001/01/22(月) 01:14
>最後に、今川義元の勢力拡大策〜根拠を示して欲しい
1)電撃的=他者と比較して相当な速度でという意味。
2)力の落ちた将軍家は庇護者を探していた=1560で勝利した最大勢力今川に
庇護を求める可能性が高い。それを名目に上洛も有り得る(無いとは断定不可能)。
3)当時の状況。 織田家なき後、ライバルたる信玄は上杉と消耗戦。
更に、美濃を得た後の信長の累乗的伸張から見た相対的有利条件の多さ。
戦闘効率の良さ。当時の首都圏に隣接。人口、人材、経済の豊富さ。
主体的主導的な選択肢の多さ等。マイナス要因よりはプラス要因の方が遥かに多い。
>彼がいきなり柔軟な発想をし こればかりは主観的な感情ですから誰もが断定は
出来ないでしょうね。新たな地位、国力、財力、軍事力が人格=性格までも変えることは
別に珍しくないですからね。そのような意味で臨機応変と言っているんですけどね。
少なくとも戦国ですからね。多くの有力者が版図拡大を企図していたわけですし。
>まともな意見を言え有利な点をデータを楽観論的解釈で、
>不利な点は“できるでしょ”の1点張り。
不確定要素が多い又は人の心理に依拠することをミクロに又は瞬間瞬間で
主観的に判断したうえに断定調で言い切っているのは誰でしょうかね?
しかも、その断定を下に自分が正しいと主張しているのですから、
不確定要素については完全には真ではないと主張するのが普通ですけどね。
>過去に義元の行なった行動・政策・軍事行動などを全て検証し初めて言える
更に新たに現出した状況、他勢力との相対的比較、不確定要素、又それらと
複雑に絡み合う新たな心理状況の現出等その他の多くの判断要因を
含めて多角的に総合評価する必要性もありますね。計画は存したが、物理が
伴わずに実行出来なかった場合も多いですよ。過去又は一瞬の時点のみの検証
だけで断定しようと試みているので不十分なのでは?