文化としてのバレーへ

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1名無し@チャチャチャ
全日本が強くなるためには何をしなければならないか、考えられることをとりとめなく書いたけれども、非常に難しい部分があるのは確かだ。競技の奥の深さという点ではどの球技も似たようなものだと思うけれども、体格による有利不利がまともに出るという点では、バレーボールほどシビアな競技はそうそうない、と思う。もともと日本人の体格に向いた競技ではない、ということだ。これは98年の世界選手権当時にも書いたことだが、全日本が好成績を上げればなどというのはないものねだりと思わなければならない。
2名無し@チャチャチャ:2001/05/21(月) 01:07 ID:???
とすれば、必然的に、文化としてのバレーをいかに育てるか、を考えるしかない。言い換えれば、バレーという競技のファンをどうやって育てるか、ということでもある。
しかし、最近の日本バレー協会のやり方を見ると、世界を意図的に見せないようにしようという意志が強く感じられた。メディアと手を組んで、日本は強い、という幻影を作り維持するよう努力しているようだった。みんなで沈めば怖くない、ともとれる。女子Vリーグの鎖国はその典型だと思う。適当な日本選手に派手なニックネームをつけるなどして、アイドルに祭り上げてきた。
しかし、全日本が五輪に出場できないという現実を突きつけられ、さらに企業に支えられてきた女子バレーのあり方自体崩れようとしている現在、これがとんでもないマイナスになることは間違いない。
メディアがメディアとしての責任を放棄していることも大きな問題である。サッカー・テニス・バスケなど、他の世界的な競技の報道と比べてみても、質の違いは明らかである。バレー雑誌の直後号を見ても、なぜ予選突破できなかったのか、どうすればその問題は解決できるかという分析はほとんどない。そこに出てくるファンの声に至っては、「感動をありがとう」という部類ばかり。はっきり言って異常である。
極言すれば(あえて誤解を恐れずに言えば)、これはカルト宗教にさえ似ている。そのような追っかけ(あえてファンとは呼ばない)は、協会にとっては格好の収入源である。全日本の試合、あるいはVリーグでは、彼らが料金の高い席を先を争って買う。選手の写真集やビデオ、グッズも高い値段で売れる。メディアは協会の片腕となって、それにより、そのメディア自身も視聴率を高くできる。この過程で、単にお気に入りの選手あるいは全日本が見られればいいという、レベルの低い観客・視聴者が果てしなく量産される。選手あるいはチームに対する批判・非難を決してしない。そのような連中の仲間内で、うかつに批判をすれば、たちまち集中攻撃される。カルト宗教との共通点はここにある。その信仰の対象が、全日本チームないし全日本の特定選手ということだ。(一般に社会問題となるカルト宗教では、信仰の対象=教祖であることが多いが、ここでは信仰の対象と教祖は異なる人物になる。教祖はあえて言えば、日本協会の権力者であろう。)
3名無し@チャチャチャ:2001/05/21(月) 01:08 ID:???
問題は、バレーという競技そのもののファンが出てこないことにある。全日本が五輪出場できなかったことで、衛星放送に手を出さなければ、世界のバレーを見る機会はほとんどなくなるだろう。しかも国内リーグも鎖国がひかれており、世界のトップレベルの選手を間近で見られる機会もない。この状態で、バレーという競技のファンが生まれてくるはずはない。
まともな観客もいない、メディアもまともな批評をしないとなれば、選手の成長という観点でも当然悪影響がある。選手・観客・メディアそれぞれのあり方が、二重三重の螺旋のように絡み合いながら、その螺旋を転がり落ちている。

観客の全体的なレベルが低く、メディアのレベルも低いとなれば、バレーというスポーツあるいはバレーファンが他のスポーツのファンから蔑視されることになる。バレーという競技に新たに興味を持った人がいて、会場に見に行きたいと思ったとしても、日本戦の会場の雰囲気は異常である。欧州のサッカー場などと比べても、全く違う意味で異常だ。どれほどひどいプレー、ひどい負け方をしても、ひたすら黄色い声援が続く。うかつにブーイングをしようものなら、周囲ににらみつけられる。しかも、日本戦の会場には、アイドル目当てでバレーに興味のない人間も多数いる。これでは、スポーツを観戦したい人は見に行けない。このどちらも、現実に起こっていることだ。
今説明した現象は、どちらかと言えば男子バレーに顕著である。しかし、日本の女子バレーは、悪い意味で、やはり日本の男子バレーの後を追っている。現在の全日本女子の状況は、すでに4年前の全日本男子の「アトランタ・ショック」に酷似しているように思われる。そしてその前年のワールドカップでは好成績を上げたことも共通している。
4名無し@チャチャチャ:2001/05/21(月) 01:09 ID:???
手始めはまず開国である。強化の観点でも、その必要性はいうまでもない。世界レベルの攻撃に対しては、まず慣れることが第一歩であり、最大の対策のはずである。外国人選手を入れると、日本人エースが育たない、あるいはセッターが育たないという主張はあるが、それは育たないのではなく、育てていないのだ。国内に盛んなリーグを持つイタリア・ブラジルはどうなのか。イタリアリーグに至っては、外国人は実質的に無制限に近い。それでも、今回五輪予選で、イタリアではリニエーリ・ピッチニーニ・トグットというアタッカーの活躍が非常に目立った。ブラジルも、モーゼ・カルデラ・ディアス・バロス・コインブラと、代々優れたアタッカーを育てている。イタリアには今や世界を代表する司令塔カッチャトーリがいるし、ブラジルもベンツリーニからソウザへと引き継いでいる。むしろ、現在の日本人の軟弱なセンター線で、まともなセッターを育てられるかどうかは非常に疑問だ。経験豊富な優れたセンターがいれば、セッターを育てるのに非常に有効である。今回五輪予選のクロアチアが典型例だ。

ここで開国と書いたのは、国内リーグを外国人選手に開放することに加え、日本の選手が海外に出られるようにすることも意味する。現在は、全日本の選手は日本バレー協会に登録されたチーム所属でなければならない、という規定がある。つまり、海外のチーム所属の選手は全日本に入れない。
国内のリーグに世界の一流選手が参加して、レベルの高いプレーが見られるようになれば、本物のファン、すなわちバレーボールという競技のファンを増やすことになる。しかし、日本の優れた選手が海外のリーグで活躍すれば、それをメディアが取り上げて、ファンの目も自然に世界に向いていく。本物のファンを増やすためには、それはより大きな効果がある。サッカーの中田選手などの例を挙げるまでもなく、明らかなことである。

子供が何らかのスポーツを志すにしても、鎖国は極めて悪影響である。国内リーグには外国人選手はいない。海外で武者修行をするにしても、海外のチームに所属の選手は日本代表になれない。これで全日本が世界トップレベルならまだしも、五輪出場さえ難しく、世界選手権ベスト16がおそらくぎりぎりのレベルだろう。要するに、バレーに進んでも、その先に世界が全く見えてこないのである。世界の頂点に通じる道がない。この状況で、いったいどれだけの子供が、バレーにあこがれ、バレーで世界を目指そうと思うだろうか。これでは、志のある、将来性の高い素材が集まるはずはない。
5名無し@チャチャチャ:2001/05/21(月) 01:10 ID:???
メディアの勝手にやらせておけば、所詮は、視聴率が上がればいい、部数が増えればいい、という方向に走るだろう。そのメディアに責任を果たさせるために必要なのは、一つは視聴者による批判だが、それ以上に重要なのは日本協会あるいは国際連盟の姿勢だと思う。国際連盟が目先の放映権料を考えるばかりで、バレーを本当に世界的なスポーツにすることを考えていない。メディアがメディアの責任を果たさないのと同様、連盟が連盟としての責任を果たしていないのだ。
日本以外ではバレーは極めてマイナーなスポーツというのが現状だ。スポーツ選手の人気投票をやると、例えばヨーロッパにしても韓国にしても、バレー選手は集計限度にすら入らないほど投票が少ないという。本当に世界的なスポーツなら、帰化選手制限即有効という乱暴な決定とか、五輪最終予選でホームチームだけが3試合の対戦順を指定できるとか、こんなことがまかり通るはずはない。
もっと根本的に言えば、バレーを世界的に広めるためには、競技本来の醍醐味を追求し、勝敗の価値を高めるようなルールでなければならない。しかし、最近のルール改変は、全セットラリーポイント制にしてもネットインサーブのインプレーにしても、単にメディアに迎合するだけで、そのあり方には全く逆行しているように思われる。どちらの改変にしても、議論が意外と盛り上がらないまま通ってしまったが、つまらなくなったという意見は出ても、面白くなったという意見はほとんどないように思える。特に、全セットラリーポイント制で男子の試合など、絶望的なまでにつまらない。フルセットまでいっても、試合を見たという気分がほとんどしない。ましてストレートの試合となると、「何やってたの?」という感じである。(もちろん、五輪決勝ユーゴ対ロシアほど1ポイント1ポイントの内容のある試合なら話は別だが。)
しかも、全セットラリーポイント制で、期待したほど試合時間が短くなっていないことも指摘したい。それは1プレーの時間が非常に長くなったためである。サイドアウト制の最後の世界大会、98年世界選手権では、その時間は24秒程度、Vリーグではさらに1〜2秒短かった(なお、意外な事実だが、1ラリーの平均時間は男子と女子で明確な差はない。)。それが現行のルールでは世界大会・各国リーグとも30秒弱まで長くなっている。もちろん、ラリーがやたらと長く続くようになったはずはない。むしろ、女子バレーでは、男子並みに速攻一本で切れる場面が急激に増えている。したがって、この長くなった時間のほとんどは、ボールは動いていない。適切な間も必要だが、根本的には、ボールの動いていない時間が長くなることが、見る側にとってプラスであるはずがない。
6名無し@チャチャチャ:2001/05/21(月) 01:14 ID:???
希望も含めて、現行ルールは早晩何らかの大きな変更があると思っている。あるいは、きれいさっぱりサイドアウト制に戻したほうがもちろん筋は通る。世界レベルでは多数派の男子のファンが、ノーを突きつけるはずだ。なお、FIVBは、シドニー五輪後ビーチバレーでも全セットラリーポイント制を試行することを決めた。インドアと同じ9m四方のコートでは、ビーチバレーはインドア以上にサイドアウトの割合が多い。同じ大きさのコートを2人で守るのだから、相手のいない場所にボールをうまく打てば、威力はなくてもボールが落ちる確率が高い。したがって、ビーチのファンの間ではインドア以上に全セットラリーポイント制に反対の意見が強くなるはずだと推測する。アメリカ、オーストラリアなどでは、ビーチバレーはインドアよりも人気が高い。これらスポーツの市場として大きな国のファンの意見は、当然大きな力を持つことになる。したがって、ビーチで全セットラリーポイント制反対の声が圧倒的多数となれば、インドアでもラリーポイント制を続けることはできないだろう。
とにかく、バレーをバレーそのものに戻してほしい、というのが強い願いである。