尾崎豊かの死の謎のうわさ

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248Nopain Nogain
1994年の秋に尾崎豊の「事故死」についての再捜査嘆願の著名運動が実父と実兄を中心により始まった。
夫人は「文藝春秋」や「週刊文春」を通じてそれらに反論。「週刊文春」においては、実は故人は自殺であり、遺書も残っているともした。
そして他殺説を報じたテレビ朝日を名誉毀損で訴えてワイドショーの放映を差し止めた。
著名運動は最終的には6万人以上になったが結局は警察はそれを受けいれず再捜査は実現しなかった。
さらに1999年春に永島雪夫氏を中心とした、夫人が尾崎豊の他殺に関与しているとしておこした裁判も敗訴した。

そしてその騒動が下火になっ久しい1999年夏に写真週刊誌に尾崎豊の遺体の写真を報じた。

この写真が1999年の4月に発表されていれば全く展開が変わっていたと思うのは俺だけでしょうか。

ただ奥さんが怪しいといった報道をみて自宅に悪戯したり、脅迫状を送ったしたのは、全くもってお門違い。それがかえって真実を闇に葬ってしまったカンがあるとおもうなあ。
249Nopain Nogain:2001/07/06(金) 22:00
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「この写真が1994年の4月に発表されていれば全く展開が変わっていたと思うのは俺だけでしょうか。」
の間違いでした。
あの著名運動の時に遺体の写真が出たら世論が盛り上がって警察は動いたよなあ!