■■■フジ月9「できちゃった結婚」Part5■■■
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a:
『噂の真相』99年2月号より。
いやそれどころか、広末サイドにはかなり早い段階で「早稲田に決まった」とはっきり口にしていた人物がいる。
現在、叔父の家に居候している広末が同居している従兄に家庭教師をしてもらっていたというのは有名な話だが、この従兄が友人に「涼子は早稲田に決まったよ」と話をしていたというのだ。早くから広末の早大受験をキャッチしていた週刊誌記者がこう話す。
「この従兄はMクンといって、今春、通産省キャリアに就職内定している東大生なんです。やはり6月くらいかな。Mクンの東ファイの友人から彼がそう喋っているというのを聞いて、本人を取材したんです。案外いろいろと喋ってくれましたよ。もっともその後は、噂になったためか、彼も一切取材に応じてくれなくなりましたけどね」
さらに衝撃的なのは、昨年10月、『フライデー』が前述の恋人・MITUUとのデート現場を撮ったときのエピソードだ。なんとこの時、広末の事務所のチーフマネージャーIが編集部に記事の差し止めを懇願する電話をかけてきて、こう持ちかけたというのである。
「かわりに(広末が)入る大学の名前を流しますから。実はもう決まってるんですよ」
『フライデー』記者がこう証言する。
「その話は事実ですよ。担当のSデスクが編集部で『冗談じゃねえ!ヒロスエがどこに入るかなんて関係ねえ!』と怒鳴っていましたからね(笑)。よく覚えています」
(中略)
さらに取材を進めてゆくと、直接渡辺教授の発言を聞いた人間がいた。渡辺のゼミ「社会科学基礎研究U」の受講生がこんな証言をしてくれたのである。
「97年の終わりぐらいからかな。渡辺教授は授業でよく『(教育学部に)もうすぐ歌手が来ますよ』と発言していたんです。それで、6月くらいに一人の学生が『広末が来るんですか?』と質問したんですね。すると教授が『来ますよ』とハッキリ答えた。ええ、『受けますよ』でなく『来ますよ』と。直接、聞いたんだから間違いないですよ。」
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b:2001/07/23(月) 23:51
「噂の真相」99年2月号より。
「おそらく漆さんが話をつけたんでしょう。1年くらい前に渡辺学部長にある会合で会って、依頼したと言われていますね」
「漆さん」とは、広末が通う品川女子学院の理事長兼校長である漆邦臣のことである。品川女子学院の創設者一族である漆家の娘婿にあたり、ヤリ手学校経営者としてつとに知られる人物だ。何しろ、86年に同校の理事長に就任するや、校名変更、校舎の建て替え、制服のモデルチェンジなどといった露骨なまでの志望者獲得の施策を次々と打ち出し、それまで無名だった品川女子を都内でも有数の人気校に仕立て上げてしまったのである。
しかしだとしても、一高校の理事長になぜ、早稲田と「話をつける」力があったのか。
ここにその漆理事長が編著者を務めた本がある。タイトルは『今、中学・高校教師に望むこと』。この本をめくっていくと、ある人物が巻末に論文を掲載していた。他でもない、前学部長の渡辺重範教授である。
ようするに広末の通う高校のオーナーは早大教育学部の学部長と論文を寄稿してもらうほど懇意な関係だったのである。
いや、学部長だけではない。漆理事長は教育学部全体に太いパイプを持っていた。
早稲田大学には教育学部の卒業生だけで組織される「稲門教育会」という組織がある。この「稲門教育会」、卒業生の進路の修繕や寄付金を集める会として76年に発足したいわゆるOB会なのだが、今も教育学部に絶大な影響力を持っているという。そして漆理事長自身も早大教育学部の卒業生で、この「稲門教育会」の常任理事を務めているのだ。
「たしかに漆さんは教育学部にかなり顔が利きますよ。もともと漆さんのところは前理事長のお義父さんが稲門教育会発足当初からの顧問という有力OB。邦臣さんの奥さんも娘さんも教育学部出身で、稲門会メンバーですからね。多額の寄付金もしているし、彼らが経営する品川女子に教育学部の卒業生を率先して就職させてもいる。大学としては頭が上がらないでしょう」(稲門教育会メンバー)
つまり、今回の広末入学は漆理事長がこうした力を背景に、教育学部にねじ込んだのではないか。実際、品川女子学院は、92年以降、早大教育学部からはずっと教員採用してなかったにもかかわらず、渡辺前学部長が「アイドルが来る」と発言し始める直前の97年、突如として同学部の卒業生を採用しているのである。これははたして偶然の一致なのだろうか。