週末も、ここは大賑わいだったようだね。
・・・えーと、仕切りんさんご趣旨は受けたまわったわ。出来る限り
配慮するから。今回のはちょいと見逃してね。つーかもう書いちゃった
んだわ(ワラ
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>>887--------------------------------------
>ある種の人々が出版の自由と無縁の暮しを強いられること、文字が特権階級に独占されていること自体が許されることではないのです。
>出版の自由が人権であるならば、識字能力は万人に等しく保証されなければならないのです。識字能力のない人達が大勢いることを口実に出版の自由をないがしろにするのは倒錯した論理です。だから近代市民社会は学校制度を設け、普通教育あるいは義務教育という名前で万人に読み書きを保証しようとしているのです。
ふむ、しかし違います。
なぜなら、「万人に」どんな識字教育をしようとも、そこから階級・環境・思想などに
よって言論も出版もさまざまな少数(の贅沢)というものは存在してしまう。つーか
そうでなきゃ出版の多様性ってものがないもの。
そしてそれら少数を「(金持ちの)贅沢だから」といって金持ちだけで守れ、
なんてことになってはどうしようもない。
リヴァイアサンたる国家が手足となる民を有用な存在にせしめるために施す
ミニマムな教育(これが教育の根本)と、それらは別物だからだ。
仮に「出版の自由が人権」だから、国家が「識字能力を万人に等しく保証」する
ために義務教育をするとしよう。これと竹林庵氏の医療(健康保険)に関する見解
(公的健康保険の適用外の治療というのは、その社会が人権の範囲と認めていない、むしろ「金持ちの贅沢」と看做している部分に入ります。)
と合わせて考えると、義務教育で学んだものよって読み書きできるもの(のみ)が、
保障される範囲となろう。
では、例えばエスペラント語はどうか。この普及運動がナチ・軍国日本、スターリン
などに弾圧され、その語での出版が制限されたことは有名だ。しかし、こんな人工語を
まなんだり本を出したり普及運動をしていた人々が、母語以外のものを学ぶ金と暇に
恵まれた「(金持ち)特権階級」であったことも事実だ。
例えばこういう状況のとき、先ほどの
「外国で医療を受ける人は金持ちのみ、人権といえるか?」の理屈は
「エスペラント語の出版に関われるなんて、金持ちだけでしょ?」
となる。逆に、「これも人権侵害だ」ということなら
「(エスペラント)文字が特権階級に独占されていること自体が許されることではない」と
して、全人民に教育する必要が出てこよう。それも俺やだなあ。(藁
フィリピンやアルジェでの英語・仏語などもその使用者の階級性は有名だな。
例えばそこでの英字新聞、仏字新聞が弾圧されたら……と考えてもいい。