超ひも理論について

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53ご冗談でしょう?名無しさん
 Kaluza-Klein理論、Kaluza-Klein超重力、超弦理論などの流行から20年近
くの歳月が流れ、今日では時空が4次元より高い次元であると仮定する話が
当たり前のようにまかり通る時代になってしまった。基本的な困難は何一つ解
決していないのに、慣れっこになると高次元時空を考えることに対して抵抗感
も批判的態度も喪失してしまうようだ。物理学の理論として意味があるかどう
かを考えるよりも、安直に論文を製造できるネタを提供することの方に extra
dimension の存在意義が見出されているのではないだろうか。2000年7月4日
―7日開催の基研研究会「場の量子論 2000」に出席して、橘 基氏の extra
dimension に関する review で最近の風潮を聞き、いささか呆れた次第である。
54ご冗談でしょう?名無しさん:2001/04/28(土) 01:56
 同じ研究会で聞いた石川健三氏と前田展希氏の quantum Hall effect に対す
る場の量子論的アプローチの話は、はからずとも extra dimension の存非の検証
可能性に関して重要な示唆を私に与えてくれた。 quantum Hall effect の対象
になる電子系は完全に2次元空間に閉じ込められているとして定式化される。
光子の自己エネルギーについても2次元で考えられている。にもかかわらず、
クーロン力については3次元空間のr^(-1)ポテンシャルが使われて、実験に合う
結果が得られるのである。これを共変ゲージのQEDで考えなおすと、横波光子
は2次元に拘束されても、縦波光子とスカラー光子のゼロノルムの組み合わせ
は3次元空間を伝わることを意味する。後者の光子は捕らえられる確率がゼロ
なので、2次元空間に拘束することができないのである。
55ご冗談でしょう?名無しさん:2001/04/28(土) 01:57
 この事と関連して思い起こされるのは、ブラックホールである。ブラックホ
ール内で起ったすべての物理的事象の影響はその外に出られず、「ブラックホー
ルは毛がない」といわれるが、実は3本の毛がある。それは質量と角運動量と電
荷である。つまり重力とクーロン力は拘束できない。量子論的にいえば、ゼロ
ノルムの重力子とゼロノルムの光子は閉じ込められないのである。
 domain wall だか D-brane だか知らないが、物理的事象が高次元時空の中の
4次元時空に拘束できたと仮定しても、上の考察からわかるようにそれはゼロ
ノルムの重力子とゼロノルムの光子には適用できないはずだ。もし本当にわれ
われの住む4次元時空が高次元時空の中に浮かんでいるものなのだったら、万
有引力もクーロン力もr^(-1)ポテンシャルで記述できるはずがない。すなわち真
の時空が4次元より高い次元である可能性は実験的に完全に否定されている
と考えてよい。
56ご冗談でしょう?名無しさん:2001/04/28(土) 01:57
 橘氏の review に出てくる仕事は「高次元時空」とは称しているが、実際に
やっていることは4次元時空がはめ込まれた高次元での特定の曲がった時空を
考えることである。もしちゃんと重力場も量子化せよといわれれば、上述の批
判から逃れるために、はめこまれた4次元時空の中だけでやるつもりであろう。
もしそうならば、そんなものはもちろん高次元での量子重力と呼ぶことはでき
ない。そのような構成の理論ならば、高次元のアインシュタイン・ヒルベルトの
作用積分を出発点にとる根拠など全くない。それはたんに高次元時空での統一
理論を装うためのまやかしに過ぎないのである。ちゃんと正直に、「4次元時空
の計量が仮想的な『内部空間』の座標に依存する可能性を考える」と宣言すべ
きであろう。
57ご冗談でしょう?名無しさん:2001/04/28(土) 01:57
 非相対論的ニュートン力学を4次元時空で定式化した理論と呼ばないのは、
時間と空間を対等に取り扱わないからである。特殊相対論ではローレンツ不変
性、一般相対論では一般共変性があるからこそ、時空を4次元として捉えるこ
とに本質的な意義があるのだ。4次元時空とそれ以外の座標をはじめから手で
勝手に差別しておいて、「高次元時空の理論でございます」と言うのは誇大広
告以外の何者でもないであろう。
 直接上の話とは関連しないが、同じ研究会で「非可換幾何学」の流行ぶりには
驚かされた。時空座標に対する非可換性の導入は、半世紀前の Snyder の仕事に
始まる。最近の仕事は数学者も sophisticated だと言うスター積などを使って高
尚そうな装いをしているが、要するにやっていることは半世紀前も現代も本質
的に同じで、座標に運動量の成分を少々ミックスすることである。このように
して非可換座標を導入すること自体は簡単だが、問題は何が実際われわれが見
えている物理的時空なのかという点である。素直な可換時空座標が作れるの
に、わざわざ非可換なものを先験的に時空座標と定義し、「非可換時空でござ
います」とありがたがっている人が多いような気がしてならない。
 高次元時空にしても非可換時空にしても、最初の思い入れや思い込みを捨て
て、できあがった理論が実際どのようになっているかを客観的に素直に見直す
ことが必要なのではないだろうか。