◇◆◇◆◇ 徹底検証! 顕正会 その4 ◆◇◆◇◆

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376男子部
bP
元顕正会員さんのおっしゃる事に対しての私の見解です。長文につき長すぎるとメッセージが出たので何段かに分けます。
顕正会では事の戒壇について宗門古来から用いてきた表現として「事」と「義」の区別をつけてきたものと拝しております。
また「広宣流布の暁の御遺命の戒壇」かどうかという分別を用いるのに対して「現在も事の戒壇は在す」とする曖昧な表現になるのを恐れて、敢えて「事」と「義」の立て分けを以て強く言葉にしておるものと拝してます。
そうしないと「三大秘法抄」「一期弘法抄」の意義を含んでいる戒壇と「いつでもどこでも事の戒壇」と区別がつきにくくなるからです。

まずは次の文を引いてみます。
折伏教典改訂三五版「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、これを事の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である。」と。
これ誰が言ったのかといえばかの創価学会であります。
当時学会一般の教科書とも言われていたものでありますが、これによれば”広宣流布の時初めて戒壇の大御本尊様が正式に御安置される時これを事の戒壇と云い、それ以前は大御本尊の住する所が義の戒壇になる”と明確に云っています。
大御本尊様とは戒壇の大御本尊様を指しているわけですし、御安置されている場所はまさに当時は奉安殿、なれば現在、学会・宗門が云っている論は自ら否定することになります。
377男子部:2001/07/16(月) 23:08
敢えて顕正会員である私が創価学会の文証を用いたのは、事の戒壇についての宗門及び学会の通例として誰一人として之を破する事がなかった、当時はそれが当然の義だったからだと思ったからです。
現在、宗門と学会は泥沼と化した抗争を繰り返しておりますが、以前は宗門は学会を学会は宗門を互いに擁護しあっていたのは紛れもない事実です。
とすると当時、この事を責める者一人もいなかった事を以てこの論は宗門でも受け入れられていたものと思われます。
「昭和四十七年には事の戒壇たる正本堂が建立される」(同)
「宗門にとって七百年来の念願であった本門戒壇は昭和四十七年に建立される」(同)と。
これ昭和四十七年以前には事の戒壇はなかった、宗門七百年来の念願ということはそれ以前に事の戒壇はなかった、存在しなかったという証明ではないでしょうか。
更に顕正会ではあまりにも有名?な文句なのですが敢えて追記文証といたします。
発願式に臨んだ池田大作自ら発誓願文云く「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千年史上空前の偉業なり。・・・今茲に発願せる正本堂は文底独一本門事の戒壇にして」と。
ということは昭和四十七年以前にはなかった事の戒壇が突然出現したことになるわけですら、元顕正会員さんの論を用いればそれ以前の七百年の間は五大秘法であったことになるわけです。
日興上人御在世当時も日目上人の時も。それが何百年も経て正本堂が突如事の戒壇として建たてられて初めて六大秘法になった事になってしまいます。
日興上人以来七百年もの間、実に六大秘法厳然と在し、事の戒壇に奉られるべき本門戒壇の大御本尊なるがゆえに御安置在す所、義理の上の戒壇と申し上げてきたのであり、これが古来からの富士門流の解釈であると思われます。
ですから敢えて池田大作は宗門学会の面前で「空前の偉業」とまで言ったのだと思います。
事の戒壇を肯定しようとした論法から出てきた教義の切り返しでしかないかと思われるのです。
378男子部:2001/07/16(月) 23:08
先のはbQ
今回bRです。
では古来宗門ではどのように受け止められていたのでしょうか。学会の論だけを用いて「学会も言っていた」とするのは少々幼稚となりますので、貫首(御法主)上人の文証を用いさせて頂きます。
日寛上人は寿量品談義に云く
「未だ時至らざる故に、直ちに事の戒壇これ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊在す上は、其の住処は即ち戒壇なり」と。
また日ぽう(王奉)(たまへんにたてまつる 表示出来ず)上人は御宝蔵説法に云く「未だ時至らざれば、直ちに事の戒壇なけれども、此の戒壇の御本尊ましますことなれば、此の処即ち本門戒壇の霊場にして、真の霊山・事の寂光土と云うものなり」と。
共に「未だ時至らざる」との御文を用いられているのは、「事の戒壇」を指している文と思われます。
更に日亨上人は正宗綱要に云く「この戒壇について、事相にあらわるる戒壇堂と、義理の上で戒壇とも思えるの二つがある。事相の堂は将来一天広布の時に勅命で富士山下に建ち、上は皇帝より下は万民にいたるまで受戒すべき所であるが、それまでは本山の戒壇本尊安置の宝蔵がまずその義に当たるのである。末寺の道場も信徒の仏間も、軽くは各々その義をもっていると云える」と。
ではなぜ現在宗門では元顕正会員さんの論を用いだしたのかと推察するに、正本堂を事の戒壇だと云ってしまった以上、正本堂崩壊後も戒壇の大御本尊様の在すところを事の戒壇と云わざるを得ないからであるものと顕正会では捉えています。
未熟な教学で申し訳ありませんが、以上のように顕正会員は解釈しております。