スウェデンボルグは異端者ですか?

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126名無しさん@1周年
 パウロについてスウェーデンボルグが書いていること(2)

「『パウロの使徒書簡』が内的意義をもたないということは他生では知られている。しかし彼の書簡は、〔キリスト〕「教会」に属する人びとが、内的意義が内在する主の聖言に悪いことをしないようにと、「教会」内に存在することを許されている。もし人が邪悪な生活を送りながらも聖なる「言(ことば)」を信じるなら、その人は天界に悪をはたらくからである。それゆえ「パウロの書簡」は許されているが、パウロ〔自身〕には、主の〔語った〕たとえ話や主の〔教えた〕教理の一つでも取りあげて、これを説明したり明らかにすることが許されなかったのである。パウロはすべてのものを〔主からでなく〕自分自身から取りあげたのである。「教会」はたしかに主の聖言を説明してはいるが、「パウロの書簡」によってそうしているにすぎない。このためにまた「教会」は、いたるところで仁慈の善から逸脱して信仰の緒真理を受容している。けれどもこの信仰の緒真理〔そのもの〕は〔元来〕主が教えたものであり、しかも仁慈の善がすべてとなるような仕方で教えたものなのだ。(4824)」
     (『霊界日記』スウェーデンボルグ/高橋和夫訳編、角川文庫)