東方正教会(オーソドックス)について語るスレッド

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150ぷちとまと
>>149

高橋氏がビザンティン・ハーモニーを主張されているのは、従って、皇帝
教皇主義を否定しているのは、おそらくビザンティン帝国時代についてだ
と思います。

彼は、正教徒の立場から当時の政権と教会との関係を理想化しているの
だ、と解釈した覚えがあります。(あくまで,建前上は信仰に関しては
「皇帝といえど一信徒」だ、という理念の拡大でしょう。)

彼に依れば、中世カトリックこそ教皇皇帝主義だ,という事になっていた
のではなかったですか?
151ステ猫:2001/05/09(水) 21:06
いわゆる「世界史」で東ローマ帝国を「教皇皇帝主義」であるとする時には、「聖像破壊令」とセットにして語られますね。
しかし、「聖像破壊令」が正教会の教えにのっとったものでないことは明白です。
「聖像破壊令」が覆され、聖像崇敬が認められたことを記憶するための日を私たちは「正教勝利の主日」というほどですにゃ。
少なくとも、いわゆる「世界史」が「聖像破壊令」をもって「東ローマ帝国(あるいは正教会そのものが)「教皇皇帝主義であった」とすることには、断固として「NO」と主張しますにゃあ。

僕がいわゆる「世界史」を習ったのは10年以上も前のことにゃんけど、未だにそんなこと教えてるのですか?
152ゆはなん:2001/05/10(木) 00:31
高橋神父の『ビザンティン・ハーモニー』は幻想です。その証拠に、高橋神父以
外の人は使っていません。また『皇帝教皇主義』も正教の教えではありません。
確かに東ローマの皇帝には『我は皇帝にして司祭なり』と言うことを主張した皇
帝もいました。また皇帝には主教と同じような権利が認められています(至聖所に
自由に出入り出来る。司祭からではなく自分自身で領聖出来る)が、実際その特権
を利用した皇帝と言う話は聞いたことはありません。
ビザンティンハーモニーなる言葉で理想化された程、聖俗の関係は美しくありませ
んが、聖俗の協調が理想とされました。
153ななし〜〜:2001/05/10(木) 22:31
>>149

ステ猫はんや、ゆはなんさんも説明してくれはったけど、
「皇帝教皇主義」というものが存在しなかったんですわ。
ビザンチン帝国時代、帝室に教会が干渉され、振り回された
ことからそのような概念が出来たと思うんやけど。
高橋神父様も、教会と政治は互いに干渉せんのが建前て
ゆうてるやんか。皇帝が即教会の首長になることはないで。
教会とビザンチン帝国のかかわりが、歴史上の通過点に
過ぎんし、「皇帝教皇主義」という言葉で正教会の本質を
あらわすことはできんと思うわ。