51 :
48:
>46
でも、「ただ相手に合わせて話をしているだけである」という、まさに
その相手は、「俗の価値観」を持っている人間のことでしょう。
「俗の価値観」に、上座部の修行者が価値を感じないことは自由だが、
俗には、俗の価値観があるという事実を無視しては、ものは語れない
でしょう。
ただ、好き勝手にものを言うのであれば、それは大いに
たしなめられるべきでしょう。
上座部の修行者に対して、何かあなたなりの固定観念がちょっと
あるように思えてしまいます。
52 :
46:2001/01/31(水) 03:57
>51
ある価値観を知っているということと、それに傾倒するということは
別であると考えている。つまり、知っていれば相手に合わせて
話すことができる、ということだ。
>好き勝手にものを言うのであれば、それは大いに
>たしなめられるべきでしょう。
あなたがそのように考えるのは、まさにあなたの価値観によって
であり、上座部の僧の考えとは違うだろう。しかし
私が問題としているのはどのようにしてたしなめるのか
ということだ。その方法として上の物言いでは効果がないだろう。