細胞と悪魔の詩

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45海唯
偽者 さん、今晩は。

>>作者の伝えたいとするところと読み手の受け止め方が違っていた場合のことが頭に浮かんだので
>違っていて当然だと思うし、そのことに無自覚な表現者っていうのは良し悪しは別として、
>ちょいと怖い。 ここで内田上爾という人の詩が酷評されているのは、徹底的に受け手¢、の
>視点が欠けているからでしょう。 よく言われる独り善がり≠フ典型にも見える。天才ならば
>それでもいいものが作れるんだろうけど、凡人が真似事をしても打率は限りなく落ちる。

すごく微妙で、さじ加減がむずかしいと思ったのですが、受け手側を意識し過ぎるのは、また
考えものな訳で。突っ走る天才か、絶妙な技を持った秀才か…みたいになってくるのかな?
(例えとしてイマイチだ…)

>>作者はAと伝えたいのに、私はBと受け止めて、勘違いなんだけど、感動して
>>しまっている、とか。 例えば、Cと受け止めて、Aと伝わっていれば感動したはずなのに
>>かえって、嫌悪してしまっている、とか…。
>それでいいと思う。 受けては送り手のことなんか1ミクロンも考えなくていいと思う。
>誰も人様の感性に口をはさむことはできない。

ふむふむ…そうですよね。
しかし『感性』にかかわる『勘違い』はそうなんだけど、例えば、非常に難解な比喩を用いた
詩があって、私の力量不足(平たく言えば読解力不足)のため、ちゃんと理解できなかったり
いや、微妙なとこで、ここにも、感性はかかわってくるときもあるかも。作者の世界にいくら
思いを馳せても、作者の輪郭さえ、つかめていない…みたいな事態に陥ったりとか、ひとえに
私の感性の鈍さによって。
46海唯:2001/02/04(日) 03:43
>ワタシは〜〜のつもりで書いたのに皆わかってくれない
>なんてことをのたまう表現者は、間抜けなことこの上ないと思う。

作者は、そんな風に思わなかったとしても、例えば、私が高村光太郎が大好きだったら、
彼の詩はすべて、理解したいと思う(願う)気がする。


>ついでに宣伝。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/8199/
>おひまなーら きてよね〜(以下略)
忙しいけど(?)行ってきました。

えっと、「君の名を」が一番好きです。 「初恋」は、面白かったです。
『なーんだー ノンフィクションじゃないのかー』って、ちょっとガッカリしたけど…。(笑)

お風呂にゆっくり入って、睡眠も十分とっているのに、なぜか、身体の具合が… だったん
ですね。(苦笑) もう、すっかり、健康体ですか??? お気をつけ下さいね。