栗本慎一郎

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51パンサール
栗本のお仕事
*一浪のため60年安保には大学生としては参加せず、
  >>栗本夫人の兄が参加していた(戸田 徹、笠井 潔の親友)
*慶應義塾全塾ストライキ委員長
  >>止めに来たのが塾生だった丹羽雄哉と小沢一郎
*論文 ヘーゲル左派とフォイエルバッハについての考察
*ブント的活動を目標としつつもアンガジュマン(エンゲージメント)批判
*宇野派マルクス経済学、岩田理論などを学ぶ
*英国経済史を巡って大塚史学を批判(似たような批判はどこででも行われていた)
52パンサール:2001/04/23(月) 01:04
栗本のお仕事
*一浪のため60年安保には大学生としては参加せず、
  >>栗本夫人の兄が参加していた(戸田 徹、笠井 潔の親友)
*慶應義塾全塾ストライキ委員長
  >>止めに来たのが塾生だった丹羽雄哉と小沢一郎
*論文 ヘーゲル左派とフォイエルバッハについての考察
*ブント的活動を目標としつつもアンガジュマン(エンゲージメント)批判
*宇野派マルクス経済学、岩田理論などを学ぶ
*英国経済史を巡って大塚史学を批判(似たような批判はどこででも行われていた)
*ポラニ派経済人類学と出会うが最初は興味が持てなかった
*アルバイトととしてカルビー(株)の宣伝部に所属
 >>ジョルジュ・バタイユをもじった
 「やめられないとまらないかっぱえびせん」や
 テレビ版「仮面ライダー」にスポンサー側として演出変更を指示
(1クール目の旧1号時代、変身ポーズや棺桶から出てくるライダー
、などは栗本からの要望)
*後にカルビーから出版される広報誌「はぁすべたぁ」編集に携わる。
 広報誌でありながら現代思想専門誌となった。
53パンサール:2001/04/23(月) 01:20
栗本の仕事
*アフリカ人類学研究のメッカ、天理大学で講師となる
*奈良県立短期大学で助教授
 奈良での教員時代にダオメ(ダホメ)王国関連の文献で再び
 カール・ポラニ(ポラーニ・カーロイ)の業績を再発見し
 経済人類学研究に没頭する。

 当時の栗本の住居は藤原不比等の邸宅だった区画である。
54パンサール:2001/04/23(月) 01:55
*最初の本「経済人類学」発表
 >>この本のエッセンスは、現在では柄谷行人が
   うまく要約しているのでそちらを薦めておく。
   今読むと栗本独自の視点はマネタリストの影響が濃い
*三浦雅士編集の「現代思想」誌から予稿の依頼を受け、
 論壇デヴュー。「現代思想」黄金時代を支える
*中村雄二郎の招聘で明治大学法学部助教授に
 >>ポラニの師、ジュリアス・ピクレール(ピクラー・ジュラ、
   法学者。フロイトもピクラーの業績を引用している)も
   視野に入れ、あえて経済学部ではなく法学部にした

*ビックリハウス誌で「へんたいよい子しんぶん」連載に参加し
 一世を風靡する。
 >>「へんよい」での糸井重里、栗本の文体は中期浅田彰も
   影響受けてました

*渡米、ノースウェスタン大学客員教授となる。
 ポラニ派経済人類学のジョージ・ダルトンやポラニの娘
 らと邂逅する。
   >>以後、ポラニ派の紹介と人類学的分析から
     バタイユ、モース、ジンメル、メルロ=ポンティ、
     マイケル・ポラニ(ポラーニ・ミハイ)らの業績を
     引き継いで「全面展開」に出たが、、、