262 :
・e・:
>>259 私の時代は体験美学がさかんでした。
これはシェリング以来のロマン主義的な美的体験を重んじる志向で
体験の主体である主観に近づけて、美的現象を解釈しようとするものでした。
ディルタイの体験、表現、理解の三っつの契機や、新カント派の表象美学(フィードラ?)
などがその係累にあたります。
これにたいし、私は出来事としての美的経験を重んじました。
それは主観による構成作用という枠組みをこえて、一度限りの美的現象の出来事的性格に注目することに他なりません。
こうした存在論的美学(?)は、私の弟子でるガダマーが受け継いでいるようです。
美学者には私の理論はまずまず受け入れられているようですが、
私の詩論の一部は酷評されています。
263 :
・e・:2001/03/01(木) 00:59
>260
どこの箇所か分かりませんが、
神の彫像は、それ自体が神的な経験をもたらすものであり、
代理不可能なものであるから、けっして神の代用品ではない、という程度
のことでしょうか。
私の立場であればもはや本物/複製というカテゴリーはその妥当性の多くを失うでしょうね。
264 :
考える名無しさん:2001/03/01(木) 01:01
ハイデガー=・e・
ついにばれちゃったな。
まえまえからそうだとにらんではきたが、
でも責める気はないよ。
265 :
・e・:2001/03/01(木) 01:02
>>261 そうですね。そうなります(笑)。
アレーテイアはギリシア語で、普通は真理と訳すところを
私は非・隠蔽性とか非・覆蔵性と訳しました。
要するに英語のディスカバーと同じ原理ですね。
ディス・カバーすなわち覆いを取る、という力動性をあらわしている、と。
266 :
マルティン・ハイデガー:2001/03/01(木) 01:05
爆死!!
267 :
・e・:2001/03/01(木) 01:07
鬱
だ
氏
の
う
│
│
│
268 :
考える名無しさん:2001/03/01(木) 01:08
もう終わってしまうのか?
269 :
マルティン・ハイデガー:2001/03/01(木) 01:09
っき、気にせずいこうぜ〜〜〜〜
270 :
考える名無しさん:2001/03/01(木) 01:09
あれ、わざとじゃなかったの?
じゃあ、見なかったことにする。
271 :
考える名無しさん:2001/03/01(木) 01:13
うぷぷ。
でも、・e・氏の書き込みって、最初から読んだけど
数えるくらいしかないなし、まあいいんじゃないの?
なかったことにしてこれまで通りにつづけましょうよ。
272 :
マルティン・ハイデガー:2001/03/01(木) 01:14
は!!
私は何を言っていたのでしょう。
変なコテハンが取り付いていたようです。
とりあえず忘却の作業からはじめましょう。
思い出す、ということもないように、
忘れた、という感覚さえも忘れてもらいましょう。
神は二度死ぬ、の原理です。
何事も無かったかのようにスレを進めるのです!!