愛犬の死が忘れられない

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131ふと思い出したので
高校生の時に13年間一緒に生活したマルチーズが亡くなりました。

幼稚園の時にもらってきて、一緒に成長しました。
私自身一人っ子だったので、本当に兄弟のようでした。
外から帰ってきたら玄関で吠えまくり、怒ると機嫌をとるように足を舐めてきました。
私がさわるとうなり声をあげて怒るくせに、寂しいときはすり寄ってきました。
梨が大好物で、食べていると飛びついてきました。
寒い夜は布団に潜り込んできて、足の甲にアゴを置いて寝てました。

何度か発作を起こしては病院にかつぎ込んで、ケロっと直ったこともありました。
亡くなる一週間ほど前から、物を食べなくなりました。
シロップ状の薬を、梨につけて食べさせていましたが、それも食べなくなりました。
亡くなる直前、家族の者は買い物に出て、家には私しかいませんでした。
座ってこちらを見ていた愛犬、立ち上がって窓の方に行こうとしたらヨロヨロと
転んだのです。
13年間で初めて見た光景で、ショックで頭の中が真っ白になりました。
転んでゼハゼハと苦しそうに呼吸し息絶え絶えとはこの事だと思いました。
生き物が亡くなる瞬間と言う物を見たことがない私は、重い発作だと思ってました。

私はただ、名前を呼び続け、医師から聞いていた体温を上げるため体をさすってやる事しかできませんでした。
やがて母が血相を変えて帰ってきて(携帯に連絡した)、愛犬を見るなり「ありがとうね!」と叫んだのです。
13年間家族でいてくれてありがとう そう言う意味でした。
初めて「死」というものが間近になり、この兄弟はもういなくなってしまうんだと分かったとき、
私も泣いていました。高校生の、大きな体した私が泣いていました。
もう何年間も涙をこぼすといった事がなかった私が、泣きじゃくっていました。

やがて、ビクっと痙攣した後、「キューン・・・」と魂が抜けていくような声をだし、
絶命しました。
132続き:01/09/09 01:19 ID:aRCXFhkw
彼女のいない家。帰ってきても吠えまくる声が聞こえない。
留守番していた褒美をねだる事もない。
毎日の生活がむなしく、空虚に流れていった。
思えば我が家は彼女中心に回っていた。
散歩にあわせてご飯の支度が始まる。
置いてけぼりにできないから、旅行もいかない。
長毛の彼女の為に、夏はクーラーを付けっぱなしだった。
親が「今年から旅行いけるね」と言って、そのあと泣いていた。

彼女はまさしく私の妹であり、親にとっては娘であったのだと思う。
49日が済んだ次の日、父が貰い話を持ってきた。
母は大反対した。あの子の代わりなんかいない、できない

今私には妹がいる。もう2歳になる。長毛のシーズー
我が家には、亡くなった”妹”の引き延ばした写真が多く飾られ、
新しい”妹”がそのガクをかじって怒られている。

十数年後には、あのときと同じ悲しみが襲ってくるのだろう。
親は「こっちのほうが早いかも」と言っている
彼女は代わりでも何でもない、新しい家族の一員。
私は彼女と暮らし続ける。
彼女が生き続ける限り。