きつね神社の情報求む

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はじめてのカキコです。
昨日、犬山市役所に電話して
文化財保護課?に色々と聞きました。
答えてくれたのは男性の方で、
なんと諏訪神社の存在を知ってました。

彼の話によると、入鹿池周辺は遺跡が多いそうです。
現在、その池の周辺の再開発計画があるらしいんですけど…。

つづく。
6564:2001/06/30(土) 04:20
その再開発計画に元づく、遺跡文化財の調査の
為に入鹿池の東側、入鹿池から東にのびる
川にかかる県道の橋の近辺から山に入ったそうです。
ちなみに徒歩で。

つづく。
6664:2001/06/30(土) 04:27
私は県外のものなんで詳しい地理は知りません。
なんで、地図と役所の男性が言ってたことと、
つきあわせながら書き込んでいます。細かいところに
齟齬があるかもしれません。そんな時は指摘して
下さい。

その男性が言うには、山へは道なき道を入って行った
そうです。その時の調査というのはその山の中に
ある古びたドライブインみたいな建物の調査という
名目であったそう。

つづく。
6764:2001/06/30(土) 04:33
足場の悪い細い林道を登って行くと
どこをどう間違えたかしらないが、
そのドライブインみたいな建物とは
違うところに出てしまったそうです。
んで、んでなんとか車も通れるくらいの
山道にでて、しばらく歩くと例の
神社に行き着いたそうです。
6864:2001/06/30(土) 04:38
神社の入り口付近で休んでいると
一台の車が下から登ってきたそうです。
その市役所の男性たちは神社の関係者
だと思ったらしく、神社には入らなかった
そうですが、確かに諏訪神社であったと
いってました。本人もこんな周りになにもない
ところに神社があったなんてのは初めて知ったと
いってました。

つづく。
6964:2001/06/30(土) 04:45
市役所の男性がいうには大きくも
小さくもない神社で、神主は常駐
していなさそうな感じだったといって
ました。件の「呪われる」という
メッセージの話をふってみると
まったく知らないし、噂にも聞いた
ことがないといってました。
何かそこで昔、事件があったのかって
聞いてみても同様な答えでした。

つづく。
7064:2001/06/30(土) 04:51
集団で人が生活しているような
気配もなかったそうです。
ただ人家もなにもない山の中にポツンと
神社だけがあったことが少し無気味だった
といってました。

その役所の人はとても親切な人で
色々、調べてファックスなり電話なりを
差し上げましょうかっていってましたが、
余計な仕事を増やしてもいけないと思い
やめておきましたけど、やっぱり頼んで
おけばよかったかな。

つづく。
7164:2001/06/30(土) 05:02
後で、調べて分かったそうですけど、
山への道は池の北側の県道から入れる
そうですね。東京在住ですけど、今度、
休みの日でも行ってみようと思います。

諏訪神社っていったら、長野県にある
諏訪神社の末社ですよね。長野の本社
は紀記にもある通り、国譲りで有名な
所。天孫系に破れた出雲の大国主命の息子、
建御名方命を祀ってます。言い伝えでは
………。

つづく。
7264:2001/06/30(土) 05:16
大和朝廷に破れた、出雲の連中が
長野に逃れてきて、そこで独立国家
を作ったそうです、大和朝廷側も
半分認めていたそうな。まあ、
古代の話なんでどうかわかりませんが。
まあ、当時の体制側にまつろわぬ、民が
住んでいたのは、古代史家がいうには
かなり可能性が高いことのようです。

ここからは妄想ですが、仮に入鹿池近くの
諏訪神社に集団で生活している人がいるなら
社会と隔絶した生活をしているかもしれませんね。
建御名方を祀ってる出雲系の血を引く子孫の
かも。もっとも、現代では100パーセント
の隔絶は無理でしょうけど、自給自足に近い
生活はしていそうですね。って、書いてて
安易な妄想だと思えてきたんで、ここら辺で
やめます。ながながとすみませんでした。
結局、答えは出ていませんね。あしからず。