霊を信じない野郎に嫌でも信じさせしまうには?

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568ごめんなさい、長文です。
僕はたまに『見え』たり『感じ』たりします。
僕が友人に僕の経験を伝える時の例え話をカキコします。

基本的に自然はあるがままの姿しかとりません。
物理的に不可能な事は起こり得ないし、物理的不可能を霊現象の証拠とするのは、
ヤバい考えで、人間や生物が死ぬと言う、もっとも基本的な自然現象の上に『霊』などは仮定できるのですから、
前提すら否定してしまう事になるのではないか、と思います。

僕は心霊現象は一種の『見立て』のようなモノだと思います。
お茶会で、茶わんの技モノに宇宙とか自然とか生命力とか見立て、世界観を膨らませるゲームが有りますが、
まさにそのような物で、一つの自然現象に対して、文化的な共通項を他人に伝える事ができる人間が、
お茶会の場合『見立て』を行う人や、器の鑑定士になりますし、霊現象の場合、霊媒師等にあたります。

例えば一つのツボを見た際。その壷の土の組成や上薬の組み合わせなど、
客観的事実から(例えば歴史的事実や、制作者等の証拠を集める事)、その壷の価値
を証明する方法が有ります。これは、科学的なアプローチです。
反面、その壷の作品的な印象『わびさび』や、『触感』『第一印象』などによって、
その価値を認める方法が有ります。これは、文化的なアプローチと言えると思います。
世の中には、一つの壷をみるだけで、超人的なインスピレーションを働かせて、
壷の真贋や、価値を当てる事のできる鑑定士達が居ます。
しかし、そのインスピレーションの結果は、土や上薬の組成をいくら分析したところで、
解析できません。
同じ素材、同じ製法を用いても、失敗作と芸術作品は凡人にも分かります。
その違いを、科学的なアプローチのみに還元するのは方法を間違えています。
『週間プレイボーイ』のライターさんが書いていたのですが、
人ゲノムの記事で
『人間のゲノムをすべて読み取っても、それは個人の魅力を説明した事にならない。
 ビートルズの音楽を全て譜面におこしたところで、曲の良さが証明できないのと同じだ』
と、書かれていました。この文は良い所をついています。

霊現象は、例えば使者の死体が沢山有ったり、文化的に許されないような殺りく、
恨み等を多く抱えた人間の死んだ場所。または、親族の不幸などに近く起こります。
科学的に微生物に分解されるだけの、人間の死体がストーリーをつくり出し、
それを有る主の文化的共通項によって、他人に伝えられる能力が、霊能力と呼ばれている物です。
例えばいくら日本人が怖がっていても、言葉の通じない外人にはその霊現象を伝えられない事は、
あり得る事だし、人によっては全く見えない事もあって当然です。
それは一つの壷を『名作』と取る人が居るのも、『食器』と取る人もいるのと
かわりません。どちらも正解です。

ただ、『文化的共通項』と呼んだ物は、それを知る事で、一つの自然現象に背景適な
深みを与える事ができます。
僕は、それを感じたり、知る事ができて、とても嬉しく思って居ます。