523 :
文春記事:
「男が着いたみたいや。行ってくるわ」
気温三十六度を越え、蒸せ返るように暑かった七月二十四日午後八時半。
大阪・JR吹田駅コンコース内のダイエー前で、『PIKO』とロゴの入った紺のTシャツ、赤いハイビスカス柄の短パン、緑のサンダル姿の細身の少女がシルバーの折り畳み式携帯電話で会話を終え、元気よく立ち上がった―。
彼女の眉は半分そり落とした『麻呂眉』だが、わずか十二歳の顔にはまだ、あどけなさが残る。家出中だった少女はこの日、仲間らと午後四時から一緒だったが、いつも皆で集まる友人のマリ(仮名)の自宅ガレージを一人、頻繁に抜け出してタバコ屋の公衆電話へ走っては、ボタンを押していた。番号は「××××ワンワン」(0120−××××11)など。
そして、ガレージに戻ると「今日はあかん。“活動”しても同じ奴ばかりが出るわ」と愚痴った。“活動”とは彼女らの隠語で、テレフォンクラブに電話し、「エンコウ」(援助交際)の相手を探すこと。
幼な過ぎる彼女たちが語る「エンコウ」が、俗に言う売春行為を指すとは思えない。しかし、ダイエー前に移動し、ブラブラする間ようやく、見知らぬ“交際相手”が捕まったのだった。少女と一緒にタムロしていた仲間(女の子四人、男の子二人)のうち先輩格のユミ(仮名)とマリはなぜか、胸騒ぎを覚えた。
「危ないからやめとき」
「大丈夫、大丈夫。心配せんとって」
少女の表情に屈託はない。
「終ったらすぐ帰ってくるんやで」
「うん。キモい(気持悪い)奴やったら逃げるわ。皆、どこにおるの?」
「携帯にかけてきて」
マリらが見送った、ラッシユ時の雑踏の中へ消えていく彼女の後姿が、生前、最後に目撃された姿だった。
524 :
文春記事:2001/08/03(金) 00:28
この十二歳の少女こそが神戸の中学一年生「監禁・殺害」事件の被害者・上家法子ちゃん(大阪市東淀川区)である。
彼女はこの約二時間後、このダイエー前から約四十キロ離れた神戸・北区の中国自動車道(三車線)下り三十三・八キロポストを少し過ぎた緩やかなカーブの路肩に血まみれで、うつ伏せになっている姿で発見された。
両手にはずっしりと重いシルバーの鉄製手錠(玩具)がかけられ、裸足のまま。
通りかかったドライバーが、倒れている彼女を緑の幌付き大型トラックが轢くのを目撃、午後十時三十六分、一一〇番通報している。大型トラックの幅十一インチもあるラジアルタイヤは彼女の左大腿部の骨幹を真っ二つに踏み漬した。
「全身に擦過傷があり、左太ももが三十センチも裂け、皮膚が捲れ上がり、動脈まで切断し、かなり失血していました。後頭部の中央にも挫創痕があり、頭蓋骨骨折し、浮腫していましたが、恐らくこの傷は彼女が高速道路へ突き落とされたか、落ちた時にできたものでしょう。死因は失血死。トラックが轢いた左大腿部からの大量失血と頭蓋骨骨折が致命傷となりました」(搬送された西宮市内の病院)
兵庫県警は法子ちゃんが走行中の車に監禁され、落とされるか、脱出を試みた際、落ちた結果の殺人事件と認定。約七十人体制の捜査本部で、法子ちゃんを監禁し現場から逃走した車、ひき逃げした大型トラックの行方を追っている。
発生から一週間あまりが過ぎたが、問題の“核心”は靄(もや)がかかったように未だ判然としない。現実があまりにも凄惨なため、テレビニュース、新聞が数多くの事実、証言を伏せたまま、事件を報じているからである。
なぜ、「普通の中学一年生」と報じられた彼女が、家出をし、テレクラヘしきりに電話をかける少女になったのか。その理由は、今のマスコミ報道からは窺い知ることができない。
525 :
文春記事:2001/08/03(金) 00:29
彼女は何に傷ついていたのか。それを解くカギは、彼女の友人グループが語る「彼女は寂しかった」という訴えにつきる。あえて残酷なまでの現実を書くゆえんだ。
法子ちゃんは両親、兄弟がいるにも拘わらず、自宅からではなく実は児童福祉施設から中学校に通っていた。
小学六年生だった昨年八月十三日、姉と一緒に大阪市中央児童相談所を訪れた法子ちゃんは「家族と離れて生活したい。しんどい。家に居場所がない」と訴え出ている。
家族は父(55)、母(35)、姉(15)、妹(10)、弟(9)であるが、児童相談所は「家庭環境から自宅で過ごすのは無理」と判断、法子ちゃんを福祉法人の養護施設に入所させた。一緒に児童相談所を訪れた姉も一ヵ月後に、別の施設に入所している。
児童相談所がこの家庭に介入した理由は、親子関係、経済的な問題であるが、特に父親との関係は深刻だった。
「原因は父親の彼女らに対する度を越えた虐待でした。この事実は学校側も把握し、法子ちゃんは施設のある学区の小学校に転校しました」(上家家の事情を知る知人)
事件発生直後、報道陣が殺到した兵庫県警など関係各所は、この事実を認めている。
当時、彼女と同じ小学校に通っていた親友の一人がこう証言してくれた。
「法子は『お父さんがちょっとでも酒を飲んだら殴られる。傘で殴られた』と青痣をつくり、時々、足をひきずっているのを見ました。お姉ちゃんが殴られて顔を切ったと聞いたこともある。二年前に法子がお父さんに殴られて入院した時、病院でカウンセリングを受けていた。心臓も悪いとか言うて、時々、発作みたいになり、しんどそうやった。お父さんにすぐ叩かれていた」
526 :
文春記事:2001/08/03(金) 00:29
法子ちゃんが当時、住んでいた近所の住人も父親が酔って暴れている姿を見ている。
「酔っ払って包丁を振り回して救急車か、パトカーだったかが来たこともあったわ。夫婦喧嘩のような声がよく聞こえてきた。借金取りも来て玄関のドアに張り紙をしているのを見たこともあります」
しかし、近所の人の目にはそんな中でも法子ちゃんは兄弟の中で一番、利発そうで挨拶もキチンとできる気配りのできる子にみえたという。
「六年ぐらい前、ウチの子が誘拐されそうになった時、助けてくれたことがある。男が子供らに『五十円あげるからおいで』と近づいた時、法子ちゃんが『警察呼んでくる』と大声で叫んでくれて、男が逃げた。なぜ、こんなことになったのか」(別の住人)
だが、複数の友人らの証言によると、法子ちゃんは小学校五年生の後半頃に、公衆電話からの“活動電話”を始めたという。
「法子は『活動やで』と言い、ゲームセンターの公衆電話でテレクラにかけ始めた。話している途中、電話を代わって聞いたら、知らん男の人が出てびっくりした。その日、『若いから、何回も(相手に)ブチられる(すっぽかされる)んや』と怒りながら話しているのを聞いて、何も言えへんかった』(親友)
しばらく後、親友の一人が法子ちゃんに「なんでテレクラするの?」と聞くと、彼女はこう答えている。
「始めたらハマってもうた。もう、アタシ、あかんわ」
法子ちゃんは今年四月の中学校入学後、無断で施設から自宅へ帰るなど、精神的にも安定していなかったという。
「家庭環境は入所以来、改善されていなかった。家に帰りたいけど、帰れない。彼女はこの板ばさみになっていた」(福祉施設の施設長)
527 :
文春記事:2001/08/03(金) 00:29
法子ちゃんは施設の中では特に素行に問題がある訳でもなく、目立つ子供ではなかった。中学でもなかなか友達ができず、居場所が定まらない中、無断外泊などの行動を取るようになる。
「施設はまじめなことが多いわ」
法子ちゃんは小学校からの親友らと集まり、こう話したことがある。
「そしたら、アンタ、まじめになりや」と友人が言うと、
彼女はポツリと呟いた。
「そんなん今更、無理やわ」
七月十七日、外泊許可を得て自宅に戻るが、事件の前日二十三日には法子ちゃんは母親から叱られ家出していた。
一緒に彼女と過ごした冒頭の六人の仲間らの証言を元に、その後の彼女の行動を追
つてみよう。
この六人の友人もそれぞれに事情があり、家出同然の身で、吹田駅や冒頭のガレージにいつも、何となく集まるのが常だった。
二十三日午後五時半頃、行くあてもなくマリの家のガレージでお菓子を食べながら皆でタムロする。法子ちゃんはタバコ屋の公衆電話に頻繁に行き、テレクラ“活動”を開始。「七時頃、法子は待ち会わせたテレクラ相手に会いに行ったら、上新庄駅の近くで父親とばったり会った。彼女、サンダルを脱いで必死で走って逃げて帰ってきたのでサンダルを貸してあげた」(ユミ)
母親から三日前に買ってもらった携帯に度々、自宅から電話が入る。
「うわー、おかんや。うっとおしー」
法子ちゃんは表示された番号をみてコールには出ない。
午後十時を回ると法子ちゃんはまた、頻繁にガレージの外に出て、フリーダイヤルの繋がる公衆電話で“活動”する。
「十一時頃、テレクラ相手とNTTの前で待ち会わせしたと出て行ったけど、相手が来なくてすぐ戻ってきた。次は摂津市の人に待ち会わせのアポを入れたけど、また、すっぽかされたと話していた」
深夜近く、またもテレクラに電話し、今度は三十歳のヒロシ(仮名)と吹田駅のダイエー前で待ち合わせ。迎えに来たヒロシの白いワゴン車に一人で乗り込む。車内にはヒロシの他に「ちょっとカッコイイ顔」(ユミ)の修(仮名)も乗っていた。
528 :
文春記事:2001/08/03(金) 00:30
日付が二十四日に変った午前二時頃、駅で法子ちゃんを待っていた仲間のうちの二人、由紀と加奈(仮名・法子ちゃんの同級生)も誘われ、合流することにする。ヒロシに迎えに来てもらい、彼らのマンションヘなだれ込んだ。「マンションの玄関の前でヒロシに『法子が着替えているから、ちょっと待ってて』と言われた。部屋の中には法子と修が二人っきりでいた。法子は後でアタシにこの時、修に『二千円もらった』と話していたわ」(加奈)
夜が明けた午前六時頃、法子ちゃんら三人は再びダイエー前までヒロシに送ってもらう。
彼女の相子をしたヒロシと修の証言。
「俺たちがあの夜、会った子が法子ちゃんとは正直、全く気付かなかった。俺らが会った彼女はパーマをあてていて、テレビで映っていた彼女の写真と雰囲気もまったく違った。十五歳ぐらいかと思っていたけど……」
その後、法子ちゃんら三人は高浜橋へ移動し、たもとでずっとお喋りを続ける。
午前十時にダイエーの開店に会わせてまた、吹田駅へ移動。法子ちゃんは駅の公衆電話から“活動”を開始する。午後四時過ぎ、一人でテレクラ相手と待ち会わせをしたファミリーレストランヘ向ったが、十数分程で戻ってくる。
「法子が怯えたような顔ですぐ戻ってきたので、『どないしたの』と尋ねると『アンタは若いからあかん。でも、また会いたいなあ』と待ち合わせた男に言われたって。えらい法子が怖がってたから、アタシが法子の携帯からその人に電話したら、中年の男が出て『俺の顔みたらびっくりして帰った』と話していた。ちょっと変やった」(加奈)
午後五時頃、自宅に戻らない法子ちゃんを心配した母親が、束淀川署に家出人捜索願いを申告。
529 :
文春記事:2001/08/03(金) 00:30
だか、当の法子ちゃんは冒頭で再現したように、この三時間半後にまた、見知らぬ男の車に乗り込んでしまう。そして、血まみれで彼女が発見されたのが午後十時三十七分。そのわずか二十七分前、仲間の一人のユミの携帯が鳴つた。
ユミ「どこにおんの?」
法子ちゃんは「うーん」とはぐらかす感じだったが、声の調子は怯えている風でもなく、いつもと同じトーンだったという。
ユミ「みんな心配してるからな。早よ、帰ってこなあかんで、アンタ」
法子「また後で掛けなおす」
この五分後、自宅の母親にも「友人と一緒や。もうすぐ戻るから」と連絡している。母親が捜索願いを出したことを伝えると、電話は一方的に切れてしまう。
吹田駅で翌二十五日午前七時半まで法子ちゃんを待っていたマリ、ユミら仲間六人は、電話が切れてから、一時間おきに彼女の携帯に電話を入れるが、すべて「圏外コール」。この頃、彼女を落とした車はすでに中国道を疾走し、遥か遠くへ逃走していた。「携帯電話、サクランボの柄がついた財布、Tシャツなど着替えが入ったナイロンの鞄は持ち去られたままで、まだ、発見されていません」(兵庫県警捜査関係者)
法子ちゃんだけが居なくなったタマリ場のガレージで、取材に応じてくれた加奈たちが涙声でこう話してくれた。「死んだと本当に頭でわかったのはお通夜で棺桶に入った法子を見た時でした。頭は包帯でグルグル巻き、右側の頬から顎にかけて大きな青タンになった痣があり、法子は疲れた顔やった。かわいそうだつた。ガレージにこうしておると法子がまだ、おるみたい。寂しい・・・・・・」
530 :
文春記事:2001/08/03(金) 00:30
現在、兵庫県警は車から突き落としたと思われる人物を追う捜査一課、ひき逃げした大型トラックを追う交通捜査課の二班体制に分け、捜査を進めている。
殺人捜査を担当している班長は神戸の児童連続殺傷事件の被疑者、少年Aの取調べを担当した少年事件のベテラン警部であり、県警は事件の「犯人逮捕に自信を持っている」といわれる。
兵庫県下の中国道には複数箇所にNシステム(自動車ナンバー自動読み取り機)とオービス(違法速度取締機)が設置され、その記録が重要な証拠となりうるからだ。
「彼女の携帯電話の発信、着信履歴からテレクラで知り合い、彼女と接触した人物を割り出し、アリバイ、行動、車のナンパーの確認などを極秘にやっている。法子さんが放置された現場から一番近い西宮北インターにもNシステムがあるが、通報者がこのNを通過したのは午後十時十七分。この間一一〇番されるまでに付近を通過した約二百三十台のナンバーはすべてNシステムから読み取り、警察庁のドラム(磁気コンピュータ)で所有者、車種、色すべて割り出している。轢き逃げしたトラックは福岡ナンバーで、捜査員が現地に出向き事情聴取をしているようだ」(兵庫県警詰め記者)
捜査協力をしている大阪府警が当日、彼女とテレクラで知り会った人物を事情聴取を始めているという情報も流れている。
法子ちゃんの葬儀当日は、気丈にマスコミの取材に応じていた父親。だが、「虐待」も含めた法子ちゃんとの生活について確認するべく改めて自宅に出向くと、玄関のドアには「もう答る事もなし(原文のまま)」との紙が張られ、家の中はひっそりと静まりかえっていた。
***記事終わり***