北野武作品では何がいい?@マターリ語ろう

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625617
少女と夫婦の構図としては622さんの解釈は分かります。
ただなぜ凧を放さなかったのか、ということなのですが、
623さんの言われる、西の「奥さんを笑わせる」ギャグに見せかけた、
少女に投影された「生」への嫉妬のほとばしりの表れだと思えるのです。
自分以外の愛するものに全てを捧げるサムライ、の映画とはいわれますが、
最後の最後になって、愛する妻、不幸にも半身不随となったもと同僚、
死んだ同僚の残された妻、それらのために西が捧げた行いは、決して簡単なものではなかった。
泣きたいほどつらくて悔しいのに、笑みを浮かべて強さを装わなければいけない。
そんな、妻と自分の最後のシーンに、いたづらに参加してきた少女の凧を握る西の手は、
固く握られたまま、決して「凧が空を自由に飛ぶため」には、開けなかったのではないか。
そう思い、切なくなってくるのです。
626623:2001/06/09(土) 20:16
そう、“固く握られたまま”のとこにグッときます。最期の決断の象徴。
「生」の少女に繋がっている凧。西は掴んだまま離さない。あの瞬間、内的にも外的
にも覚悟を決めたんじゃないかと。西が死ぬ前のほっとしたような最終の笑み。
向こう側に行った少女を西の視線から捉えたカット。完全に外界とサヨナラしてる。