>>179に対する俺の反論:
東京大学新聞社 布田様
ぶしつけな内容であったにもかかわらず、
レスをくださり、ありがとうございます。
しかしながら、今だ納得のいかない箇所があるので、
あらためて質問いたします。
> 新聞というメディアにおいて、きちっとした署名記事という形で
> 公人(定義がよくわかりませんが、モーニング娘。のいちメンバー
> が該当するのは間違いありません)を批判することに
> 関しては問題がありません。
たしかに、「批判する」という行為自体には、問題はないと思います。
しかし、批判するからには、
それに見合った根拠を挙げる必要があるのではないでしょうか。
>ファンをしてもどうやら保田は必要ないらしい。
件の記述には、「保田は必要ない」という結論に至る根拠が述べられていません。
したがって、この意見はきわめて主観的で情報価値の低いものに過ぎず、
やはり「掲載する意味はあったのだろうか」という疑問は拭えません。
(続く)
>>180の続き
> 掲載された新聞における文脈では、
> ここでいう「ファンをして」の「ファン」は
> モーニング娘。のファンであるところの
> ドライバー個人を指します。
> 確かに、「ファンであるところの彼をしても」と書いた方が
> 誤解を生みにくかったのは明らかであり、
> 文章力の拙さを痛感しております。
> でも、この文脈において
> 「あたかも「モーニング娘。」ファン全員の総意であるかのように表現してい
> る」
> と解釈するのはそれはそれでだいぶ強引であると思います。
おっしゃることの意味がわかりかねます。
そもそも「して」という格助詞には、
「一部分を例として取り上げ、その全体に及ぶ意を表す」という意味があります。
したがって、仮にこれを、
そちらが提案するとおり「ファンであるところの彼をしても」と置き換えたところで、
意味は何も変わりません。
「彼にとっては、保田は必要ないらしい」というような書き方なら納得がいきますが。
> 学生が自己満足で作っている程度のものとは言え
> とのご指摘はもっともで、私どももそのような批判を受けぬよう
> 常に精進していきたいと考えております。
それに関連して、今回のレスにおいても、
文中に「きちっとした」「でも」などという「話し言葉」を用いている辺りからし
て、
「言葉」というものへの認識に対する杜撰さを感じました。
失礼ながら、
そしてメディアに携わる者としての自覚に欠けていると言わざるをえません。
文法の基礎を一から勉強なさることをお勧めいたします。