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5世界@名無史さん
ちょっと質問です。三位一体とキリスト論についてなのですが、
この二つの関係性ってどういうもんなんでしょうか。同じ問題を
扱っているんだと思っていたら、どうも違うようで・・・

いろいろ考えたんですが、三位一体は神の概念規定、キリスト論は
救世主イエスにおける神性・人性の問題を取り扱っているものである
と解釈していいんですか?
6天之御名無主:2001/05/22(火) 10:44
>>5
>キリスト論は救世主イエスにおける神性・人性の問題を取り扱っている

これはよいと思います。

>三位一体は神の概念規定

こっちは文章表現的に、ちょっと別様に採られる表現になってしまっていると思います。
キリスト論/三位一体論の対比としてはうまい言い方と思いますが。

「神の概念」正統教義では父なる神、創造神、かつて在り・今も在り・これからも在るもの、ですので。

そうですねぇ、「超越神とキリストの神性/人性」の関連付けの理論が「三位一体論」というあたりではどうでしょうか?
上の整理を図式的に示すと下のように示すこともできると思います。

三位一体論=「神論⇔{キリスト論=(イエス論⇔キリスト論)}」

まだ一面的ですかね。
「人の子であるイエスが神の子でもあり救世主でもある」って、論理を超越した話ですので、整理しようとすると、どうしても一面的になりがちですね。
76:2001/05/22(火) 11:13
>>5
あぁ、そうそう>>6の捕捉をしておきます。
三位一体論=「神論⇔{キリスト論=(イエス論⇔キリスト論)}」

うえは、完成された三位一体論の構成を、事後的に整理すれば、一例こうも説明できる、ってことにすぎません。
歴史的に観れば、宣教の時点でまず、キリスト論があって、「人の子イエスは救世主キリスト」だと。
「なんで?」って思う人に対しては、「イエスは神の子でもあるから」と。

ところがユダヤ・キリスト教の神は、超越神であることがウリです。人間とは隔絶してる。
まじめな話「ローマ皇帝がゼウスの子孫だ、とか言うのとは話が違うよ」ってのが宗教としてのアピールポイント(のひとつ)だったわけで。

「じゃぁ、なんで、人の子が超越神の子になれたの?」 と、思っちゃう人が出る。
素朴なゲルマン族には、多分この辺についてけなくって(笑)、単性説のネストリウス派を受容した連中とかもいたわけで。
それで初代教会にストックされてた宗教的言説のリソースから「聖霊」ってのが、ピックアップ&クローズアップされた、って面があると思います。
あまりに無信仰な整理なので(苦笑)一面的でしょうけど。まぁ、「そういう面もあった」ならかまわないでしょう。

歴史的には、キリスト論→三位一体論って、教義整理の過程があったとは言えます。
8世界@名無史さん:2001/05/22(火) 11:47
>>5-6
Thanks!
大分、頭の中が整理されました。(笑)
つまり、イエスがメシア(神の子)である、という事の説明をする
のに、イエスは神であり人でもある、とだけ言っちゃうと皇帝崇拝と
どう違うんだということになっちゃって非常にまずい。また、イエス
が罪を負ったという観念との整合性もまずくなっちゃう。聖霊云々といっても
預言者との違いも曖昧になる。
で、「イエスは神から使わされたすごい人である。他とはちゃうねん。」
という感性というか原体験の部分をなんとか説明するために、聖霊と
神とキリストを分かちがたいものとして提示することによって、差別化
を図った、というところでしょうか。

しかし、この問題泥沼にはまっちゃいますね。(゚Д゚;)
聖霊の定義とかも問題になりそうだし。(私は勝手に霊的なインパクトだと
解釈してますけど)そもそも、三位一体は神の秘儀であって
人間の知恵の及ぶものではない!とか言ってるし。ギコハナヤーン
9世界@名無史さん:2001/05/22(火) 11:48
あ、それと揚げ足とりっぽくなっちゃいますが、ネストリウス派ではなく、
アリウス派・・・ですよね?
10三位一体:2001/05/22(火) 14:16
三位一体て、いわゆる「天・海・冥」のことだろ、
三神五王の一神、知るわけねーか、ただの人間じゃ
もちろん、この内容を知る必要もありません。

まぁ、2と言うのは、協調もあるが対立しやすい、
そこで、もう一つ加えることで安定性を保つの
だけどね、
まぁ、具体例で言えば、2つの国しかなければ、いったん
戦争になればなかなか収まらないでしょ、そこで第三者
を仲介におけばうまくいくわけよ
ちなみに、「男」と「女」が結びついて「子」ができる
と言う意味もある、もちろん、これは「真理」というより
便利な「ツール(道具)」だ。
ちなみに、私はキリスト教徒でも、仏教徒でもありません、
しかし、それくらいは知っています。
そしてそう言ったテクノロジーをとんでもないくらい
発展させています。
116:2001/05/22(火) 15:04
>>8
>しかし、この問題泥沼にはまっちゃいますね。
うん。そうなんですよね。

正統教義の基である古ローマ信条(二世紀後半〜八世紀)では、処女懐胎の聖書神話が「聖霊によりて宿り」と定式化されているそうです。

このことからもわかるのは、聖霊がキリスト教用語で言う「神の恩寵(奇跡)」を実現するための動因といて観念されてることです。まったく信仰領域の話になるので、おそらく定義のしようもありません。

新約の『使徒行伝』に、初期キリスト教会で「信徒の間に聖霊が降りて異言を放った」って主旨の伝承が記されていますが。これが聖霊による異言なのか、悪霊による異言なのか。キリスト教の原則に基づけば「聖書」(イエスの言葉)に基づいて判断できるってことになるんですけど。実際はそんなこと言ってらんないはずで(笑)。
この辺の事情もキリスト教会内の位階制整備を推進した要因だろうと思われます。

というわけで、聖霊問題は重要なんですけど、取り扱いづらいですよね。

>>9
あぁ、そうです。アリウス派ですね。
ネストリウスの方が「神性の単性説」なので、ついうっかり筆がすべりました。失礼。
しかし、ゲルマン人はなぜ「人性の単性説」であるアリウス派に改宗したのでしょうか?(笑)
やっぱり三位一体説よりわかり易かったのかな? ←これは偏見入ってますね(苦笑)
12名無しさん@8:2001/05/22(火) 17:08
>やっぱり三位一体説よりわかり易かったのかな?

多分そうでしょう。だってそのほうが分かりやすいからさ。
個人的にもそっちのほうが納得しやすいし。(笑)ていうか、
イエスの歴史性を問題として認識できないと、なかなかこの三位一体の教義
って理解しにくいんですよね。おそらく。
中世以降、あまり問題にされなくなって行ったのも、そういった理由から
なのかもしれません。
どうも長々とありがとうございました。