思い出の国語の教科書!

このエントリーをはてなブックマークに追加
9832歳
92です。セメント樽〜に共感して頂けてうれしいです。
そして「ゆずり葉」読みました。いい詩です・・・久しぶりに胸が熱く
なりました。そして思いました。「世のお父さん、お母さんたちは
(中略)よいもの、美しいものを一生懸命つくっています」という
くだり。本当に、次代へ譲るべきもの、子供たちに誇れるものを大
人たちは作っているだろうか。子供たちが後々、「いいものを譲り残
してくれて有り難う」と感謝する日がくるのだろうか、と。

ところで。戦争中(後?)のことを書いたものだったと思うのですが、
病気に臥せった妹がトマトが食べたいと言って、お母さんが貧しい中か
ら必死でトマトを買って帰ってきたら、妹はすでに亡くなっていて・・・
というようなお話がありませんでしたか。
お母さんが可哀相で堪らなくなった記憶があるのですが。題名を知りた
いのですが、どなたかご存知ないですか??「蛍の墓」とかと記憶が入
り乱れているのかしらん・・・??
99>98 :2000/09/13(水) 18:48
それ知ってます!
貧しいために普段は芋しか食べさせられなくて、亡くなったとき
「お芋ばっかり食べさせて死なせちゃったね」というセリフを
お母さんが言ってたような記憶があります。
確かヒロシマの話だったような…。
でも私も題名はわかりません。「トマト」…じゃないよね…。