思い出の国語の教科書!

このエントリーをはてなブックマークに追加
221名無しさん@お腹いっぱい。
>220
北川冬彦の『戦争』という詩集に載っている、「楽器」という詩です。

         「楽器」
  夕暮の空にうつすらかかつた昼の月は、毀れた楽器のやうにさみしかつた。

この作品、安西冬衛の「春」と双璧をなす、昭和初期の一行詩の名作ですね。

  てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。        (「春」)
222重吉ファン:2000/11/09(木) 02:50
221です。220さんの質問で連想したので、八木重吉の詩も。
次の詩は教科書で知って、心に残ってます。(過去レスにもあったらゴメン)
イメージ的にちょっと似てるかな。

   「素朴な琴」
  この明るさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美しさに耐えかねて
  琴は静かに鳴りいだすだろう

   「白い雲」
  秋の いちじるしさは
  空の 碧を つんざいて 横にながれた白い雲だ
  なにを かたつてゐるのか
  それはわからないが、
  りんりんと かなしい しづかな雲だ
223名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/09(木) 03:39
>>218
>202  翻訳者によって、かなり訳が違うのでしょうかね?

んーと、岩波文庫・ちくまなら竹内好訳。角川文庫なら増田渉訳です。
筆者と閏土が二十年ぶりに再会するシーン。(以下は、岩波版から)

 私は感激で胸がいっぱいになり、しかしどう口をきいたものやら思案がつかぬまま
に、ひとこと、
 ≪ああ閏(ルン)ちゃん−−よく来たね……≫
 つづいて言いたいことが、あとからあとから数珠つなぎになって出かかった。
角鶏、跳ね魚、貝がら、チャー、だがそれらは、何かでせき止められたように、
頭のなかをかけめぐるだけで、口からは出なかった。
 かれはつっ立ったままだった。喜びと寂しさの色が顔にあらわれた。唇が動いたが、
声にはならなかった。最後にうやうやしい態度に変って、はっきりとこう言った。
 ≪旦那さま!……≫
 私は見ぶるいしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、ふたりの間を隔ててしまった
のを感じた。私は口がきけなかった。

……心のすれ違いを悟る、悲しいシーン。
齢を重ねた今読むと、こういう悲しみに、また別の実感が加わりますね。
224223つづき:2000/11/09(木) 03:45
…で、教科書に載ってるのは、たいがいは竹内訳のはずです。
私も「身ぶるいしたらしかっった。」のバージョンで読みました。

ただ、竹内訳でも「私は身震いしたような気がした。」となっているバージョンも
たしかにあって、こちらを採用した教科書もあったはず。
手元の資料が限られてるので、断言はできないけど。

この、日本の国語教材としての「故郷」の取りあげられかた、翻訳の
バージョンの違い・変遷などをちゃんと研究した東大の先生の本もありますよ。