228 :
繰り夢存:
もう、すっごいツッコミどころだらけで、あんまりビックリしたので買って来ちゃった。
三段落形式で、一段落目はケミストリーとバガボンドとヒゲのある男の話。
二段落目が難民スレで話題になってた話。三段落目はサッカーの中田の話。
とりあえず二段落目だけ貼ります。
若い友達が……私の友達と言う呼び方がここでいちばんぴったりあうものなのか、分からないんだけど……亡くなりました。
とても早い別れだった。
驚いた。
私た。、ここに残ったがわの私たちは、誰もそんなこと予想していなかった。
友達かな?
知り合いとか、近所で付き合いのあった人だとか、そういう、そんな曖昧な距離の物じゃない。
友達だったんだと思うよ。
でも、普通の友達みたいに「きいてくれよーこないだすごいヤなことがあってさー」って愚痴りあったり、待ち合わせて一緒に遊びにいったりしたことはない。私は彼女の人生のほとんどを知らないし、彼女も私のダメな生活っぷりを目の前で見たことはない。
ただひとつ私が確かに知っていたのは、彼女が私の小説を好きでいてくれたこと。
いつも、丁寧な字で手紙をくれたこと。
十年間ずっと、私が投げるボールの、向かう場所に、そこに、いてくれたこと。
ファンクラブの仕事を楽しそうに手伝ってくれたこと。
絵がうまくて、センスがよくて、テディベアを作るのが得意だったこと。
西に東に、たくさん友達がいたこと。
その最初の入り口は「若木未生の本を読んでる」という共通点だったけど、それはあくまで初めのきっかけで、しらせをきいて全国あちこちから駆けつけたのは、彼女の友達だった。だんだん大人になって、社会人になって、ファンクラブ活動から遠ざかっても。たくさんの友達は、そのまま彼女の友達だった。
229 :
繰り夢存2:2001/07/30(月) 20:24
私も斎場に行きました。なつかしい人たちに出会った。みんな、大切な暖かな鞠みたいなものが急に胸からほろりところがって遠くにはねていってしまったような、そんな顔をしてた。
それくらいのことしか、私は知らない。
何度も会って話して、くだらない話題で一緒に笑ったりもしたけど、私達の関わりは何と名付けるものだったんだろう。
隣に座って話すことなんかより、もっと一番彼女が私に望んでいるものを、私は知っていた。
書くこと。
書いてなかったら、他のどんなことも始まってない。
小説。
それが絶対にまず私達の間にあった。
だから書いた。
「なんだよハイスクール・オーラバスター最後まで読んでくれるんじゃなかったの」
会ったら言いたいよ。
でもきっと今後も、また彼女が読んでくれるかなと思いながら書くんだろう。
ほんとは私の小説だって彼女にとって必要ないものになったかもしれない。
230 :
繰り夢存3:2001/07/30(月) 20:25
なんとなく「好き」の気持ちが終わって、食べる気がしなくなって、ごちそうさまでした、って思う時が来たかもしれない。
小説を書いて誰かに読んでもらうって、そういうことだ。
いつでも一刹那かぎりの出合いで、一瞬かぎりの交わりなんだ。
だけど、どこかに続くものがあるかもしれないと思って、また新しいボールを握って投げるんだ。
そしてだれかが偶然ばったり、十年ぶりでも三十年後にでも、再び私の名と出会ったときに「うわっ若木未生ってカッコワルー。こんなの読んでた昔の自分が恥ずかしいワ」って気持ちになってしまったら悲しいから、十年後でも三十年後でもきっと胸をはって、猫背にならないでうつむかないで、小説を書き続けていると思うんだ。
私の小説はあなたの誇りの一部になれていたかな。
足りなかったかな。
ビタミンは、栄養はあったかな。
読んでくれてありがとう。
これからも私は書いてるよ、ここで。
いつか何かが、そこに届くかもしれないと思いながら。
231 :
修正:2001/07/30(月) 20:29
1の四行目
× 私た。、ここに残ったがわの私たちは、誰もそんなこと予想していなかった。
○ 私たち、ここに残ったがわの私たちは、誰もそんなこと予想していなかった。
あと「私達」ってなっちゃってるのは私のPCの変換によるもので、
若木語ではすべて「達」はひらがなで「私たち」です。ゴメソ〜