親のこと、好きになれない。。。

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665名無しさん@HOME
このスレのだいぶ上の方に一度かきこみした者ですが・・。
私は今、親元を離れて大学の近所で下宿しています。
一人暮らしをするようになり、学校でアダルトチルドレンや児童虐待のことを習うに伴い、ほとんど忘れていた子供時代のことを
思い出し、私と曽祖父(ひいおじいさん)は兄に虐待されていたが家族はそれを放置し、そのおかげで曽祖父は死んだが死因は「心不全」
にされ、隠蔽されてしまいました。
私が受けたのは肉体的・精神的・性的暴力。曽祖父は肉体的暴力ですが、それにおびえる為精神的暴力にもなっていたと思います。
私が心理学に進んだのは、他人と明らかに異なる部分のある「私というもの」を理解しようと思ったから。
特に幼児心理学を勉強するうちに、幼児が受ける傷で自分に当てはまることが山ほど出てきました。
過去の記憶がよみがえり、私はうつ病になり強迫神経症と離人症の気もあります。
多重人格にならなかったかわり離人症になったようです。
そして私は虐待した兄とそれを放置した家族を憎み、殺されたに等しい曽祖父を助けてやれなかったことを悔やんで自分を責めてしまいました。
実際曽祖父を埋葬する時、穴に入り土を掛けられていく曽祖父を見ながらまるで自分が死んで埋められているかのような感じを受けたのを思い出しました。
(現在は大部分の地域が火葬でしょうが、10年弱前のうちの地域はまだ土葬でした)
私はうつを発症し、大学にも行かずに下宿に引きこもり、バイトも辞めてしまいました。
666665(続きです):2001/05/19(土) 08:23
うつの気は、大学入学当初からありました。
あまり学校に行かないので単位はあまり取れませんでしたが、最初のうちは気にしませんでした。
調子がおかしい自分には気づいていましたがバイト(接客業)が忙しく、業務に差し障りはなかったので精神科
やカウンセリングには行きませんでした。
学校よりバイトに重点をおいた生活で、まあ信頼もされていたのでそれなりに楽しくやっていました。
しかし、長期休みが終わり前期(後期)授業が始まると学校にいけないのです。
バイトには責任があるので欠かさず行っていましたが、これ以上休むと試験を受けさせてもらえないってぎりぎり
まで休むという状態が続いて。
さすがに4年の前期になり、このままでは卒業できないと焦り始めました。
そのころから、バイト先はなぜか繁盛するようになり週6勤務が続くようになりました。
まあ私は学期中のウイークデーは3時間ほどしか働かなくて体力的には大丈夫だったのですが、休めないというス
トレスが溜まったようです。
その頃からおかしくなり始めました。
もちろん接客の基本は笑顔です。慣れていましたし、そつなくこなしていました。バイトの後輩の指導も一応は。
しかし、お客さんに対して無性に腹が立つようになり始めたのです。
「何で私がこいつにていねいな言葉で話さなきゃいかんのだ」
「早く買うものを決めろ、このボケ」
など、店員にあるまじきことを心の中で考えるようになり始めたのです。もちろん顔は笑顔のままですが。
これではいずれキレるかも、店に迷惑がかかると思って医者に行くことにしました。
(すいません。あと一回続きます)
667665(続きです):2001/05/19(土) 09:20
医者にはうつ病だといわれ、薬を処方されましたがすぐには改善せず、バイト先には「うつなので辞めさせて」と言って三年続いたバイトを辞め、部屋に引きこもりました。
学校にも行きません。すると学校から「娘さんが学校に来ない。このままでは卒業できない」と実家に電話が入り、翌日父が私の下宿を訪ねてきました。
私は家族の中で父が一番好きです。兄みたいに暴力振るわないし、母のように後先考えず言いたいことを言って人を傷つけることもないし。
「どうしたんや、学校にもいってないそうやな、バイトも辞めたんか?」
そう言葉を掛けられた瞬間、私は泣き出しました。荒れ放題の私の部屋の中で、父は何本かタバコを吸いながら私の話を聞いてくれました。
兄から受けた虐待のこと。曽祖父は心不全ではなく、兄が殺したんだと私は信じていること。私たち二人を家族が助けてくれなかったことを今も恨んでいること。
話しているうちに私は止めようもなく泣き、父も泣いてくれました。
私は、家族を恨むといっても父の事は恨んでません。大人しい父は婿養子で婚家の中で苦労したことは知っているし、兄が父のいる時に私に暴力を振るったときは止めてくれたし。
何より、「お父さんはお兄ちゃんとお前を同じだけ愛してるんやから」といってくれたことがあるし。
田舎の長男で跡取りである兄と私を一番差別せず扱ってくれたのは父だからです。
うちの両親は共働きで、兄妹の世話は同居の祖母がしていました。祖母は暴力を知っていましたが母と父に伝えていなかったようなのです。
「もちろん田舎では家庭内暴力は身内の恥として外に知れたら一大事になることは分かってる。祖母の価値観なら隠すのも当然だったのも理解できる。」
私がそういう祖母の状態を知っていたから私も、自分から父母や学校の先生などに思い切って告白することはなかったのです。
そうすると父は「おばあちゃんは世間体を気にしてたんや。隠したのはお前より世間体(つまり兄の将来やうちの評判)の方が大事と思ってしまったんや」と言いました。
泣きながら父は「気づいてやれなくてすまんかった。つらかったやろな。あいつはひどいことしたんやな」と謝ってくれました。
私はこの言葉を幼稚園頃から今まで15年以上も待っていた気がします。
兄からの謝罪は、私は期待していません。ここに書いたことは全て事実ですし他にもいろんな種類の虐待行為をされましたが本人は虐待だと意識していないでしょうし。
他の人からの慰めでなく、家族からの謝罪と心からの同情に初めて触れた気がします。
虐待のことを思い出すから実家には帰りたくないこと、兄によく似て相手のことを考えず言動する母と兄を甘やかして増長させ私を愛している振りをしながら自分の思い通りの「できる子」にしようとした祖母をの声を聞きたくないから電話に出たくないことも話しました。
父は「お父さんがうちの人には言っておくから。お前のしたいようにすればよい」と言ってくれました。
祖母と母と兄は自分のしたことを認識していないと思います。「悪意があってやったんじゃない」で片付けられてしまうかもしれません。
3人に心から謝ってもらったとしても許せるかどうかは分かりません。
ただ兄が将来結婚して子供を作り、その子を虐待するようなことがあれば私は間違いなく兄を殺すでしょう。
家族に衣食住整えてもらい今の年まで生きていられることに関しては感謝しています。しかし私の記憶はずっと残ります。
でも父と会って昔のことを話し、彼が聞いて一緒に泣いてくれたことで私はかなり救われました。
自殺願望もかなり減りました。
父が帰ってから、私は母に長い手紙を書いています。恨みごとになってしまうのを抑えつつ、彼女が仕事でうちにいない時に我が家に起こった虐待、それに対して私がどう思ったかなど。
それはまだ途中ですが(このカキコよりまだまだ長いです)、書き終えたら実家に送ろうと思います。
そして私自身落ち着いたら地元に一度行き、実家には寄らずに曽祖父の墓参りをしてこようと思います。
どうも長いカキコ失礼しました。読んでくださった方、目を疲れさせてごめんなさい。