>>100 こんな感じ?
「ただいま〜」
昼飯後の腹ごなしに、近所をくるりと一回りして戻ってきた。
しかしおかえりの声は聞こえてこなかった。
どうやら人がいないようだ。
「出かけたかな?」
その証拠に玄関に並ぶ靴が減っている。
そこで俺は見慣れた靴を見つけた。
栞の靴だ。
どうやら遊びに来てるらしい。
「悪いことをしたな…」
よく冷えた麦茶をコップに注ぎ、袋菓子をひとつ脇に抱えると、俺は自分の部屋へと向かった。
部屋の前に来ると、ドアが少し開いていることに気がついた。
たしか閉めて出てきたはずなんだけどな。
栞がいるのか?。
そう思ってそっと中を覗くと、人影がひとつ見えた。
ほっそりとしたワンピースの少女が一人、部屋の隅でペタリと女の子座りをして、なにかに没頭している。
栞だ。
彼女に気づかれないように部屋の中をそっと覗きこむ。
しかし、栞がこちらに背を向けているのと、机が邪魔になってよく見えない。
栞が座っているのは俺のベッドの上。
「読書でもしてるのか?」
栞らしいなと思ったが
…では一体なにを?
「……すごい」
栞の呟きが聞こえてきたのはその時だった。
俺は足音を忍ばせて部屋に近づくとドアの影にしゃがみ、耳をそばだてる。
部屋の中からは栞のゆっくりとした息遣いと、紙をめくる音が聞こえてくる。
(栞、なにか読んでる?)
ここで俺は顔面蒼白になった。
彼女が読んでいる本は、おそらく俺がこっそり買ってきたH本だ。
正直に言おう。年頃の青年がモヤモヤしないわけがない。
あれは、モヤモヤ対策に買ってきたオカズ本なのだ。
親戚の家ではしたないとは思うが、溜まるものはしょうがない。
しかし、H本を読まれたとなると栞に軽蔑されること必至。
祐一さんって不潔とか言われて、半径一メートル以内に近寄らせてもらえないかもしれない。
それはいやだ。ああ、こんなことならH本なんか買ってくるんじゃなかった。
と、心の中で嘆いた拍子に、脇に挟んでいた袋菓子がするりと滑り落ち、大きな音を立てて床に転がる。
栞の息を飲む音が、それに重なった。
本を後ろ手に隠しながら、まるでバネ仕掛けの玩具のように立ち上がる。
襖を挟んでこちらを見つめる栞の瞳は、驚きと困惑で大きく見開かれていた。
おそらく栞の心は、こっそり盗み読みした罪悪感と、Hな本を読んでいた羞恥心で一杯なんだろう。
いまにも泣き出しそうな様子だ。
しかし、栞は泣かなかった。
泣いてしまうと俺が怒りにくくなると思っているのだろうか。
瞳を涙で潤ませながらも、唇をきゅっと噛み締めて、鳴咽すら漏らさない。
「栞、そのままでいいぞ」
俺は、中の出来事など気にしていない様子で部屋に入った。
麦茶とお菓子を机の上に置いてから、朝起きたときのままになっているベッドの上に腰を下ろす。
「あの……」
かすれた声が栞の小さな口から漏れた。
しかし、彼女はそれだけ言うのが精一杯で言葉が続かない。
目の縁から、いまにも涙が溢れ出しそうだ。
「怒ってないって。俺だって、そういう本に興味がある頃ってあったからな。栞も気になってたんだろ」
栞は顔を真っ赤にすると、こくりと頷いた。
手にした本を後ろに隠し、俯いたままじっと立っている栞。
多感な少女の心を傷付けちゃいけないよな。
俺はにっこりと笑うと、布団の上をぽんぽんと軽く叩いた。
「栞も、立ってないで座りなよ」
俺に言われるがままの栞。
うーん、なんだか捕虜みたいだな。
やっぱり、気が引けてるんだろうな。
なんとか栞をリラックスさせなくちゃ。
「教えてやるよ」
俺の言葉に、栞の顔がきょとんとなる。
そして頭から湯気でも出しそうな感じで、耳まで真っ赤に染めた。
「ち、ちがうちがう。変な意味じゃないって。栞はどんな本か気になってただけで、本の内容に興味があったわけじゃないだろ」
「はい、そうなんです。でも、内容もすこし……」
ごまかすように笑うと、後ろに隠している本を俺に差し出した。
「勝手に見て、ごめんなさい」
俺はその本を受け取るとベッドの上に寝転んだ。
「いっしょに見る?」
我ながら恥ずかしいが、これも栞のためだ。
場の雰囲気もだいぶ和んできて、いつもの感じに戻ってきている。
あとは栞が、
「そんな事言う人、嫌いです」
と部屋から出て、丸く収まるというわけだ。
我ながらナイスな誘導だな。
だが、予想を反して栞はこくんと頷いてしまった。
俺の頭の中は一瞬真っ白。
気がつくと、俺の横に栞が寝そべっていた。
まずい、据膳だ。
しかし、ここは自制せねばなるまい。
俺はそんなつもりで栞を誘ったわけじゃないんだから。
一方の栞も、俺を誘っている様子はない。
たぶん俺といっしょにいる事の方が大切なんだろう。
恥ずかしいのを我慢しているのがわかる。
目の前にあるH本に視線を落とすと、栞が読んでいたのは比較的おとなしい内容の雑誌だった。
アイドル予備軍のグラビア誌で、ティーン中心だ。
だから、どぎつい裸や男女の絡みは載っていない。
女の子も水着姿や体操服がほとんどだ。
際どいのは、あっても裸で立っている写真くらいなものだ。
俺は内心ほっと胸を撫で下ろした。
「栞って、こういうのよく読むのか?」
話の繋ぎのつもりだったが、俺は馬鹿なことを聞いたなと後悔した。
読んでないから、興味があるんじゃないか。
案の定、栞は苦笑を浮かべた。
「読んだことないです。恥ずかしいですから……」
彼女はそこまで言うと、恥ずかしそうに下を向いてしまった。
やっぱり、こういう物はいっしょに見るもんじゃないな。
素直に貸してあげればよかった。
と、後悔しても後の祭り。
栞は俺が本を開くのをじっと待っている。
「じゃあ、見ようか」
じゃあというのも変だが、なにか合いの手がないことには間が持たない。
ぺらとめくると、黄色いビキニ姿の女の子の写真だった。
隅に書かれたプロフィールを見ると、18才らしい。
その割には立派な体つきだ。
プールサイドで仰向けに寝転がっている写真を見ると、熟れた果実のようなたわわな胸が、小さな水着からこぼれ落ちそうだ。
次のページには、その子が脱いだ写真があった。
自慢の胸を見せびらかすように背中を逸らし、膝立ちの姿勢でにっこりとカメラに向かって笑いかけている。
そして、少し濃い目のヘアが脚の付け根に黒々と茂っていた。
うーむ、最近の女の子は発育がいいなあ。
ちらと横を見ると、栞が自分の体つきと見比べているところだった。
「やっぱり、胸は大きい方がいいですよね」
俺の視線に気がついた栞が苦笑を浮かべる。
「いや、俺は小さい方が好きだな」
雑誌に目を落としつつ、なにげない様子でぽそりと呟く。
その俺の言葉に栞は、にこ〜っと微笑む。
嬉しいというより、俺とのやり取りが楽しいといった感じだ。
栞の機嫌はすっかり治っていた。
そうなると、女の子の方が意外に大胆だ。
ページをめくる度に、きゃ〜とか、すごいですーとか言いながらも視線は雑誌に釘づけ。
俺はと言えば、年甲斐もなく恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた。
スクール水着の女の子が青い海の砂浜で遊んでいる写真のページをめくった時だった。
その子はロウティーンで、少女といった方がいいだろう。
胸や腰は薄っぺらい肉付きで、手足も折れてしまいそうに細かった。
長い黒髪をポニーテールに編んだその少女は、無邪気な、それでいて挑発的なポーズでこっちをみて笑っていた。
そのページの隅に折り目が付いていることに、栞が気づいた。
「あれ?」
そう言いながら、折れているところを伸ばしてみるが、その下には何も隠れていない。
ページの隅についた、きっちり四五度の折れ線は自然に出来たものとは思えない。
これは俺がつけたものだ。
写真の女の子が、栞体系だったから……。
不思議そうにしていた栞だったが、どうやら折り目の意味に気がついたようだ。
「えっと、祐一さん」
恥ずかしそうに頬を染めながら、栞が俺に聞いてきた。
「私の裸……見たいですか?」
すこし上目遣いに俺を見上げながら、あどけない笑みを浮かべる初音ちゃん。
来た! いけない遊戯の次の一手だ。
ここで見たいと解答してしまうと、後には引けない状況になってしまうこと必定。
俺は煩悩をぐっと押さえつけると、
「え、いや別に……」
と答えた。
しかし、緊張のため俺の喉はからからで、思うように声がでなかった。
そのため、そっけない調子になってしまった。
その言葉を聞いたとたん、栞の元気がシュンと萎んだ。
しまったと思った時は、もう手後れ。
あわてて取り繕おうにも、なんと言葉をかけていいのか台詞が浮かばない。
「ありがとうございます、祐一さん。もういいです」
栞は俺の手を本からどけると、表紙を閉じた。
「あ、栞」
立ち上がった栞の手を取ろうとしたが、彼女はさっと身を翻すと俺の部屋から走るようにして出ていってしまった。
一人残された俺はため息をつき、すっかり温くなってしまった麦茶を一気に飲み干すのだった。