Leaf&Key仮想戦記〜永遠の遁走曲篇〜

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313涙を堪えて
 日曜日。平日の疲れを癒し、新たな鋭気を養う日。
 本来なら中上は、家でじっくり休養をとるはずだった。
 OHP掲示板管理人というのは、とりわけ心身に負担がかかる仕事であるため、
 こういった休みは非常に貴重なのだ。
 しかしその日は……。

「ふあ〜あ」
 布団から起き、大欠伸をする中上。
 仕事の癖が身体に染みついてしまい、どうしても早朝に目が覚めてしまう。
「俺も年をとったかな……。若い頃は平気で朝寝坊していられたんだが」
 中上は昔を思い出して苦笑した。そういえば、それでよく下川に怒られていたっけ。
 あの人は見かけによらず時間には厳しいからな。
 そう思いながら、中上はもう一度床についた。
 ――ちょうど同時刻、Leafの掲示板で何が行われていたか。
 その時の中上には、知るよしもなかった。

 正午近くになって、再び目が覚めた中上は、何気なくパソコンのスイッチを入れた。
 ブラウザを起動し、Leafの掲示板へ。
 これもまた、若い頃より続けている中上の癖だった。
 最近めっきり書き込みが少なくなってしまったが、
 それでも、自分達を応援してくれるファンの声は、とても嬉しい。
 疲れた時や嫌な事があった時、ここの書き込みを見て、何度勇気づけられたことか。

 ……数秒後、中上の眠気が飛んだ。

 中上は急いで、Leaf本社へ向かった。
 自分の責務を全うする為に。
「何故……、何故、あんなことをするんだっ……」
 中上の声は震えていた。

 OHPの掲示板は、2ch葉鍵板の心ない住人によって、荒らされていたのだ。
314涙を堪えて:2001/07/09(月) 06:48
「さっさと削除する。書いた奴のIDもな。それで終わりだ」
 会社に着いた中上は、わき目もふらず、足早にマシンルームへ向かった。
 怒りにまかせて、乱暴に扉を蹴り飛ばす。
 それは、普段の温和な彼からは、想像もつかないような行動だった。

 マシンルームに入った中上は、一人の人物の後ろ姿に目をとめた。
「青紫……?」
 名前を呼ばれた男は、ゆっくりと後ろを振り返った。
「……やあ。中上か」
 中上は慌てて青紫の元へ駆け寄った。
「どうしたんだ、こんな休日に」
 そこまで言って、ふと、脇のパソコンに視線を移す。
「……」
 OHPの掲示板。
 中上が今朝見たものより、はるかに悪質な書き込みが増えていた。
 その書き込みのほとんどが、青紫に対する中傷だった。

「お前、ずっと一人で、これを見ていたのか……」
 青紫は黙って、頷いた。
「待ってろ。今俺が消してやる!」
 中上は慣れた手つきで管理者コマンドを入力し、悪質な書き込みを削除する。

「……終わったぜ」
 中上は、横で見ていた青紫にそう言った。
「……ああ」
 そう答えた青紫の声は、憔悴しきっていた。
 そんな青紫の表情を見て、中上はまた怒りがわいてきた。
315涙を堪えて:2001/07/09(月) 06:49
 再びキーボードを打ち始める中上。
 叩く指に力がこもり、ひっそりとしたマシンルームにキーボードの硬い音が冷たく響く。
「今後は、誹謗書込投稿者のメールアドレスを公開します、と、これでどうだ!」
 そこまで打ち込んで、送信。
 もうこれ以上、仲間に悲しい思いをさせたくない。
 そう考えた中上の、とっさの行動だった。

「これで今後、あんなふざけた書き込みは無くなるだろう」
 中上はニヤリと笑って、青紫の顔を見た。
 しかし青紫は、悲しい表情をしたまま、
「……これは駄目だ、中上」
 そう言った。

「俺、ずっとここで掲示板を見ていたから知っているんだけど、
 このアドレス、あの書き込みをした本人のものじゃない。
 2ちゃんねるで勝手にアドレスを公開した奴がいる。おそらく本人の知らぬ間に。
 それを使った、不特定多数の人間による書き込みだよ」
「何だって!」
 中上は信じられないといった顔をした。それが本当なら、立派な犯罪ではないか。
 2ちゃんねるの人間は、そこまで良識を知らない者ばかりなのか。
 怒りを通り越して、もはや呆れる他はなかった。

「とりあえず、今のお前の書き込み、消したほうがいい」
「……ああ」
 中上は黙って、自分の発言を削除した。
「……」
 その後、しばらくの沈黙。
 二人は何もしゃべらず、ただ、パソコンの画面を眺めていた。
316涙を堪えて:2001/07/09(月) 06:51
 やがて、中上が口を開いた。
「2ちゃんねるか……。正直、失望したな。
 昔はユーザーの正直な感想が聞ける貴重な場として、俺達もよく利用してたんだが……」

「こんな奴らが俺達の悪口を書き殴っているんだから笑わせる。なあ、青紫」
「……」
 青紫は黙って首を振り、否定した。
「彼らの行動は、今のLeafに対する不満からきているものだろう。
 責められるべきなのは、俺達……いや、誰彼のシナリオを担当した、俺個人さ」

「おいおい」
 中上は慌てて、青紫の言葉を否定した。
「あれはしょうがないじゃないか。チップアニメという表現を前面に出すために、
 シナリオはあえて必要最低限の描写にとどめる、って決まりだっただろ?
 それに、わざと伏線を書かないことによりユーザーの想像力に任せる、って方針だったはずだ。
 お前の責任じゃない。それに……」
 中上は拳を握りしめた。

「2ちゃんねるの奴らは、面白がってお前を叩いているだけだ。
 誰彼の文章は、どう考えたって、あんなに叩かれるべきものじゃない。
 単にあいつらのネタとして使われてるだけなんだよ、お前は。
 ……なあ青紫。悔しくないのか? お前、原田のプロットを活かすために
 あれだけたくさんの資料を見て、勉強してたじゃないか。
 他人が考えた企画の後を継ぐのが、どれだけ難しいか。
 それを、お前はやりとげたんだ。それなのに、あんなに叩かれて……っ……」
 中上の目には、うっすらと涙がたまっていた。
「なあ、悔しくないのかよ、青紫っ……」
317涙を堪えて:2001/07/09(月) 06:52
「……中上」
 青紫はすこし笑って、言った。
「つまらないゲームを買わされた人達のほうが、よっぽど悔しいと思うよ。
 だから俺に、悔しがる資格は無いんだ」
「青紫……」
「俺なんかの事で泣いてくれるなよ、中上。お前の優しさは嬉しいが、
 俺達が流す涙は、ユーザーに自分達の気持ちが届いたときの、嬉し涙だけでいいはずだ。
 だから……」
 青紫は立ち上がり、中上に背を向けた。
「俺は堪える。これからも、ずっと」

「青紫!」
 中上は叫んだ。
「俺も、下川社長も、いや、スタッフ全員が、お前を信じているからな。
 今までのお前は、他人の企画に無理に合わせてたせいで、本来の力が出し切れなかっただけだ。
 お前なら、必ず、人を感動させるシナリオが書ける!
 その時は、お前を馬鹿にしていた2ちゃんねらーの奴らを、思いっきり笑ってやろうぜ!」

「……ありがとう、中上。だけど、笑えるかどうかは自信がないな。……その時はきっと」
 青紫は、中上に背を向けたまま言った。
「俺は、嬉し涙で、それどころじゃないだろうからね」