日曜日。平日の疲れを癒し、新たな鋭気を養う日。
本来なら中上は、家でじっくり休養をとるはずだった。
OHP掲示板管理人というのは、とりわけ心身に負担がかかる仕事であるため、
こういった休みは非常に貴重なのだ。
しかしその日は……。
「ふあ〜あ」
布団から起き、大欠伸をする中上。
仕事の癖が身体に染みついてしまい、どうしても早朝に目が覚めてしまう。
「俺も年をとったかな……。若い頃は平気で朝寝坊していられたんだが」
中上は昔を思い出して苦笑した。そういえば、それでよく下川に怒られていたっけ。
あの人は見かけによらず時間には厳しいからな。
そう思いながら、中上はもう一度床についた。
――ちょうど同時刻、Leafの掲示板で何が行われていたか。
その時の中上には、知るよしもなかった。
正午近くになって、再び目が覚めた中上は、何気なくパソコンのスイッチを入れた。
ブラウザを起動し、Leafの掲示板へ。
これもまた、若い頃より続けている中上の癖だった。
最近めっきり書き込みが少なくなってしまったが、
それでも、自分達を応援してくれるファンの声は、とても嬉しい。
疲れた時や嫌な事があった時、ここの書き込みを見て、何度勇気づけられたことか。
……数秒後、中上の眠気が飛んだ。
中上は急いで、Leaf本社へ向かった。
自分の責務を全うする為に。
「何故……、何故、あんなことをするんだっ……」
中上の声は震えていた。
OHPの掲示板は、2ch葉鍵板の心ない住人によって、荒らされていたのだ。
「さっさと削除する。書いた奴のIDもな。それで終わりだ」
会社に着いた中上は、わき目もふらず、足早にマシンルームへ向かった。
怒りにまかせて、乱暴に扉を蹴り飛ばす。
それは、普段の温和な彼からは、想像もつかないような行動だった。
マシンルームに入った中上は、一人の人物の後ろ姿に目をとめた。
「青紫……?」
名前を呼ばれた男は、ゆっくりと後ろを振り返った。
「……やあ。中上か」
中上は慌てて青紫の元へ駆け寄った。
「どうしたんだ、こんな休日に」
そこまで言って、ふと、脇のパソコンに視線を移す。
「……」
OHPの掲示板。
中上が今朝見たものより、はるかに悪質な書き込みが増えていた。
その書き込みのほとんどが、青紫に対する中傷だった。
「お前、ずっと一人で、これを見ていたのか……」
青紫は黙って、頷いた。
「待ってろ。今俺が消してやる!」
中上は慣れた手つきで管理者コマンドを入力し、悪質な書き込みを削除する。
「……終わったぜ」
中上は、横で見ていた青紫にそう言った。
「……ああ」
そう答えた青紫の声は、憔悴しきっていた。
そんな青紫の表情を見て、中上はまた怒りがわいてきた。
再びキーボードを打ち始める中上。
叩く指に力がこもり、ひっそりとしたマシンルームにキーボードの硬い音が冷たく響く。
「今後は、誹謗書込投稿者のメールアドレスを公開します、と、これでどうだ!」
そこまで打ち込んで、送信。
もうこれ以上、仲間に悲しい思いをさせたくない。
そう考えた中上の、とっさの行動だった。
「これで今後、あんなふざけた書き込みは無くなるだろう」
中上はニヤリと笑って、青紫の顔を見た。
しかし青紫は、悲しい表情をしたまま、
「……これは駄目だ、中上」
そう言った。
「俺、ずっとここで掲示板を見ていたから知っているんだけど、
このアドレス、あの書き込みをした本人のものじゃない。
2ちゃんねるで勝手にアドレスを公開した奴がいる。おそらく本人の知らぬ間に。
それを使った、不特定多数の人間による書き込みだよ」
「何だって!」
中上は信じられないといった顔をした。それが本当なら、立派な犯罪ではないか。
2ちゃんねるの人間は、そこまで良識を知らない者ばかりなのか。
怒りを通り越して、もはや呆れる他はなかった。
「とりあえず、今のお前の書き込み、消したほうがいい」
「……ああ」
中上は黙って、自分の発言を削除した。
「……」
その後、しばらくの沈黙。
二人は何もしゃべらず、ただ、パソコンの画面を眺めていた。
やがて、中上が口を開いた。
「2ちゃんねるか……。正直、失望したな。
昔はユーザーの正直な感想が聞ける貴重な場として、俺達もよく利用してたんだが……」
「こんな奴らが俺達の悪口を書き殴っているんだから笑わせる。なあ、青紫」
「……」
青紫は黙って首を振り、否定した。
「彼らの行動は、今のLeafに対する不満からきているものだろう。
責められるべきなのは、俺達……いや、誰彼のシナリオを担当した、俺個人さ」
「おいおい」
中上は慌てて、青紫の言葉を否定した。
「あれはしょうがないじゃないか。チップアニメという表現を前面に出すために、
シナリオはあえて必要最低限の描写にとどめる、って決まりだっただろ?
それに、わざと伏線を書かないことによりユーザーの想像力に任せる、って方針だったはずだ。
お前の責任じゃない。それに……」
中上は拳を握りしめた。
「2ちゃんねるの奴らは、面白がってお前を叩いているだけだ。
誰彼の文章は、どう考えたって、あんなに叩かれるべきものじゃない。
単にあいつらのネタとして使われてるだけなんだよ、お前は。
……なあ青紫。悔しくないのか? お前、原田のプロットを活かすために
あれだけたくさんの資料を見て、勉強してたじゃないか。
他人が考えた企画の後を継ぐのが、どれだけ難しいか。
それを、お前はやりとげたんだ。それなのに、あんなに叩かれて……っ……」
中上の目には、うっすらと涙がたまっていた。
「なあ、悔しくないのかよ、青紫っ……」
「……中上」
青紫はすこし笑って、言った。
「つまらないゲームを買わされた人達のほうが、よっぽど悔しいと思うよ。
だから俺に、悔しがる資格は無いんだ」
「青紫……」
「俺なんかの事で泣いてくれるなよ、中上。お前の優しさは嬉しいが、
俺達が流す涙は、ユーザーに自分達の気持ちが届いたときの、嬉し涙だけでいいはずだ。
だから……」
青紫は立ち上がり、中上に背を向けた。
「俺は堪える。これからも、ずっと」
「青紫!」
中上は叫んだ。
「俺も、下川社長も、いや、スタッフ全員が、お前を信じているからな。
今までのお前は、他人の企画に無理に合わせてたせいで、本来の力が出し切れなかっただけだ。
お前なら、必ず、人を感動させるシナリオが書ける!
その時は、お前を馬鹿にしていた2ちゃんねらーの奴らを、思いっきり笑ってやろうぜ!」
「……ありがとう、中上。だけど、笑えるかどうかは自信がないな。……その時はきっと」
青紫は、中上に背を向けたまま言った。
「俺は、嬉し涙で、それどころじゃないだろうからね」