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『I still remember you.』

 1.

 この世界に、喪失の痛みを知らない者は無い。何も知らない
赤ん坊でさえ誕生の間際、半身を失った悲しみに泣き立てる。
 それが、ただの勘違いであったとしても──。

「永遠なんて、なかったんだ」
「…浩平…?」
「あはは…手が動かないよ…」
「本当に一弥は幸せだったんでしょうか」
「あの子は、相沢さんに災禍を見舞いにきたのですよ」
「この人……茜の、知り合い?」
「りょ…良祐…?」
「どうして…助けて…くれなかったの…?」
「うわぁぁああーんっ!」
「あたしひとりじゃ守れないよっ…」
「間に合わなかった…」
「…あたしに妹なんていないわ」
「ねぇみさき、ドラマ見た? 最終回?」
「わたし、もう笑えないよ…」
「おかあ…さん…?」
「わたしひとりで幸せにできる自信が、ないから……」

 喪失を知らずにいられれば、それは幸せなのだろうか。
 忘れてしまえば、それで全てが終わるのだろうか。
 たとえ何も得るものが無いとしても?
 これから得るものが、失うものより大きいなどと、誰もが
楽観的になれるだろうか? そして、望まないだろうか?
苦しみの存在しない歓喜の園を。

 傷つかないが為に、移ろわない世界。
 それは、永遠。
 2.

「次の週末に人類は滅亡だ」

 人気のない学校の屋上で──人気のないのは学校に限った話
じゃないけれど──浩平は誰にでもなく呟いた。そんなこと、
今さら教えられなくたって、みんなとっくに身をもって知って
いる。
 浩平のそばに座る瑞佳が、膝の上に頬をのせ浩平を見つめた。

「わたしと浩平、どっちが先かな。浩平、寂しがり屋だから、
わたしが見送る方だと良いんだけど。でなきゃ、泣いちゃうでしょ?」
「そりゃこっちの台詞だ…」

 突如として、霞のように人間が消滅してしまう──。

 学者達が『サドゥン ロスト』と名付けたその現象は、ある日
何の前触れもなく始まった。世界中の有識者がこの不可解な現象を
理解しようと試みたが、何一つ具体的な答えを出せないまま、
また一人、また一人と姿を消していった。
 人種、国籍、イデオロギー、老いも若きも、性の別さえ、その
現象には関わりのないことでしかなかった。
 管理する人間の消失による災害を危惧し、幾多の施設や市街地が
放棄され、人々は一つ所に身を寄せ合い、消失の恐怖に身を震わせ
ながら、細々と猶予期間を過ごしていた。
 何か協調して助け合うわけでもない。どうせ物資を使い果たす
前に全てが終わるのだ。ただ、傷を舐め合うだけの場所だった。

「きっと、次の週末を迎える頃には全人類が消失しているだろう」

 それが、浩平と瑞佳が身を寄せる集落での共通の見解だった。
既に両手に余るほどの人数しか残されたていなかった。

 そして週末、浩平と瑞佳は世界に二人ぼっちになった。
 3.

「どうなるのかな、わたしたち」
「…とにかく、生きてくしかないだろう」
「浩平、今ならまだ間に合うよ?」
「…何が」
「だから、二人いっしょで、死…」
「馬鹿っ! そんなこと言うなっ!」
「だって! だって、次はわたしたちなんだよ!? わたしが
いなくなったら浩平どうするの!? わたし、駄目だよ。一人
なんて耐えられないよ。今までだって、死んじゃうくらいに
悲しかった! お母さん、お父さん、友達、みんないなくなった!
でも、浩平がいたから、わたし頑張ったんだよ。だから…」
「俺だって同じだよ。瑞佳がいるからまだ立っていられるんだ。
絶対、瑞佳を一人になんてしないから、だからもうそんな事は言うな」
「…信じていいの?」
「ああ、いつもふざけてばかりだったけど、今度は違う。ずっと
一緒だ。約束する」

 二人は互いの体を、痛みを伴うほど強く抱きしめた。その感覚が、
互いの存在を強く実感させるのだった。少なくとも、こうしている
間だけは、消失しないのではないかと思った。

「…わたしたち、まるでアダムとイブだね」
「ああ、そうだな」
「イブはね、アダムが居眠りしてる間に悪戯しちゃうんだよ」
「それは困るな。悪戯、するのは好きだけど、されるのは苦手なんだ」
「だから…。ずっとわたしを離さないでね…」
 4.

 二人は新たな居所を山岳部に求めた。かつて破棄された牧場の跡地。
その際、放逐された家畜が野生化し、生き延びているかも知れない
からだ。これからは電気、ガス、水道といった他人に頼る生活資源を
あてには出来ない。ライフスタイルをより原始的にする必要があった。
 まだ人慣れしている動物を再び飼育し、畑に種をまく。当分の間は
残された物資をあてに出来たが、二人はこれから先、何十年も先を
見据えねばならなかった。
 そうすることで、互いを失う恐怖から目を逸らしていたのだ。

「俺たちの他に誰か生き残りがいるんじゃないかな」
「でも、ここに来るまでだって、誰にも会わなかったよ?」
「それは、数少ないからだよ。俺たちがこうして残っているんだ、
絶対どこかにいるさ」

 二人は再び旅に出ることにした。
 居所を中心とした円を範囲に、生き残りを探し求める旅だ。

 当面必要な物資を車に積み終え、浩平は汗を拭った。家に戸締まり
をしてまわる。無意味な習慣ではあったけれど、そうしなければ、
自分たちがより一層孤独に感じられてしまうので、結局やめること
が出来なかったのだ。

「瑞佳ー、そっちはどうだー? 準備出来たかー?」

 縦に長い家屋の奥にあるキッチン。そこにいるはずの瑞佳に声を
かけるが、返事がなかった。

「瑞佳…?」
 5.

「おーい、瑞佳ぁ? トイレか? まったく、どんくさいヤツだなぁ」

 キッチンには炒ったばかりの豆がそのまま残されていた。とりあえず
それを袋に詰め込み、それでなお瑞佳が戻ってこないので、浩平は
不安になってきた。

「外か…? おーい! 瑞佳ー! いたら返事しろー! いなくても
返事しろーって、出来るわけがないよな、はは」
「……瑞佳! 瑞佳!! 嘘だろ、また俺をからかってんのか?
泣いたりしないぞ、前にも言ったじゃないか。どうせ俺が泣き出したら
ひょっこり出てきて『やっぱり泣いたでしょー?』って笑うつもりなん
だろ?」
「なあ、俺が悪かったよ。学校行ってた頃、いつもお前をからかって
ばっかりでさ…。でもな、今から思えばあれはお前に甘えてたんだよ。
素直になれないガキのひねくれだったんだ。悪気があったんわけ
じゃなくて……」
「だから、もういいよ…。な、瑞佳! どこにいるんだ!? もう
俺の負けだ。降参だ! 早く出てきてくれ」
「でないと、本気で怒るぞ…。タチが悪い冗談だろ、なぁ…」

 浩平は力無く床にぺたりと座り込み、ややあってから、彼女の名を
呼んだ。ありったけの力で、喉が張り裂けんばかりに、叫んだ。
息が続かなくなるまで、叫び続け、耐えきれず咳き込み、そして、
泣き叫んだ。
 涙が水溜まりをつくり、それが痕を残して乾いた頃、いつの間にか
眠ってしまっていた浩平は目を覚まし、何が起こったのかを思い出し、
もう一度、瑞佳の名前を呼びながら、泣いた。

「やっと、二人きりになれた」

 彼女はそう、浩平に呼びかけた。
 6.

「み、瑞佳…?」

 浩平は彼女の姿に、自らの理性を疑った。孤独と絶望が見せる
幻かと思った。だが、そうではなかった。
 幼い日の瑞佳の姿で、彼女は笑った。

「…みずか…」

 そして浩平は全てを悟った。もうずっと前に振り切った筈の過去が、
世界を巻き込みつつ自分に迫ってきたのだと。彼女が愛する者の敵で
あると。

「浩平が悪いんだよ。あたしはずっと一人だったのに、約束だった
のに、盟約だったのに、それを裏切ったから」
「これは夢か? 現実じゃないのか? 俺はまた気づかないうちに、
『あそこ』にいるのか!?」

 みずかは浩平を馬鹿にしたように、口元を歪めた。幼い顔に似つ
かわしくない、嘲笑的な表情だった。

「何言ってるの? 夢とか現実とか、あたしにはわかんないよ。
浩平は浩平の世界で生きてるだけじゃない。それだけだよ」
「…お前なのか…。お前が瑞佳を消したのか…」
「瑞佳が一番、時間かかっちゃった。きっと浩平が選んだ人だから
だね。でも、これでお終い。もういないよ。だって、痛みを知らない
人なんて、存在しないんだから」
「返せ…。瑞佳を返せ!! 俺の瑞佳を…!!」
「もう遅いよ。…それに、瑞佳の傷を作ったのは浩平でしょ?」
「…返せえッ!!」

 浩平の手が、みずかの細い首にかかる。ぎりぎりと締め上げると、
「ひぅ」と空気が洩れる音がした。顔を赤黒く変色させながら、
その行為を受け入れるかの様に、みずかは浩平の腕に手を添え、
そして微笑んだ。
 7.

「おとうさん!」
 幼い我が子に体を揺さぶられ、浩平は目を覚ました。
「ああ、寝ちゃってたか…」
「お父さん、すっごく苦しそうだったよ? 怖い夢、見てたの?」
「…いや、ちょっと昔の夢をな…」

 浩平は洗面所で顔を洗うと、その間も傍で待っていた子供と
一緒に、寝室に向かう。そこでは、彼の愛する者が、彼の訪れを
待っていた。

「どう? 調子は?」
「…あまり良くない」
「そうか…。なぁ、俺、やっぱり街に出るよ。期限切れかも知れない
けど、薬がないとどうにも出来ないよ」

 初めはただの風邪だった。だが、その油断がまずかった。突然、
床に伏せった彼女の病気は、浩平の素人判断ではあるが、どうやら
髄膜炎らしかった。菌が脳脊髄にまで入り込んでしまったのだ。

「…駄目。どうせどこにも残ってないよ。せめて最後は、傍にいて」
「馬鹿…。そんな弱気になってどうする。みさおだって、お前がいな
くなったらどうなるか…」
「ふふ、一番泣くのはきっと浩平だよ」
「…お母さん、いなくなるの?」
「そんなことあるもんか」
「…浩平、みさお…」

 浩平は彼女の側に寄り、彼女と我が子を両手で抱いた。訣別の時が
来たのだと、予感した。
 8.

「浩平、今までずっとありがとう…。あれからの17年、あたし、
本当に幸せだった…。幸せで、幸せで、不安になって独りでこっそり
泣いちゃうくらいだった…」
「俺だってお前がいたから…」
「…本当はあたし、嘘ついてた」
「もういいから」
「こんなの、浩平の世界じゃないよ」
「もういいんだ…」
「これはあたしの世界。あたしが浩平を独り占めしたくて…。それだけ
が理由の……。だから、もう終わるね」
「みずか……」
「あの日、浩平があたしを許してくれなかったら、きっとそれで全て
終わってたんだよ。ねぇ、最後に一つ、お願い聞いてもらえる?」
「最後なんかじゃない」
「…お願い」
「……わかった」

 みずかは蒼白な顔のまま、薄い笑顔を浮かべた。

「忘れないで」
「ああ」
「忘れないで」
「忘れないさ」
「あたしたちのこと、忘れないで…」
「絶対、覚えてる」

 ぽろぽろと大粒の涙が彼女の頬を伝う。顔を寄せていたから、浩平も
二人の娘も、みずかの涙に濡れた。

「お父さん、わたしたちのこと、忘れないでね」
「忘れるもんか…。二人のこと、俺は絶対に忘れない」

「俺はもう二度と、忘れたりしない」
 9.

 もし夢の終わりに、勇気を持って現実へと踏み出す者がいるとしたら、
それは──。

「ゆっくりと、夜が白み始めていた」
「遅刻はしたけど…間に合ったよね?」
「約束は守ってくださっているようですね」
「…だって、帰ってきてくれたから」
「だから私は戻ることができた」
「こんな時は…泣いていいんですよね…?」
「だって、可哀想じゃないですか」
「ほんとうに悲しいときはね、泣いたって構わないのよ」
「そして、今、わたしは幸せだった」
「どっちの角度から見ても、それは幸せなんだ」
「楽しいことが先に待つときには、そういうもんなんだ」
「無邪気な日々の始まり」
「…始まりには挨拶を」
「どこまでも、一緒に…」
「ずっと先ゆく季節を生きてゆくんだよ」

 それはきっと、傷つくことを恐れない、人の勇気の誉れなんだ。
 10.

「今日は雨が降るかもね」
「なんで?」
「だって、浩平がわたしが起こすより先におきてたんだもん」
「そんな日もあるだろ」
「うん、ただ珍しいなって思ったんだよ」
「瑞佳。俺、早く二人の子供が見たいな。名前も考えてあるんだ」
「わたしも子供は好きだよー。誰が産むの?」
「お前が」
「…誰の?」
「俺との」
「……ええっ!? こ、浩平、急に何言ってるんだよっ」
「珍しいついでだよ」
「だ、だだだだって、わたしたちまだ高校生だし、それに…」
「来年、卒業したら結婚しよう」
「そ、そんな、急に言われても、心の準備が」
「だから今、言ってる」
「ほ、本気なの…?」
「俺はいつだって本気だ。瑞佳は嫌なのか?」
「い、嫌じゃないよ! …嬉しいよ。で、でも、本当に信じていいの?
今さら冗談だなんて言わない?」
「言わない。約束する」
「生活とか、大変だよ?」
「大丈夫、俺がなんとかする。俺が瑞佳を守るよ。──たとえ世界中に
二人きりになったとしても」
「浩平……」

「俺はもう二度と、大切なこと、忘れたりしないから」


『I still remember you.』 終わり。