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114one and only 1
浩之はぼんやりとマルチを眺めていた。マルチは浩之とは壁一枚で
隔てられた隣の部屋にいた。壁には大きな窓があり、隣の部屋を一望
できるようになっていた。マルチはそこで防塵服を来た男に何かの
機械をあてがわれながら話していた。声はここまで聞こえてこない。
 彼らは来栖川重工中央研究所に来ていた。マルチの何度目かになる
定期メンテナンスのためだ。いつもはマルチひとりで来ていたが、
浩之は興味に駆られ同行を申し出たのだ。
「いいですよ。主任さんも一度一緒に来てもらえ、とおっしゃって
いましたし」

 というわけで浩之はここまでついてきたのだが、当然することもなく、
作業室の隣のコントロールルームで暇をもてあましていた。ちなみに
マルチのいる作業室とこことは隣り合わせてはいるが、更衣室で防塵服を
着込み、エアシャワーを浴びなければ彼女のもとへは辿り着けない。
頼めば入れてもらえるかもしれないが、そうしたところで手持ち無沙汰は
変わらないだろうと思い、浩之はここで待っていた。
 マルチが作業室に入っていってから小一時間は経とうとしているが、
検査は一向に終わる気配を見せない。浩之はここに来たことを後悔し
はじめていた。と、浩之の背後のドアが開き、一人の男が入ってきた。
振り向くと白衣を着て眼鏡をつけた中年の男が立っていた。浩之はこの男を
どこかで見たような気がした。
「やあ、藤田君」
 男は親しげに浩之に笑いかけた。
「はじめまして、じゃあないな。いちど君の家の近くの公園で話をしたこと
があるが、覚えているかね?」
 そこまで聞いて浩之は思い出した。
「……ああ、ハトの」
「いや、あの時は失礼した。名乗るわけにはいかなかったのでね。申し遅れたが、
私はこういう者だ」
 手渡された名刺を見ると、『来栖川重工中央研究所 第七開発室HM開発課
開発主任 長瀬源五郎』と書いてある。
「じゃああんたがマルチがいつも言ってる主任さんか。あいつが自分の話を
するときは必ずあんたの名前が出てくるぜ」
 長瀬は少し照れたような笑みを洩らした。
「少し話につきあってくれないかね?」
115one and only 2:2000/08/22(火) 22:08
 浩之は絶句した。頭の中にいくつもの疑問が浮かび上がる。が、それと
同時になんとなく納得できるような気もした。それにしてもなぜこの男は
そんな話を自分にするのか。とりあえず浩之は疑問を投げかけることにした。
「どういうこった?マルチと同じものを作ればマルチになるんじゃないのか?」
「基本的には、そうだ。メイドロボの動作に影響する要素は大きく2つに分け
られるんだ。マルチを例にとって言えば、ひとつはハードウェア、つまり
マルチの体そのものだ。もうひとつはソフトウェア、マルチの脳と言っても
いいだろう」
「脳はマルチのコンピュータじゃないのか?」
「MPUは、ああ、平たく言うとコンピュータだが、ソフトウェアなしでは
動かない。つまりハードウェアとソフトウェア、この2つが組み合わさって
人間の脳と同じような働きをするんだ。ここまではいいかね?」
「ああ、なんとなくだけどな」
 浩之に確認を取ると長瀬は先を続けた。
「ソフトウェアは一般的にさらに2つに分けられる。プログラムと、データだ。
プログラムはマルチの行動基準を表したものだ。人間で言えば腹が減ったら
物を食べる、眠くなったら寝るといった感じだね。実際はずっと複雑だが。
データは、まぁ、人間の記憶のようなものだ」
「う〜ん、いまいちぴんとこねーな」
「それはそうだろう。人間の脳とコンピュータとでは構造が違う。今の例も
かなり無理をしているからね。一般的には、と言ったのは、マルチの場合
プログラムとデータが一体化しているからだ。こうすることで、少しは人間の
脳に構造を似せることができる。MPUを脳そのものに見たて、ソフトウェアを
ニューロンのパターンと考えれば……」
「おい、話が逸れていってねーか?」
116one and only 3:2000/08/22(火) 22:09
 長瀬は我に返ったという表情で眼鏡を直した。
「ああ、すまんすまん。このあたりのことを話し出すとどうもね……。簡単に
言うと、マルチと他のHMX-12――マルチは7体目の個体だ――とは基本となる
ソフトウェアはほぼ同じだ。マルチ以降にテストした個体に至ってはベースは
完全にマルチと同じだ」
「感情を持ったロボットの研究はマルチで打ち切りじゃなかったのか?」
「そうは言っていない。売り物にはならないとはいえ、これは画期的な進歩
なんだよ。当然その技術も将来何らかの商品に転用される可能性も……おっと」
 長瀬はまた眼鏡に手をやった。
「話を戻そう。そのベースとなるソフトウェアに起動後からの体験が積み重なって
それぞれの個体差、人格というものが出来あがるというのが理論上の話だ。
ところがマルチを除く他の個体は、あるものは感情が芽生えるまでには至らず、
またあるものは感情のようなものが形成されたと思ったそばからプログラムが
暴走する。人間でいえば精神が崩壊するようなものだな」
「じゃあマルチのソフトウェアをそのまま他のロボに使えないのか」
 浩之は当然の疑問を口にするが、長瀬はぴしゃりと言い放った。
「君はマルチと全く同じ性格や記憶を持ったメイドロボを他の人たちに使って
欲しいのかね?すべての個体が同じ性格や共通の記憶を持つものが、本当に
感情と呼べると思うかね?」
 浩之は返答しなかった。答えは決まっているではないか。長瀬もあえて
答えを聞こうとはしない。
「一度起動したソフトウェアはすでに我々の手を離れる。先ほども言ったが
プログラムとデータに明確な区別がないため、解析が不可能に近いんだ。
少なくとも現在のところはね。従ってマルチの記憶だけを切り離すことすら
できない」
「……八方塞がりか」
「そういうことだ」
 浩之は作業室の方を向いた。マルチと目が合う。マルチはこちらに向かって
嬉しそうに何かを言って大きく手を振っている。声は聞こえないが、口の
動きからすると『浩之さ〜ん』とでも言っているのだろう。浩之も彼女に対して
小さく手を振ってみせた。世界にひとつの感情を持ったメイドロボ。それは
奇跡と言ってもいいのかもしれない。
「わかっていると思うが、あの子の心にとっては君の存在が大きな拠り所と
なっている。君の話を聞けば何かわかると思って来てもらったわけだが……」
 ここまで聞いて浩之はひとつの事柄に思い当たった。
「テスト最終日の夜……」
「そのことはこちらでも検討済みだ。だがそれは彼女の自我に大きな影響を
与えたのは確かだが、その時点では既に彼女の自我は目覚めていたと言っても
いい」
「なっ……!」
117one and only 4:2000/08/22(火) 22:09
 浩之は赤面した。顔が火照ってくるのがはっきりとわかる。
「当然だよ。彼女の頭の中を覗くことができない以上、視覚情報や聴覚情報
くらいは拾っておかないとテストにならんだろう」
 浩之が二の句を告げないでいると、長瀬はさらに続けた。
「念のために言っておくが、テストだからこその処置だよ。君がマルチを
購入した時点では既にその機能は取り外してある」
 その言葉を聞いて彼は少し落ちつきを取り戻した。気を取りなおして言葉を
紡ぐ。
「じゃあ初めて会ったときはどうだ?メイドロボに世話を焼く物好きもそうそう
いないだろ。現に同じクラスの連中にパシリやらされてたわけだし」
「その後も君はなにくれととなく彼女の面倒を見てくれたね。確かにそういう
環境におかれたのは後にも先にもマルチだけだ。しかしそうなると」
「メイドロボとしては使えねーな」
「そうだ。愛玩用としても考えられなくはないが……おい、君は何を想像して
いる?もちろんセックスのためではないよ」
 顔色を読まれ、浩之はすこし焦って笑った。
「どちらにせよ、愛情を注がれなければ感情が育たないようでは商品としての
価値は無いに等しい。出荷前にそういう環境を作ってやることも検討されたが
どうもね……」
「何だよ」
「そちらの実験も失敗したんだ」
 浩之は瞼の上から目のあたりを揉みほぐした。
「やっぱり八方塞がりじゃねーか」
 再びマルチに目を向ける。防塵服の男から何かの機械を取り外されようと
している。彼女は楽しそうに男と話している。ぼんやりと、しかし確信めいた
予感を持って浩之はその言葉を口にした。
「生きたかったんじゃねーか?」
 何時の間にか浩之と一緒になってマルチを見ていた長瀬が彼に向き直る。
「……ほう?」
「だって、あいつ、いつも言ってるぜ。『みなさんの、浩之さんのお役に立つ
ことが嬉しいんです。そのために私は生きているんです』ってな」
 長瀬は下を向いたまましばらく顔を上げなかった。その姿は考えているようにも、
そして泣いているようにも見えた。
118one and only 5:2000/08/22(火) 22:10
 程なくマルチは作業室からコントロールルームへ戻ってきた。
「すみません〜すっかりお待たせしてしまって。今日はいつもより念入りに検査
されるなんて知らなかったんですぅ〜」
 と言って浩之のほうへ駆け寄ってきた。浩之はマルチの頭にぽんっ、と手を
乗せた。
「じゃあ帰るか」
「はいっ!」

 研究所の正門まで見送りに来た長瀬は浩之に告げた。
「今日は興味深い話ができたよ。ありがとう」
「ん、いや、こっちもいい暇もてあましてたところだからな」
「良かったらまた来たまえ。コーヒーくらいはご馳走するよ」
「機会があったらな」
 浩之は軽く手を挙げた。踵を返してバス停までの道を歩いていく。もちろん
隣にはマルチの姿がある。
「まだ昼前だな、どっか寄ってくか。どこがいい?」
「わたし、エアホッケーがやりたいです!」
「おまえ本当にあれ好きだな。まいっか、じゃゲーセンだな。志保あたりと
出くわさないといいけどな」
「でも浩之さん、志保さんと一緒にいると楽しそうですよ」
「馬鹿いえ、うるせーだけだろ」
「浩之さんは本当に照れ屋さんなんですねぇ」
「ちぇっ」
 そんな会話を見るともなしに見ていた長瀬は今日の対話を反芻していた。
もし彼の最後の言葉が核心を突くものならば、感情を持つロボットは作られる
のではなく生まれてくるもの、ということになる。なぜならば、生き甲斐とは
与えられるものではなく、個々がそれぞれ見出すものではないか。その結論に
技術者としての長瀬は決して納得しなかったが、マルチの生みの親としての
長瀬は喜びにも似た感情を抱いていた。

FIN
119donotread=one and onlyを書いた人:2000/08/22(火) 22:11
長いっすね。まとまりなくてスマソ……