●●ぶっちゃけた話、本当に幸せになれるの?●●

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レスありがとうございます。
このスレを立ててみようと思ったきっかけの一つに、
最近、家族が次々病気になったり、家の中に相次いで悪い出来事が起きてる
というのがあります。

そういう状態で、家族は俺に対して、
「何か変なもの(他の宗教にまつわる物)を家の中に持ち込んでないか」
と言って疑ってかかるんです。
家の中に悪いことが続くと、きまって俺がそういう目で見られる。
そう言われるには理由があって、俺は昔から、一応学会員のくせに他の宗教に
まつわる物を抵抗無く買ったりするところがあって、
高校の修学旅行で奈良と京都に行った時にも大仏の形の小さい置物や、金閣寺の絵が入った壁飾りを買ってきたりしました。
家族に見つかった時に捨てられてしまいましたが。
「最近何か調子が悪いなと思ったら、こんなのを持ち込んでたのか」と。
べつに宗教云々とかじゃなく、きれいだなと思って旅行の記念に買っただけなんですが。
911(続きです):2001/07/27(金) 02:41
学会とは付かず離れず、ある程度距離を置いてつき合ってきた俺ですが
(家族の中では一番信心が薄い)、悪いことが起きた時に変な疑いの目で見られたり
するのはやっぱり気分が悪いし、なにか普通じゃないような気がする。
そしてそれ以上に、俺以外の家族は熱心に勤行をあげて、学会活動も頑張っているのに、
どうしてこうも悪いことばかり続くのだろうかと。
先に述べた白血病で亡くなった男子部の先輩のように、自分の周辺にいる学会員も
なんだか不幸が続いてる人が多いし。

創価の人達は、何かいい事があると「信心のおかげだ」と言う。
けれど悪い出来事が起きると「信心が足りない」「試されてるんだ」
「これは持って生まれた宿命だ。それを信心で変えていかなくてはいけないんだ」
などと言う。
昔は素直に聞けたその言葉も、最近はなんだか都合が良すぎるように思えてくるんです。

信心を続けることによって、本当に状況は好転していくのだろうか?
また、別の宗教関係のものを家に持ち込むことで、悪影響が起きる可能性
というのはありえるのだろうか?
学会員の人や元学会員だった人の生の声を聞いてみたかったんですよね。