■ハングル板の本棚■

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431418(1)
>>420昨夜は(日本では日中でしたが)わずかの差で行き違いになってしまったようでしたね。さてやはりあなたは常備軍と徴兵制という軍事的側面のみに皮相的に国民国家を理解されているようですが、たしかに歴史的な国民国家の出現においてそうした軍事的要因が重要な役割を果たし、国民国家成立に成功した国々の歴史において常備軍や徴兵制の出現が一応のメルクマールになるのは確かですが、常備軍と徴兵制があれば国民国家であるとか逆になければそうでないといえるわけではなく(戦後日本に徴兵制はありませんが依然日本は典型的な国民国家とみなされています)、もっと社会や政治システムの根本的な部分を考えねばなりません。ちなみに、平凡社世界大百科辞典(1988年)の田中浩氏の叙述からいくつかのポイントを引用すると:
*共通の社会・経済・政治生活を営み、共通の言語・文化・伝統をもつ、歴史的に形成された共同体を基礎として成立した国家を一般に指す。この意味で民族国家とほぼ同意に用いられる。また、多元的分裂状態を克服して成立した統一的な絶対主義国家を含めて国民国家という場合もあるが、絶対君主に集中されていた権力・主権を、市民革命によって奪取した結果形成された国家を指し、その意味で近代国家といわれる。したがって近代国家という観念は、ふつう封建国家や絶対主義国家などに対置して用いられる。しかし、市民革命を経ることなく、対外的危機を契機として、あるいは、ヨーロッパに形成された近代国家をモデルに、国民国家が形成される例も少なくない。 (続)
432418(2):2001/06/30(土) 02:26 ID:YtkgdIBw
*市民革命を経て形成された国民国家は、フランス革命における<人権宣言>に最も典型的にみられるように、独立・自由な人格をもって市有財産を生産・維持・発展させることのできる、市民。によって培われている<市民社会>である。すなわち、市民という<同質的>な人間によって構成されている国家であり、国家権力の主体も当然市民(国民)にある(国民主権)。それは絶対君主国家にあっては絶対君主に掌握されていた諸権力(行政・軍隊・官僚など)を市民みずからが育成・維持することを意味した。この<支配なき支配>を自己規律し、国家秩序を維持するために、合意による支配>が必要になる。<法の支配>による政治であり、その実現のためには、国民が政治に参加し、代表者を選び、代表機関が制定した法律によって統治し統治されることが必要だという、制度的整備と心的前提が条件である。いわゆる、権力分立の原理である。それは国家の構成員たる国民各人が同質であるという前提で成り立っているのであり、その前提のゆえに、討論がなされ、合意をみ、意思決定が行われるのである。また、この同質で自由な個々人によって構成されている社会では、すべての職業の選択は個人の自由で決定することができ、政治もまた<職業としての政治>としてあることを意味する。(続)
433418(3):2001/06/30(土) 02:27 ID:YtkgdIBw
*このようにして運営される国民国家では、国民にさまざまな権利を生ぜしめると同時に、合意に基づいた義務も生み出した。納税、教育、兵役(ただし、志願兵制と強制兵制の別がある)などの義務がそれである。なかでも教育、兵役の義務化は、国民の思考を平準化し、価値意識の同一化をもたらし、同時に、国民の一体感の培養、愛国心の強調、ナショナリズムの唱道に重要な役割を担った。

私は必ずしも田中氏とは近代政治史・思想の評価の多くを同じくするものではありませんし、また国民国家の定義も人によりかなり幅があるのが実状ですが、共通の社会・経済・政治生活の存在や同質的な(と仮定される)国民による共同体としての国家という点は基本的にほとんどの研究者の同意するところだと思います。そもそも国民という概念が近代的なものであって西欧史においては近世絶対主義国家において一応生まれたものと考えられているわけで、国民国家の成立にはまず国民が誕生せねばならないとも言えます。(続)
434418(4):2001/06/30(土) 02:29 ID:YtkgdIBw
ですから国民国家とは国家内部の政治社会や経済社会の条件を含む概念であり、単に軍事ばかりでなく、より以上に近代政治システム、なかんづく近代民主制、や産業社会体制と深く関連したものだということがおわかりかと思います。ハプスブルク帝国は少なくともその末期においては常備軍や徴兵制を完備していたと思いますが、あまり国民国家とはみなされないはずです。一方、アメリカは初期においてはほとんど常備軍のないような状態でしたし、スイスも比較的最近まで常備軍といっていいようなものはなかったと思いますが、国民国家として扱われることが多いかと思います。(アメリカについては例えば本間長世氏や阿部斉氏が国民国家なのか否かよくわからないと正直な感想を述べていますが、それはアメリカの多民族社会や連邦制の評価の難しさによるものです。)

たしかに国民国家が近代産業資本主義の発達に適したシステムであったということや国民として人々を統合・動員するのにすぐれた政治システムであったということはまた戦争にも効力を発揮するシステムであったということでもあり、それゆえ現在では国民国家を批判的に見る傾向も強いわけですが、一方、今までのところ国民国家以外に、ある程度の広範な領域を対象として近代民主政治を実現し、また安定的に産業体制を維持・運営するシステムが見当たらないのも確かです。(続)
435418(5):2001/06/30(土) 02:30 ID:YtkgdIBw
また、典型的に国民国家化に成功したといわれる西欧諸国や日本による帝国主義や戦争が頂点に達したのは今世紀前半でありますが、現在、単に国家間だけでなく個人や諸団体においても国際社会とでもいえるものが存在しているのは主に、今でも国民国家の基本的制度は安定的に存在しているこれらの諸国の間においてです。一方では旧ユーゴを舞台にした紛争など、近年頻発している紛争は国民国家の悲劇のように言われることもありますが、正確には国民国家がうまく成立しないことによる悲劇と言えます。おそらく世界の多くの地域は西欧や日本のような意味での国民国家成立の条件に恵まれていないにもかかわらず、国民国家が唯一の近代国家のモデルとして追求されたことに不幸があったと言えるでしょう。アジアやアフリカなど世界の多くの地域では現地の歴史的社会的条件に適したたたちでの産業社会化を可能にする政治システムが必要だと思いますが、今のところ全くの手探り状態と言っていいでしょう。それどころかロシアや中国において西欧とは別の産業化体制として一度は期待された共産主義も失敗が明らかになり、世界のほとんどの地域がありうべきモデルを見出せていないのが現状だと思います。