アメリカの大都市空襲、原爆投下は犯罪だ!

このエントリーをはてなブックマークに追加
473名無しさん@お腹いっぱい。
>>463
278 名前:原爆投下予定地、京都が最有力だった 投稿日:2001/03/30(金) 16:45
1945年に入り2月にはヤルタ会談があり、ソ連が対日戦に加わることが決定された。原爆開発が進められる中、政治的にもこの計画は進められていってい る。そんなおり、大統領のルーズベルトが心臓発作で死亡(4月12日)。副大統領のトルーマンが大統領に就任し、初めてこの計画のことを知らされる。

この頃から投下目標の具体的選定が始まる。まず、4月27日に東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊 本、福岡、長崎、佐世保の17か所が候補にあがる。この後の投下目標の絞り込みは、資料(といっても原本などではなく成書や展示)によって多少異なって いるが、おおよそ次のような感じである。

5月10、11日、第2回目の目標選定委員会。この席で、
(AA級)京都、広島
(A級)横浜、小倉
と決められた。そしてその翌日にこの4都市への空爆禁止命令が出される。

この「空爆禁止命令」はおもしろい意味をもつ。投下目標都市の空爆をやめ、なるべく街の姿をとどめさせておくということは、原爆投下に一種の実験の 意味も含まれていたということが推測される点と、京都が空爆されなかったことに対するまことしやかに言われていた説が誤りであることが推測される点 である。
前者はまさに字面のとおりなのであるが、後者については少し説明がいろう。京都に空襲が少なかった理由として、よく言われていたのは「アメリカ側も 京都にある神社、遺物などを守ろうとしたから」というものであったが、実はこれは当てはまらず、ただ原爆の投下候補地であったからという理由が強い のではないか?ということである。
474473続き:2001/06/26(火) 01:02
ともかく、5月28日には第3回目標選定委員会が開かれ、目標の条件が
(1)人口密集地
(2)直径3マイル(4.8km)の円が描ける程度の市街地の広さがある
(3)日本人に心理的ショックを与え、戦闘意欲を消失させられるような重要性をもつ都市
(4)爆風によって最大の効果を発揮しうる地形をもつ
(5)原爆の威力を正確に測定するため、まだ空襲の被害を受けていない
(6)二重の目標(軍事施設と住宅密集地)をもつ
と確認された。
この段階では京都が最有力であった。

ここから京都という目標が迷走しはじめる。5月末には京都、広島、小倉、新潟に絞られるが、6月に入ってから京都は目標からはずされる(戦争終了後の 日本支配のことを想定し、京都への投下が日本人に対米感情を抱かせることを懸念したという説が強い)。しかし、7月に入ると再び京都が候補地として復 活する。7月21日には京都が第一目標として絞り込まれている。その翌日にスチムソン陸軍長官がそれを拒否し、そのまま候補地からは姿を消す。京都へ の原爆投下計画はかなり具体的な所まで決まっており、投下目標も決められていたらしい(京都駅の西1km付近)。もし、この計画のまま京都に原爆が投下 されていたらどうなっていたかをシュミレーションで見ることのできる展示が、京都市北区にある「立命館大学国際平和ミュージアム」のなかにある。周 りが山に囲まれた盆地・京都は原爆が非常に効果的に働き、死者は50万人近くに達したものと推定されている。
>>278